04
二十三時も周り、来年度まで一時間を切った。
自宅の最寄り駅、その一つ前で降りた私たちは帰路に着いていた。終電にはまだまだ早い。だから降りたのは自らの意思。
「よしよしよし」
ふわふわとした足取りで、スマホに目を落としている楓。
それを黙って三歩後ろから、仕方のない子ねと何度目かの息をつく。
初めて口にしたお酒で、楓の機嫌は絶好調だ。
「もっともっともっと広がれー!」
贔屓を応援するように腕を振り上げるその姿は、見たことのないほどにすっかりとはしゃいでいる。
ここまで上機嫌になったのは、お酒の力ではない。その前に起こった事件が、ここまで楓を昂ぶらせたのだ。
四十人もの命が散った、楓がかつて過ごしたその家屋。数時間前に、それが私たちの目の前で爆発した。その火災は屋根一つ下で収まることなく、延焼に延焼を重ね、火の手はどんどん燃え広がっているのだ。
楓はその火災の情報を、リアルタイムで逐一調べた。その火災が収まるのを願うどころか、もっと酷いものになれと楽しそうに。あの家の最後、記録を伸ばせと誰よりも応援しているのだ。
お酒を飲みながらそんな風にはしゃいでいる楓に、私とまどかも顔をしかめるばかり。本当であれば不謹慎だと窘めるところであるが、今日は楓が主役である。楓がはしゃぐのを止めたところで火の手が落ち着くわけがないのだから、今日のところは黙って、呆れるだけで済ませたのだ。
こうして歩いているのは酔い醒まし。一駅前で降りて、まどかには先に帰ってもらった。
夜風に当たれば多少落ち着くかと思ったが、全然そんなことはない。楓はスマホに目を落としながら、今も伸び続ける記録を応援している。
人の不幸を笑う姿には、仕方のない子ねとだけ諦めることにした。
だから咎ねばならないのは、
「楓。歩きスマホは止めなさい。危ないでしょう」
「はーい」
ふわふわとした足取りで歩きスマホをする、楓自身の心配であった。
聞き分けよくスマホをしまった楓は、両手を広げくるりと回ると、空を仰いだ。
今この空の下で、起きている悲劇を想ってか。それとも、遠い場所にいる者を想ってか。
どちらにせよ、その横顔には悲しいものはない。当たり前のように空の下を歩くようになった姿は、満足そうにすらしていた。
「ほんと……昔はこんなことで、笑うような子じゃなかったのに。あんたもすっかり、変わっちゃったわね」
「もちろん、いい意味で?」
「悪い意味でよ」
「残念。姉さんとこそ、この楽しみを共有して笑い合いたかったのに」
「笑えないわよ。まったく……」
仕方のない子ねと、嘆息をついた。
楓が笑っているものなんて、絶対に笑えない。でも、こうして楓が笑っていることは、困ったことに胸が温かい。
母さんと共に、ずっと失っていた幸せ。
それが取り戻せたことが素直に嬉しい。
こうして心から楽しそうに笑っていてくれることが、とにかく愛しい。それが他人の不幸と悲劇の上で成り立っているものであっても。それを見て笑っているだけなら、ギリギリ許容範囲である。
だって楓は、私にとって残された最後の家族なのだから。
血の繋がった父さんは生きてこそいるが、あれを建前以外で家族と呼ぶことはもうない。
父さんとは今回の件で、親子としての関係は決別した。
大人しかったあの楓が、その裏ではどんなろくでもない中身に育っていたか。それらを全て告げ、なにかあれば今度こそ、父さんを道連れにする。私はそんな楓と心中する覚悟を告げて、
「それが嫌なら、父さんは黙ってお金だけ出して。そうすれば、父さんの望む結果と成果は私が出すから。……もう、私たちの関係は、そうやって割り切りましょう」
父さんは逡巡すると、親に向かってとか、子供のくせにとかも言わずに、「いいだろう」と了承したのだ。
これが普通の家族なら、ただ社会的に成功すればいいのではない。家族の情をもって、自分たちの想いを語り、私たちはこれからどうありたいか。一線を決めて話し合わなければならない。
でも父さんにはそれはない。家族の情など考えにいれず、どうあれば自分が望む最大限の利益を見込めるか。経営者としての結論を出したのだ。
どこまでも父さんは社長であり、私たちはただの社員だったのだ。
それでも、そんな父さんのことを本気で憎めず、嫌いになれなかった。
これからも望む結果と成果を出すといった言葉を、父さんは疑うことはなかった。これからも自慢の娘、という役割を果たせるのなら、買い叩くことはせず投資は惜しまない。私の管理下にあれば、楓からも同じ利益を生み出せる。ならば「いいだろう」と了承したのだ。
私たちをそうして繋ぐのは、情ではなく互いの利益。家族としてはどれだけあれでも、社員という目線から見れば、いい社長であったのだ。
楓にはそのことについて、なにも言っていない。
父さんとのことは私が全部する。二度と会わなくてもいいとまで言ったのだ。
そうやって楓が本当にやりたくないことは、やらなくていい。
今までやりたくてもできなかったことだけ、やってくれればいい。
ずっと学校に通えなかった。
人と人との繋がりを絶ち続けてきた。
それが今や、その学校で誰よりも成功を収め、誰よりも慕われている。妬み嫉みは多く買っているだろうが、それ以上に尊敬され、敬われている。
ああ、本当に。このまま自分の手に届かないところへ、ある日行ってしまうんじゃないかというほどに。眩しいものだけを築き上げていっている。
皆、楓のようになりたいと。
皆、楓の隣に置いてほしい。
学校へ行けず、今まで得られなかったものが手に入った。
「ねえ、楓」
これほど輝かしいものを思い通りに手にしてきているのだから、さぞ楽しいに違いない。
