15
ハッキリと、文野楓は言い切った。
帰りたくない。
その意思をハッキリとここに示したのだ。
「現実には、戻りたくない」
現実逃避の日々があまりにも尊いと。素晴らしいものだと言わんばかりに。
「楽しいだけに、このまま……引き篭もりたい」
今更開かれた未来への展望など望まないと。
「お願い、します。……センパイ」
彼女はただ、自らの人生のセンパイにこう願い乞うのだ。
「わたしを……一閃十界の、レナファルトのままで……いさせてください」
一閃十界のレナファルトは、この現実逃避からログアウトしたくないと。
果たして目を覆っただけの逃げなのか。
はたまた覚悟が決まった結果なのか。
「最後通告だ。これが人生のセンパイなりの、唯一見せてやれる優しさだと思え」
俺は最後の優しさを示すことにした。
「ハッキリ言おう。レールに乗った人生なんざクソだ。レールやルールから外れるだけで左団扇で暮らせるなら、どれだけのリスクを背負ったっていい。俺の理想はレールを走ってる奴らを指差しながら、こいつらなに必死こいてんだ、って雲の上から笑い飛ばすことだ。
だがな、そんな度胸も能力もないから、俺はこうして底辺街道を走り続けてる。向上心もないが賞罰もない。嫌々、泣く泣く、レールの上で日銭を稼いで、まあ、なんとかこの暮らしくらいは維持できてる。これが一度もレールを外れなかった男の末路だ」
将来に輝かしい展望なんて望めない。
なにかの事故や災害一つで、すぐに崩れ落ちんとしている拙い足元。
今の立場を失ったとき、下には落ちても上には決して上がらない。
真面目にやってこなかった、必死にやってこなかったせいだと、後ろ指を指される案件である。
「だがな、初めからレールを外れた奴は、もっと悲惨だぞ。無理にレールへ戻ろうとしたところで、一度外れた奴に社会は容赦ない。
通過儀礼を怠ってきたことに、今までおまえはなにしてきたんだ、って罵ってくる。今更戻ってきたところで、わざわざ踏み台になりにきたのか底辺め、と嘲笑ってくる。面倒で、だるくて、かったるくて、惨めな思いをするはめになるんだ。
後先考えず楽しいことだけをやってきたツケは、そうやって未来で払わなきゃならん。残念ながら、それがクソみたいな社会に生かされるってことだ。一度レールから外れたら、二度と這い上がれん自信があるぞ俺は。
そんな未来への不安を抱えたままで、これまでどおりやっていけるか? 怖くないのか? 今まで通り、楽しいだけに引き篭もっていられるか?」
十割の本音を交えながら、レールから外れる怖さを脅しかける。
皆頑張っているんだなんて綺麗事は語りたくない。なぜなら俺は、頑張っていない人間だからだ。
自らの努力不足を棚に上げて、社会を斜めに見る様は、どこに出しても恥ずかしい模範的な社会人である。
それでも俺は、現実を現実のまま捉えられないほど愚かな盲人ではない。楽に流され未来から目を背ける人間であっても、置かれた現実を受け入れず、両耳を塞いで俺は悪くない社会が悪いんだと叫ぶほど滑稽なつもりもない。
現実を捉え、受け入れた上で『社会はクソだ』と叫ぶ、みっともない大人なだけだ。
そんな大人の姿を、臆面もなく見せつけた。
人間、こうはなりたくないだろ、と。
おまえはまだ間に合うぞ、と。
「怖く、ないです。だって――」
なのにそれでもその考えは覆されることなく、
「未来のことなんて、なにも、考えてませんから」
我がコーハイに相応しく、そんなろくでもない未来に微笑みを浮かべるのであった。
その意思は揺らぐことはない。
親からも、現実からも、そして姉からもこれまで通り、目を背け逃避し続けることこそが望みなのだ。
文野楓の本心からもたらされた答えだと。
そうやって次の覚悟は決まったのは、真面目系屑ノ自虐的防衛理論によって、予防線が引かれたからであった。
レナがそう決めたのだから、仕方ない、と。
「一閃十界のレナファルト!」
怒鳴るような音に近いそれに、レナはビクリとした。次は一体なにを問われるのか、もしかすると説教されるのかとすら思ったのかもしれない。
「汝の自宅警備員雇用は、本日を持って正社員へ格上げだ!」
もう引き返させんぞとばかりに、決定事項を告げたのだ。
