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中学校が楽しすぎて・・・。

 もし、中学校がつまらないところだったなら、転職することはありませんでした。先生の転職物語。

「走る風(卒業歌)」を聞きながら(上)


♪ きらめく夢とみらいへ 走る風に乗って どこまでも

 

 教育委員会に転任して一ヶ月、「走る風」を聞きながら、ボクは暗い坂道を駆けおりている。卒業式のちょうどその夜、ネットで買った「走る風」。イヤホンにこの曲を流し、この春卒業したあの子たちを思い出しながら、ボクは県庁前の急な坂道を走りおりている。

 ぐっとこみ上げてくる。もう泣きそうだ。新しく買ったスーツが悔しい。ボクがやりたかったのはこんなことではなかった。ボクは、こんなことをしにここに来たのではない。いやしかし、ボクはこの組織の人間だ。だから、この気持ちは、わがままなのだ・・・・・・。我慢しなければ。三年の辛抱と聞いている。三年我慢すれば・・・・・・。

 

 「走る風」——卒業式の朝、あの子たちが歌ってくれた歌だ。

 その朝、式場となる体育館へ引率するために、ボクは教室に入った。

 一瞬に、卒業式の朝には不似合いな、しかし見慣れた、とても懐かしい風景が広がった。

 時は止まった。みんなが並んでいる。教室の後ろ、ロッカーの上に一列。椅子を持っていき、その上に立って一列。フロアに立って一列。三列横隊の合唱隊形だ。つい五ヶ月前、合唱コンクールのために毎日練習したカタチ。休日も練習した、ケンカもした、泣いたこともあったあの隊形に、みんなが並んでいる。顔が上がっている。みんなの目はボクを向いている。世間では難しいと言われる中学生だが、実はこんなにスゴイ。

 「先生、ちょっと、ここに立ってください。」声をかけてきたのは前期室長の裕司。大空もすぐ隣にいる。誘導されて、平静を装いつつ、みんなの前を歩いた。

 ボクの立ち位置は黒板の左。窓から朝日の差す明るいところ。

 「先生に聞いてもらおうと、一月から練習してきました。聞いてください。」

 裕司が言うと、美奈子がキーボードを弾き始める。静かな曲だ。

 最初、ボクはベテランらしく、「そうか。歌ってくれるのか。ありがとう。」とニコニコ聞き始めたが、並んだ子の中に、もう目を赤くしている美希ちゃんの顔。くりっとした瞳が、水に浮かべたようにきらきらしている。

 

♪ 走る風に乗って 疾く 高く 飛び立つキミ

雲を割って差し込む 光の道の上を・・・・・・

 

 みんなが歌い始めた。

 みんなが歌っていた。歌声は、一つだった。急に熱い気持ちが、激しく大波のようにこみ上げて、もう我慢できない、ポケットのハンカチに手を伸ばした。前向いて泣けなくて、背を向けた向こうから、子どもたちのすすり泣く声。そして、みんな、しゃくり上げて泣いた。何秒も、何秒も続いた。一人泣かなかった気丈なみさきちゃんが、間奏のとき、「女子で歌っとんの、私だけやん。歌おう、みんな」と言ったが、みんなは、返事もできなかった。ボクは、また前を向いた。今度は涙を拭きながら、前を向いて聞いた。けれど、目を開こうとするほど、まぶたは震えた。

 みんな、歌い始めた。歌いながら泣いている。泣きながら歌っている。さっちゃんも、彩も、たいくんも泣いている。こうくんもりょうくんも唇を結んでいる。みさきちゃんの目の周りは赤い。うつむいてキーボードを弾いている美奈子の目元から、涙が落ちる。また、泣けてきた。どうしても、・・・泣きながら聞いた。


♪ 明日の私たちの 願いは一つ この出会いがあってよかったと 

言える未来をつくること きっと・・・・・・

 

