SS 狐が出ていく、少し前の話 ※コミカライズ1巻発売記念
自宅警備員を最後まで読んでくださった皆々様、お久しぶりです。
コミカライズ版1巻の発売記念といたしまして、SSを書かせて頂きました。
楓の誕生日――あの火災から、二十日が経った。
被害があったのは、東京の中でも有数の繁華街を有する地域だ。火の手は幸いにも繁華街まで届かなかったが、住宅地はまるで飲み込まれるように燃え広がり、近年類を見ない被害をもたらした。
二十日たった今でも、挨拶に混じって火災の話題が自然と浮かぶ。それほど、あの出来事はあまりにも大きく、人々の記憶に焼き付いているのだ。
この火災は戦後最大の大火と比べられるほどの規模だった。報道によれば、焼損面積はその過去の記録をも上回ったという。
それだけ、多くの建物が失われ、多くの人が被害を受けたということだ。
被害者の人数も未だ正確には出ておらず、ニュースでは二桁を切り捨てて伝えられるほど膨大で、日に日にその数字は増えていく。昨日よりも今日、今日より明日と、更新される度に胸が重くなる。
そんな中で、唯一増えていない数字がある。
確認された死者数――二十人。
この数字は、十日前から変わっていない。
数え切れないものが奪われた災害だった。建物も、日常も、人の命も。
だからせめて、この二十という数字だけは、もうこれ以上、動かないでいてほしいと願ってしまうのだ。
「はぁ……やっぱりこれ以上は伸びないか」
一方、真逆の願いを抱いている妹は、スマホを見ながらため息をついている。
「これだけの華を咲かせたのに、最後の最後で記録が伸び悩むなんて。残念……」
信じられないことに、楓は死者数が増えないことにがっかりしている。
「あんたねぇ……」
ピクピクと震える眉間を指で押さえながら、呆れて言葉を漏らす。
「人の命をなんだと思ってるのよ」
「エンタメです。四桁くらいは期待していたんですけどね。まさか二桁の壁すら越えられなかったとは……」
楓はそんな暴言を吐き出しながら、まるで人の不幸を憂えるように、そっと目を伏せた。
「でもまあ、この偉業は歴史とWikiには刻まれるでしょうから、それで満足するしかありませんね」
「どうやら私たちの間では、偉業という言葉の意味に、大きな認識さがあるようね。そのへん、しっかり話しあっておきたいところなんだけど」
「あー、それはおすすめしませんよ」
「なぜかしら?」
「姉さんが頭を痛めて終わるだけです。割に合いませんよ」
唇の端をわずかに吊り上げて、余裕たっぷりの笑みを浮かべる楓。
その表情を見ていると、確かに――と思わず怯みそうになった。
常識人として、真っ当な説教を投げかけたところで、楓はもう俯いて聞いてくれるような子じゃない。
人の命をエンタメ扱いする倫理観で、信仰と表現の自由を訴えかけてくるのだ。
そうなってしまえば、もう私の手には負えない。
最後にはきっと、ニコニコしている楓の勝者の顔を、黙って眺めるしかなくなってしまう。
そして、私が頭を抱えて終わる――今月だけでも、それを三度も繰り返してきた。
敗因は、ちゃんとわかっている。
たしかに楓の倫理観は社会的には許されるものではない。でも、それを外で漏らしたりはしない。
楓は抜かりなく振る舞っているからこそ、人気者としてのポジションを確立しているのだ。
けれど一番の原因は、やっぱりこれだと思う。
「姉さんの前でくらいは、自分を殺さず、素直でいようって決めたので」
そんな風に、少しだけ甘えたような声で言われたら、私はもう強く出ることなんてできない。
そして楓は、自分のそういう強みをきちんと理解している。
……だからこそタチが悪いのだ。
ため息をひとつ飲み込むように、私はレモンサワーをぐいっと喉の奥に流し込んだ。
「戦う前から勝ち負けが決まってるなんて」
グラスをテーブルに戻す音にかぶせるように、隣からくすくすと笑い声が聞こえてくる。横目で見ると、まどかがおかしそうに笑っていた。
「椛もすっかり、楓ちゃんには敵わなくなったわね」
「百歩譲って、私の前だけでこうならまだしも……まどかの前でもこの調子だから問題なのよ」
「それって、ちゃんと相手を選んでるってことじゃない?」
そう言ってまどかは、対面にいる楓に視線を送る。楓もそれを受けて、目を細めて笑った。
ふたりはまるで示し合わせたように、「ねー」とそろえる。
