喫茶店の渋おじさまと、常連ちゃん
繁華な店の並ぶ町並みを、少女は足早に歩いていた。
お気に入りのワンピースの裾をせわしなく揺らし、目深にかぶったつばの広い帽子の下には、むっつりと引き結ばれた顔が覗く。
彼女の小さな足が向かったのは、繁華な表通りから路地を一つ入った先にある、一軒の喫茶店だった。
一軒家を丸ごと改装したそこは、小さな看板が一つ掲げてあるきりで、小学校に上がったばかりの少女が一人で入るには多分に勇気がいる場所だろう。
だが少女は頓着した様子もなく、彼女には重い木製の扉を全身を使って開けた。
カランカラン、とベルが鳴る。
瞬間、室内に染みついた、香ばしくありながらもどこか甘いコーヒーの香りが少女を包んだ。
ほうっと顔が緩みそうになるが、慌てて引き締め直した。
恐る恐る見回せば、幸いにも店内は客が一人もいなくて、少女はすこし安堵する。
母親にねだりにねだって買ってもらったかかとが高めのサンダルをこつこつ鳴らして、サイフォンの並ぶカウンターに近づく。
すると、内側で新聞を広げて読んでいた壮年の男性が顔を上げた。
「おや、レディ。いらっしゃい」
少しかすれた、低くて穏やかな声が響く。
この喫茶店の店主である壮年の男性は、少女が見上げなければいけないほど背は高く、均整のとれた体格を白いワイシャツに包んでいた。
隙もなくシャツのボタンを留めているというのに、無造作に袖をまくっているのが色っぽい、と称したのは、店主のファンであるおばさんだっただろうか。
エプロンを身につけていないということは、休憩中だったのだろう。
彫りの深くはっきりした顔立ちには理知的なしわが刻まれており、白髪が交じったブラウンの髪をきれいになでつけ、うなじでひとくくりにしている。
「そんな髪型が似合うなんて、さすが外国の方だわ!」と、少女の母親がはしゃいでいたがその通りだと思う。
髭というものは似合う人と似合わない人がいるが、この店主の丁寧に整えられた口髭は、彼をより一層上品に魅力的に見せていた。
似合わない人の最たるは、少女の父親だ。
この店主に比べれば、父親の顔は平べったいし、冴えないし、だらしない。
無精ひげでじょりじょりほおずりすることや、トランクス一枚で室内を歩き回るのは本当にやめて欲しいのだが、恐ろしいことに父は、このかっこいい店主の友人なのだという。
それを知ったときには愕然としたものだったが、ともかく。
彼を見習ってくれればいいのに、と思いつつ、新聞を閉じてゆっくりと立ち上がる店主に向けて、少女はむっすりと告げた。
「ますたー。コーヒーをくださいな」
少女は頭にかぶった帽子を注意深く押さえつつ、カウンターの椅子に上って腰を落ち着ける。
スツールは当然のごとく少女にとっては背の高いもので、足が宙に浮くが、ここだと店主の手元がよく見えるため、少女のお気に入りだった。
たった一人きりでやってきた少女を気にした風もなく、店主はブルーグレーの瞳を細めた。
「いつもの、でなくていいのかな」
赤ん坊の頃から母親に連れられてこの喫茶店にやってきていた少女は、いつからかお小遣いを握りしめて、一人で訪れるようになっていた。
母も「社会勉強としていいわね。マスターも渋いイケメンだし、信頼できるし!」と推奨してくれている。
店主は少女が一人で来るようになっても、いやがるそぶりもなく、ほかの客と同じように扱ってくれた。
常連客も、むやみに騒がず、飲み物を片手に絵本をたしなむ少女を静かに仲間に入れてくれ、今では小さな常連としてなじんでいた。
そんな少女の”いつもの”は、ミルクセーキだ。
夏は冷たく、冬は温かく。
大人びている、と称されることの多い少女だったが、コーヒーの味だけは理解できず、母親のを味見して以降は断固として甘い飲み物を注文する。
それを覚えてくれているのにほわっと嬉しくなりつつも、少女は首を横に振った。
「きょうはコーヒーがのみたいきぶんなの」
不自然だったかしら、とちらと見上げてみれば、ブルーグレーの瞳でじっと見下ろされていた。
この鋭いまなざしが素敵だわ。と少女は思う。
幼稚園からのお友達であるみっちゃんは怖がっていたけれど、冬の晴れた空のようで、いつまでも眺めていたくなるのだ。