 長いような短いような、とてつもない時間が、一瞬に流れた。

 曲が終わると、ボクは一人、両手にいっぱいの拍手をした。そして感動と興奮の中、五、六歩踏み出し、教室の真ん中に立った。みんなの顔を見渡したつもりだったが、よく見えなかった。——声も途切れながら、「ああ、よかった。・・・・・・ええ歌やった。・・・・・・・ありがとう。いい歌、この歌、初めて聞いた。感動した・・・・・・。」

 おそらく、人生でいちばん感動しているのに、いちばんありきたりなことばしか出てこない。けれど、そのボクのことばをしっかり聞いてくれながら、みんなは並んだままそこにいた。裕司と大空、美奈子、りんちゃんが歩み出た。

 裕司が言った、

 「先生、これ僕たちが密かにつくったビデオレターと、色紙です。三年間、有難うございました・・・。」

 DVDのビデオレターをもらった。そして、色紙。それらは、大空の配慮でみんなに配られ、みんなが同じものを持った。(あとになって、もしこのビデオレターがなかったら、ボクは病気になっていたかもしれなかった。)

 

 いつの間にこんなことをしていたのか。いつのまに、こんなことができるようになったのか。すごく優しく成長した子どもたち。やはり、涙が止まらない。

 「ありがとう。もう、ほんとに、ありがとう。・・・・・・これ、みんなでつくってくれた?初めてやわ、ビデオレターもらうの。楽しみに、見せてもらうわ。ありがとう。」

 みんな涙をぬぐっている。静かだ。必要な音以外、何一つ無駄のない空間。

 「さて、でも、いっぺん座ってもらおうっか。今から、まだ一つ、みんなでやる大仕事があるからな。」

 そのままの空気で、みんなが動き始める。着席まで、時間はかからなかった。

 「さて、卒業式やな。もう、お別れだ。」

 言って、自分が泣けてくる。みんなを見渡す。いつもの風景にはない緊張感が漂っている。

 「最後に。——三年間、本当に、本当によく頑張った素晴らしい君たちのことを、・・・この中学校の歴史に刻んで、終わろう。・・・・・・君たちの卒業式を、今から作りに行くで!」


 この子たち。どのクラスも、卒業式前に同じようなサプライズを担任に届けていた。だから、このことは、職員みんなが知っていた。ボクも知っていた。でも、中身はまったく外に漏れず、山頭先生と町田先生だけが知っていた。それも、知っていただけで、中身は自分たちで考え、協力してやっていたのだ。

 卒業式前、山頭先生が言っていた、

 「あいつら、いつの間にこんなことするようになったんやろ?しかも、どこかのクラスだけやなくて、全部のクラスで何かしとる。」


・・・・・・。

『答   辞

 独り言、つぶやきます。

 「Rちゃん、本当にもう、会えなくなるかもしれやんけど、サッカーがんばるRちゃんを、いちばん応援しとるからな。」

 「Nちゃん、クラスでうまくいかんとき、いつも支えてもらったよ。」

 「Mちゃん、三年間、一緒にバスケして、思い出つくれてよかった。」

 「Tくん、Hくん、Nちゃん、半年間、執行部としてがんばって、生徒会を、すごく充実させることができた。体育祭、このメンバーで成功できて、本当によかった。」

 「Sちゃん、何回もぶつかり合ってきたからこそ、今の二人があるんやと思う。」

 「Hちゃん、天国で元気にしとる? Hちゃんも、今日、一緒に卒業やでな。」


 ・・・・・・

 三月十六日。長い冬が過ぎ、ようやく春めいてきたよき日に、このように盛大な卒業式を挙行していただき、ありがとうございます。ご臨席いただきましたたくさんの方々に、お礼申し上げます。ありがとうございました。ここで、お時間をいただき、白鷺中学校での三年間を振り返りたいと思います。・・・・・・』——・・・・・・

 

 ボクが赴任したときから続いている、個性的な、卒業生のための、特別な書き出しの「答辞」。続いて、式歌合唱。しのちゃんが弾く力強い「大地讃頌」を聴くのも、これが最後だ。

