スカートの中のひみつ
登場人物
私(霞原紗香)羽田猫子(友人)音花莉奈(生徒会執行部長)
時雨雨音(時雨柚)
夜もふけて私たちはまだ神社にいた。
銀色の舞台で第三劇が幕を開けたのだった
緊迫した空気の中、音花莉奈先輩と時雨雨音、つまりゆずちゃんが対峙していた。
「少々待ちたまえ、二人とも」
手で阻んだ音先輩は神社に現れた謎の人物を前にして私たちに待てと言うのであるから仕方ない、執行部長でもある。真実を見極めさせてほしいと今度は音花莉奈探偵が首を捻って、ゆずちゃんを前に思案している。
ワトソン君、君はただ目で見るだけで、観察ということをしない。見るのと観察するのとではまるで違うんだ。そう言ったのはシャーロックホームズで、今まさに音先輩は全てを白日の下にさらす目で、透き通るような青の瞳で、見るだけではなく観察している。
観察されているのはゆずちゃんだ。
上から下、下から上、右から左、左から右へ、ビビットに! ロジカルに! アプリオリに! アポステリオリに! 考える葦である、とでもいうかのように、もはや哲学者の風貌で音先輩はあごに手を添えて考え込んでいるのであった。
私はもう探偵ではなくてただの助手君その一になってしまった。助手君その二は「びじーんにゃ! いい匂いにゃ!」とゆずちゃんに抱き着きたくて仕方ないようだ。
私たちは事の顛末を見守るしかなかった。
脇役を隅に追いやって音先輩はゆずちゃんをじぃっと見定めている。かといってゆずちゃんはゆずちゃんで一歩も引かず、きりっとした瞳で音先輩を見つめ返している。二人とも無言のまま顔を近づかせ、視線の火花さえ散りそうな勢いである。
雌黒ヒョウと雌ライオンのぶつかり合い。見てるこちらでさえ心臓に悪い。
最初に口火を切ったのは音先輩だった。
「時雨雨音君か」
ゆずちゃんが頷く。
「そうだね」
「時雨雨音君は男だと聞いていた。見る限り女子生徒の制服を着ている上に、どう見ても女子に見えるのだが。どういうことだ?」
男だと聞いていたのに、女のようで、時雨雨音ではないなというこに目ざとく気づいた音輩が厳しい口調で指摘したのだ。完全に私の過失だった。しかし、ゆずちゃんが女子生徒の制服を着ているのはすごく自然なの事で、私の中でゆずちゃんは男だろうと女だろうと、ゆずちゃんはゆずちゃんだ。
間が空いた。
少し笑みを浮かべたゆずちゃんが肩をすくめる。唇の動きさえもスローモーションになるくらい遠いあの日の出来事のように思えて、認めたくなかった。何故って。
「男だよ」
あっさりひみつを明かしてしまったからだ。私たちのひみつが……。
「声も女子に聞こえるのだが、どういうことなんだ。どう考えても女子ではないか。やはり別人か。ならば何故ここにいるのかね」
食い下がる音先輩を前にゆずちゃんは埒が明かないといいたげに、ため息をついた。
「本人だよ。ラインで呼ばれたから来たんだ。ひみつがあるって」
「しかし、時雨雨音君は男だ。私の前にいるのは女子のようだが」
ゆずちゃんが少々考えてから上を仰いで、それを見せた。
のどぼとけだ。
「あ、あ、あー」
女の子の声から、だんだんと低い声へ変えていく様だった。低い声はまるで男の子だった。そうだ、いくらゆずちゃんが女の子らしいと言えども、声変わりはするんだ。だから不思議な声だと思ったのだ。
しかものどぼとけをすぐ消したのだ。
すごい!