レディだから、そんなはしたないまねはしないけれど。
ただ、今回は心の内側まで見透かされてしまいそうで、どきどきとしながら帽子をぎゅっと握っていると、店主は視線を和ませた。
「かしこまりました、レディ」
なにも、聞かれなかった。
何かあったことは気づかれてしまっているだろう。
けれど、少女が触れて欲しくないところには、触れないでいてくれるのも、この店主のすごいところだった。
これが母親だったら、少女が話すまでいくらでも聞き出そうとするだろうから。
心底ほっとした少女だったが、店主がカウンターの向こう側で身につけたエプロンに思わず顔をしかめる。
それはデフォルメされた猫と肉球がいくつもプリントされた、たいそうかわいらしいエプロンであった。
かろうじてフリルはついていないものの、幼稚園の保育士が着ているような代物で、母曰く「渋くてダンディ」な店主には壊滅的に似合ってなかった。
少女の視線に気づいたのだろう、店主がどことなく得意げにエプロンを広げてみせる。
「松崎さんが勧めてくれてね。これなら子供にも怖がられないと太鼓判を押してくれたんだ」
いつもブラックコーヒーを片手に、店主との会話を楽しむ松崎のおじさんは、いかんせん人をからかって遊ぶ悪癖があった。
次に会ったらとっちめてやらなきゃいけないわ、と使命感を覚えつつも、少女は決然と言ってみせる。
「ますたー。それはぜったいやめた方がいいわ」
「そうかい?」
重々しくうなずいてやれば、店主は心底残念そうに肩を落とした。
店主には悪いが、少女の美意識が許さないので、あきらめてもらうしかない。
「だが、ほかのエプロンは洗濯に出してしまっていてね。今日はこれで許してくれないか?」
「……それなら、しかたないわ」
渋くてかっこいい店主が半減してしまっているが、困った風情で伺いを立てられた少女は、鷹揚に許してあげることにした。
というわけで、店主はそのままのエプロンで立ち回り始める。
少女は普段コーヒーを頼まないが、その香りと店主がコーヒーを入れる準備を見るのが好きだった。
ここのコーヒーはサイフォン式、という方法で入れられるらしい。
前に科学の図鑑で見た実験器具のような、丸と筒状のガラス器具とランプを使うのだが、下の丸い容器に入れられたお湯が、独りでに上がって筒状のガラス容器で褐色に染まっていくのが不思議で、何度見ても飽きない。
それに、今は猫の絵が描かれたエプロンはとても残念だけれど、迷いなく布をセットしたり、コーヒーの粉を計り入れたりする、少し血管としわの寄った手や、真剣なまなざしは、とてもかっこいいと思うのだ。
「ますたーの手は、はつめいかの手ね」
「そこは、魔法使い、とは言ってくれないのか」
「まほうは消えてしまうもの。けれどはつめいかの作ったものは、ずっとのこっていくのよ」
いくつもの絵本を読んで学んだのだと胸を張ってみせれば、店主が目元にしわを刻んで笑ってくれた。
「そうだね、君と言うとおりだ」
やがて、香ばしくうっとりする香りが立ち上ってきて、少女の緊張は少しずつ高まっていく。
働き者の手が木べらを使って粉と湯を混ぜたあとに、ランプを遠ざければ、少しの間の後、すうっと褐色の液体だけ降りてきた。
上部のガラス器具を外し、フラスコ型のガラス容器と、コーヒーカップとソーサーを盆にのせた店主は、カウンターから出てきた。
ことり、とコーヒーカップとソーサーを少女の前に置き、フラスコを傾けて、湯気の立つコーヒーを注ぐ。
「おまたせしました。モカブレンドでございます」
さりげなく砂糖のポットも置かれたものの、少女は目もくれない。
花模様の華奢でかわいらしいコーヒーカップを楽しむ余裕もなく、こくりとつばを呑み込んだ少女は、意を決してカップを取り上げる。
「いただきます」
慎重に傾ければ、コーヒーのかぐわしい香りが鼻腔をくすぐり、けれど舌に滑り込むのは、わずかな酸味とそれ以上の苦みだ。
熱い液体でやけどはしなかったものの、その苦みは少しもおいしいとは感じられなくて、覚悟していたはずなのに硬直する。
それでも、飲まなければいけないと思ったところで。