 

 最高の卒業式が挙行され、そして終わった。

 

 この子たち、決していい感じで入学したわけではなかった。入学して三ヶ月間は、いろんなことが起こった。毎日のように起こるいくつもの問題を、限りなくその場で解決しようとした。そのため、一年生担当の教員は、一年生のいる校舎を一日中ほとんど離れることはなかった。それが「見張り」にならないよう、できるだけ楽しい声かけをしているうちに、いろんな子どもたちといろんな話をすることができた。それも、やりがいだった。楽しかった。

 この子たち。話していると、いろんなことがわかってくる。話したくて仕方ない様子がある。中学校入学前に、学級崩壊、暴力、いじめ、不登校、・・・いろんな子が、いろんなことを経験してきたようだ。そのせいで、最初は人間関係はかなり複雑だった。子どもたちがうまくやっていけるよう、クラス編制にはとてもとても神経を使った。かーくんなんか入学したばかりの頃、「学校なんか、荒れとらな、おもしろない」と豪語していたが、卒業式で「大地讃頌」を歌いながら、ついに泣き出していた。袖で涙を拭き、歌おうにも、なおこみ上げる気持ちに、涙が止まらない様子。これを見て泣かない教員はいなかった。

 

 もっとも、学校で起こるできごとの全部を知る生徒はいない。子どもたちの全部を知る先生がいないのと同様、子どもたちもまた、学校の全部は知らない。三年間何も知らずに過ごした人もいるだろう。だから、学校に対する感想は、人によってまちまちなのだ。でも、知っていることや感想がばらばらにもかかわらず、もし先生と生徒の間に信頼や安心が生まれたとしたら、それは三年間かけて、ぶつかったり、話し合ったり、けんかしたり、仲直りしたりしながら、みんなで作り上げてきたものと言えるだろう。何も働きかけないところに、何も変化は起こらない。変化が起こったところには、変化を起こそうとする働きかけがあったのだ。

 

 この子たち、最初は大変だった。けれど今、とても優しく、温かく卒業していったこの子たちが好きでたまらない。今も、思い出すと涙が止まらない。

 

 なのに、なんでボクは、県庁にきてしまったのだろう?・・・・・・この抑圧感、この無用感、このつまらなさ。子どもたちに、値打ちのあることをしようと話してきたボク自身が、よもやこんなことになるとは、思ってもみなかった。

 

 この子たちが二年生のとき、ボクは夏休み前のいちばんだらけた学年集会で言った。

 「君ら、今の自分らの姿、どう思う?今までできていたことが、できやんようになっとるやないか」

 「ただ、学年集会に来て、さっさと並ぶ。それだけのことができやんようになっとるなあ。変やなあ。おかしいなあ。そう思わんか?」

 

 二年生は、ほぼ確実に中だるみの年。でも、どれだけたるむかは、指導次第。気持ちをきちんと折々伝えていけば、子どもには伝わるのだ。

 「そりゃ、ちゃんとせんでも、やっていける。別にさっさと並ばんでも集会は始まる。」

 「けどな、それでは、値打ちがないやないか。今までできてたことができなくなる。みんなはこれから世の中に出て、値打ちをつくって生きていくんやんな。だって、値打ちのないところに、誰もお金を払ってくれへん。そうやろ?で、お金を払ってくれへんかったら、生きていけへん。」

 

 信念を言わなければ。不確かなことばを、子どもは見抜く。かっこいいことを言えば、子どもはそれが本当かどうか、じっと見ている。だから、子どもには、いかにもそれとわかるだじゃれややアホな話か、そうでなければ、信念しか言えない。

 「だらけてもできるからと言って、だらけたレベルでやっていても、それは値打ちにならへんで。」

 「値打ちのあることをしよう。・・・整列、やり直し。後ろ向いて、並び直し。ええか、やれとったことやし、今できやん理由はない。そうやろ?ただ、やるかどうかや。きちんと、さっさと並ぼう。」

