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センパイ、自宅警備員の雇用はいかがですか?【コミカライズ版2巻8/28発売!】  作者: 二上圭@じたこよ発売中
レールの切り替わる音がした

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07

 楓のためを思って、私は今までやってきた。それこそが幸せな人生を歩める、正しい在り方と信じて。


 でも、その裏に潜んでいた私の現実(しあわせ)


 自覚せず覆い隠してきた私の真実(ほんね)


 私の考える最高の文野楓の生き方。そこにあったのは、楓の心に寄り添った幸せは考えられておらず、あったのは、自分の幸せだけを追求したものだった。


 それをあなたのためを言っているのと、私は誤魔化してきた。そうしている内は、自分のしていることを正当化できるから。どれだけ酷い中身でも、周りは私のやっていることは正しいことだと見てくれていた。


 それを酷い人間だと責め立てられるのは、仕方のないことかもしれない。


 だけど、


「でも、あんただって……同じじゃない」


「は? 俺がテメェと同じ?」


 この男にだけはこんな風に責められる謂れはなかったのだ。


「だって、あんたは楓の未来のことを考えていないじゃない。やってることは、居場所を与えて甘やかしているだけ。でもそれは仕方のないことだって……自分の間違ったやり方を正当化してるだけじゃない!」


 私が非難されるべきなのはわかった。自分のやっていることを正当化しながら、それをまるで自覚してこなかった。自分がどれだけ卑怯なことをしてきたのか、思い知らされた。


 でも、そうやって私が正当化してきたことを追求するなら、この男だってまた、自分のやっていることを正当化している。


 社会に背いた間違ったやり方を、楓のためを思うなら仕方のないことだって、正当化しているではないか。


 昨日から一方的に責められ続けたが、ようやく――


「おいおい、聞いたかガミ」


 痛いところを突いたと信じてたのに、


「俺が間違ったやり方を正当化しているとか言い始めたぞ、こいつ」


 酷い見世物を前にして、その滑稽さに嘲笑ったのだった。それこそ笑いを堪えきれず、喉に流し込んだものがむせているほどに。


「く、ククッ。……また、えらく的はずれなことを言うわね」


 明神さんもまた、口元に手を抑えながら笑いを堪える。


「椛ちゃん。残念ながら、タマにそんな素晴らしい心は宿っていないわよ」


「え……」


 物を知らぬ子に諭すような物言いに、ただ呆気にとられた。


 田町はグラスの中身を空にすると、薄ら笑いを向けてきた。


「いいか、クソ姉。テメェのいう、間違ったやり方の正当化っていうのはな、社会のルールやモラルを犯しながら、なおも大事に尊んでいるせいで生まれた罪の意識。社会への負い目や後ろめたさ、罪悪感を誤魔化したいお利口さんのすることだ」


 すぅ、っと田町は息を吸い込むと、


「バーカ! そんなくっだらないもん、端から大事に尊んでねーんだよ!」


 社会の正しさを吐き捨てた。


「ルールなんてのは所詮、皆が好き勝手やったら困るから、社会維持のために生まれたシステムだ。モラルは結局、多数派の機嫌を損ねるような真似はしてはいけませんって思想を、皆一緒に頑張るぞい、って綺麗に形を整えただけの、クソみたいな風潮だ」


