06
話の区切りとはいえ、前話が短いのでもう一話投稿します。
ホラーハウスに入場して一分もかからず、わたしは呆然とした。
案内されたそのリビング。そこに待ち受けていたのは、悪霊でも怪物でも狂人でも強盗でもない。
祭壇だ。リビングにはそれ以外、なんの家具も置かれていなかった。
そこだけを切り取ると、まるでセンパイがカルト宗教に毒されていると思うかもしれない。が、そんなことは一切ない。むしろ宗教色とは無縁である。
四リットルボトルのお酒と、お中元のハムセット。設定がガバガバだった前期のアニメ、そのヒロインのフィギュアが鎮座していた。
中指を立てたガンジーが、助走をつけて君死に給えというほどの冒涜的な光景だ。
「仮にもここはホラーハウスだからな。なにも手を打たず、のうのうと過ごしてきたわけじゃない」
この惨状を問わんとセンパイを見上げると、すぐにその答えは差し出された。
「この家が今日まで積み上げてきた、華々しい経歴と輝かしい戦歴。それがあったからこそ、俺はこの環境を享受できた。なら示すべきは敬意と感謝だ」
「で、でも……だ、大、丈夫……なん、ですか?」
「どうせお祓いにきた坊主が、救急車経由霊柩車逝きになってるからな。形に拘るなんて無駄だ、無駄。やっぱり人間、大事なのは気持ち。敬い尊ぶ気持ちを大事にすれば、この家は守り神にすらなってくれる」
四十人殺しのホラーハウスを、守り神とすら仰いでいるセンパイ。冗談でもなんでもなく、その目は本気であった。
レナファルトの奇抜な発言や思想は、全てセンパイに中身を与えられたものだ。その背中から学んできたものは、あまりにも多すぎる。
だからといって、それが現実に及ぶものではない。ネット上で奇抜な発言や奇行に走るのは、わたしたちに限った話ではない。ネット世界ではよく見られる光景だ。それを現実に持ち込むなどありえない。
そのはずだったのだ。
まさかセンパイが、リアルでも狂人プレイに興じていたとは。両手を合わせながら、一生この背中についていこうと誓ったのだった。
リビングを素通りした先にある、センパイの部屋に通された。
パソコンデスクにチェア、ベッド、テレビ、本棚などが詰め込まれたその六畳間。狂人リビングとは打って変わって、センパイのマイルームは至って平凡であった。脱ぎ散らかした衣類もなければ、エロ本が畳に転がったりもしていない。
一人暮らしの男部屋は、もっと雑然と小汚いものだと思っていただけに好印象だ。
初めて入る男性の部屋にドキドキすらしてきた。
「まあ、とりあえずは座ってくれ」
センパイはその手を椅子に向け、ベッドへと腰を下ろした。
家主を差し置きたった一つの椅子を独占する。それに申し訳なく思いながらも、ここは大人しく従うことにした。
センパイは考え込むように黙り込みながら、ジッとこちらを伺ってくる。
わたしはいつだって、都合が悪いことは黙って俯きながらやり過ごしてきた。それがわたしの処世術である。
「あの……その……」
けれど、今回ばかりは居心地の悪さが勝ってしまった。なにも言わぬセンパイに、つい応答を求めてしまったのだ。
「レナ、パソコンを出せ」
思索から抜け出した合図のように、センパイは自らの両膝を叩いた。
わたしは神童である。なぜ、と首を傾げたりはしない。センパイが思索した先でなにをしようとしているのか察したのだ。
言われるがままにわたしはパソコンをキャリーバックから取り出し、カチャカチャターンてした後、そのままセンパイに差し出した。センパイはそれを模倣するかのように、カチャカチャターンして返してきた。
これから行うことを言わずとも承知している。ことを告げずともセンパイもまた承知してくれた。
「顔を突き合わせながらはきついか?」
わたしはそれに何度も頷くと、わかったとばかりにセンパイは部屋を出た。
ふすま越しにどっと腰を下ろす音。その気配こそ気になるが、ここまでわたしの心に寄り添いお膳立てしてくれたのだ。いつまでもウジウジとしていられない。
目をつむり、小さな深呼吸をした。
キーボードに手を置く。
そうやって次に目を開いた頃には、
『いやー、マジで助かったっすセンパイ』
一閃十界のレナファルトの手が動いていた。
「おまえ切り替え早すぎだろ」
『だーからリアルの自分はガチコミュ障。ただのネット弁慶だって言ってたじゃないっすか』
「弁慶とかそんな可愛いレベルじゃないだろ。最早二重人格だよ」
センパイのツッコミは、まさしく的確だ。
レナファルトはわたしのもう一つの人格。抑圧された心の開放先であり理想の自分。個性豊かに喜怒哀楽を表現する、陽気なお調子者にして、ボケなければ死んでしまう重病患者だ。
なのでこの真顔は、決して見られるわけにはいかない。もしふすまを開けられたら最後、羞恥に踊り狂いながら、空へと帰らなければならない。
『ん……まあ、センパイ。まずは謝らせてほしいっす』