 そして、当然のように、きちんと、さっさとやった子どもたち。二,三回同じことをやって、気持ちを整えた。

「はい、顔上げて、気持ちを向けて聞きましょう。」

 次に整列したときには、きちんと元に戻っていた。

 生徒が、ボクにそう言われたからそうしたのかどうかは問題ではない。

 今、大事なのは、ボク自身がそう言ったということだ。子どもに向けたことばであっても、自分が言うことは、いつでも自分に向けたことばだ。だから、生徒も、ボクの行動を見てそうだと思えば聞く気にもなるし、思わなければ逆らうだけだ。そうしてきたし、これからも変わらない。信念に、安易な変更はない。これからも、そうあるべきだ。

 

 この子たちの「問題」は、この子たちの中にだけあるのではなかった。この学年を取り巻く状況もまた、いくつかの問題をはらんでいた。「入学したときよりも、よくして卒業させる!」——学年の先生たちの合い言葉。そう、先生たちも手をこまねいていたわけではない。それでも、やはり思いがけない困難は立ちはだかるのだ。

 みんなは、覚えているだろうか?・・・・・・中学校に入学した年。その年は全国的に新型インフルエンザが大流行した年だった。春も夏もインフルエンザの集団感染で学級閉鎖が出た。秋になっても感染の流行は止まらず、欠席者が相次ぎ、社会見学直前はとてもひやひやした。

 その日のために一学期から生徒実行委員会をつくって、意見を出し合い、聞き合い、調べ学習、資料づくり、班づくり、行程づくりなど、九月からはずっと十一月に向けて「自分たちの手で自分たちの社会見学」を実現しようとしてきたが、インフルエンザのために、社会見学の実施自体が危ぶまれた。

 しかし、ホントに神様はいるとしか思えない出来事が起こった。

 社会見学当日、ほとんどすべての生徒が復帰し、なんと、その日、目指すテーマパークで、「日中だけ快晴」という快挙を成し遂げた。いったい、いくつのてるてる坊主が威力を発揮したのだろう?・・・・・・しかも、「自分たちの社会見学」であるから、決まりを破る人がほとんどいない。いたとしても、勝手してみんなに迷惑をかけたのだから、開き直る正当性がない。勝手をしたことは、謝るしかない。みんなが素直になっていく。雨は、帰りの集合時刻あたりから降り出した。アスファルトを打つ激しい雨音さえ、子どもたちの社会見学の成功を祝う拍手のように聞こえた。

 社会見学という学習が終わると発表会。壁新聞コンクールとプレゼンで学年一位を決める。その目的は競うことではなく、たたえ合うことと。そして、発表の内容の向上だ。三年間続けることで、しなかったのとは比べものにならない成長をする。ない時間をつくって、事あるごとにこういうことを続けなければ、子どもを育てたことにはならないのだ。

 その翌年は、名古屋で班別自主学習。生徒実行委員会で実施した。今度は街中。都会に出て、電車も利用する。二年生だから、テーマパークよりも街中。危なさアップ、計画性アップ、自立力アップ、事前学習充実、すべてにバージョンアップだった。初めて自分で切符を買う生徒もいる。ホームの安全は大丈夫だろうか?トイレはあるか?・・・・・・名古屋市内の広域活動で失敗は許されない。でも、本当にこの頃になると、子どもたちはこういうことをしっかり自分たちでこなしていくようになっていた。そして、三年生の東京修学旅行に備えて、二年生中盤から、またもや生徒実行委員会で、東京での修学旅行の行き先を決めることもした。学校としては、キャリア教育を踏まえた一年生からの進路指導、いのちの教育など、ワークとライフについて考える機会を継続的にもたせながら充実した教育課程を積み上げてきたのだが——一方で、先生が倒れたり、口に出すのもはばかられる事件が起きたり、なんでこうなってしまうのか、この学年の子どもたちに限って、ちょくちょく、重大な困難が待ち受けていたのだ。