「無理をしてはだめだよ」
はっとした少女は、唇を離して傍らを見る。
すると、椅子に腰かけていた店主が頬杖をついて、ブルーグレーのまなざしで少女を見つめていた。
「楽しめないとわかっていて注文するのは、食物に対しても失礼なことだからね」
店主に、怒るでもなく淡々と続けられ、ぽっきりと心が折れた少女は、カップをソーサーに戻してうつむいた。
「……ごめんなさい」
そう、おいしくないとわかっていて頼んだ。全部少女のわがままだ。
恥ずかしくて、申し訳なくて、じんわりと目元が熱くなる。
「でも、ここはこーひーのお店だから、のまなきゃだめだとおもったの。のめないのにきっさてんに行くのは、へんだ、おかしいってにきくんたちがいうから」
「にきくんとは」
「がっこうでクラスがいっしょの子」
喫茶店に来る直前のこと。
商店街で、同じクラスの少年達に遭遇した。
普段から一人でいることの多い少女を、はやし立ててくる彼らだったが、少女が喫茶店に行くことを知ると、よりいっそう激しくとがめてきたのだ。
けれど彼らの言うことは前々から少女が思っていたことで。
「わたし、ここがすっごく好きなの! だから、コーヒーがおいしいって思えたらまだここにいられるって思ったの。だから――ッ!?」
それだけはわかってほしくて、少女が勢いよく顔を上げて訴えれば、頭に乗っていた帽子が落ちてしまい。
あらわになったのは、かろうじて髪ゴムが引っかかっているだけの無残な髪型だった。
後ろにむかって編み込みをしてもらっていたのは、くしゃくしゃに緩んでみる影もない。
「……おうちを出たときはね。ママにきれいに結んでもらってたのよ」
ブルーグレーの瞳を丸くする店主の視線がいたたまれなくて、少女はぎゅっと膝に拳を作りながら、いいわけを重ねる。
「『外でサイダー飲もう』って言われたけど、嫌って言ったらけんかになって……だって、にきくん、このきっさてんのことばかにしたのよ。しわくちゃのじじいと話すほうが楽しいなんて意味わかんないって言うからむかってきちゃって。ますたーのお話、とっても楽しいのに」
そう、あんまりにもひどいことを言うものだから、思わず手が出てしまったほど。
たちまち押し合いのけんかになり、その最中に顔を真っ赤にした少年の手が髪に引っかかってしまったのだ。
ここまで来るのを迷ってしまったほどだが、それでも来たのは意地のようなものだった。
でも、実際に店主に見られてしまったら、恥ずかしさのあまり、顔を上げられなくなってしまう。
だって一番見られたくなかったのに。
ぎゅっと、涙をこらえてうつむいていれば、くつくつと笑う声が聞こえて、少女はえっと驚いた。
頬を伝った涙も忘れて顔を上げれば、店主が口元を覆いつつ、おかしそうに肩をふるわせている。
その目尻にしわを寄せて笑う姿に、少女はぽかんと見入ってしまった。
なにせ、たいそう魅力的であったので。
「君は、ずいぶんおてんばだったのだね」
そんな言葉ではっと我を取り戻した少女は、ぷっくりと頬を膨らませた。
「わらうなんてひどいわ」
「すまないね。だが、とても嬉しかったからなんだよ。店の名誉のためにお嬢さんが戦ってくれたのだから」
ありがとう。と続けられただけで、少女の心はぱあっと晴れてしまった。
それだけで、少年達を泣かせた甲斐がある。
ただ、それを悟られるのは決まり悪くて、一生懸命頬を膨らませていると、目尻に笑みを残す店主は、そっと続けた。
「それに、喫茶店はコーヒーを飲むだけの場所ではないんだよ」
「どういうこと?」
「たとえば、松崎さんは、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいるだろう? いつも編み物に来るご婦人はコーヒーではなく紅茶を頼む。君が苦手にしているおばさまたちは、コーヒーよりもケーキを楽しみに来ているようだ」
いつも騒がしくて、少女のことをもみくちゃにするおばちゃん三人衆のことを思い出して顔をしかめたが。
よくよく考えれば、コーヒーだけを楽しんでいる人は少ないようだと思い至った。
少女の顔に疑問が浮かぶのを見た店主は、穏やかに訊ねる。
