04
「こんなドラマがあったのよ」
得意気なまでの声をあげながら、あの日落ちた恋について語ったのだ。
黒歴史なまでの恋の遍歴。その話にはいつだって椛は眉をひそめ、深い皺を刻んできた。
「本当にまともじゃない」
ただし今日に限ってそれはない。見開かれたその目によって、綺麗なまでに伸びているのだ。
親友の新たな恋。それに感動し共に喜んでくれる。というわけはない。その目は信じられないものを見るそれと変わらない。
わたしの新たな恋はつまり、椛にとって宇宙人の存在証明と変わらないのだ。
非礼とも言えよう親友の反応に憤ることはない。わたしが恋することへの信用が地べたを這っていようと、この身を慮っていることには変わらないのだ。
わたしの恋は振り返れば全てが黒歴史。胸を張れるものは一つもない。
全ては恋の盲目さが招いたもの。恋をしているときのわたしの目は、まさに節穴だ。
それでも今回ばかりは非の打ち所がない恋だ。堂々と椛の前でも胸を張れる。
なにより椛から、『本当にまともじゃない』というお墨付きの言葉を頂いた。これで憂いなく新たな恋に耽られるというものである。
「マスターもそうだけど、タマさんもね、そこらの大人とひと味もふた味も違うのよ。社会は綺麗事だけでは語れない。色んな考え方や価値観がある。大事なのは清濁併せ呑んだ先で、自分がどんな選択を取るのかが大事。人の価値観を受け入れながらも、染まってはいけないんだ、って。まさに自分を持った、大人の男って感じよね」
それで気分がよくなって、つい調子に乗るようペラペラとこの口は回りに回った。
そういう意味では四番目の恋、妻子持ちは自己がない大人だった。言葉に中身がない。言っていることとやっていることが違う。まさにこの口の回りのように、ペラペラな人間性だった。
そんな男に引っかかったわたしは、まさにあのときは若かったである。
「その人、いくつなの?」
「今年で二十六だってさ」
「ていうことは七つ上ね。そんな大人が小娘のような相手に、社会を偉そうに語るとか……なんか鼻につくわね。ナルシストでも入ってるんじゃない?」
椛はどうやら、まだわたしの恋に納得がいっていないようである。絶対どこかに落とし穴がある、そう信じている眉のひそめ方だ。
ムッとはしない。わたしはただ、この恋の無罪を証明するだけ。
「ちょっとした流れでそんな話になっただけでよ。自分に酔ってる風じゃなかったもの」
「……本当に?」
「ナルシストどころか、自身の話になると面白おかしく語ってくれるんだから」
「例えば?」
「あの近隣に住んでるらしいんだけど、一軒家を借りてるんだって。駅チカ徒歩十分の、庭付き二階建ての4LDK」
「その歳で、そんな良い立地で一軒家を借りてるの? 会社勤めで? 一人暮らしなのに?」
自慢話に聞こえないでもない居住区事情。ただし自慢話じゃないと突っ込むのではなく、一人でそんな場所に住んでいることの驚きのほうが強かったようだ。
「それがさ、月四万らしいの」
「はぁ?」
そんな言葉は知りませんと言うように、椛は首を傾げる。その意味に思い当たったのか、眉間に深い皺が刻まれる。
「……もしかして、そういう物件?」
「そういう物件」
わたしは首肯した。
「凄いのよ。一家心中、押し入り強盗、カルト宗教やネットで募った集団自殺。その死者数、四十人だってさ」
「ヤバイ物件じゃない」
「そ、ここからがもっとヤバイのよ。取り壊しが行われたんだけど、工事に関わる機材や人に不調が起きて中止になったんだって。それも五回。お祓いにきた僧侶の人は心筋梗塞で倒れて、そのまま亡くなったとか。それで取り壊しは断念。近隣住民も怖がってるから、タマさん、町内会にも入れて貰えず無視されてるんだってさ」
「……大丈夫なの、その人?」
おずおずと椛は聞いてくる。不安に満ちたその眼差しは、タマさんの身を案じたものか、はたまたそんな相手に恋をしている親友を慮るものか。