 これもなかなかないことだと思うが、ある部活で県大会決勝戦中に顧問の先生が倒れ、救急搬送されるというできごとがあった。この学年の先生でもあり、尊敬を集めていた梅山先生は、——後から聞いた話では、朝から調子がよくなかったということだったが、・・・・・・つまり命がけで部活をしてきたのだ。そういう先生だから、命のほうにも底力があって、ちゃんとよみがえってこられたが、先生が先生なら生徒も生徒で、先生が倒れた翌日の朝練に、みんなそろってきていた。先生の命がけの指導に報いるために、自分たちに何ができるか、わかっていたのだ。

 職員室に体育館のカギを取りに来たとき、少し話した。

「話は聞いたけど、君らもたいへんやったなあ。」

「・・・・・・はい。」

「そんで、今日も朝練に来たんか?」

「はい。」

「えらいなあ。君らが今日も頑張ってること、梅山先生には、治ったらまた伝えるでな。」

 みんなそろって、涙目のまま体育館へ行った。

 この日は、この子たちの朝練を見に行った。あとから、校長も見に来ていた。みんな黙々と練習していた。これは、強い。一人一人はまだまだおさない子どもたちだが、チームになると別だ。翌年、この子たちは全国大会に出場することになるのだが、その理由をここで見たような気がした。

 梅山先生が復帰するまでの間、他の教科に振り替えられるところは振り替えたが、やむなく欠ける授業も多かった。子どもたちは、それでも自分たちのするべきことを、自然とこなすようになっていた。

 そして、晩秋、とても口には出せない事件の勃発。ある日、学年の担任の先生が一人、いなくなってしまった。事件の真相やら事情やら、その後のことやらはもうどうでもいい。けれど、このときは、もう、こんなに大事に育てた学年が崩壊するのではないかと学年の先生みんなが危ぶんだし、想像するだけで悔しくて涙が出てきた。

 普段、ボクに面と向かって言う子はいなかったけれど、生徒の中には、

「先生、なんでさ、オレらの学年だけ、こんなに厳しいの?」

と言う子もいたぐらい、生徒指導もきちっとしていた学年。上の学年も下の学年も伸び伸びして見える子たちの心には、ずっとくすぶるものもあったのだ。そんな指導の厳しい学年で、先生が全国ニュースになって、そこにつけ込んで学年を荒らすことは、だれにでもできたはずだ。しかし、このとき、そういう子は一人もいなかった。もちろん、子どもたちの中でも、保護者の間でもいろんな話があっただろうけれど、学年関係者全員が、普段と変わらぬように振る舞っていた。子どもたちのほうがよほど成長していたのだろう。自分たちで、自分たちの世界を守っていた。


 そして、三年生になる年の三月十一日、東日本大震災が発生した。

 地震は、東日本だけで起こったのではなかった。東海地方でも起こっていた。もちろん、その経験は、東日本の経験とまったく次元のちがう不連続な体験だろうけれど。

 そのとき、ボクは二階の教室にいた。そのような大震災が起こっているとは思いもよらず、地震の揺れと自分たちの身の安全のことを考えた。教室の床がぐらんと揺れて、一瞬浮いたような感覚があった。回転するような揺れが大きくなりそうな体感があったとき、ボクは天井を見上げた。——大丈夫か?・・・そして瞬間、いろんなことを考えた。——耐震補強は万全、のはず。むき出しの大きな補強鉄骨は、この教室にある。守られている、はず。大丈夫、でも、前の震災で、二階がつぶれた映像を見たことがあったな。大丈夫かな。

 この地震、今までにない感覚で、鈴鹿の地にあっても、今までに経験のない不思議な感覚だった。それが大震災だと知ったのは、それから数時間あとのことだった。


 どうして、こういろんなことが起こるのか。——いや、震災に見舞われた人に比べれば、全然たいしたことはない。乗り越える試練は雲泥の差なのだ。ただ、こうして、この子たちの中学校生活を取り巻く状況もまた、いろんな揺さぶりを受けた三年間だったのだ。