このふたり、本当に妙にウマが合う。まるで長年の付き合いがある先輩と後輩みたいに自然で、なにも言わずとも通じ合っているようだった。
もしかすると、あのろくでもない男の関係者同士、どこか通ずるものがあるのかもしれない。
今日、こうして三人で来ている焼き鳥屋も、もともとは楓とまどかのふたりだけで訪れる予定だった。そこに、予定がぽっかり空いた私がたまたま声をかけられて、おまけのように参加しているのが、今夜の飲み会の成り立ちだ。
妹と親友が一変に取られてしまったような寂しさはあるが、楓がこうして自立していくのは素直に喜ばしいことだ。
ただ、言わせてもらうことは言わせてもらう。
「ねー、じゃないわよもう。あの家のスクラップ記事を、楽しそうに作ってるのよこの子」
「それくらい、オカルトマニアだと思えば可愛いものじゃない」
「それならもうちょっと、手広くやってほしいわ。偏執的にあの家ばっかり追いかけてるから……もしかして、取り憑かれてるんじゃないかってこっちはビクビクしてんの」
ジッっと視線を送ると、楓はなぜか胸を張っている。
「わたしはあの家にまつわる歴史を、伝道者として後世に残すつもりです」
「歴史って……なにを伝える気よ」
「数々の住人を葬ってきた華々しい経歴、解体業者と坊主を返り討ちにした輝かしい戦歴、そして近隣住民や無礼者に猛威を振るった燦然たる来歴。それらを編纂すれば、傑作の本になること間違いなし。仮タイトルは、『ホラーハウス 栄光の軌跡」です」
「ちなみに楓ちゃんが、生き証人として語れるエピソードとかあるの?」
ネギマに手をつけたまどかがそう尋ねると、楓は待っていましたとばかりに、キラキラとした目で語りだす。
「迷惑系ユーチューバーが押しかけてきたんですけど、通報しようとしたら逃げ出して、そのまま交差点で轢かれてました。その後、彼のSNSが更新されることはありませんでした。めでたしめでたし」
「あ、それニュースで見たやつ……。え、あれってあの家案件だったの?」
「心霊防犯セキュリティは最強です」
楓はどこか誇らしげに頷く。
「直接わたしが関わったわけではありませんが、他にもエピソードは山ほどありますよ?」
そうして飲みの席で語られる燦然たる来歴なるものは、聞いているだけならまあまあ面白かった。
たとえば――
あの家から御札を盗んだ大学生グループがいた。彼らはその日を境にひとり、またひとりと不幸な事故にあうのだが、それは『なにか』から逃げ出そうとした結果とのこと。最後のひとりが、あの家に招いてくれた住人にメールを送ったのだが、その文面は「ごめんなさい」の文字で埋め尽くされていたとか。
あの家の敷地内に入って記念撮影をした、近所に住むカップルがいた。どうやら彼らは、故郷の祠を壊して東京へ逃げてきたらしく、家族親戚から行方を眩ませていたようだ。それがある日、『来世でこそ結ばれようね』という言葉を残して心中したとか。
あの家の屋内を覗き込んだ、進学を控えた高校生がいた。肝試し気分で、夜遅くにあの家に訪れた高校生グループのひとりが、締め切られたカーテンの隙間を覗き込むと、そこにはふたつの目が浮かんでいた。それ以来、彼はどこにいても、隙間という隙間からその目に見つめられている気がしてならず……隙間を埋め尽くした部屋で、今も隙間からこちらを伺ってくるふたつの目に怯えているらしい。
どれもよくある怪談めいた話であるが、そこまで怖いものではない。ただ、まどかが隙間の話に入ったあたりから、震え始めたのが気になったくらいだ。
そして思い出した。
「あ、その話の女版なら聞いたことがあるわ」
「女版? それは初耳です。どんなお話ですか?」
あの家の伝道師が、興味津々に顔を寄せてくる。
「ある大学生の女の子がね、あの家の住人に恋をしたらしいの。でも関係はお店で会話するだけで進展がなくて……留守の間に家を覗こうとしたら――っていう話」
「その女の子の話、なんか既視感があるんですけど」
「既視感? どういう――あ」
私たちは同時に、まどかへ視線を送る。
まどかは下手な口笛を吹きながら、視線を逸らした。
「まどか。あんた、なにやってるのよ」
「うぅ……その話、やっと忘れられたのに」
顔を覆って震えるまどか。黒歴史の痛みに悶えているようにも見えるが――
「隙間が……隙間が怖いの」
ムラサキカガミを思い出した子どもが泣き出しそうな声。
