02
「は?」
トップ画面に通知されたそのお誘いに、つい声を漏らすほどに眉をひそめた。
相手は一閃十界のレナファルト。通称レナ。
レナと出会ったのはネトゲ内である。調べ物をするくらいにしかパソコンを使ったことのないレナを、ネトゲ内だけで収まらず、色々とネットの手ほどきしてきた。
人生の先輩、なんて言いながら、センパイセンパイ慕ってくるレナとは、かれこれもう五年の付き合い。
ただしレナとは画面を通じただけの仲であり、名前も顔も歳も声も、そして性別すらもわからない。
今まで会おうどころか、通話しようだなんて話題もあがらなかった。
そんなレナからいきなり、オフ会のお誘いだなんて面を食らった。
素晴らしい提案だ、今から会うのが楽しみだ。
なんて気持ちになるわけがなく、ただ動揺を隠せずにいた。
『いきなりどうした?』
『親と将来の話でちょっと。現在敵前逃亡中』
一息落ち着いてからの返信に、十秒かからず答えがもたらされる。
あまり突っ込んだ話はしてきてないが、親との関係が良好ではないことはひしひしと感じていた。こいついつ学校行ってんだ、と思うくらいネットにどっぷりなので、親もいい顔はしないだろう。
オフ会はまだ良いとしても、もう一つの問題がまた湧いてくる。
『おまえ住みは札幌とか、前に言ってなかったか?』
ここは東京だ。俺たちの間には物理的な距離が開きすぎている。気軽にオフ会しようぜ、なんてできるわけがない。
『ダイナミック家出っすよ』
『ダイナミックすぎだろ』
どうやらレナは家出という形で、距離の問題を解決しているようだ。
衝動的に家出してしまった、なんて距離では決してない。どう考えても計画的な家出である。そんな素振りを今まで見せなかっただけに、これには驚嘆した。
『いつからそんな計画を立ててたんだ?』
『昨日。初めて飛行機乗ったわ』
「はっ!?」
札幌から東京。その距離を衝動的かつ計画性なしに家出してきたレナに、変な叫びを上げてしまった。
怪訝な顔をするガミだが、なにがあったかは問われない。オープンの時間となり、看板やなんやと、俺に構ってる暇がないのだ。
『行動力すごすぎだろ』
『せやろ?』
『こっちに頼れる友だちでもいるのか?』
レナはほぼ引き篭もりに近いはず。家出だといって、親戚を頼ることは難しいだろう。だからこっちに気の知れた、頼れる友人がいると思ったのだが、
『パラヒキニートに友だちなんているわけないだろいい加減にしろ!』
芸術的なまでに理不尽なキレ芸だ。
おいおいおいおい、と。こいつアテもなく、本当に行きあたりばったり家出してきたのか。この飛行機の距離を? と残念な気持ちと同時に心配にもなった。
だが、次のメッセージで、アテはあったのだと思い知った。
『そんなわけで、センパイ、自宅警備員の雇用はいかがですか?』
名前も顔も歳も声も、そして性別……はわかっているだろうが、現実ではほぼ他人の俺である。
『まさか俺をアテにして家出してきたのか?』
『イエス。毎晩の宿をヘルプミー』
そんなわけないよな、という確認は五秒で否だと突きつけられた。
「はぁ……」
マジか、こいつ。
いくらセンパイセンパイ慕ってくるとはいえ、まさかそこまでアテにするほど、頼られているとは思わなかった。
悪い気はしないが、いきなりすぎて気持ちが色々とついてこない。
『図々しすぎて笑う。これはオフ会ゼロ人ですわ』
なので気持ちが落ち着くまで会話を引き伸ばすかのように、いつものようにボケてみた。
『ええんか? 実はワイ、巨乳JK美少女なんやで。今なら初回特典で処女膜がついてくる』
『秒で迎えに行くわ』
『センパイチョロすぎマジ笑う』
やられた!
会話を引き伸ばすどころか、一発でケリをつけられた。流石五年の付き合いだ。どうやったら会話で乗ってくるかを熟知されていた。
「まぁ……いっか」
しょうがない奴だな、とばかりに自然と独り言が漏れ出した。
俺たちの間には五年の縁がある。
ガミと再会するまでは、散々色んなことを語り合いながら、共に遊んできた唯一の友だった。
大した人生を歩んでいない俺を、人生のセンパイだなんて慕ってくるレナは、可愛く思ってはいた。もちろん、変な意味ではない。
『今夜は俺のグングニルが火を噴くぜ』
『ヤベーよヤベーよ。長年守り通した城門がついに破られる』
こんなくだらない会話をいつもする、友人にして可愛いコーハイだ。
年齢どころか性別すらハッキリさせてこなかったが、それなりに見当はついている。
つい先日も学校に籍は置いてはいる、でも行っていない、みたいなことを話していた。そして将来の話で敵前逃亡、それも飛行機の距離だ。
ならレナは男子大学生。三年、四年といったところか。どう若く見積もっても、大学生未満なんてことはない。
出会って五年。かつての少年が青年へと至るには、充分な時間である。
勝手にアテにして、飛行機の距離を家出してきたのはどうかと思うが、来てしまったものは仕方ない。道を示してやれるほど立派な大人ではないが、居場所を与え話を聞くくらいの面倒は見てやりたくなった。
『それで、今どこにいるんだ?』
折角来たのだ。東京観光という名の、秋葉原をぶらついたのかもしれない。俺の悪影響であれは二次元沼にもハマっているのだ。
多少遠いが、そのくらいなら迎えに行ってやってもいい。
『実はもう、センパイの家の最寄り駅に来てるんすよ』
が、もう来ているのだと言うのだからビックリだ。
『現在バーガー屋にて百円で粘ってます。当艦は、貴艦との早期合流を要求する』
