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一年以上も続いた恋は、想いを告げる前に終わりを告げた。
堕ちるときは一緒だぞ。
それを直接に口にして、差し出すほどの相手がタマさんにはいたのだ。
わたしの恋は端から叶わないもの。それを思い知らされて、心が折れて諦めてしまったのだ。
かといって、キッパリ心が切り替わるものではない。
なにせ一年以上も恋をし続けてきたのだ。タマさんのことはしっかり引きずり続け、新たな恋を探すかという気分にはなれない。お試し彼氏はすぐに作れはするが、気持ちは落ち着くまでは控えることにした。
潰えたこの恋。
タマさんの顔を思い出しては、毎晩涙を濡らす日々。ということはなく、悶々とした思いだけを抱え込んでいた。
『人を死に追い込んでおいて、ざまぁ見やがれって笑っているような男なのよ』
あの日、マスターに告げられたタマさんの人間性。
過去になにがあったかまでは教えてもらえなかった。それでもわたしを諦めさせるための嘘ではなく、本当にあった真実であることは確かだろう。
批判、糾弾を恐れて、誰もが胸に秘めたまま人間の本音。小綺麗な飾りをしなければ許されない社会に対して、タマさんは歯に衣着せずズバズバと言うのだ。
人間の本性は結局こんなものだと。性善説を信じる者たちが悶死するような発言を繰り返してきた。
人によっては不快になるだろうが、わたしはそうなることはなかった。
人間の本音、本性を口にせずにして、語れないものはこの世には沢山ある。誰もが目を背けている事実を、高らかに掲げながら面白おかしく語ってくれるのだ。
わたしにとって、そんな話の数々はどれも新鮮で、面白くもあり興味深かった。いつしかそれを、もっともっと求めるように酔いしれていた。
まさにマスターに、おまえは酔っていただけだと突きつけられたのだ。
タマさんはまともな人ではない。
非の打ちどころがないろくでもない男。
恋の遍歴、黒歴史を束ねても敵わないほどの大人だと。
その実感がまるで湧かない。
けれどマスターが突きつけてくれた事実もまた、無視できぬもの。
だからタマさんへの好意は以前変わらずとも、枕を濡らすのではなく悶々としてしまうのだ。
マスターのお店にはあれ以来行っていない。
ならばと椛に泣きつきたいところであるが、楓ちゃんの件もある。わたしの恋なんかより、泣き出したくなる重たいものを抱えていた。
椛を真似するように、わたしもまた気丈に振る舞っている。
大体週に一度、ご飯を共にし、身の回りにあった差し当たりない話だけをしながら、椛とは過ごしていた。
大学生活も変わらず。
クリスマスを前にしたこともあり、聖夜のご褒美を求めて誘われる日々だ。それら全てを袖にした先で、大学の交友関係からもたらされた、クリスマスパーティーのお誘いを受けた。
キラキラ華の大学キャンパスライフ。その青春を楽しむ以上に、気を紛らすようなイベントを望んだのだ。なにせその日の二十一時から、次の日の三時にまでかけて、想いを断ち切れぬ男性が聖夜を楽しむのだ。一人部屋にいようものなら、今度こそ泣き出してしまうだろう。
当日のクリスマスは、無闇に楽しみながら、無事乗り越えることができた。
語ることは多くない。ただ楽しいだけのパーティーだ。しいていうのであれば、疎遠となっていた姉御と再会し、交友を取り戻せたくらいか。もう男は懲り懲りだ、と言った先に注がれたその視線。どこか怪しいものを感じたのは、気のせいだろうか。気のせいにしたいところだ。
目が覚めるとそこは知らない部屋。生まれたままの姿で、隣には知らない男性が眠っている。記憶がなくなってからのわたしは、一体なにをしていたんだ。
ということはない。
一人自分の部屋、ベッドで目覚め、タクシーで帰ってきた記憶も残っている。少々飲みすぎたこともあり二日酔い気味であるが、大学生としては健全な類であろう。
お水を求め、シャワーを浴び、ようやく一息ついたところでスマホを手に取った。
四件のメッセージが届いていた。
椛である。
昨晩の二十一時頃のもののようで、マナーモードにしていたこともあり気づかなかったのだ。
着信履歴もないし、大した要件ではないだろうと開くと、
「嘘っ……!」
誰もいない部屋で一人叫んでしまった。