 田町はそう捲し立てながら、それらを鼻で笑った。


「ルールを破れば罰せられる。モラルを犯せば村八分を食らう。それだけ弁えてりゃ、この社会で生きていくのに十分こと足りる」


 ほら、この通りな、と言うような尊大な素振り。


「ま、確かに社会にバレたら困るもんは抱え込んだが、それに負い目も後ろめたさも、罪悪感も抱いちゃいない。正当化(ごまか)したい罪の意識なんざ、欠片もねーんだよ」


 田町は左の拳で頬杖をついた。


「俺があいつの未来を考えてないって言ったな。そのとおりだ。十年二十年先のことまで考えていられるか」


「考えてないって……じゃあ、なにかあったとき……楓の人生に、どう責任を取る気なのよ」


「いいことを教えてやろう。俺の死ぬほど嫌いな言葉は責任だ。んなもん、取る気なんてさらさらない」


 田町は即答した。


 楓の幸せを大事にしながらも、その未来も責任も蔑ろにしたものだった。


「テメェらの正しい在り方じゃ、辛くて苦しい思いをしてでも、長生きするのが美徳かもしれんがよ。俺にとっちゃ、そんな価値ある素晴らしい社会(せかい)じゃない」


「なら……あんたは、どんな未来を考えて、生きてるっていうのよ……? いざ人生の壁に直面したとき、どうするっていうのよ」


「さあな。そんなのは未来の俺に聞いてくれ。だが辛くて苦しい思いをしてまで、このくだらんレールに必死こいてしがみつくつもりはないからな。堕ちたら堕ちたでそんときだ。未来を消費しながら、社会に向かって中指立てて、楽で楽しいだけの幸せっての享受するさ」


 僅かに上げたその顔は、遠い未来を見据えていた。


「そうやって堕ちて、堕ちて、堕ちて、堕ちて……これ以上は楽で楽しい幸せがない。辛くて苦しいものしか先にはないとわかったときは、この世界から堕ちてくつもりだ」


 そうやって浮かべられたしたり顔は、 


「そんな背中で、俺はあいつの人生を背負ってるんだ」


 おどけたようでありながら誇らしげであった。


「堕ちるときは一緒だって、約束したんだよ」


「約束した?」


「ああ。これは一方通行なんかじゃない。俺たちは社会に対して、正当化したいもんなんてなにもない。ただそうやって、自分たちの在り方と未来に納得しているだけだ」


「なんで……なんでそんな在り方に、未来に……納得なんてできるの?」


「辛くて苦しい思いはしたくない。嫌なことから逃げ出して、楽しいことだけをしていたいからだ。それを甘えだという社会(テメェら)は言うかもしれんが、好きに言え。認めてもらいたい思えるほど、社会(テメェら)が大事に尊んでるものに、価値なんざ見出してねーからな」


 散々吐き捨て、嘲笑っていたその顔は、


「俺が今大事に尊んでるのは、レナが笑って幸せでいられる明日だけだ」


 生真面目なまでにそれが全てと語ったのだ。


「そしてこんな俺と一緒に幸せになりたいと、あいつは言ってくれた。堕ちるときは一緒だと約束して、お互い十分に納得してる。ならこのまま間違ったやり方で、先の長くない楽で楽しい幸せな人生を歩むのに迷いはない。ほんと、コスパのいい人生だな」


 自らの人生を振り返り、おかしそうに田町は笑った。


 そうやって人生を賭けて、楓のことを背負い込んだ。全幅の信頼と共に、あなたとならと人生を託された。


 誰の理解なんて求めてない。


 社会に認められようとも思ってない。


 二人だけで閉じたその社会(せかい)(しあわせ)と定めたものだけ求めながら、最後の最後のそのときまで、一緒に笑って生きていこう……と。


 許せないし、このままを許したくない。


 社会を味方につけて今すぐ止めたい。でもその行為は、楓を『取り戻す』と『喪失(うしなう)』が同義となっている。


 それがわかっているから、この男はここまで全てを話したのだ。


 ほら、俺たちの幸せを止められるものなら止めてみろ。どうあがいてもおまえが望む幸せは、戻ってこないんだぞ。


「だったら……どうしたらよかったのよ」


 どうあがいても勝てないと、屈してしまったのだ。


「私だって……楓と一緒に……歩きたかった。楽しい人生を、その隣で過ごしたかった」


 だからもう、残っているのは負け惜しみですらない。


「母さんが亡くなってから、ずっと……楓との距離は開くばっかりで……どうにかしたかった。正しいと信じてきた……与えられてきたものだけで、なんとかしようって頑張ってきたのに……」