どうやらまどかは、本当に見てはいけないものを見てしまったようだ。
そんな中、楓がぽんっと手を叩く。
「あ! あれ、まどかさんだったんですね」
「えっ?」
「いや、平日の昼間から、家に忍び込もうとしている不審者が出て……怯えながら、こうやってカーテンの隙間から外を伺ったらですね」
楓は身体をくねらせ、目を縦に並べるような動きをした。
「若い女性の悲鳴が響いたんですよ」
「……あの目、楓ちゃんだったの?」
「どうやら、そうだったようですね」
力が抜けたように、ヘナヘナと机に突っ伏すすまどか。目の主が幽霊ではなく楓だと知って、泣き笑いのように安堵している。
それに笑いながらも、私はふとした疑問を口にした。
「……ねえまどか、その話、誰かにした?」
「あー……友達の友達の話ってことにして、マスターにしたくらいね」
「なるほど。お見通しだった明神さんが、それを噂話として広めたわけね」
今となっては全部笑い話だ。今が幸せだからこそ笑える。
「ちなみにそのとき、なにか言われた?」
「家主がいないはずの家で何かを見たのなら、見てはいけないものを見たってことね、って」
目の前にいる、見てはいけなかったものは吹き出した。
「つまりわたしは、ずっと楓ちゃんの目に怯えていたのね……」
恨みがましそうに見てくるまどかに、楓は目端を拭いながら言った。
「その程度で済んでよかったじゃないですか。あの家に遊び半分で関わると、本当に命に関わりますよ」
「それを言うならなんで、住人扱いの楓ちゃんは無事だったのよ?」
「そこは敬意と感謝ですね。敬い尊ぶ気持ちを示せば、あの家は守り神になってくれますから。わたしは入居一日目に、それを示しました」
楓の顔には一切の冗談がなく、まっすぐな信仰心が浮かんでいた。
「……そう考えると、なぜ姉さんに霊障ひとつ起きていないのかが不思議ですね」
「どういう意味よ」
「一度、あの家に上がり込んでいますよね? どうして五体満足でいられるんですか?」
からかっている気配はない。楓は本気で疑問を抱いている。
「ううん、無事じゃないわよ椛は」
と、まどかがニヤニヤしながら口を挟んだ。
「なにせ椛は、あの家から大妖怪に匹敵するものを連れてきちゃったから」
「大妖怪に匹敵?」
「玉藻御前のような、とんでもないものをね」
「玉藻御前? 狐に憑かれてるとでも言いたいの?」
玉藻御前といえば、たしか九尾の狐であったか。妲己も同一的な存在みたいな話もあったような……ふわっとした知識しかなく、語れるほどの教養はない。
でも横目に映った楓は、やけに納得顔でうんうんと頷いている。
「その狐に取り憑かれるとどうなるの?」
「身の回りのことを全部やってくれるもんだから、取り憑かれた相手はぐでんぐでんに堕落しちゃうのよ」
「そんな狐に私がいつ――」
あ、と声を漏らしそうになった。
その瞬間、ふたりの口元が同時に釣り上がる。
「その狐は、取り憑いた相手が寿命を迎えるまで出ていかないって話だけど……来月、狐が出ていった後、家主がどうなるか楽しみね」
「出ていく側からすると、それだけが心残りですね」
ふたりは顔を見合わせ、仲良く「ねー」とハモっている。
……自覚がある身としては、ただグラスを空けて、目先の現実から逃げるほかない。
ふたりの心配は、杞憂で済めばよかったのに。
狐が去った後、私は実際、見るも無惨な有り様を晒すことになる。
――それはもう少しだけ、先の話だ。
改めてお久しぶりです。
コミカライズ版1巻発売記念として、実に三年ぶりとなるweb版自宅警備員の更新でした。
本当は3月28日、一週間以上前に発売していたのですが……
本編のエピローグ後の話を書くのは、絶対に蛇足になるので書こうにも書けず、発売日の投稿を逃してしまいました。
そんな中、今月に入ってネタが思い浮かび、これなら本編の余韻を壊さないと思い書いた次第です。
本編では最後の方だけだった、饒舌に喋るレナをこうして書けたのは、本当に楽しかったです。
その内、本編ではテンポの関係でカットした話なども、書けたらいいなーと思ったりします。
小説として書籍化はしたけど、コミカライズ化したのは知らなかった読者様は多くいると思いますので、これを機会にコミカライズ版を手にとってくだされば幸いです。
コミックライドとニコニコ静画のほうで連載しておりますので、そちらのほうからもチェック頂ければ!