 修学旅行の行き先は、東京から変更されることになった。

 理由は?・・・・・・あの当時で言えば、関東での放射能汚染を心配し、あるいは心配する声に配慮したのか、関東の電力不足や震災の打撃を考慮し、遠慮したのか、その全部か。ともかく、東京行きは白紙に戻った。二年生の九月から生徒実行委員会でアイデアを出し、計画をまとめ、実施寸前まで来ての行き先変更・・・・・・。今から、急いで広島行きの計画を立てなければならない。意味のある修学旅行ができるのだろうか?広島には何があるのだ?原爆ドーム。他には?宮島。他には?・・・・・・旅行社のプランをいじくりながら、神戸・広島修学旅行が決まっていった。千羽鶴計画、宮島、広島焼きと名物おにぎり、神戸班別自主学習、神戸震災記念館見学、船上のピアニスト計画、部屋割り、バス・エンジョイ計画・・・・・・もちろん、美奈子やさっちゃんが中心となった生徒実行委員会のもとで。自分たちでつくる行事は、先生が決めた行事とは、まるでちがうのだ。原爆資料館に行ったときも、資料館のパンフレットを片手に淡々と展示を通り過ぎ、見流していくだけの学校もあれば、この子たちのように、事前学習、千羽鶴折り、そして自分たちでつくった資料などを見ながら、立ち止まり、立ち止まりじっくり見ていく学校もある。いささか、急いだけれども、学校が生徒とともに歩むかどうか、それが学びの質の分岐点なのだ。

 やはり、子どもの力はスゴイ。これが人の子の力だ。そして、教育はこの子たちを支え続けるところに意味があるのだ。

 

 新型インフルエンザ、梅山先生の命がけの指導、そして事件、東日本大震災・・・・・・周辺事態の大きな変化と影響を、むしろプラスに転換して、成長していった子どもたち。ああ、また泣けてきた。こういうときは、ビデオレターを見よう。

「女子会、イエーイ!」

四方山話がつづいたあと、

・・・何の話やっけ?

・・・そろそろ小林先生のこと話そに。

・・・何があったっけ?

・・・先生にあげるためのビデオやぞ。

・・・『先生のだじゃれ、おもしろかったです。』(笑

・・・『ウソつけ。笑ってへんだやんか。』(笑

・・・『ええやないか。』(笑


・・・明るくて、熱血な小林先生を尊敬しています。


・・・小林先生、三年間ありがとうございました。

・・・


 全員に納得の経験をさせてきたわけではない。しかし、全員に後につながる経験をさせてきたはず。未来に向けて、歩んできたはず。自画自賛にせよ、自己満足にせよ、努力はそのためにしてきたのだ。


——この子たちに会いたい・・・・・・。


 ああ、しかし、また返す返すも、どうしてボクは、県庁に来てしまったのだろう。過去は美しい。過酷だったことまで美しい。それに比べて、現実は過酷だ。多くの人が普通にやっていることまで過酷に感じられる。

 県教委でのボクの立場は、どうしても、過酷だった・・・・・・。ボク的に、これまでの経験を生かした値打ちのある仕事をしたかった。休みなく働いてもいい。どのみち、教員生活は「月月火水木金金」。休日に部活を休みにしても、持ち帰り仕事はたくさんあるのだ。残業手当がつくことはないし、そういう日本中の教員を、だれもかばってくれることはない。社会人生活の大半をこうやって過ごしてきたわけだし、もうそう思っているから、これからもそうで構わない。ただ、頑張るのに見合った値打ちのあることをしたかっただけなのだ。


