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「引きこもりの兄弟なんてのはただの人災だ。煙くて煙くて仕方ないだろうな」
金曜日の夜の恒例として、その日もマスターの店にいた。
タマさんとは先日起きた、引きこもりの兄弟殺傷事件の話になった。
なぜそんな話に飛んだのか覚えていないが、世間話なんてものはそんなもの。お題を決めて討論するのではないのだから、あれこれとしていた話の一つとして、たまたま話題に上がったにすぎない。
そういった時事ネタは、タマさんの考えを聞くのが定番となっていた。
タマさん自身、得意気に社会語りをしたり、偉そうに批判をしたりはしない。相手を選んで差し当たりのないコメントをする。それができる人だ。
だが話を深く求めれば、SNSなら間違いなく炎上するようなことを語ってくれる。
歯に衣着せず、綺麗な言葉で飾らず、不謹慎など厭わず、人間の持つ黒い部分を明け透けにあげつらう。
際どさなんて平気で飛び越えるのだから、人によっては不快になるだろう。特に性善説を信じるような人に聞かせれば、憤ること間違いなしだ。
タマさんもそれを弁えているから、他にお客さんがいるときはしない。
相手と場所を選ぶ話をしてくれる大人は、わたしの中では貴重でもあった。
「引きこもりを許してしまった親は自業自得として、巻き込まれた兄弟は可哀想なもんだよ。なにせそいつが生きてるだけで、自分の社会的信用が落ちるからな」
「世間体が悪いとか、そういう話ですか?」
「いいや。もっと直接的に人生に影響を及ぼす、信用問題だよ」
「人生に影響が出る、信用問題……?」
眉間にできた皺を、人差し指で解きほぐしながら考える。
答えは出ず、手を上げる代わりにタマさんに目をやると、
「一番わかりやすいのは結婚だな」
「あ……」
もたらされた答えにハッとした。
「親が面倒を見ている内はいいが、いなくなったら誰がそいつの面倒を見るんだ、って話になる。知らぬ存ぜぬは通用しない。社会が定めた法が、そいつの面倒を見ろって言ってくるんだ。無駄飯ぐらいの金食い虫を抱え込まなきゃならん将来に、いい顔する相手なんていないだろう」
確かに兄弟に引きこもりがいるせいで破談になった、みたいな話はテレビで見たことがある。
「引きこもりにならざるえない過去なんてのは、人それぞれなんだろうがさ。迷惑だけをかけられているほうは、そんなの知ったこっちゃない。好きでこうなったわけじゃないって喚き立てられようものなら、それこそ『うるさい死ね』って言いたくなるだろうな」
からからと笑いながら、タマさんは物騒なことを言う。
今日も平常運転である。
「飼い主の責任下のもと、引きこもりを処分していいなんて法改正がされてみろ。世の中から、九分九厘の引きこもりがいなくなるぞ」
「タマさん、今日もズバズバと危ないことを言いますね」
「昨今のトレンドは、弱者の人権保護。こんなことを気軽に口にしようもんなら、プロ市民たちに襲われる。――だから、相手を選んで喋ってるつもりだよ」
ニカリと上げるその口端に、この胸はドキリとしてしまった。
やはりタマさんはそこらの大人とは、ひと味もふた味も違う。
「それにクルミちゃんのお友達は、その九分九厘の執行者にはならないんだろ?」
なにせこうやって本題へ繋げてくれたのだ。
楓ちゃんは学校に通えていると椛は確信していた。あれからだいぶ経つのに、わたしは未だ訝しげであったのだ。
だから兄弟殺傷事件の話題があがったとき、友達の妹も、といった具合に話を切り出したのだ。
「自分の将来のためにじゃない。妹の将来のことを考えて、一人で立てるようになってほしい。優しく寄り添って、話を聞こうと勤めてきたけど成果はあがらない、だっけ?」
「はい……満足に受け答えもして貰えないようで」
「なるほど、わかったわかった」
軽快な声を鳴らすタマさん。それこそ此度の問題、その本質がわかったかのような口ぶりだ。
次の瞬間、タマさんの両手がこちらに伸びると、
「さあ、貴女の気持ちを聞かせて?」
この両頬に触れ、真っ直ぐと目と目を合わせてきた。それこそ視線を逸らすことを許さない。そう言わんばかりに顔の向きを固定したのだ。
不意打ちのようなそれに、わたしの胸は高鳴った。
進展などまるでしてこなかったわたしたちの関係。それがいきなり変わらんとしているのだ。
自らの気持ちを先に告げず、わたしの気持ちを聞かせてほしい。
壁ドンに変わる、新たな女子に迫る発想か。
まさに今のわたしは、メロメロのメロメロであった。
「クルミちゃんの友達がやってるのは、これと同じだ」
が、それらは全て幻想だと告げられた。
「心に寄り添ってるんじゃなくて、無理やり自分のほうを向かせているだけ。これで話し合いになるんなら、とっくに脱引きこもりだ」
「あ……」
もたされた幻想にガッカリしそうになったが、もたらされた問題点に、そうかと納得したのだ。
楓ちゃんは家族に背を向けるほどの引きこもりだ。
満足に声を上げることもできない子に、これと同じことをしているなんて愚行である。
優しく寄り添っているつもりであろうが、逆効果にしかなっていないのだ。椛はそれにまるで気づいていなかった。
当然である。客観的に見れているはずのわたしですら今知ったのだ。
ちょっとしか二人の関係性を伝えていないのに、パッと問題点をあげたタマさん。そこらの大人とは違う様を見せつけられ、すぐにまたメロメロのメロメロになってしまった。
一生この頬の温もりに浸っていたい。
「タマ」
そう思っていたところにマスターが、
「それ、セクハラよ」
そう指摘したためあっさりと消え去ったのだ。
その両手は勢いよく、そのままテーブルのグラスを薙ぎ払う。
パリン、ガシャーン、って。




