01
現在、私は男性の家にいる。
その男性とは恋仲というわけでなければ、意中の人というわけではない。でもその屋根の下には、世界で一番大切な人がいるのは間違いなかった。
全ての始まりは五月。
『東京の姉さんのところに行きます』
そんな書き置き一つだけ残して、妹が家出したのが発覚した。
家を出たのは昨日今日の話ではない。一年も前の話であった。
足取りは不明。手がかり一つ残さず、妹は完全にその行方を眩ませていた。
家出の発覚から七ヶ月目。
「姉……さん」
ついに私は、妹に手が届くこの場所へとたどり着いたのだ。
同じ間違いはもう繰り返さない。
「帰りましょう。楓」
今度こそ正しい形で、いくら時間をかけてでもやり直すのだ。
◆
嵌められていた足かせが解かれ、得られる自由と権利。同時にそれは、二度と足かせを言い訳にできない、自らの行動にあらゆる責任という重荷が与えられる。
子供と大人。
ある日突然、子供から大人へ成長するなんてことはありえない。身体が大きくなったところで、その中身が伴うのは時間と経験が必要である。
かといって、足かせを解く日を、精神なんて曖昧なものを基準に置くのは難しい。目に見えてわかえりやすい形を求めた先は、生まれた日から二十年目。それで得する者と損する者の差が出ようとも、皆にとって平等かつ不平等に線引きしたのだ。
四月二日。少なくとも私にとっては、この日に足かせを解かれるのは、平等という名の得である。社会が成人だと認めてくれたことによる、目に見えた初めての恩恵は、お酒を口にする自由と権利であった。
「椛はほんと、真面目よね」
対面のまどかが、私をそう評した。
人を真面目と評するのは、褒め言葉として社会は設定している。なぜなら誠実だから。ではなにに誠実かというと、与えられた義務と規則に対して。義務と規則に誠実でさえあれば、問題が起きないようになっている。社会はそう設定したつもりだからだ。
大人が真面目な子供を褒めるのは、問題を起こさずに偉いぞと喜んでいるのと同じかも知れない。捻くれた発想かもしれないが、真面目に『真面目』と向き合ってみたとき、そのような答えを導きだしたのだ。
もしかすると言語化していないだけで、皆が真面目をそう捉えているのかもしれない。だから義務と規則に不誠実な者たちは、皮肉や嫌味を言うのに真面目を持ち出すのだ。
頭が固いとか、ノリが悪いとか、つまらない奴とか。このくらい皆がやっていることだろう。おまえは本当に融通が利かないな、と。真面目な生き方を、バカ正直な生き方だなと嘲笑っているのだ。
私自身、そのように見られるのは構わない。流されたのではない。ちゃんと納得して自分が選んだ生き方だ。むしろこの生き方こそが、私にとって一番楽なのである。
胸を張れない真似はしたくない。
融通の利かない社会に従順なまでの姿勢は、これでもちゃんとした中身があるのだ。
それを嘲笑いたいのなら嘲笑えばいい。
真面目であっても、人の顔色ばかりを気にして伺うような、弱い人間でもない。不快な縁は距離を置いて、切れるのであればスパっと切る。
「わたしとくらいは家でこっそり、ってやってくれてもよかったのに」
だから目の前の縁を切ろうとしないのは、揶揄するつもりがないのを知っているから。軽口ですらない。親友だからこそ漏らした不満。わたしの前でくらいは、と拗ねているのと変わらない。
「お酒を飲めるようになる、というのは一つの人生の契機だもの。初めてはこそこそしないで、胸を張って堂々と飲みたかったのよ」
つまるところ、こうした日がきたことを喜んでくれている証だ。
フルートグラスに口をつけると、ほどよい炭酸の刺激が喉を通り抜けた。鼻を通り抜ける香りの重さは、ジュースとはどこか違う。冷たいものを飲んでいるはずなのに、自然と頬が熱を帯び始めていた。それを含めて楽しむことが、お酒を嗜むということか。
「その口ぶりは、まるでわたしがこそこそと、猫背で飲んできたみたいじゃない」
批難めいたまどかの口調はあまりにもわざとらしい。
「あら、違うのかしら?」
「もちろん。わたしはこそことしないで、胸を張って堂々と飲んできたもの」
「それはそれで、問題ありね」
お互いの顔を見合わせ、数刻を置いた後、どちらからでもなくどっと笑った。
