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『イエス。マイシスターは東京大学に通ってるんです』
「じゃあ、宿は俺をアテに来たわけじゃ……」
『流石の自分もセンパイ全振りなんて無謀な真似はしませんよ。こうして頼ったのは目的の二の次』
「二の次?」
『はい。ガチでセンパイとオフ会しに来た感じっす』
センパイに会いたいがために、わたしはここまでやってきたのだ。会えなければ予定通り、理不尽なお供を隣家に頼まなければならなかった。
「ネット弁慶がよく、オフ会したいだなんて思ったな」
『自分にはセンパイ以外、心を開ける相手がいないんすよ。だから一度くらいは、センパイのチー牛面を拝んで見たかったんす。ザ・社会人が来て、いい意味でビビリましたけど』
「よりにもよって俺以外にいないって……お姉さんはどうなんだ? あたりが厳しい人なのか?」
『姉さんは優しいですよ。自分のことを世界で一番想ってくれている人っす。……でも優しいだけで、自分の気持ちには寄り添えない人っすから』
「寄り添えない?」
『自分の対人スキルは、ならせば向上するもんだと信じてるんす。少量ずつ食べれば、アレルギーは治るとのたまう昭和のクソトメと同じっすね』
レナファルトが自然とそう評した。
姉さんには申し訳ないが、言い得て妙な発言である。
『そんなわけで、センパイとオフ会してお話できただけで、当初の予定は大方完了したんす』
「オフ会言ってるが、おまえがやってることはいつもと同じだからな」
『いやいや、自分の中にあったセンパイ像が、チー牛からザ・社会人に更新されただけで、大きな収穫ですよ』
これは本音だ。
センパイはどこまでもわたしの理想通りのセンパイである。美化に美化を重ねた想像上の生物が、ファンタジーから飛び出してきたようなものだ。
センパイが下手にイケメンでなくて本当によかった。
「当初の目的が叶った後は、どうしたかったんだ?」
『現実逃避がしたいっす。満足したら姉さんのところへ行くんで、それまでの間、置いて貰おうと思ってました』
「……満足したら行くって言うが、仮にも未成年だろ? それまでどこにいたのか、お姉さんにはなんて言い訳するんだ?」
センパイはそんな当たり前の疑問を口にした。
調べた限り、未成年者のみで宿に泊まってはいけない、という法律はないようである。ただしトラブル対策で、法定代理人の同意を求めるのが一般的なようである。この場合の法定代理人は父であるので、同意なんて求められるわけがない。
年不相応な資金力はあれど、どこからどう見ても未成年のわたしが、一人で宿を取るのは適わない。そして実質法学部である姉さんが、それを知らないわけがない。どれだけ言い訳と嘘を塗り固めようと、ロジハラされれば一発である。
どうするつもりであるかは決まっていた。
『大した言い訳なんて必要ありませんよ。巨乳JK美少女ブランドを活用して、ギルドでパーティー募集をかけた。それだけで充分っす。あ、センパイを売るような真似は絶対しませんから安心してください』
「おいおい……」
わたしは絶対にセンパイだけは売らない。それだけは心に誓っている。
ロジハラで暴かれない嘘は、お金を介したインスタントな男女交際をし、東京の夜を乗り切ったで十分だ。
その結果、姉さんがどんな反応するかも、思考トレースは終えている。どちらにとっても、大変面白くない結果が起きるだろう。
『センパイ、自分はもう、人生詰んでるんすよ』
だがわたしはそれで構わない。
悪逆非道を働いた陽キャたちを断罪しつつ、都井氏にクワトロスコアを叩きつけ歴史とwikiに名を刻む。そして家族親戚田中道連れエンドを辿るのだ。隣家には理不尽で申し訳ないが、一閃十界のレナファルトとしての意地がある。
そういうわけだから、わたしの生命の使い道はもう決まっている。先は長くない。だから今更姉さんにどのような目で見られようと構わないのだ。
『今回のことで、姉さんに泣きついても無駄っす。優しくはしてもらえますが、最後には学校へ行くよう諭されるだけ。アレルギーは治る。少しずつでいいから。ちょっとずつならしていこう。貴女のためを思って言っているの。大丈夫、絶対に良くなる。だって貴女は私の妹だもの、って』
わたしの未来を想って優しくしてくれる姉さん。
こんなにも想ってくれているのに、それに応えられないのが申し訳なかった。
『姉さんは優しくても甘い人じゃない。辛いかもしれないけど、皆そうやって生きているんだってロジハラしてくるんすよ。人生甘ったれている自分に、優しくしかしてくれません』
いつしか姉さんの優しさが苦痛以外なにものでもなくなった。なんで放っておいてくれないかと、逆恨みの感情すら抱くようになっていた。
『家では親に怒られて、姉さんを頼れば優しくされる。相反したことのようで、求められることは同じなんすよ。いいからアレルギーを食べて克服しろ、ってね。いや、もう無理っすね。自分が一番悪いのがわかっているのと、できるのはまた別ですから。
センパイ、自分はもう、人生詰んでるんすよ』
父には見放され、姉さんの優しさは苦しいだけ。現実に居場所なんてどこにもないほどに、わたしの人生は詰んでしまった。
恨みの華を咲かせて、人生を締めくくろうと決心するほどに、この心はもう現実に耐えられない。
わたしの心の拠り所は、画面を通した世界にしかなかった。
レナファルトであれる時間があったからこそ。
センパイとの時間があったからこそ、今日まで生きながらえてきただけ。