「君が、ここで楽しんでいるものは何かね」
「ゆっくり本がよめるのと、コーヒーの香りと、ますたーに会えること」
「おや、それは照れるな」
すこし照れた様子の店主は、そっとその場に膝をついて、少女と目線を合わせた。
「喫茶店は、コーヒーだけでなく、落ち着いた空間を味わうものなんだよ。だから、君は胸を張って喫茶店を楽しんでいいんだ」
「……ほんとう?」
おずおずと伺えば、店主は力強くうなずいてくれた。
「もちろんだ。こんなに私の喫茶店を好きでいてくれる、素敵な常連さんを手放したくはないからね」
茶目っ気たっぷりに微笑んだ店主に許された少女は、心からほっとして、にっこりと笑い返した。
喫茶店は空間を味わうもの。
目に見えないものでも必要としている人がたくさんいる。
それは少女にとって新鮮で、しかし腑に落ちるものだった。
なにせ、少女自身が楽しんでいるものなのだから。
「よし、では君にも飲めるコーヒーを出してあげよう」
「そんなものがあるの?」
わかっただけで十分な気がした少女だったが、店主がそう言って立ち上がったのに戸惑う。
店主はまだ半分ほどコーヒーの残ったフラスコを取り上げると、カウンターの向こうへ回った。
あの苦い飲み物がどうなるのか、少女が不安になりつつも見守る中、店主はグラスを取り出すと、褐色の氷をいくつか入れて、牛乳をなみなみと注いだ。
さらにそこへフラスコのコーヒーを注げば、美しい白と茶色の二層に分かれる。
最後に、とろりとした透明な液体をたっぷりと垂らしてストローを刺し、カウンターから出てきた店主は、少女へ差し出した。
「普段は専用のブレンドでやるんだが、君にはこれがちょうどいいだろう。よくかき混ぜてからどうぞ」
白と茶色の二層に分かれて揺らめくグラスがきれいでもったいなかったが。
言われるがまま、ストローでぐるぐるとかき混ぜたあとに、おそるおそるストローで吸った。
きいんとくるような冷たさと共にやってきたのは、ミルクの柔らかさと甘さで、わずかに苦みとコーヒーの香りが抜けていく。
確かにコーヒーだ。コーヒーだけれど。
少女の顔が見る見るうちにほころんだ。
「あまい、おいしい!」
こんなにおいしいものがコーヒーだったのか、ととたん夢中になって飲み始める少女は、店主がほほえましそうに笑んでいることにも気づかなかった。
「カフェオレ……というよりはコーヒー牛乳だろうか。フランスの朝食でよく飲まれる飲み物だというよ」
「まあ、とてもおしゃれね」
フランスは流行の発信地で、おいしい料理が沢山あるのだと本で読んで知っていた少女は、それならこのおいしさも納得だわと思った。
表情を輝かせる少女は、さっきまであったコーヒーカップとソーサーの代わりのようにクッキーが置かれていることに気づく。
常連だけの特典であるクッキーは、少女の大好きなモノだ。
ただ、コーヒーカップはどこに行ったのだろうと視線を巡らせれば、傍らの椅子に腰掛けた店主が優雅に傾けていた。
「あっ……」
「どうかしたか?」
首をかしげた拍子に、店主の白髪の交じった髪が滑り落ちる。
きっと、店主は少女がコーヒーを残してしまうのを気にするから、少女の代わりに飲んでくれただけだろう。そうに決まっている。
だから、お礼を言う必要があると思ったけれど、なんだか無性に気恥ずかしくて言葉にすることができなかった。
言葉が返ってこないことを不思議に思いつつ、店主は言った。
「コーヒーは君のペースでゆっくりと楽しめるようになればいい。なにせ、私も喫茶店を始める前は、コーヒーに砂糖を入れずに飲めなかったからね」
なんだか落ち着かなくて、店主を見ていられなくなっていた少女だったが、その言葉には思わず見返してしまった。
「ますたーものめなかったの?」
「そうなんだ。それくらい飲み方も楽しみ方も、人それぞれだ。君は君の楽しみ方を見つければ良い」
店主の言葉に、こくんと頷いた少女は、また、カフェオレをすする。
店主でさえ、最近になってのめるようになったのなら、自分がのめないのはしょうがないことだと思った。
それにのめなくても喫茶店には来ていいのだともうわかった。
