06
四十人の命を奪ってきた事故物件。
住民の魂を飲み込む華々しい経歴に、挑戦者を返り討ちにした輝かしい戦歴。いずれの犠牲者も出なくなってから久しくある。
その代わりに、今日まで猛威を振るった、燦然たる来歴というものがあるようだ。
いわく煙草の吸殻を敷地に捨てた老人は、不審火で家が燃え大やけどを負った。
いわく屋内で撮られた心霊写真、そこに映った女が鏡の中から覗いてくるとか。
いわくこの家屋に近いほど、不運や厄災に巻き込まれやすいなど。
心霊スポットでよく見られる、盛りに盛られた話で、オカルトマニアの間では盛り上がっているらしい。タマさんからもたらされた話とはいえ、流石のわたしも全部が全部、本物だとは信じていない。
なにせそこに住んでいる当の本人が、こんなにも元気なのだ。そこに担ぐ気はなくても、タマさんもまた人から聞いた話。一つのネタ話くらいに受け取っていた。
しかしそれも今日まで。
盛られた話だと思っていたそれを、全て本物であると信じるほどの恐怖体験に、わたしは襲われたのである。
それは平日の日中。
界隈で有名な、地域名と心霊のワードを検索するだけで、すぐに住所が出てくるような事故物件。
その家屋は朽ち果てんとしているとは言わないが、お世辞にも綺麗な外観ではない。過去に起きた凄惨な経歴と戦歴を知るがゆえか、日中とはいえどこかおどろおどろしさを感じてしまった。
そうやってわたしは今、タマさんの住処にやってきていた。
現在の恋愛方針は、椛の忠告により切り替えている。手を出してくれるのならすぐにでも応じるつもりだったのを、少し時間をかけることにした。
タマさんの人となりを詳しく知る以上に、わたしのことをもっと知ってもらう。その中で見た目だけではなく、わたし自身を見てもらいたい、という願望が湧いたのだ。
なにせ今までは、わたしが好きであることが一番重要であり、見た目を餌に相手を釣ってきただけだ。交際をスタートではなくゴールとしていた。
この身を満たしてきた恋の充足感は、そんな目的地に辿り着いただけの達成感だったのかもしれない。
そういう意味では、恋愛観は成長したのだろう。世間のいう健全な恋。少しはそれを取り入れようと思ったのだ。
……が、交際に至るだけなら簡単に行くと信じていたところ、早々に躓いている。
タマさんとは毎週金曜日、マスターのお店でしかお会いできない。なんとか外で繋がろうと、連絡先を誘い受けで手に入れんとしてるが、戦果はまるで上がらない。
前回、その焦れったさに痺れを切らし、一度だけ強硬策に出た。
運命の出会い、助けられた話を引っ張り出し、
「今度、改めてお礼をさせてください」
ここではない場所でという意味で、連絡先の交換に繋げようとしたが、
「ああいうのはお互い様だ。そんな気を使わないでいいよ」
一発で撃沈したのだ。
そこで連絡先を手に入れ、綿密にやり取りをして、デートを重ね、思い出を作りながらお互いを知り、バレンタイン前には恋人になる段取りだった。
なのに最初の一歩から先に進めない。今までは望めばすぐに全てが手に入っていただけに、思い通りにならない恋愛があることに驚愕すらしていた。
わたしは可愛い。その可愛さは罪であると、椛の太鼓判が押されている。なのにそれがまるで通じないのだ。
やはりタマさんはそこらの男とは、ひと味もふた味も違うようだ。
これまでの常識は通用しない。
さてどうしたものかと悩んだ先で、恋する乙女の衝動に突き動かされるがまま、ここまで辿り着いていたのだ。
目的なんてない。なにかしたかったわけでもない。
気軽に恋する男性の住所が手に入ったので、足を伸ばしてしまっただけ。
できれば中を覗いてみたいという衝動もある。
ただしそれは道徳、倫理、法律、その全てに外れた行為。踏み越えてはいけない一線というものがこの世にはある。それを理性で抑えきれないからこそ、世にはストーカーが生まれ蔓延っているのだろう。
なるほど彼らはこんな気持ちなのかと知りながら、玄関の扉に手をかけていた。
当然、ガチャガチャと鳴るだけで開くわけがない。なにせここは界隈で有名な事故物件。迷惑なオカルトマニアの聖地である。だから防犯意識が高いのは、タマさんの話からはよく伺えていた。
周囲を見渡す。門壁が影となっているので、玄関の正面を見据えなければわたしの姿は隠れている。
扉の郵便受けに目を受けた。
カチャと開き、そこから中を覗き見る。
「ん……?」
タマさんは仕事中。この家は無人のはず。
なのに中から音がしたような。
そのせいか、目の端で人影が引っ込んだような気すらした。
「まさか、ね……」
きっと冷蔵庫の製氷室とか、家電かなにかが出した音だろう。
そういうことにしておこう。
ちらっと後ろを振り返り、誰にも見られていないのを確認すると、そのまま庭へと回った。
カーテンは日中だというのに締め切られている。これもまた迷惑なオカルトマニア対策だろう。