だから人生を締めくくる前に、最後に一時の夢を望んだのだ。
楽しいだけの時間に耽りたい、と。
『巨乳JK美少女なんて驕りこそありませんが、巨乳JKとしての誇りはありました。だからセンパイに初回特典を差し出して、現実逃避に付き合ってもらいたかったんす』
そのためならわたしは、対価を差し出したっていい。夢の世界に逃げ込めるのなら、そのくらいの支払いは当然である。
この先に救いなど、今更望んでいない。
現実に戻った後、やることはもう決まっている。
人生の三分の一もの間、唯一楽しさを与えてくれた人。
一閃十界のレナファルトとして、人生のセンパイに最期の夢を求めたのだ。
『それが攻城戦無期延期と言われたら、マジで自分は迷惑かけるだけの存在っすね……』
なのにセンパイは、正当なる対価を受け取ってくれない。
レナファルトとの関係を大事にしてくれるのは嬉しかった。
だけどわたしは、センパイに大きなリスクを背負わせようとしている。ならせめて、それに見合うものを差し出したい。受け入れてくれるのなら、わたしはセンパイに報いたい。
ただの重荷だけで終わりたくない。
例え対等でいられなくても、天秤が大きく偏るのだけは嫌なのだ。
「ま、乗りかかった船だ。いたいだけいたらいい」
なのにセンパイはそれでもいいと言ってくれた。
「えっ」
対価を求めようとせず、大きく天秤が偏るほどの重荷を背負ってもいいと。
自己保身に走ることに置いては、他の追随を許さんとまで主張してきた人が、そんな誤った方針を立てたのだ。
『でも』
レナファルトの手が止まった。
このまま黙って、受け入れていいものだろうか。
戸惑っているこの気配は、センパイに伝わっているだろう。もしここでふすまを開き、この頭にポンと手を置いて、『今まで辛かったな。大丈夫だ、俺だけはおまえの味方だ』なんてイケメンっぷりを発揮されたら、それに流されてしまうだろう。その胸に飛び込んで、二人は幸せなキスをして終了、ハッピーエンド、完。
なんて行動力があれば、センパイはとうの昔に戦乙女と戦場を駆け抜けている。
「その代わりだ。俺のことは絶対バレないようにしてくれ。嫉妬に狂ったネット民の玩具はマジ勘弁だ」
戦場の代わりに煙を浴びて、歳が駆け抜けるのを恐れるように、センパイは安定の保身に走っていた。
センパイはどこまでもセンパイらしい。
『勿論です。センパイを売るくらいなら、無敵の人としてこの名を世間に轟かせるっすよ。家族親戚田中もろとも道連れだ!』
「田中が理不尽すぎる」
レナファルトがそんないつものセンパイに喜んだのだ。
センパイは人生のセンパイである。
そしてレナファルトは、そんなセンパイのコーハイだ。
わたしの心はもう決まっていた。コーハイらしくここは黙って、人生のセンパイに甘えようと。
『センパイ、ありがとうございます。やっぱりセンパイは、自分にとって大きな存在です』
わたしとレナファルトの二つの手が、センパイへの感謝を示す。
『こんな自分を受け入れてくれてほんと感謝。そんな貴方にガチで感謝。こんな友にマジ感謝』
わたしの手が離れた瞬間、レナファルトが発作を起こした。
なにせレナファルトは、ボケなければ死んでしまう病を患った重病患者。らしくない自分の発言を取り繕う下手な照れ隠しだ。あまりにもボケが雑すぎた。
「ラップの感謝率は異常」
『センキュー! センキュー!』
「今どんな顔してんのか見にいくわ」
『ノーセンキュー!』
「ひゃ!」
立ち上がる気配を感じ、焦って反射的に立ち上がる。そうやって机にぶつかり、物音を立て悲鳴を上げるわたしを、ふすま越しで笑われた。
「後はあれだ。家事くらいはやってくれ。それだけでだいぶ助かる」
『お手伝いさんありきのパラヒキニートに家事ができるとでも?』
「ケッ、クソザコナメクジかよ」
『そこはご指導ご鞭撻お願いっすね。ラーニング速度は神童なんで、ゼロが一にさえなれば、後は戦いの中で成長していく系っす。そのままメイド属性を獲得する予定なんで。メイド王に俺はなる!』
「対人恐怖吃音症パラヒキニートクソ陰キャ処女メイド巨乳JK美少女の誕生である」
『我が事ながら属性過多すぎてマジ笑う』
立板に水のように紡がれる属性過多に、ついクスリと笑ってしまった。よく一度も詰まらず言い切れたものだ。吃りのスペシャリストとして、尊敬の念をまた一つ、積み上げてしまった。
センパイはレナファルトとの関係を大事にしてくれた。だから戦場には連れ出してくれないし、整備員の任も与えてくれなかった。
巨乳JK美少女のブランド力から対価を要求することなく、リスクを背負ってくれたのだ。
センパイにはいつだって、与えて貰ってばかりである。
だからわたしなりに、センパイに報いたい。なにかを与えられるようになりたいと、この胸に新たな願望を抱いたのだ。
家事、か。
勢いでメイド王になるとまで大言壮語したが、こんなわたしでも務まるだろうか。
……いいや、そんな心配はない。
わたしは神童である。その気にさえなれば、センパイの身の回りのお世話なんてちょちょいである。それこそわたしなしで生活が成り立たないほど、ダメンズに堕としてみるのも悪くない。
『センパイ』
センパイがわたしをこうして受け入れたのは、社会的に許されないことである。どれだけ言葉のレトリックを操ろうとも、中指を立てた社会は助走を付けて君死に給えと唱えるのだ。
そんなリスクを背負わせてしまったのに、文野楓の手は自然とこう動いたのだ。
『貴方に会いに来て良かったです』
わたしの救いはここにある。
それだけは間違いでなかったのだ、と。