椛の気持ちはわからないでもない。わたしも初めてその話をされたとき、そんなヤバイ事故物件がこの世にあるのかと慄いた。しかも恋する相手の住処である。明るいニュースのように語るタマさんを疑い、ついマスターに目を向けると頷かれたのだ。その話は本当だと、担がれているのではないとわかった。
恋は盲目なわたしと言えど、流石にここらでタマさんの正気を疑ったほど。なぜそんな事故物件に住んでおいて、そこまで楽しそうにしていられるのか。
「それがね、タマさんは笑ってこう言うのよ。実害どころか近所付き合いもない、近隣八分状態は素晴らしい。華々しい経歴と輝かしい戦歴に示すべきは、まさに敬意と感謝。あのホラーハウスはまさに俺の守り神だ、ってね」
その答えはあまりにも現実的であった。
過去はどうあれ今は今。むしろそんな過去のおかげで、今の環境を享受できているのだ。凄惨な過去を生み出し、尾を引いている事故物件をそこまで前向きに捉えられるとは。
胆力というか人生観というか。清濁を飲み込んだその生き方。やはりタマさんはそこらの大人とひと味もふた味も違う。
「うまい話にはやっぱり裏があったわね。頭がおかしいじゃないその人」
けれど椛にはそれがマイナスに映ったようだ。
わたしからする恋はいつだってろくでもない黒歴史となる。今回もやっぱりそれは変わらないと、安心すらしている口ぶりだ。ああ、良かった、という幻聴が聞こえてきたほどである。
「まどか、あんたのためを思って言うわ。その男は止めなさい」
純度百パーセントの慮る心が、矢となってこの胸を突き刺さる。
椛は真面目が服を着て歩いているような性格だ。わたしと違い、社会のレールやルールを外れるような真似をしてこなかった。厳しく躾けられたわけではなく、自らを正しく律しているだけ。
人は皆こうあるべしと、社会模範の象徴とも言える。
なにせ大学生になったというのに、まだ成人じゃないからとお酒を口にしていなかった。来年の四月、誕生日を迎えるまでのお楽しみとして未だ取っているのだ。
かといって自らの生き方を他人に押し付け、取り締まってくる風紀委員長ではない。外れるからには自己責任。他人の生き方に一々干渉するほど暇じゃない、との格言。
人の見えないところでこそ、守らなければならないものがある。聞こえこそいいのだが、ルールとレールを逸脱する遊びと融通が利かない。褒められるべきことなのだが、親友としてもうちょっと、余裕ある楽しみを享受してもらいたいところ。本人はそれに息苦しさを感じていないのだから、余計なお世話なのだろうが。
そんな親友が、珍しく強い語調でこの恋を止めてきたのだ。
客観的な椛の言葉に怯みそうになった。盲目となっている自覚もあるゆえ、もしかしたらまた黒歴史を積み上げる恋なのか、と思わないでもない。
同時に、タマさんの発言はそれほどのものか、という考えも強くあった。
返答できず、迷い悩んでいるこの顔に、
「親友がいいように遊ばれて、泣きを見ている姿はもう見たくないわ」
椛は困ったような微笑を浮かべた。
真っ直ぐなまでの純度百パーセントの友情。胸が高鳴ったりトキめいたりなんてしないが、打つことくらいはした。
常々惜しく思う。なぜ椛が女に生まれてしまったのか。男に生まれてきてくれれば、小学生の時点でメロメロのメロメロであり、身も心も差し出していたのに。
椛は親しい人間には情が深い。第四の恋が破れたときも、呆れながらも寄り添い慰めてくれた。もういっそ椛となら女同士でもいいのでは、と気の迷いが生まれたくらいである。
「ま、あんたのことだから、簡単に諦めるわけないでしょうけどね」
今の恋を諦めるのを諦めている。椛は肩をすくめながらそんな顔を浮かべた。
わたしのことをよくわかっているだけある。いくら親友からそんな心配をされようとも、簡単に諦められる恋ではないのだ。
「でも今回の恋は、一目惚れみたいなものでしょ? なら、相手のことなんてまだ知らないも同じじゃない」
「同じじゃないし。タマさんのことはもう、十分に知れたもの」
「その人とは会ったのは何回?」
「お店で二回かな」
「つまり二回で知れる程度の、安い人間だったというわけか。まるで前の男みたいな人なのね」
「うっ……!」