「知ってるとは思うが、うちには福利厚生なんてない。なにせブラック企業だからな。社員の人生の責任なんて取る気はさらさらないぞ。それどころか俺は、社員の未来とやりがいを搾取するようなクソ社長だ。このことが労基にバレたら最後、倒産だけじゃすまん。秒でしょっ引かれる。そんな社長のもとで働いてるんだ。そんときはおまえだって、タダじゃ済まんからな」
クソみたいな雇用概要をまくしたてる。
あまりにもろくでもないその内容に、レナは目を丸くしている。次の瞬間に見せるのは、呆れるでもなく、憤るでもなく、異議がある顔でもなんでもなかった。
胸を撫で下ろすように、喜びに濡れた目頭だった。
今ならば、イケメンだけに許された秘奥義、頭ポンポンが許されるのではないか。
感極まってこの胸元にはたわわな果実を押し付けられ、抱擁の果てに二人は幸せなキスをして終了、ハッピーエンド、完。までのコンボを叩き出せるような気がしてきた。
「だからレナ」
保身に走ることに関しては、他の追随を許さない惨めな大人の妄想。我がことながら言い訳のしようがない、どこまでもろくでもない大人ぶりだった。
「堕ちるときは一緒だぞ」
なのにこの腕の中にはなぜか、夢にまで見た元巨乳JK美少女が収まっている。
酷い戯言を吐き出しながら、秘奥義を発動した結果、妄想が実現したのだ。
胸元で泣きじゃくるレナ。
その頭を慈しむように撫でながら、
「ほんと、おまえも災難だな。こんなろくでもない大人に引っかかって。神童の未来が台無しだ」
落ちぶれた未来を約束された神童を憐れんだ。
「仕方、ありません。だって……」
そんな憐情があまりにもおかしかったのか、
「わたしは……ろくでもない子供、ですから」
涙声でクスリと笑っていた。
レナにとって、俺は人生のセンパイだ。それ以上にこの一年で、色んな情を俺に抱いてきただろう。それこそ十も上の大人へ抱くには、社会的に問題がある情ばかりだ。
実のところ、最近その辺りがひしひしと伝わってはきていたのだ。それこそ攻城戦を仕掛けても、喜んで受けて立つ可能性があるほどに。
けれどそれが、社会が定めた真実の恋や愛ではないのはわかっていた。
レナの想いは依存に近い。現実逃避した世界で全てを完結させるため、盲目的に楽で楽しくありたいためから生まれた感情だろう。
そんなレナを甘やかす、ろくでもない大人としての方針は変わらない。
楽に流される。なすがままにこの先を行く。
今度はそこに、もう一つの乗っかった方針がある。
新たな覚悟を決めたのだ。
なんの? 禁断の果実を口にせんと自ら収穫する? 違う。
そちらについては、真面目系屑ノ自虐的防衛理論を振りかざし、これからも受身の態勢だ。責任の所在はいつだって他人に押し付けたいのが、俺の処世術であり生き方であった。ちなみにこの後は向こうからの、ハッピーエンド、完、を期待している。
ではリスクが爆発した先で、罰を黙って受け入れる覚悟か? 違う。
我がご尊顔と真名がお茶の間デビューし、ネットで羨ましい妬ましいと叩かれる。そんなネットの玩具として、黙って弄ばれる気なんてさらさらない。
ではなんの覚悟が決まったのかと問われれば、いざとなったら友人を頼る、そんな覚悟が決まっただけだ。
辛くて苦しいだけの日々なんてごめんだ。だからといって人生を自らログアウトする勇気もない。
情けないそんな俺が罰に受け追い込まれたとき、ガミに楽な介錯をしてもらうのだ。
素晴らしき友情に乾杯である。
「ありがとうございます……センパイ」
俺たちの関係は、楽しいだけで終われない。
なにせ問題が山積みなのだ。むしろ問題しか積み上がっていない。
いくら上手く立ち回ろうとも、事故とか、怪我とか、病気とか、思わぬ不幸がいつ降り注ぐかわからない。そうなったら一発アウトだ。
ふすまを開いたことで、あらゆる災厄が世に放たれた。
この一年は何事もなかったが、これから先はわからない。いつか災厄に飲まれるか、はたまたこの先の未来に希望が残されているのか。
「どうか、こんなわたしと……」
予測不可能なそんな未来に対して、胸の内に湧き上がる思いはただ一つ。
「一緒に堕ちてください」
ま、なんとかなるだろう。
楽観的ないつものそれだ。
タマとレナが果たしてどうなるか。
しっかり最後まで書ききっておりますので、
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