「学校は楽しい?」
それを楓の口から聞きたいと思ってしまった。
三歩先を行く楓は、後ろ手を組みながら肩越しに振り返ると、
「いいえ、全然楽しくないです」
どこかも晴れ晴れとした笑顔ではにかんだのだ。
言葉に込められた意味と、顔に浮かんだものが乖離していた。
そのギャップを飲み込めずに、思考と共に歩みが止まった。
「どうでもいい人たちに慕われるために、どうでもいい顔色を伺って……そのために本当の自分を抑えつけないといけないなんて、やっぱり社会はクソですね」
どこまでも否定的な言葉を吐き出しながら、その顔は鼻歌交じりである。
「凄い、憧れる、素敵だ、美しい。わたしの綺麗なところと、綺麗に紡いだものだけを見て、皆よってたかってくる。まるで誘蛾灯に群がる虫みたい」
楓は人差し指を頭上に掲げる。そこでクルクルと回しながら、ゆっくりと自分の顔に近づいていき。
「わたしのことを考えた気になって友情を振り回す。自分だけはわたしのことをわかった気になって、恋情を差し出してくる。これが社会の示す本物だと、あなたのことを愛しているって嘯くんです」
パン、と楓はいきなり両手を叩いた。
「結局、わたしの綺麗なものを使って、気持ちよくなりたいだけなのに。わたしのことを知った気になっている自分に酔っているんです」
まるで目の前に寄ってきた蚊を叩くかのようだった。
その背中は困ったものを受け入れるでもない、悲しみを示すでもない、落胆するのでもない。滑稽なものを鼻で笑い、こんなものだと受け入れているようだった。端からなにも信じていないものに、肩を落とす必要なんてないと言うように。
楓の言い分はよくわかる。でも楓は性格が良いのではなく、いい性格をしているのだから、少し潔癖すぎやしないかと思った。
「言いたいことはわかるけど……ちょっと考え方が、穿ちすぎじゃないの?」
「いいえ。これでも歯に衣を着せているつもりですよ。だって、クリスマスの騒動を思い出してください。皆、どんな目をわたしに向けていましたか?」
クリスマスの騒動。
それは田中が自分に酔った謝罪に、楓が絶対に許さないと告げたもの。
これだけ綺麗なのだから、中身も綺麗なものしか詰まっていない。そう信じてきたはずが、悍ましいものが飛び出てきたかのような驚きであった。
「だから必死にトラウマに立ち向かう少女、なんて演じた途端、掌を皆くるりって返したりなんてして……わたしを笑い殺す気かって、必死だったんですから」
あのときの状況を再現するように、楓は両手で顔を押さえる。でも違うのは、漏れているのは嗚咽ではない。ころころとした笑い声だったのだ。
「……あんたまさか、泣き真似だったの?」
「涙は女の武器ですから。わたしが使いこなせないわけ、ないじゃないですか」
「ああ……なんか色々、感動して損したわ」
「わたしのろくでなさは身にしみていると思っていたんですけど……姉さんもまだまだですね」
くつくつという音を残し、楓はテクテクと進んでいく。そんな背中に肩を落としながら、重い足取りで着いていく。
「たったあれだけのことで、皆わたしに向ける目が変わった」
どこかでも軽やかに、浮ついたように、重たいものをふわふわと扱っている。
「これがネットゲームで知り合った成人男性のもとに、一年半以上も転がり込んでいた。なんて過去を知ったらどうなると思いますか?」
「全部、ガラガラって崩れ落ちるわね」
「ええ。今までこの想いは本物だって差し出してきたものを、慌てて胸元にしまい込む。あれだけ綺麗なものとして扱っていたわたしを、汚れて傷ついたジャンク品扱い。これでも新品のままなんだって訴えても、誰も信じようとはしない」
そう、誰も信じはしないだろう。
楓の行った逃避行は、形があまりにも酷すぎるから。外側しか知らぬ者には、あの中身はわからないし理解が及ばない世界なのだ。だから自分の想像だけで完結する。
「でも、社会っていうのは結局、そういう人たちを土台にして作り上げられている。それはわたしでも覆せない現実なんです」
諦観の息を漏らしながら、楓は肩をすくめた。
「わたしと比べれば、塵みたいなものしか積み上げられない。でも、そんな塵も積もれば山となる。その山が悪意となって流れ込んできたら、神童たるわたしも太刀打ちできません。個人の力に限界があるから、塵なんか相手にいい顔をしなきゃいけない。ほんと、理不尽……」
思い通りにならない子供が拗ねたように、足元の小石を楓は蹴った。
理不尽とは言うが、楓はいいことなんてなに一つ言っていない。どれだけ可愛い妹であっても、流石のわたしもそんな損ねた機嫌は取ってあげる気はおきなかった。
「でも向こうもまた、わたしのような人間が、眩しくてたまらない」
だからその機嫌は、すぐに自分で取り戻したようだ。
「みんな私みたいになれないから、せめてその隣を目指そうとする。隣が無理ながらせめて映り込もうとする。そうやってせめて、せめて、せめてって、わたしのおこぼれをあやかって、綺麗なものに当てられて喜びたいんです」
「あんたは……まるでいつもと別人みたいね」
「これでもまだ、抑え気味ですよ。姉さん、本当のわたしをお見せしましょうか?」
悪戯っぽい横顔を楓は見せた。
知りたくないような気もするが、私は黙って頷いた。
そして速歩き四歩ほど先を行くと、
「我は一閃十界のレナファルト! 陽キャを断ずる刃なり!」
くるりと振り返り楓は片手を頭上に掲げた。
次話は23時頃です。
※追記
予約投稿ミスって22時に投稿されております。
あれ、と見間違いかなという胸のしこりを残さないよう、追記させていただきました。