♪ きらめく夢とみらいへ 走る風に乗って 走る風に乗って

 『走る風』の一節。

 子どもたちともに中学校を卒業して、子どもたちは希望の学校で学び、あるいは希望先に就職し、ボクは県庁七階で新しい夢を追いかけるつもりだった。「きらめく夢とみらい」が、ボクにもあるはずだった。自分から行きたいと言って行く場所ではない。もちろん、勧めてくれる人がいたから行くことになった話だ。悪い話のわけがない。


 「あんたには、ぜひ行ってほしい!」、「今度は、残業手当がつくで。あんたやったら、そうやな、年間で百万円は固いな。」——山頭先生に言われた。今でも、ボクのことを思ってしてくれたと思っている。「いつまでもヒラでおったらあかん。・・・・・・三年我慢したら、教頭やでな。」——この「我慢」のイメージが、そのときのボクになかった。そして、「こういう我慢のことだったのか・・・・・・。」と思ったときは、完全、手遅れだった。

 そう、ボクは、出世しに来たのだ。価値のある仕事をしながら、教頭になる。そのために来た。けれど、イメージとは、まるでちがう。あれはどこへいった?もっと、活気に満ちた県教委のイメージ、それぞれの実績を活かして働く人々。——「もうそろそろ、後進の指導っちゅうか、そういうことを考えたらどうや。僕があんたの年に、あんたぐらいのことはできなかった。・・・・・・教頭試験受ける?教頭になる?受けへん?それやったら教委へ行く?」——一年前、そう言った前の校長。褒められたり、乗せられたり、心の中では嬉しかったりして、ボクはすっかり鵜呑みにしていた。

 「市教委を飛ばして県教委。異例の出世やなあ。」——送別会で誰が言ったか忘れたが、これは真実ではなかった。教職員課の都合なのだ。これがどういう人事だったのか、教えてくれる人はいない。

 ところがあとからわかったことだが、学校籍のままということで、残業手当はつかない。同じような境遇のそんな人が、この職場では大半なのだ。言われた時は、めっぽう自信になった。期待もあった。自惚れもした。しかし、そうした核心の部分では、見事に「外れ」を引いてしまった。どんな人事だったのか、そんなことは誰も教えてくれるはずはなかった。

 「ご栄進、おめでとうございます!」——誰から聞くのか、外部の業者からこんな電話もかかってくる。でも、ボクは絶望しているのだ。このままではいられない。

 そして、ボクは、オペレーション「ヒトリダチ」(ヒトリダチ作戦)を始めることになった。

 

 この仕事は、県の公教育を回す仕事。その一端を担うということだ。それはいい。誰かがやらなければならない。その仕事はいい。でも、立場が、もうはじめから終わっていた。公教育を回すなどと、到底そんな気分にはなれない。やっているのはただの事務作業、教委の風通しは、この上なく悪い。組織の性質だろう。どの個人も立派でありながら、どの個人も最大限息を殺しているように見える。

 ボクは今年、この課に入った指導主事ではいちばん年長でありながら、いちばん下っ端になった。県教委は、県立学校の牙城。市教委の指導主事は市立学校の先生がなるのと同様、県教委の指導主事は県立学校の先生が力をもつ。市町から指導主事が入るのは、県教委の仕事の中に、小中学校分野があるからだ。しかし、あくまで「課長」は県立学校出身の者がなり、市町出身者は副課長止まり。それでも、小中学校の校長にはすぐになれるのだ。「人生、大事なことは、タイミングやな。」——あるとき、副課長が言った。切実なあらがいがたい言葉。タイミングに任せるか?タイミングをつかむか?それとも、外すか?・・・・・・

 そんな中で、最年長でありながら最下位ポストに位置するやるせなさは、なかなかわかってもらえないだろう。これほどつらい立場があるということを、今になって初めて知る。

 来てみてわかったことだが、そもそも、ここにだれもが、長くいたいと思っていない職場なのだ。士気が上がる理由がない。さらに、「教員籍」ということは、公務員にして唯一、残業手当がつかない職種ということで、まったく同じ仕事をしながら、年収百五十万円以上も収入がちがうのだ。さらに、任せてもらったほうが速い仕事も、すべて上司の「許認可制」。時間はかかる一方である。