窓を開けようとするも、小さくガタガタなるだけで無駄だった。そういえば窓の補助錠も導入していると語っていた。やはりタマさんの防犯意識は高い。
わかってはいたし、期待もしていなかったが、中に入るのは難しそうだ。
タマさんの家の中。生活臭溢れるその空間が、見たくて見たくてたまらなかった。
いくらストーカーの気持ちがわかったとはいえ、流石にガラスを割ってまで、なんて蛮行には及べない。
せめてカーテンの隙間。一欠片でもいいから、生活の場を覗かんと、片目で中を伺った。
遮光性が強いカーテンではないのか。室内は気持ち薄暗いだけだ。
部屋の間取りはネットに載っており、頭に入っていた。リビングであるのは確かであるが、家具の一つもない。一人暮らしだし、家の憩いの場とはいえ不要としたのかもしれない。
いくら恋する相手の居住とはいえ、なにもなければ面白みのない風景。
ま、こんなものかと見下ろした先で、
「……ぁ」
二つの目がそこには浮かんでいた。
この目とその目があってしまった。
「きゃぁああああああああああああああああああああ!」
気づけばわたしの目の前には、山盛りのポテトフライが鎮座していた。
どうやって逃げ出したのか、まるで覚えてない。だがどうやら駅チカのバーガーチェーン店に駆け込んでいたようだ。平日の日中にも関わらず混雑しており、普段なら辟易するが今はそれがなによりも落ち着いた。
レシートを見ると、バカ盛りバケツポテトフライ。注文にはそれだけが書かれていた。
放心しながら眺めていると、ニタニタとした子連れのおばさんが、「一人じゃ食べるの大変でしょ、貰ってあげるわ」と一方的に言い捨てて、トレイごと持っていってしまった。こんな非常識な人間、この世にいるのかと驚いたが、どうせ食べられないので今はそれがありがたかった。
見咎めた店員と言い争いを始め、ポテトは雨となって降り注ぎ、周囲は阿鼻叫喚となり、最後には警察まで駆けつけた。
意思なきわたしがバカ盛りバケツポテトフライを頼まなければ、こんなことにならなかったのに。そんな罪悪感に苛まれたが、それ以上の恐怖が込み上がってきた。
膝丈の高さに浮かんだ二つの目は、まさに生首が横向きとなったそれである。
四十人殺しの事故物件は本物だったのだ。家屋に不義をもたらし、遊び半分で挑んだ者たちに猛威を振るった燦然たる来歴。それがわたしの身にも降り掛かった。これで終わりだとは思えない。あの二つの目に取り憑かれたかもしれない。わたしはこれからどうなってしまうのか。
それが恐ろしくて恐ろしくて、ついには泣きを見せたわたしに、警察官は困らせてしまった。全てが終わる頃には日暮れ時。
気持ちが落ち着いたとはいえ、このまま帰る気になれず。この足は金曜日でもないというのに、マスターのもとへ向かっていた。
「あら、いらっしゃいクルミちゃん」
先客はなし。
最近はタマさんの隣が定位置となってるが、今日は金曜日ではない。タマさんの指定席に座らせてもらうことにした。
差し出される一杯目。両手でグラスを掴むと、ジンフィズを一気飲みした。普段はしない飲み方であるが、次から次へと喉が求めてしまったのだ。
「あらあら」
マスターはおかしそうにして、
「ここのところ、金曜日に来るのが習慣になってたのに。……なにかあったのかしら?」
空いたグラスを受け取りながら聞いてきた。
そう、あったんです。タマさんが住んでる事故物件。昼間見に行ったんですが、リビングを覗き込んだ先で二つの目が!
なんて言えるわけがない。
いくら恋は盲目とはいえ、やっていいことと悪いこと、それはわかっていた。ただ弁えず行動してしまっただけだ。こんなことをしたなんて、マスター相手とはいえ言えるわけがない。
「と、友達の、友達の話なんですけど……」
なので今日起きた出来事を、そのようにしどろもどろに語り始めたのだった。
オカルトマニアがあの家を訪れ、リビングを覗き込んだ先で、こちらを覗き返す二つの目とあってしまった。あの家はヤバイ、本物だと騒ぎ立てた話を友達伝えに聞いた。タマさんが住んでいる家の話だとわかったわたしは、こうしてマスターの元へ訪れた。
そういうことにして、おずおずとマスターに続けて尋ねる。
「た、タマさんって……一人、暮らし、ですよね?」
「ええ、そうよ」
「……今、お友達が泊まりに来てるってことは?」
「ないわね」
断じて欲しくないものを、マスターはピシャリと言った。
「そして平日の日中は、仕事でタマは家を空けている。今日もそれは変わらない。それなのにあの家でなにかを見たというのなら……」
マスターは含みを持たしながら、
「見てはならないものを見た、ということじゃないかしら?」
二杯目のグラスと共に、怪しげな微笑を差し出してきた。
この後どんな話をしたか。二日酔いで痛めた頭はなにも覚えてはいなかった。