そこに書かれていた一文は、それほどまでの威力を放ったのだ。
『楓を見つけた』
一年以上も行方不明になっていた楓ちゃんが、ついに見つけたというものである。
一切の足取りを掴ませず、行き先のヒントになるものを残さなかった。最早生死の安否が一番心配になっていたのだ。
そんな楓ちゃんがついに見つかった。
けれど安堵の息が出ることはない。その続きがあったからだ。
『男と歩いてた』
『楓が』
『私を見て逃げた』
声をそのまま失った。
生きていたのはそれだけで嬉しいが、男と歩いていたという一文は、この胸を抉るに十分すぎた。
わかってはいたのだ。
楓ちゃんのような子供が、家出をした先でどう居場所を作るのか。どうやってそれを維持するのか。なにを対価にしているのか。
椛に似た妹なのだ。誰もが喜んで、対価を求めその手を差し述べるだろう。
社交性がゼロに近い女の子が、姉に助けを求めず、そんな手段で他に助けを求めた。
一人の男の家に留まっているのか。はたまた渡り歩いているのかはわからない。
それでも椛の顔を見て逃げ出したということは、家に戻るより、今の生活を本人が望んでいるということだ。
それがどれだけ椛にショックを与えたか。
『だからね、お友達が考えなければいけない心配は、生きているか死んでいるか。綺麗だとか、汚れているとかだけじゃないわ』
ふと、かつてのマスターの言葉を思い出した。
『どちらにせよお友達は、辛い想いをすることになるわよ』
まさにその心配が、現実になっていたのだ。
現代のマナーなんて知ったことではないと、すぐに椛へ電話をかけた。
繋がらない。
かつてのように不用心に部屋を飛び出した。
階段を駆け上がり、真上の部屋のチャイムを鳴らすも誰も出ない。鍵はかつてと違い、しっかりとかかっていた。
そこに鍵を刺して、くるりと解錠した。椛になにかあったときが心配だから、部屋の鍵を預かっていたのだ。
靴を揃える、なんてマナーもやはり守らない。脱ぎ散らかしながらリビングへ駆け込むと、まずはホッと息をついた。
ソファーの上に椛が眠っていたからだ。
椛の昨日の予定はわたしと変わらない。大学の交友関係からのクリスマスパーティーだ。わたしが参加したものより落ち着いた、知的な集まりかもしれない。
帰ってきてから、そのまま着替えなかったのだろう。コートだけがその辺に脱ぎ散らかされていた。
楓ちゃんを見つけて、男と歩いており、そして逃げられた。
その悲哀からなにも手がつかなかった。
机の上や周囲に転がっている物が、そうではないと示していた。
何本もの鉛筆や消しゴム、鉛筆削りやカッターナイフ、羽ぼうき。その他、わたしでは正式名称がわからないような道具の数々。
自らに融通がきかない椛とはいえ、勉強一筋な無趣味というわけではない。
鉛筆画。それを昔から趣味として続けてきており、その腕前はかなりのものである。それこそ中高時代では、人気者の椛に描いて貰えるのが一つのステータスになるほどの。
本人いわく、幼い頃の夢は画家だった。けれど父親の背中を見て、子供心に許して貰えないのはわかっていたとのこと。時間も有限。道具の準備や後片付けを考えて、気軽に描ける鉛筆画が一番性に合ったらしい。
絵を描いているときは無心になれる。その時間がなにより好きなのだと語っていた。
昨晩受けたショックの現実逃避として、なにか絵でも描いたのだろうか。
そんなことはありえない。椛の性格はよく知っている。
なぜ、絵を描いたのか。すぐにその答えは頭の中にはじき出していた。
テーブルに上がったままの、画板に載ったA4紙。
徹夜で描きあげたであろう椛の作品。
床に散らばったくしゃくしゃにされた紙や、削りカスなどを踏みつけながらも、わたしはそれを覗き込んだ。
「嘘……」
本日二度目に吐き出した言葉。
今度は叫声となることなく、目を丸くしながらぽつんと漏らした。
五度目にしてわたしは、道徳、倫理、そして法律。どれにも外れない、まともな恋を手にしたと信じてきた。
けれどそれは違うと断じられた。
今回の恋は、かつての黒歴史が纏めてかかっても敵わないもの。だから恋が叶わずに良かったとすら諭された。
非の付けどころがない、ろくでもない男。
「タマ、さん?」
恋は盲目。
そんな盲人の目にも映る現実が、形として差し出されたのであった。




