13
レナは本当に、楽しそうに日々を生き生きと過ごしている。
来たる未来から目を逸らし、現実逃避を未だに続けている。
抑圧されてきたもの全てを開放し、その蓋はもう閉じることはできないほどに、その身をドップリと享楽に沈めているのだ。
もう一年。
レナにこの先をどうしたいかを尋ねれば、きっと考え込むことなく、考えもなしに、このままがいいと答えるだろう。
一閃十界のレナファルトは、抑圧されてきた心の開放先であると同時に、一人の人格としてもう独立している。ふすま越しにいる少女では出せない決断と、思考回路を持つキャラクターなのだ。
レナの現実逃避というのは、一閃十界のレナファルトであり続けること。画面越しでは家出娘の本心を引き出すことはできないだろう。
俺は今日まで流されてきた。
楽なほう楽なほうなすがままにと、レナを受け入れ甘やかしてきた。
このままレナを甘やかし続けながら、俺もまた私生活を甘やかされていきたい。
それでも現実という魔の手が、ガミの店にまで迫ってきていた。
レナがいつ爆発してもおかしくない、背負っているリスクであることを思い出さされた。
この先どうしたいのか、どうするべきなのか。
例え現実と向き合うのは苦しくても、この先を考えるのが怖くても。
俺たちは一度現実に向き合わなければならない。
『人間覚悟を決めれば、結果を残せるかどうかはともかく、新しい道へと踏み出せるものよ』
それこそ覚悟を決めるために。
そういう意味ではきっと、完全素面では考えすぎて、背中を向けこのまま流される道を選んでいたであろう。
程よく回ったアルコールは、思考を制限し、余計なことが考えれなくなっていた。
つまり思い切った決断をしやすいのだ。
思い立ったが吉日とばかりに椅子を立ち上がり、ふすま越し立ち止まる。
『ん、どうしたんすか?』
その気配を感じたのか、レナは首を傾げる代わりに疑問符を差し出した。
『もしかしておかわりですか?』
「ちょっと話したいことがあるんだ」
同じ屋根の下で暮らすようになって、もう一年。
たった一年の間に、何百何千と声をかけてきた。それこそ感情の一喜一憂、その微差をレナに感じ取られるほどに。
息を飲む音がこの耳に届いたのは、ちょっと世間話や笑い話をしたい。そういう類の話ではないと通じたのだろう。
いつもならすぐ鳴り響く打音が今は息を潜めている。それこそが今のレナの心情を表しているのだ。
「入っていいか、楓」
『どうして』
すぐに返ってきたのは、そんなたった四文字であった。
文野楓。
ガミよりもたらされた、一閃十界のレナファルトへ逃げ込んでいる少女の真名だ。
キーボードの打音が鳴らないこの無音は、俺の返事を待っているのか。はたまたなにも考えれなくなったのか。
それを確認するためふすまを開いたことで、あらゆる災厄が世に放たれるかもしれない。最後には希望が残されているかもしれない。
「入るぞ」
グっと堪えることなく、あっさりと俺はそれを開いた。
開いた先にあったのは、世に放たれようとしている災厄でもなければ、残された希望でもない。
心地よい夢から強引に醒まされた、呆然としている文野楓の顔であった。
折りたたみ机に上がった、虹色を放つノートパソコン。そこに手を置きながら黙って、楓はこちらを見上げていた。
そんな少女の前に、許可を取ることなく座り込む。
「ガミの店に、現実の魔の手が伸びた」
「魔の……手?」
得意の爆速タイプではなく、不得意な発声。
「東京のお姉さんが、おまえを探し始めたようだ」
「姉……さん、が?」
意思を示すというよりも、俺が述べた言葉をそのままあげつらう。その様はまるで、数ヶ月前に遡った舌の回りだ。
「驚け。なんとおまえの家出は、この一年の間誰も気づかなかったそうだ」
大袈裟に両手を広げ、半笑いのピエロを顔面に貼り付けた。
そんな道化の姿に笑うでもなく、憤るでもなく、呆れるでもない。
呆然とする少女の顔は、その真名を呼ばれてから微動だにしていない。
かつて姉さんは優しい。自分のことを世界で一番想ってくれている人だと語った。そんな姉に一年も放っておかれていた事実の前に、反応がこれなのだ。
なんの関心も抱いていない。
初めからなんの期待もしていなかったとばかりだ。そんな彼女の様を見て、こっちの胸のほうが痛むくらいである。
俺は今日の経緯を滔々と語り聞かせた。
楓が家出した時点で、もうその将来を完全に見放され、親によって退学届が出されたこと。レナとしてかつて語ったように、時代錯誤も甚だしい役割さえ果たせればいい。必要なその時が来るまで、長女に面倒を押し付けたつもりであったようだ。
長女からも警察からも連絡はない。便りが無いのは良い便りばかりに、文字通り娘のことは捨て置いたようだ。
一方姉のほうは今日に至るまで、自分から妹と連絡を取ったり、近況を尋ねるのを控えていたようだ。当人いわく、妹の絶望的なまでのコミュ障は、自分が過干渉に甘やかしすぎたせいかもしれないと考えていたらしい。
大学進学の際、なにかあったらいつでも連絡しなさいと楓に伝えていたから、なにかあれば必ず自分を頼り縋ってくる。そう信じ切っていたのだ。
便りが無いのは良い便りとばかりに、しっかり高校へ通えているものだと安心していたとのこと。
やはり自分が側にいて甘やかしていたのが間違いだった。妹は支えがなければないで、しっかりと立てる自慢の妹だったのだ。ならばそんな妹の成長を阻害しないよう、帰省すら長らく控えていた。
そんな甘い考え同士がすれ違った結果、ご覧の有様である。普通そんなのありえるか、というほどに杜撰であった。
今日ガミに聞かされた話を全て語り終えると、しばらく楓は放心していた。いっそ自らの境遇にショックを受けてくれたほういいくらいの痛々しさだ。
しばらくして、気を取り戻したかのようにキーボードは叩かれた。
『ごめんなさい』
たった六文字。
俺に一体、何を謝っているのか。
謝られるようなことはしていない。なぜそこまでして自分を悪いように扱うのか。
そして次のメッセージで、俺はその真意を知ることとなった。
『どうやら自分、もうただの巨乳美少女のようですね』
「おい!」
深刻な雰囲気な場で、例の深刻な病の発作に襲われたようだ。
面白いボケを発揮できたことに、その横顔は満足そうにクスリと笑っていた。
残り二話。次の更新は明日の12時近辺です。
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