11
結果と成果こそ生み出せても、父にとって今のわたしは人前に出して、紹介できる自慢の娘ではない。だから泊りがけの外出なんて、遠い遠い過去の出来事。最後の宿泊ははて、いつ頃だっただろうか。
少なくとも母が亡くなって以来、出先で一晩を明かしたことはなかった。
だから目が覚めたときに初めて抱いた感想は一つ。
知らない天井だ。
古典芸能名言辞典に載ってそうな、そんな思いである。
知らない部屋の匂い。同時に鼻孔をくすぐるのは、開封して間もない寝具の匂いであった。
ぼんやりとした頭でも、順に記憶を遡る必要なく、置かれた状況を正しく把握していた。
自宅警備員として、センパイに雇用してもらったのである。
一軒家住みでこそあるが、センパイは一人暮らし。人を招いて宿泊させるなど、今までになかったらしい。この家にある寝具はベッド一つだけとのこと。
シングルベッドを共にすることもなければ、どちらか畳の上で雑魚寝、なんてこともない。住み込みの福利厚生として、センパイが近くの複合スーパーで、敷布団を買い足してくれたのだ。
ここはセンパイの隣部屋。入り口こそ個別にあるが、二つの部屋を区切るのは壁ではなくふすまである。生活音どころか寝息すら聞こえてきたほど。
レナファルトであると以前に、この身は女子高生である。家族でもない成人男性と、同じ屋根の下二人きりで一晩を明かす。ただでさえ大問題だというのに、そんな二人を遮るのは薄いふすま一枚だけ。
色々と思うことはあったし、センパイもそれは承知済み。
気を使って二階を好きにしてくれていいと提案してくれたのだが、この首が振ったのは上下ではなく左右である。
なにせここはホラーハウス。華々しい経歴は面白おかしくセンパイに語られてきた。そんな家に平然と住んでるセンパイマジヤバイと、草を生やしてきたほどだ。
まさかそんなホラーハウスに足を踏み入れる日が来るとは。
二階で起きた過去も知っているので、一人そんな場所で眠るのは怖すぎる。だからといって、センパイと同じ空間を共にするのは、それはそれで眠れる気がしない。華々しい跡がラグで隠されている狂人リビングも絶対無理だ。
その果てで、センパイの隣部屋を所望したのである。
慄きから意識を落とすのに時間がかかった。心と身体を恐怖で震わせた。
それが落ち着いたのは、寝息が静寂を打ち破ってからだ。
センパイがすぐ隣にいる。それを心の拠り所に置きながら、長い長い夜を過ごし、そして気づけば眠りについていたのだ。
一世一代の人生を賭けたダイナミック家出。身体と精神は疲弊しきっていたので、途中覚醒もなくぐっすりだったようだ。
日当たりが悪い部屋なのだろう。カーテンがない部屋にも関わらず、鬱蒼とした森の中のようだ。だから朝日がこの身を覚ますに至らなかったのか。
隣部屋からは気配がない。
ホラーハウスに一人取り残されたかのように、心許なさがこの身を襲った。
今日は土曜日。センパイはお休みのはず。
庇護者の面影を求めるように部屋を出ると、モーター音が早速出迎えてくれた。
音の出本はここ、狂人リビングではない。開放されている扉の向こう側、ダイニングキッチンから漏れ出したものだ。
覗き込んでほっとする。ザ・社会人の横顔がそこにはあった。どうやら電動ミルで、コーヒー豆を挽いているところのようだ。
「ん、おう。おはよう、レナ」
こちらに気づいたセンパイは、模範的な社会の挨拶を唱えた。
おはよう。
長らく耳にしてこなかったその呪文。最早口馴染みなく、詠唱するのはすっかりご無沙汰となっている。
レナファルトなら『おっすおっす』と返信するところだが、文野楓には実装されていない機能である。
「あ……」
目をパチパチとしながら、センパイは喉を鳴らした。
挨拶が返ってこないことに、気を悪くしたわけでも、気まずくなったわけでもない。
「まあ、なんだ……」
むしろその顔は真面目なそれである。
「センキュー」
礼を失しているにも関わらず、なぜかお礼を言われた。
首を傾げそうになったところで、その目がわたしの顔を捉えていないことに気づいた。そっぽを向いているわけではない。わたしの目線のやや下。気持ち顎を下げている程度だ。
釣られるようにしてその視線の先を追った。
我が誇りが邪魔をして足元が見えない。それでもおかしい格好ではないはずだ。
屋内装備は快適さと機能性を重視している。パーティーが開けそうな可愛さなんて必要ない。ゆったりとしたフード付きのパーカーと、膝丈上のハーフパンツだ。就寝時は上を脱ぐだけでいい、まさに効率厨に相応しい装備である。
そんないつもと変わらぬ起き抜けの姿。薄手の白いシャツ越しに、誇りを支える下着がうっすらと透けていた。
内から込み上がる感情を、レナファルトの発言に変換させるとこうなる。
『くぁwせdrftgyふじこlp』