佇まいを直しながら、そんな風にキーを叩いた。
わたしはセンパイに謝らなければならない。許されざる嘘をついたのだから。
『巨乳JK美少女だと釣ってすみませんでした。実は自分、ただの巨乳JKなんすよ』
「そっちかよ!」
美少女だと釣ったことへの謝罪に、損したとばかりにセンパイは叫んだ。
「ん?」
なにか疑問を抱いたのかセンパイは喉を鳴らす。
一体その胸の内に、どのような疑問が湧いたのか。我がセンパイのことだ。きっとわたしなんかでは思いも及ばない、思慮深さからくるなんかあれなことに違いない。
「じゃあ……初回特典も?」
ふすま越しにいる女子高生に向かって、婉曲的におまえは非処女だったのかと問うてきた。反射的にそんなことを切り出す辺り、センパイはやはりセンパイであったのだ。
今のわたしはレナファルト。反射的にキーを叩いた答えは決まっている。
『いや、あれはガチ。そもそも対人恐怖吃音症パラヒキニートに捨てろというほうが酷な話っすよ』
「お、おう……」
自分から聞いておいて動揺する声。
勝ったという充足がこの胸を満たした。
同時に乙女の大事ななにかを失ったような気がし、ぷるぷると肩が震える。もしセンパイが振り返ってきたら、こちらが塩の柱になりかねないほどにこの顔は熱を帯びていた。
『美少女だなんて騙して釣ってめんごっすセンパイ。なんとかセンパイを釣らねば、ってこっちも必死だったんすよ』
なので早々に初回特典話は流し、謝罪の本題に入らせてもらおう。
『やった美少女だと意気揚々と来てみれば、クソ陰キャに声をかけられてビックリっしょ』
「い、いや……まあ、ビックリはしたが」
センパイの期待を煽るだけ煽り、実はクソ陰キャでした! だ。中指ガンジーが助走をつけて君死に給え案件だ。
まあ、こんな謝罪をするも、センパイは釣られたことを気にしてないだろう。ビックリしたのはあくまで、わたしを男だと思っていたからだ。センパイもわかっていて釣られたにすぎない。
巨乳JK美少女でなくても、怒られる筋合いはないのである。
「釣られに行ってみれば、看板偽りなしのマジもんが来たのにビビったわ」
「ふぇっ!」
だというのにセンパイは、マジトーンでとんでもないことを言い出した。
『なん、だと……実は自分、巨乳JK美少女だった説?』
驚嘆しながらも間をおいてはいけないと反射的にキーボードを叩いた。
だってそうである。
おだてるでもなく、からかうでもなく、担ぐでもない。わたしを美少女だなんて表現に当てはめたのだ。
巨乳の誇りはあっても、美少女だなんて驕りはなかった。
確かに引きこもりでありながらも、女としてのケアは怠ってこなかった。なぜなら女を捨てようものなら、姉さんが鬼神のごとく怒り狂うのだ。その辺りについては嫌々仕込まれてきたのである。
美容院にはいっていない。会話を強要される魔境など、クソ雑魚ナメクジコミュ障に攻略できるわけがない。なので全てセルフカットである。そんなわたしの神童ぶりに、姉さんは舌を巻きながら呆れ果てていた。
そうやって引きこもりであれど、身だしなみや清潔感には気を使っていた。けれどそれは、誰かに可愛いとか綺麗とか、言ってもらうためのものではない。あくまで姉さんの怒りを買わないための手段である。
「おう、世辞抜きで美少女だ。自信を持って巨乳JK美少女を名乗っていいぞ」
だから唯一心を開ける相手。それも男の人に美少女だなんて告げられて、この胸中はかき乱されたのだ。
父にも姉にも陽キャ集団に言われても、こんな気持ちにはならない。へー、とか、ふーん、とか、はぁ、とか、どんな反応をすればいいか戸惑うだけだ。ありがとうとでも言って喜べばいいのか、と面倒臭さすら感じるだろう。
なのにこの胸はムズムズして、頬は熱くなり、変な高揚感が込み上がってきたのだ。
正直に言おう。嬉しかった。
容姿を褒められたいなんて承認欲求を持たないわたしだが、センパイ相手だけは別のようであった。
『せ、センパイ……! 濡れた。これはもう、グングニルで城門を突破されてもいい』
レナファルトが知らぬ間に、そんなことを言い出す始末だ。
「天井のシミでも数えてろ。そうしたらすぐに終わるぞ」
『おk。無抵抗開門の覚悟は決めてきてるんで、攻城戦は優しくしてくれっすよ』
成人男性の家に転がり込むその意味。迷惑をかけるのなら、相応の代償や対価が必要である。
覚悟は決めたつもりでも、間近に控えたことで文野楓なら臆したであろう。でもレナファルトならば陽気におちゃらけながら、その全てをやり遂げてくれる。
なすがままに。
楽なほうへと流れるように。
全てこのままレナファルトに委ねようと、自身を文野楓であることすら忘れようとしたのだ。
「冗談だ。グングニルを振るうことはない」
なのにセンパイは、そんなレナファルトの覚悟を跳ね除けた。
毎日投稿を最後までできそうなくらいには、目処が付きました。