まどかの顔はとても満足そうだ。
「でもやっと、椛と堂々と飲めるようになったかー」
「あんたはまだ、堂々としちゃいけないでしょ」
「知ってる? 未成年者の飲酒って、罰則がないのよ」
「その代わり、大学にバレたら大目玉。停学になっても知らないわよ」
「大丈夫。これでも上手く立ち回ってるから」
まどかはテーブルを見下ろした。
「だから今日もさ、外でお祝いしたかったんだけど」
目に入るのはまずお寿司。出前でもなければチェーン店でもない。この近隣で一番のお店からのテイクアウト品。使い捨て容器でありながら、特上効果か気品が漂っている。
それとワインクーラに沈められた、ワインボトルが一本。今飲んでいる一品であり、スパークリングワインじゃなくて、シャンパンとのこと。お酒の初心者なので違いがわからないが、美味しいと高価を両立しているのは確かであろう。
いずれも私のお祝いということで、まどかからご馳走になっている。
「椛のお祝いなのに、私に合わせる形になって……なんか申し訳ないな」
自らの部屋で行われている私の祝いに、まどかは口惜しそうだ。
この一年でまどかは、色んなお店でお酒を嗜んできた。祝いの場に相応しいお店もあれこれと知っていれば、築いた縁から新たに開拓できただろう。実際、この日が近づいた時点で、お店選びのために要望を求められていた。
でもお店での飲食を、私は固辞したのだ。
慣れているとはいえ、まどかはフライングしてお酒を嗜んでいる。まどかが私の知らぬ場所で嗜むには見咎めはしない。ただ未成年の身であるまどかを連れて、外でお酒を楽しむというのは、私の生き方的には許容できないのだ。
プライベート空間かつ、まどかと二人だけ。これが自分の許容範囲。社会のモラルを鑑みればレッドカードだが、見咎めてくる者は誰もいない。ということで、なんとか線引きした。
以上からまどかの部屋で、美味しいお寿司とお酒を嗜む、という成人祝いを迎えているのだ。
「いいのよ。こっちに来てから縁を築いた人たちに祝って貰えば、特別な場所で特別なことをしてくれたかもしれないわ。でも私は、今日という特別な日を、必要以上に特別で飾り付けたいわけじゃないの」
まどかは自分に合わせて、と後ろめたさすら感じているようだが、そんなものを覚える必要はない。これは私のわがままだ。
「大事なのは特別な日に、誰と過ごすか。初めてお酒を飲むときは、まどかと二人でって決めてたから。これが私にとって、一番理想的な飾り付けなのよ」
お酒を一口飲んだ先で、頬を緩ませながら告げた。
まどかとはかれこれ長い付き合いだ。親にも言えないような恋の失敗をしてきた親友。私たちの生き方は正反対とは言わずとも、相容れるものともいい難い。だというのに幼い頃から気があって、ただの友人から始まった関係は、臆面もなく親友と呼べるものへと育っていた。
大学を進学する際、ルームシェアをしたかったくらい。お金の問題ではなく、楽しい生活になると確信していたから。固辞されてしまったのは残念だが、そこはまどかの生き方だ。あれだけらしいお断りをされたら、そりゃそうだ、と納得せざるえない。代案として同じマンションを選んだところで、いい具合に収まった。
ふと、まどかがジッとこちらを凝視していることに気がついた。目を合わせているのではなく、観察しているそれに近い。眉間の皺がほぐされる代わりに、深い溜め息を漏れ出した。
「……椛さ、なんで男に生まれてきてくれなかったの?」
「すごい文句ね……」
罵声ではないのはわかるのだが、これには顔をしかめてしまった。
最後の投稿から一ヶ月以上かかりましたが、ようやく目処が立ちました。
まずは本投稿日の予告も兼ねて、一話だけ投稿させて頂きます。
来週の月曜日から、椛視点を始めていきますので、よろしくお願いいたいします。
前回からなぜ、これだけの期間が空いたのか。
そしてタイトルを変えるのに、読者様のご意見を伺いたい。
それを含めまして、大した分量ではありませんが活動報告させて頂いております。
よろしければ是非、下記の活動報告を確認頂ければと存じます。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1426905/blogkey/2806852/




