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自分の変化に気づいたのは、この時期くらいからだったろうか。
滑らかに舌が回り、伝えたい言葉が自然と出るようになっていた。あれだけ酷かった吃りは見る影もない。
引っ込み思案でありながらも、受け答えがハッキリとできた幼き日。対人恐怖吃音症のコミュ障が、かつてのレベルにまで回復していたのだ。
「画面越しで今まで、なにを俺にほざいてきたか振り返ってみろ。今更、失言を恐れるだけ無駄だぞ」
失礼に当たるかもしれないと言い淀んでいるときに、センパイにかけて貰った言葉だ。
全くもって正論であり、これ以上ないロジハラである。
おかげでまた一つ、開き直ることができた。レナファルトの道のりまでまだまだ遠いが、それでも声に出した会話に楽しみすら見出していた。
そうやってわたしは楽しい日々を過ごしている。
笑いながら、この幸せな日々を噛み締めている。
一秒でも長くセンパイの側にいたいとすら、いつしか願うようになっていた。
この想いに気づいたのは、雇用から八ヶ月を過ぎた辺りだ。
仕事に出たセンパイを見送り、一通りの家事を終えた後。
この頃のわたしは、寝具に倒れ込むのが日課となっていた。
敷布団ではなく、センパイのベッドだ。
センパイの匂いに包まれるがそこに不快感はない。むしろ倒錯的な欲求すら湧き上がってくるほどであり、それを求めてすらいた。
わたしはこの足で未来を進むことを放棄している。
この先の未来はなにも考えていない。
楽で楽しいだけを与えてくれる唯一の人。目を閉じてただ、身を委ねているだけで幸せな毎日を与えてくれる。
戦場を駆け抜けるのにもう覚悟など必要ない。むしろ喜んで共に行こう。
センパイが好きなのだ。
わたしは神童である。この想いがただの依存心なのはよくわかっていた。決して社会が定めた真実の愛や恋などではない。
そこで疑問を抱いたのだ。
そもそも社会とは、一体なんなのだろう、と。
教科としての社会ではなく、概念、定義としての社会。
ついそれが気になって、手元のスマホで『社会』と検索をかけた。
なにかの答えを求めているわけではない。知識欲を得るくらいの感慨である。
この世の知識は全てネットで得られる。黙ってまずはwikiに目を通すことにした。
目が滑るような固い言葉の羅列が並べ立てられている。意味は理解できるが、想像通り面白い話ではない。得られるものもなかった。
意思疎通が図れ、互いに働きかけ作用を及ぼす、秩序化と組織化がされた、ある一定の人間の集団。
簡潔明瞭に要約すると、およそ想像通りの答えにしかならなかった。
続けて『社会化』を調べてみるも、やはり大したことは書いていない。
学習によって後天的に得られる、社会文化の価値や規範。
強いて得られたものといえば、その価値や規範が、この想いを真の恋や愛ではないと定義したくらいか。
期待はなにもしていなかった。
ポッと頭に浮かんだ、社会性なるものを最後に調べて終わらせようと決めた。
「社会的……欲求」
つい、書かれていたそれを口に出してしまった。
ガツンと、その価値観が頭を殴打した。これがおまえが欲しかった物だぞと、その答えであることを知ったからだ。
「仲間から好意を受けたいという欲求……認められたいという欲求」
自らに言い聞かせるように、羅列されたそれを音読した。
初めてセンパイと出会った日を思い出す。
美少女だなんて枠に当てはめられ、胸中をかき乱されてしまうほどに、嬉しいと高揚感を抱いた。
父にも姉にも陽キャ集団に言われても、絶対に抱くことのないこの承認欲求。
その正体をわからずにいたが、ついにその答えに辿り着いたのだ。
社会の意味を、改めて思い出す。
意思疎通が図れ、互いに働きかけ作用を及ぼす、秩序化と組織化がされた、ある一定の人間の集団。
わたしは父や姉さんたちとは意思疎通が図れない。
互いに働きかけ、作用をもたらすことなんて無理である。
あの二人が帰属し尊ぶ秩序や組織が、わたしには耐えられない。
父や姉さんといるのが、なぜあんなにも苦しいのかよくわかった。わたしとあの人たちでは、帰属している社会が違うのだ。
わたしが帰属しているのは、センパイと築き上げてきた最小単位の社会。美少女だと言われて嬉しかったのは、同じ社会の住人に、好意をもたらされ認められたからだ。
社会性の発達を読み進めていく中で、また新たな答えがもたらされた。
真の理解者、心の友を欲する要求が強くなる。特定の人物に対する献身的崇拝は、時として渇望賛美となり、恋愛の発生に至ることもある。
これが青年期。女児に置いては十一から十三才に起きることだ。
画面越しにいるあの人こそが、真の理解者であり心の友であった。盲目的に尊敬し、崇めてすらいたと自認もある。
現実社会。そこにわたしの居場所はない。
なにせ現実社会のレールの上には、陽の光が降り注いでいる。
現実を生きる人たちはそれを浴びることで育っているが、わたしにはその目映さが耐えられない。身を焼くようなその熱さでは、文野楓という苗を枯らしてしまうだけだ。
レールの上を走れというのは、わたしに死ねと言っているのと同義である。
なぜなら文野楓は、陽の光が降り注ぐオアシスで生きられない、光合成ができぬ植物だから。
レールへ引っ張ろうとする手を振り払い、唯一帰属している社会に救いを求めた。レールを外れた先にある、陽の光に晒されぬ地こそが文野楓の砂漠だから。
わたしの社会は、センパイと二人の最小単位社会。今日までここで社会活動を行い、人生を営んできた。
だからこれでいいのだ。
ようは定義の問題である。
陽の光が降り注ぐ社会では、この想いは真の恋や愛ではないかもしれない。だが帰属していない社会の定義などに、一体なんの意味がある。
わたしが帰属している最小単位社会は、自分たちで作り築き上げてきたものだ。なら所属している者だけで定義を決めていけばいい。
その方が楽で楽しくて、幸せだから。
「センパイ……好きです」
そうして自らに宿ったこの想いを、真の恋や愛と定義したのだ。