 散々抑え込んできた、ただの泣き言だった。


 私の人生で初めて立ちはだかった壁。間違ったやり方で、正しいやり方を封じ込められ……それがあまりにも不平等すぎて、どうあがいても乗り越えられない壁を前にして、思わず溢れてしまったのだ。


「それなのに、そんな間違ったやり方で……上手くいって、そんなの……」


 ……ああ、それはとても――


「ずるいじゃない……」


 羨ましかった。


 妬ましかった。


 あっさりと楓の信頼、私のほしかったものを手に入れて、これみよがしに見せつけられた。正しいことだけを与えられ、守り続け、それだけを手に頑張っても得られなかったものを。


「知るかバーカ!」


 間違った男は、そんな私の泣き言を一蹴したのだ。


「どうでもいい他人(こじき)に恵んでやるほど、こちとら博愛主義者じゃねーんだよ! そうやってずるいずるい泣いてれば、欲しいものを与えてもらえるとでも思ってんのか? テメェにくれてやれんのはな、うるせーくたばりやがれ! こんな罵声くらいなもんだ」


 哄笑を響かせながら、これでもかという嘲罵を叩き込んできた。


「幸せになれず、苦しくて辛いっていうなら、天国のママにでも慰めてもらってこい。神もこうおっしゃっている。死こそが真の救いだ、ってな。ラーメン!」


「ギャハハハハ!」


 ふざけた言葉で胸に十字を切る田町に、明神さんは堪えきれず高笑いを上げる。


「う……あ、ぁあ……」


 それが引き金となり、抑え込んでいた感情の最後の蓋は突き破られた。


 熱くなった目頭は、世界を歪んだ形でしか映さない。


 嗚咽で震える喉は、もう言語という形を紡げない。


 どちらもただ洪水のように溢れ出て、自らの力で抑えることは叶わなかった。


「椛……」


 ボロボロと泣き出す私の背に、そっと優しい手が触れる。自分の苦しみのように痛々しさが、その声音に宿っていた。そうやってまどかは隣に寄り添ってくれていた。


「クソザコナメクジすぎて話にならんな」


「昨日に引き続き、また女を泣かせやがって。どんな気分だ?」


「クソ姉の不幸で酒が美味い! まさに勝利の美酒ってやつだ」


 悲哀に包まれている私たちとのバランスを取るように、対岸からは楽しそうに賑やかだった。


 こんなろくでもない大人に、手も足も出ない自分が情けなくて、悔しくて、それが苦しくて辛くて、それが一層涙を促した。


 そんな私を見かねたわけでもあるまいが、


「でも、いいのか。窮鼠猫を噛むって言うくらいだ。一時の感情に流されて、警察に駆け込まれたら一発だぞ」


「それは困るな。いくら先がないとはいえ短すぎだ。クソ姉、警察沙汰だけは勘弁してくれ。この通りだ、なんでもする」


 下手に出るよう頼み込んできたのだ。


 その声音に真面目なものなんか一切ない。先程から変わらぬふざけきったもので、グラスを呷っているだけの音が届いた。


 この男はどこまでも、私をバカにしたいだけなのだ。


「例えば――」


 そう思ったら、


「テメェに最後のチャンスをくれてやる」


 こちらを試すような甘い言葉を吐き出したのだ。


「最後の……チャンス……?」


「ああ。それを手に入れた先には、大好きな妹の信頼を全て取り戻し、関係をやり直し、陽の光の下を一緒に笑って歩ける、そんな素晴らしい未来が待っている」


 もう手に入らないと信じていたものを、ポン、と差し出してきたのだ。


「どうだ、ほしいだろ?」


 水気を帯びたこの目には、それがどんな顔をしているのかは映らない。ただ意地の悪そうな口ぶりが、私が思い描いているだけのものではないと告げていた。


 でも今はそれに縋るしかなく、うつむくように黙って首を振ったのだ。


「ならあいつの人生に」


 勿体ぶるように鼻を鳴らしながら、


「黙って俺の存在を受け入れろ。そうすれば俺が全て、望みを叶えてやる」


 そんな受け入れがたい条件を突きつけたのだ。


「あいつの目的は、俺と一緒に幸せになることだ。その一線さえ守られるんなら、テメェがしてほしいことは、レナは大抵受け入れる。未来のことを見据えた人生ってのを、ちゃんと歩んでくれるだろうさ」