だって、店主から、喫茶店の楽しみ方を知っている、素敵な常連と言ってもらえたのだから。
「ますたー。また、このカフェオレつくってくれる?」
「もちろん、大事な常連さんだからね」
ますます嬉しくなった少女だったが、不意に微笑んだ店主に髪をなでられて硬直した。
「良ければ、あとで髪を結び直してあげよう。せっかく、素敵におしゃれをしているのだからね」
とびっきりのワンピースと、サンダルにしてきたことをわかってくれていたと知り、少女は顔が真っ赤に染まる。
「……とっても心臓に悪いわ」
「なにかいったか?」
首をかしげる店主がなんだか無性に悔しくて、少女は目を三角にしてみせた。
「ますたーは気軽に女の子の髪を触っちゃいけません」
「それは失礼」
「ばつとして、きれいに結ってください」
つんと、すまして言ってみれば、店主はブルーグレーの瞳を丸くしたあと、仰々しい手振りと共に頭を下げた。
「かしこまりました、レディ」
その仕草が、とても似合っていて、おかしくて。
少女はくすくす笑いながら受け入れたのだった。
*
秋めいた軽やかな風が吹く中、キャラメル色のブーツをはいた少女は、喫茶店の扉を開けた。
ベルが響く。
店内にはところどころ客がいたが、幸いにも少女のお気に入りの席は空いていた。
「いらっしゃい、レディ」
カウンターの向こうで、穏やかにほほ笑む店主は今日は普通のギャルソンエプロンなことにほっとして、駆け寄りたいのをこらえた。
なんてったってレディなのだから。
それでも足早にカウンターへ歩いていって、いつもの席に座るまも惜しく、興奮した調子で話しかけた。
「ますたー!今日またにきくんと会ったのよ」
「おや、そうなのかい」
何が何でも許してやらない。口きいてやらない! と頬を膨らませていた少女を知っている店主は、意外の念を表すように目を見張った。
と、そこで、店主は少女のカバンに、小さな野花の束が顔を出しているのを見つけた。
「ごめんねって、お花をくれたの。わたしもいつまでも怒っているのはレディじゃないから、許してあげることにしたわ」
「そうか。それはレディらしい誇りある行動だったね」
少女は、店主が「いい子」ではなく、「誇り」と称してくれたことが嬉しくて、胸がほわほわあたたかくなる。
「でもね、次はないって、ちゃんとくぎを刺してきたわ」
「それはそれは……」
だが、すぐさま真顔で付け足した少女に店主が苦笑していると、けらけらと笑う声が響く。
「鷹揚に許してやるのが、大人の女ってやつじゃねえの」
少女から少し離れた席で新聞を広げていたのは、常連の一人である男だった。
男がにやにやと意地悪く頬杖をつくのに、少女は負けなかった。
「いいの。わたし、子供だもの。やだって思う気もちをおしこめたら、わたしがかわいそうだわ」
「へえ、大人になりたいんじゃなかったのか」
「ちょっとずつ大人になっていくのよ」
少女が大人の振る舞いをしたがることを知っていた男が、意外そうに眉を上げるのに、心なしか誇らしげにすました少女は、店主に注文を告げた。
「ますたー、カフェオレをくださいな」
「かしこまりました、レディ」
「嬢ちゃん、いつのまに……」
男が虚を突かれた顔をするのに、今まで散々からかわれてきた少女は、してやった気分に浸る。
だが、椅子によじ登った少女は、とたん三角にして男を睨みつけた。
「というわけで、松崎のおじさま。わたし、怒らなきゃいけないの」
「なんでえ、嬢ちゃんに怒られるようなことしたかよ」
「しました! この間はますたーになんてエプロンをすすめたの!」
「ああ? あー……」
「マスターのかっこよさを損ねるなんて、ごきんじょのそんしつだわ!」
「いやあ、だってなあ」
たちまち少女の集中砲火にさらされる男の劣勢ぶりを、ほかの常連たちがほほえましげに眺めていた。
実際エプロンは、ちょうど少女の母親あたりの女性層に人気だったのだが、たじたじになる男が面白いのだろう。
店主はいつもと変わらぬ良き雰囲気が保たれていることに満足し、少女の注文の品を作るために作業を始めたのだった。
ブルーグレーの瞳の店主と、かわいらしい常連がいる喫茶店は、本日も営業中。
挿絵はゆうこさんでお送りいたしました!