そんな芸当ができるなんて。
「むっ、しかし、低い声の女子もいる。のどぼとけのようなものは見えたが。まだ確定的な証拠にはならない。何か証拠になるものがなければ」
やれやれと、本当に辟易した様子で深々とため息をついたゆずちゃんが耳に髪の毛をより分け首を振った。
「証拠になるものはないよ。ただ本当に知りたいなら一つだけ」
「一つだけ?」
おうむ返しに音先輩が訊ねる。
ゆずちゃんは何を思ったのか――。
「これでどう?」
――プリーツスカートをふわり。
突然、音先輩が倒れた。
私さえも一瞬意識が遠のきそうに。あぁっ! まごうことなき真っ白な洋梨。私たちの目の前に白い洋梨が見えます! そうとしか言いようがなく、神秘の布一枚に包まれた洋梨はまさしく……。ゆずちゃんが男である証そのものであった。
「おおー! あれは」
言おうとする猫子の口を力強くふさぐ。
やがて洋梨はスカートの中へと消えていく。ふわり。
何と見事な洋梨であったか。思い出すだけで顔が熱くなってしまい頭から湯気が立ってしまいそうだった。もう一度、もう一度だけ拝みたい、そのひみつの果実を、いけない、いけない。女子たるものの節操を持て。思っていると倒れていた音先輩がフラフラと立ち上がりもう虫の息で口のよだれを拭う。
「……見事だ。男だと認めよう。男女の議論はさておき、しかし私は執行部長。君を家に帰す義務がある」
「帰りたくないんだ」
即答だった。音先輩を居合でもって切って捨てる速さだった。だがここで引かないのが執行部長たるゆえん。語調をやわらかくして、少し歩み寄りを見せた。
「何故帰りたくないのだね。何か事情がありそうだが。事情があるなら私に相談してくれたまえ」
音先輩に諭されると少し悲しそうな顔をする。何か理由がありそうだ。
「お家騒動ってやつだよ。時雨雨音も芸名。本名は時雨柚。帰ると家のどたばたに巻き込まれる」
お家騒動、まるで芸能人であった。ゆずちゃんがそんなご家族のもとで暮らしているだなんて知らなかった。いつも親しい友達だと思っていた。しかし、小学生のできごとである。転校してしまって事情も知らない。親に訊ねても知らないと言う。急な転校で何かありそうなのは確かだった。
「名家と伺ってるが。なるほど。家に事情がある。察するに無理に帰すわけにもいかない。ここで置き去りにするわけにもいかない。難しいな」
音先輩が考えあぐねていると、ここぞとばかりに私は手を挙げる。
「はい! 私の家に泊めますよ」
音先輩がすぐそれを却下する。
「だめだ。仮にも男女だ。学校に知れたら問題になる」
ならばどうすればいいというのだろう。ゆずちゃんの家に事情があるなら、無理矢理帰すのもなんだかな、と思うので、久しぶりに会ったゆずちゃんとつもる話をしたかったし、私の家なら安全だし、何より友達だ。幼馴染だ。
「よし、私の家でしばらく引き取ろう」
「は?」
今なんと仰いましたか、音先輩。さっき男女のなんとかと言った気が。
「は、ではない。生徒会を代表するのだからこそ安心して時雨君の家にかけあうこともできる。学校にも示しがつく。何より別荘もあるからな」
「ですが、ゆずちゃんの意思は……」
ゆずちゃん、もとい時雨柚の方を見ると少し考えてる様子だった。物憂げな表情、悲しい目、あの日、あの時、私に転校とひみつを告げた時よりも悲痛な、もっともっと悲しい表情だった。
「そうするほかない、違うかね? 時雨君は家に帰りたくないのだろう? かといって警察の世話になるわけにもいかない」
音先輩が畳みかけるように説得する。
「そうだね。そうするしかないみたいだ」
諦めたように柚が音先輩に応じてしまった。
がっかりと項垂れてしまう私だった。
こうして私たちは神社をあとにする。
でも、柚に会えたのだ。
やっと。
あの日から止まっていた私たちの時間が流れ出したんだ。
男の娘のスカートはのれんである。
進むべき道にあるからくぐるのである。