顎肘をついた椛は、意地の悪い目を向けてくる。
かといってわたしをバカにしたいわけでもなく、タマさんをコケにしたいわけでもない。そのくらいはわかっていたからこそ、怯むように詰まったのだ。
「あんたはいつも、直情的かつ性急的すぎるのよ。まず相手の上辺に恋をして、中身を知る前に成就するもんだから、最後には酷い目にあってるんじゃない。その辺りの自覚はどうなのかしら?」
「……ないことも、ない」
「ないこともないなら改めなさい。男は女の身体をご褒美だと勘違いしている、って言ったのはあんたでしょう? あんたからご褒美を下賜されるなら、男は両手を上げて喜ぶに決まってるじゃない。恋情や愛情なんて面倒なものを、育てなくて済むんだからなおさらね。まさにあんたの恋は、カモネギと一緒よ」
「……ぐぐ」
椛の正論は容赦がない。そのロジハラはまさに効く。
わたしは可愛い。これは世界の真実だ。こちらからガンガン攻めずとも、誘い受けで一発である。少なくとも今までの恋は、そうやって向こうから手を出させるよう仕向けてきた。なぜなら恋を捧げる男性の前でくらいは純情ぶりたい。求められたから応えたという、そういうことにしたかったのだ。
「相手の心に恋や愛が育つ前に、可愛さ一つで交際に辿りつく。そういう意味では、まどかの可愛さはまさに罪ね」
「……褒め言葉と皮肉、一体どっちなのよ」
「両方よ」
椛は口端をニヤっとあげた。
そこに皮肉はあっても悪意はない。
恋は諦めろと言っても聞かないから、せめて慎重になれとの忠言。遊ばれ泣いているわたしの姿を見たくないだけの、親友がもたらしてくれた友情なのだ。
「はぁ……」
自らの過去を改めて振り返り、大きな大きなため息が出てきた。
ロジハラに苦しむほどに椛の言うことは最もだ。そうやっていつも失敗してきた。過去からなにも学ぶことなく、直情的に、性急的にことを進めてきたのだ。
全てはご褒美を与えるのではなく、与えられたいから。そのご褒美の甘さに胸を蕩かせたいがため。
そういう意味ではご褒美を欲しがる男たちと、わたしはなにも変わらない。
「ご忠告どうも。今回は作戦を改めて、ことを進めてみるわ」
「ほら見なさい、って得意気に言ってくるくらいの武運を祈るわ」
期待するかのように椛は微笑む。
得意気というのは、その男は止めろと言った自分に、目にものを見せてこいという意味だ。五度目の恋はまともなもので、報われるものであれという願いでもある。
親友は親友であるという、改めて友情を感じた一幕であった。それこそこんな親友を持てて誇らしくあるほどに。
なにせ椛は容姿端麗、才色兼備、頭脳明晰、品行方正など、パッと思い浮かぶ、意味合いが似たような四字熟語に相応しい才媛だ。
わたしの可愛さを罪だなんて評してくれたが、椛の美しさもまた罪である。
窓際でちょっと物憂げな顔をすれば、深窓の令嬢に早変わり。口を開けばそんなことはないのだが、それに騙される男が多々いるのも事実である。
高校の友人は、かつて椛の容姿をこう例えた。
こじらせ童貞がいかにも好きそうな黒髪の乙女。
親友をそんな表現に落とし込みたくはないが、これ以上に言い得て妙な例えには未だ出会えていない。
椛の大学は日本最難関校である。勝手なイメージであるが、親に厳しく律しられ、勉強だけをやってきた男たちの坩堝。交友関係に人間ランクなんて持ち出すわたしとは違い、ちょっとやそっとのことでは、椛は人を差別なんてしない。
そんな椛に人間扱いされるのだ。女性に縁なき男たちはそれだけで虜になるに違いない。実際高校では虜になる冴えない男たちが多かった。
かつてのストーカー騒動のように、勘違いした男たちの被害に合わないか。それだけが心配である。
でも過度な心配は杞憂だろう。
計算高いわたしと違い、自然体に振る舞っているだけで人望を集める才媛である。きっと向こうの大学でも、多くの味方をつけているに違いない。大学の出来事を楽しそうに語るのがなによりの証明であろう。
とにかく椛は完璧人間。欠点なんてなに一つない。
……そう思っていた時期がわたしにもありました。