 もう手に入らないと信じていた楓との幸せ(みらい)


 それを目の前にちらつかせながらも飛びつかなかったのは、この男が気に入らない。ただその一点だった。


「俺としても、テメェがいるほうが色々と都合がいい」


 ゴクリと喉が鳴る音。一拍置くと、


「テメェっていう保護者がいてくれれば、レナは社会から隠れるようにコソコソしなくて済むからな。そうやって、当たり前のように陽の光の下に歩かせてやりたいんだ」


 思いやりに満ちた声音だった。自分の都合だけを考えたものではなく、楓の幸せにだけ目を向けられたもの。それこそボロボロになるまで追い詰められた身としては、そんな機能がこの男に備わっていると驚いた。


「なにより、これが一番大事なことだ」


 田町は言葉通り大事なものを差し出すように、


「レナの本心はテメェとやり直したがっている」


「……え?」


「なにせこう言ってたからな。大好きな姉さんを嫌いになっていくのが辛くて苦しかった、ってな」


「あ……」


 震えたのは声ではなく胸の内。


 楓にできないことを求め続けて、私はずっと辛くて苦しい思いだけをさせてきた。そんな私のことを、これは仕方なかったと許してくれた。


 まだ、こんな私のことを想ってくれていたのだ。


 それを私の無知でまた傷つけた。たった一言をかけてあげなかった。


 私の問題を全て暴き立て、自らのやっていることを正当化すらしようとせず、間違ったやり方を取り続けたこの男。私にとって、とても受け入れがたい存在。


 でも田町は社会的に形が悪くても(まちがっていても)、いつだって楓の中身(しあわせ)だけを考えていた。傷つけてきただけの私を、それでも楓の幸せには必要だと言い切った。


 ようやく理解できた。


 私たちが求めているのは、同じ楓の幸せかもしれない。でも見ているものが違うのだ。


 私が見ているのは自身の理想(ゆめ)であり、この男が見ているのは現実であった。現実的にどうやれば楓が幸せになれるのか、それだけを追求しているのだ。


 今目の前にぶらさげられているものは、たった一つの瑕疵がついただけの、私の考える最高の文野楓の幸せ。


「俺の間違いを認めろとは言わん。ただ我慢しろ。俺のためでも、テメェ自身のためでもない。あいつが願う、最高の幸せのために」


 同時にそれは、楓自身が考える最高の幸せだ。たった一つの我慢の先には、私自身の幸せも眠っている。


 それを手に入れるためには、たった一度だけ、社会が定めた教えに背くだけでいい。


 この男が差し出したチャンスに、「我慢する」と口にするだけでいい。


「それがテメェの幸せに繋がるっていうなら」


 ああ、それはまるで……


「悪い中身(はなし)じゃないだろ?」


 悪い蛇の囁きのようだった。


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百合の間に挟まるな! ~脅迫NTRもの展開を阻止した結果、百合の間に挟まれた件~
推しの百合営業系Vチューバーの間に男が挟まったばかりに、脳破壊された主人公が子供時代にタイムリープした話。
本編とその前日譚まで完結しておりますので、よろしければこちらもご一読ください。



コミック版が3月28日に発売、予約受付中!
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― 新着の感想 ―
そもそも前提が違うよね タマを認める、受け入れる、交際の認可って前提条件じゃん 勝負なんて考え自体ズレてる てかレナとタマのことはレナが決めることでこいつが決めることじゃない レナちゃんと今ま…
そもそも前提が違うよね タマを認める、受け入れる、交際の認可って前提条件じゃん 勝負なんて考え自体ズレてる 今までなにもやって上がらなかったのになんで勝負しようとする?挙句に勝とうとする? タ…
[良い点] 100話達成おめでとうございます いやぁ、正しく悪魔の囁きですね その誘いに乗った先は……
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