『行き当たりばったりすぎんだろ。まあ、すぐに迎えに行けるが』
『アイラッビュー、センパイ!』
アテにするのは良いとして、それならそれで、もっと早く相談してくれたら良かったのに。
まあ、家出先の相談をされても流石に困ったのだが。背水の陣を組んで、俺に断りづらい状況を作ったのなら、策士といったところか。
こうして俺たちは、ランデブーポイントの相談をした。
どうやら向こうはスマホすら持たず、ノーパソ一つで上陸してきたようだ。無線LANを使用できる店から外れたら、連絡が取れなくなる。
土地勘なき地でスマホなしの合流は難しい。駅前はこの時間帯、帰宅ラッシュで混雑している。さあどうしたものかと悩む前に、向こうからの指定があった。
この辺りのことを予め、ネットで漁っていたのだろう。待ち合わせ場所の写真が送られてきた。
確認すると。この店から歩いて十分程のコンビニ前。ここなら人混みから完全に逃れられ、待ち合わせに向いているだろう。
こっちはスーツ姿のままであり、文章で伝えるには行き違いがあるかもしれない。鞄と一緒のシャメを送った。流石に顔は照れくさかったので写していないが、まあ、これだけ送れば大体わかるだろう。
一方、向こうはパソコンなのでシャメを送ってこれない。代わりに来たレナの特徴は、
『赤いキャリーバックを手にした巨乳JK美少女です』
だった。
ふざけている感じはあるが、赤いキャリーバックという特徴さえあれば、行き違いなんてないだろうと追求はしなかった。
そうと決まれば、
「ガミ、ちょっと友だち迎えに行ってくるわ」
「タマ……貴方、友だちいたの?」
「ファッキュー」
席だけ取っておいて貰い、レナを迎えに行った。
九割の確率でレナは成人だ。
折角だから『俺の行きつけの店だ』なんてバーに連れてきて、尊敬の念を高めるのも悪くはないと考えたのだ。
外れて残りの一割だったとしても、俺は真っ当なろくでもない大人だ。未成年の飲酒に目をつむる度量くらいは見せてやりたい。
五年もの間、散々語り合い交流を重ね合いながらも、声も顔も知らぬ友人。既にこの胸には、お披露目となるご尊顔に照れくさくなりながらも、レナとの顔合わせにワクワクしていた。
一体どんな男だろうか。
パラヒキニートを自称するネトゲ中毒者であるが、大学には入れているのだ。計画性こそがないが、思い立ったら吉日とダイナミック家出をするくらいの行動力がある。スマホを持たずにノーパソ一つで、相談なく人をアテにしてくる図々しさ。その様はかなりの大物だ。
職場の引き立て役たちのような面かと考えたが、案外、イケメンの可能性がある。
どんな面なのやらと妄想を膨らませながら、待ち合わせのコンビニ前に辿り着いたら、それは真っ先に目についた。
美貌と呼ぶにはその顔立ちはまだ幼い。くせっ毛一つない黒髪は、真っ直ぐと服の内側へと吸い込まれている。小柄な体躯に反しその胸は、我こそは母性だとその存在感を高らかに主張していた。
その姿はまさに巨乳JK美少女そのものだ。
ゆったりとしたパーカーに、プリーツのガウチョパンツ姿のその少女は、赤いキャリーバックを手にしていた。
「おいおい……」
思わずそんな声が漏れた。
こんなことって本当にあるか、と。
もちろん、この巨乳JK美少女がレナだと思ったわけではない。レナの戯言が待ち合わせ場所に具現化していることに、なんだこの偶然はと慄いたのだ。
落ち着きなくおどおどとしているその様は、まるで小動物……いや、大剣や戦斧を振り回す女の子も適当だろう。ある意味ロマンの塊だ。
まるで時が止まったかのような十数秒。
いやらしいわけではないが、食い入るような視線に気づいたのか。
女の子と目と目があう。その瞬間、好きだと気づいてしまった。
なんてこともなく、ヤバイ、とついその目を逸らしたのだ。
今の御時世、なにがセクハラ扱いで通報されるかわからない。女子高生をガン見する二十代男性事案の当事者になるのは、死んでもごめんである。
しれっと離れようにも、レナとの待ち合わせはここだ。逃げるわけにもいかず、どうしようかと逡巡していると、ガラガラという音が近づき、それは目の前で鳴り止んだ。
「あ、あの……」
巨乳JK美少女がなぜか、俺に話しかけてきたのだ。
いやらしい目でジロジロ見てきただろ。110番されたくなければわかっているな? い、いや俺はなにもやっていない、無実だ!
なんて被害妄想が頭を駆け巡り、叫び出したい気分であった。
それが事案案件で声をかけてきたわけではないのは、そのおどおどとした態度から、すぐに察せられた。
もしかして道に迷ってるとか、なにか困ってるとかそういう類か。キャリーバックの件もある。親戚や友人を訪ねに、地方から出てきた可能性も否めない。
たまたま目があった大人を頼ろうという、汚れなき心の純粋な行動かもしれない。
おずおずと蚊の鳴くような声で、尋ねられたのは目的地ではなく、
「セン、パイ……ですか?」
俺が彼女の先輩であるか否かであった。
ああ、俺が君の先輩だ!
なんて返事をするわけがない。こんな巨乳JK美少女を後輩に持ったのは、いつだって妄想の中だけだ。
彼女の中でなにがあって、どういう経緯の末に、俺が先輩だなんて勘違いを起こしたのか。こんないかにもな社会人が、どうあがいても巨乳JK美少女の先輩になれるわけがない。
そのはずだったのが、
「レ、レ、レナ……ファル、ト……です」
本当に俺が、巨乳JK美少女のセンパイであること告げられたのだ。