07
十二月も頭。今年も残り一ヶ月を切った。
自宅警備員の家出が発覚してから、七ヶ月目。完全に痕跡を消して、追跡できないよう逃げてきたはずなのに、意外な縁から発覚の恐れが生まれた。
タマとクルミちゃん。
家出先でも引きこもり続け、外出をしていないとはいえ、なにかの拍子で表沙汰になってもおかしくない。実際、あの娘とクルミちゃんは目と目が合ったのだ。あのときは何事もなかったとはいえ、次のアクシデントもまた無事で終わるとは限らない。
クルミちゃんのお友達が、あの自宅警備員の姉だと知ってからも、タマの対応はなにも変わらない。彼女を遠ざけようとせず、堂々としたものだ。いつものよう楽に流されているだけかもしれない。
特に口を滑らすような危なげもなく、疑いをもたせることもない。
だから今日という日まで、自宅警備員との生活はなにも変わりなく過ごしているのだ。
そう、その関係に変わりがなさすぎるのだ。
あの日、こじらせている童貞の背中を押した。ビビってないでとっとと覚悟を決めて、禁断の果実を食べてしまえと。それがタマのためになると信じて。私にしては珍しい背中の押し方である。
タマは覚悟を決めた。堕ちるときは一緒だと、人生を賭けて背負い込んだのだ。自宅警備員は嬉し泣きをしながら、そんなろくでもない大人の胸に飛び込んだようである。そのまま寝るまでずっと抱き合いながら過ごしていたようであるが、手を出すどころかベッドを共にすることもなく、別々の部屋で寝たというのだから驚きだ。
意気揚々と情けない報告するタマに、私は呆れた口を開いてしまった。
「なにが覚悟が決まったよ。なんの覚悟も決まってないじゃない」
「いや、ちゃんと覚悟は決めたって」
「なんの覚悟よ」
「いざというとき、ガミに頼る覚悟だ。そんときは頼むぞ」
人任せな覚悟に、呆れた口からはそのままため息が漏れ出たのだ。
介錯をしてやるとは言った手前もあるので、その話に乗ると、
「どんな死に方がお望み?」
「なんだ、選べるのか?」
「最後の死に方くらいは選ばせてあげるわ。私に用意できるものなら、なんでも用意するわよ」
「なら腹上死だな。人生最後くらいは、非合法な美少女と楽しませてくれ」
「バカなのタマは?」
眉間に大きな皺を刻んでしまった。
なにが非合法な美少女と楽しみたいだ。そんなの家に帰って好きなだけやっていろ。
死ぬ覚悟を決めておいて、なぜ果実の収穫の覚悟は決められないのかわからない。今更いい大人ぶっているつもりはないのにこの様とは、童貞もここまでこじらせれば病気である。
目新しい進展がまるでない、二人の関係は至って健全そのもの。
彼女の作った料理が美味いとか、ゲームをしたとか、アニメを見たとか、そんなのばかり。中学生の恋愛話でも聞かされているかのようだ。いいや、今日日中学生のほうが、もっと不健全な恋愛に勤しんでいるだろう。
つまるところ、タマは中学生未満というわけだ。
今日も中学生の未満の進展のない話を聞かされるかと思った矢先、
「今度のクリスマス、レナを外に連れ出そうと思う」
一杯目を口にしたのを早々に、そんなことを口にしたのだ。
瞠ったこの目でタマを見ると、
「……本気?」
「本気も本気、マジもマジだ」
凄く生真面目なものであった。
その顔を見ることで、改めて私の中で衝撃が走った。それこそ悪い蛇が、あの果実を食べてはいけないと諭すのを見てしまったかのように。
自宅警備員を外に連れ出すということは、大きなリスクである。ただ東京には姉がいるからではなく、その手がクルミちゃんという形で伸びてきているのだ。
タマは大きなメリットがあろうと、小さなリスクを背負うならそれだけで引っ込むような男である。そんな男がなぜ爆弾を外に持ち出そうとしているのか。
ここのところ退屈なまでの定例会に、まさしく爆弾を持ち込まれた気分だ。
「また、どうして急に? あの娘が外に出たいとでも言ったの?」
「いや。そういうわけじゃないが」
「ならなんで?」
「こういう機会に一度、連れ出してみるのも悪くないかなって」
「悪くないかなって……」
私は何度も瞬きしながら、顎を落とした。タマらしかぬ考えに、思惑を計れず狼狽えているに近い。
「レナは引きこもりだが、外の世界に興味がないわけじゃない。自分の足で出向いて、見たり手にしたいものはいくらでもある。ただ他人と交流したくないから、それを諦めていただけ。俺がついてる今なら、少しは外を楽しめるだろうさ」
「つまりあの娘を楽しませるために、連れ出すってわけ?」
「レナのメイド王っぷりには助かってるからな。してもらって当然だと思うほど、恩知らずなつもりはない。たまには福利厚生として労っても、バチは当たらんだろう」
「そう。福利厚生ね」
タマらしい言い表し方に、くすりとした。
クリスマスに男が女を楽しませるために外へ連れ出す。紛うことなきデートではないか。
デートという楽しみのために、自ら進んでリスクを背負いたいようだ。
