06
押し殺すような嗚咽は、俺に聞かせんと努力はしただろう。しかしその声が俺に届いていることくらいはわかっていたはず。
だからキーボードくんには、十分もの恩赦が与えられたのだ。
その間、黙ってレナが落ち着くまで待っていた。それがレナのためになると思ったからではない。いつものように楽なほう楽なほう、なすがままとばかりに対応を未来の自分にぶん投げたのである。
人生経験値が高ければ、ここでふすまを開き『さあ、その涙をこの胸で拭ってくれ』と腕の中に飛び込んでくるのを促す選択肢もあったかもしれない。
実際、それも考えた。
だがふすまを開いたことにより、ウグイスが飛び去り森の中に立ち尽くすハメになっていても困る。ここはグッと堪えることにした。
『はー、やっぱセンパイはセンパイっしたね。中身がイケメンっす』
そうやってグズグズとしていると、キーボードくんに鞭を打てるくらいには回復したようだ。
センパイはイケメン、と。
巨乳JK美少女にそう評されることはとても喜ばしいことである。
なのでもう一つ、突っ込んで聞いてみることにした。
「外見は?」
『ノーコメ』
「今から攻城戦を仕掛けてやっから待ってろ」
『きゃー、犯されるー!』
いつもの調子を取り戻したようだ。
そして巨乳JK美少女の目から見て、俺はイケメンではないという残酷な事実が突きつけられた。
『まあ冗談として、攻城戦を覚悟してきた身としては、ほっとした感じはしましたね』
「ほっと?」
『いくらセンパイを崇めてる自分でも、生理的嫌悪を抑えるにも限界がありますから』
爆速タイプはすっかり息を取り戻し、より容赦なくキーボードくんをいたぶった。
『ステレオタイプのキモオタが来たらどうしようって、それだけが一番の気がかりだったんっす。良くてチー牛だろうと思ったところに、ザ・社会人みたいな人が来て、人生で一番安堵しました』
どうやら随分と失礼なご尊顔を想像されていたらしい。
これは不当だと高らかに叫ぶつもりはない。今まで手ほどきしてきた世界が世界だ。ここは甘んじよう。
「まあ、実際社会人だしな。清潔感と身だしなみは疎かにできん」
『やっぱりセンパイは人生のセンパイですね。そういうのを怠らずキッチリとしているところ尊敬します』
レナにとって俺の外見は好印象だったようだ。
コーハイであり巨乳JK美少女に、ここまで褒められるのは素直に嬉しいし誇らしい。底辺集団でトップを独走するあり方を認められたようである。
「で、外見の評価は?」
『ザ・社会人みたいな人が来て安心しました』
「今からそのたわわを収穫してやるから待ってろ」
『犯されるー! 誰か男の人を呼んで!』
やはりレナはどこまでいってもレナである。一メートル圏内におりながらこれだ。
こちらもまた、巨乳JK美少女やたわわなどと、身体的特徴をあげつらってもセクハラ扱いされないだろうと開き直っていた。
顔合わせにより、お互い気まずい感じがあり、いつもと少し違った距離。それがもう完全に噛み合って、お互いにエンジンがかかってきた。
だからそろそろ、本題に入ってもいいだろう。
「それで、なんで家出なんてしたんだ?」
『最初に言った通り、親と将来の話で敵前逃亡っす』
さもありふれた話だろ、とばかりにレナは軽い。
「顔も知らん男をアテにして、飛行機の距離だぞ? アテにされた身としては、少しくらいは話を聞かせてもらいたい」
これが女子大生ならまだわからぬことはないが、レナは女子高生である。計画性もなしに衝動的に飛び出すのは、並大抵なことではない。
『そこまで大した話じゃないですよ。ほら自分、巨乳JK美少女じゃないですか』
「気に入りすぎだろその看板」
『えへ』
レナのノリはどこまでも軽い。
『それに加えて、対人恐怖吃音症パラヒキニートクソ陰キャ。まあ、そういうことっすよ』
ほらよくある話でしょ、とばかりだ。
そこまで言われて、俺もわからないことはない。
レナはどこまでも俺が知るとおりのレナであっただけだ。ただしそれは本日をもって、大学生から高校生へと情報が更新された。
「不登校のヒッキーに、親がついに大激怒か」
『イエス。中学までは登校しても保健室。そんな奴が高校なんかまともに通えるわけないじゃないっすか。先月の入学式で即行心が折れました』
今こうして会話していると忘れてしまいそうだが、レナのコミュ障は絶望的。確かにあんなのが学校に通うのなんて、到底無理な話だろう。
それよりも、今さらっととんでもない事実をつきつけられた。
「待て、先月の入学式……?」
今は五月。六月を迎えるのに後二週間は必要である。
『そう、ワイはピチピチにピチピチな巨乳JK美少女なんすよ』
「……まさか、おまえの歳って」
『自分を嫁にしたいなら来年の三月まで待ってくれっす』
「おいおい。俺と出会ったのいつだよ」
『小五ですね。あれはまさに、運命の出会い。ネットの世界を手取り足取り指南され、今やこんな立派に成長しました』
誇らしげでこそあるが、今のレナは立派とは無縁の存在である。そしてその中身を与えたのは誰でもない俺だ。
俺が……小五ロリをここまで育て上げてしまった。