それを愚かというつもりはない。やっと動きがあったかと面白いくらいだ。
「どこに連れてってあげるの?」
「まだ決まってないが、折角のクリスマスだ。イルミネーションの街並みを楽しんだり、夜景の見えるレストランでフレンチとかさ」
「童貞らしい発想の語彙力ね」
「ファッキュー!」
中指を立てるタマを鼻で笑った。
でも、適当ではなく、タマなりに真剣に考えてはいるのだろう。
ならこういうときくらいは、この店らしい相談役になってやろうか。
「そんないかにもなのは止めなさい。なれない真似してなれない場所へ行っても失敗するだけよ」
恋愛経験ゼロの男が、こなれた者たちの真似をするのは無謀である。それでも上手くいく者はできるだろうが、タマはまず無理だろう。
「それにあの娘自身、そんないかにもなプランに憧れてるの?」
楽しませてやりたいというのなら、まずは相手の嗜好を考える。それを踏まえもしないで、『ほら、女ってのはこういうのが好きなんだろ?』とやっても、押し付けがましいだけだ。
タマが苦い顔をしているのは、相手の嗜好にあっていないと思い至ったからだろう。
「子供の前だからカッコつけたいのはわかるけど、こなれた大人の真似なんて止めなさい。ろくでもないなりに気取らず、側にいて安心できる大人でいてくれたほうが、よっぽど喜ばれるわよ」
今更カッコつけようにもタマはもう手遅れ。この一年半以上もの間、同じ屋根の下で暮らしているのだから、あの娘も色々と身に沁みているだろう。
でも、そんなろくでもない大人のもとで、彼女は幸せに営んでいるのだ。変にカッコつけられても居心地が悪いだけだろう。
「そもそもね、特別な日に特別なことをする必要なんてないわ。特別な日に特別な人となにをするのが重要なのよ」
クリスマスという行事は、恋人と特別な日を過ごすと、一つの価値観として根付いている。それが特別な日だからこそ、特別なことをしなければならない。そんな形にだけ目を奪われ、特別なことをすることが目的となっている。そのようなクリスマスを過ごせない者は不幸であり、憐れであると後ろ指を差して嘲笑うほどに。
これが価値観に囚われる、というやつだ。
タマにしては珍しく、普段足蹴にしている価値観に引っ張られていたようだ。
「楽しませてあげたいなら、一人で全部考えて決めないで、一緒に話し合いなさい。旅行と一緒。こういうのは計画を立てているときも楽しいものよ」
「そうだな。色々と話し合ってみるか」
帰ったことのことを思うてか、タマは頬を緩めた。
「それはそれとして、近年の若者はどうクリスマスを楽しんでるんだ? ネットで調べるにも限界がある。ガミは生の声を聞いてるんだろ? 若者の生き方がどうなってるか、ここで一つ教授してくれ」
「若者の生き方って……また年寄りみたいなことを言って」
「なに言ってる。二十七だぞ? もう若者扱いしてもらえる歳じゃないだろ。それともガミは、まだ若いつもりか?」
嫌だ嫌だと口をへの字にしながら、タマは肩をすくめる。
そんな姿に、現実を見せつけられたかのようにハッとした。
私は大人としての自覚もあったし、若者ぶっているつもりもない。ただ、若いつもりかという言葉に、過ぎ去ってしまったものを知ってしまったのだ。
「そうね……お互い、歳を取ったわね」
もう自分は、若者から見たら若くない大人。若者の輪に若い者としては混ざれない、一人の大人として扱われる存在なのだ。
こうして一つ思い知らされた先で、求められたものを差し出した。今の若者たちがなにをやって楽しんでいるのか。タマが抱える若者を楽しませられる、一つの予備知識として与えたのだ。
「なるほど、参考にならんな」
そしてこれである。
これだけ人に話させておいて、ハッキリと切り捨てた。
私はそれに憤ることも不快になることもない。なにせタマには誤用としての敷居が高かったり、縁のない話ばかりなのだ。
なにせこの店は、一見の学生が入ってくることはない。帰国してから作った学生たちとの縁、その横の繋がりからもたらされる。そんな彼らに連れてこられ、それが新たな縁となり常連となる。
だから陽気であり、社交性も高く、家柄もそこそこの子が多いのだ。まさにクルミちゃんの近縁種。タマと相反する生き方をしている者たち。
そんな彼らのクリスマスの過ごし方が、タマなんかが参考にできるわけがなかった。
「ま、童貞は童貞らしく、身の程を弁えたクリスマスを送れってことね」
逆襲というわけではないが、一発には一発。チクリとせせら笑った。
語彙力を放棄し『ファッキュー!』と中指を立てられると読んだが、
「ふん、童貞とバカにできるのも今だけだ」
タマは不敵な笑みを浮かべたのだ。
私は目をパチパチとさた先で、信じられないものを目撃したように見開いた。
「まさか……タマ」
「初戦場は性の六時間に決まった」
あれだけ果実の収穫にビビっていた姿から一転。二十七歳成人男性が、得意気な顔を見せたのだ。