 いやいや、そんなことを言っても始まらない。ボクは来てしまったのだ。今は職場の末端。教員生活二十三年生のベテランから、事務職一年生の新米へ「転落」。丁稚奉公みたいなものだ。普通はもっと若くで県庁に入る。ボクは遅すぎた。罰ゲーム?——なぜ?格下げ?いや、成果は上げたはずだ。なぜ?・・・それは、人事の勝手なのだ。どのみち、駒の一つなのだから。・・・言い聞かせる、言い聞かせるが、聞かない自分がいる。

 

 イヤな気分でいると、何でもイヤに見えてしまう。確かにイヤなのだ。まずこの場のムードがイヤ。奴隷のよう。事務系ポスドク?——いやいや、研究しているわけではない。ボクの何が評価されて今ここにいるのか?——「文句も言わず長時間、残業手当ゼロで働くことができる」それだけか?だいたい「何でもできる」——だからここか?そんな人、どこにでもいる。なぜ、ボク?指導主事の主たる仕事は、事務処理ではないはずだ。なぜ?


 ちょっと遠くからこの職場を眺めてみると、一目瞭然のことがある。もう、笑ってしまうしかない気分のときは、ホントにここを見るしかない。ホントに自嘲自虐な話だが、ここでは、(言っては申し訳ないのは重々承知だが)みんな、・・・みんな頭が薄い。

 笑っていいことではないが、すごく身の丈のてっぺんが薄いのだ。 ここを見渡すと、けっこう殺風景な山並みが見える。

 覚えず、「春望」(杜甫 作)を思い出す。——「白頭掻けば更に短く すべてシンにたへざらんと欲す」(心配のあまり、髪が抜け落ちてしまって、かんざしもさせなくなってしまった)

——心配すると、髪は抜けるのだ。

同じ境遇にじっと耐えている百数十人の中で、「はい、あなた今度、管理職ですよ!」という天の声がかかるのを待って、ひたすらじっと耐えているのだ。そんなことをしていたら、毛根だっておかしくなる。そうして現場に出るときは念願の「管理職」!そして、これが「あがり!」なのだ。場合によっては、教頭を飛び越していきなり校長人事もありなのだ。で、その先は?・・・保身か?そうだろう、そうだろう、こんなにも我慢したのだ、リスクを避けてきたのだ、その先リスクを避けたくなるのも無理はない、リスクを避けて、よく従い、よく従わせる、そういう管理職の輩出、それが狙い?だが、そんな管理職の中で、魅力的な人を見たことがない。「学校としては」「法律によれば」「条例に書いてあるとおり」——自分はそれしか言わなくて、職員ばかり追いつめる。何様、オレ様、校長様ってことか?冗談じゃない。現場ではそんな管理職が、落下傘部隊のように「お上」から降ってきて、アゴをつんと上げながら学校から学校へ渡り歩くのだ。降格はない。「上がり!」なのだから。現場をかき乱すだけなのだ。こんなシステムにだれがした?——いや、自分たちこそこのシステムを支えているのだ。ここにいる一人一人がこのシステムの担い手なのだ。——そんなことは、ここにいる人はみんな知っている、知っているはずなのに、なぜこの有様?元気がない、覇気がない、あいさつをしない、そのくせ上司にだけは、完全に気を遣いまくる。——「ちょっと、あつしさん、今日の公用車とっておいてな」、「それから、終わったら、運転記録も出しておいて。」、「朝刊、持ってきた?」——こんなことがボクの仕事だ。しかしへらへら黙ってやっている。目が上を向くとはこのことか。何がおもしろくてやっているのか。出世?そう、最初から何でも我慢すると決めているのだ。ここを出るまでの辛抱。出るときは管理職と決まっているのだ。西洋人なら、ゲームがおもしろくなければルールの変更もあるらしいが、日本人はルールの変更を思いつかない。決めたら、あとは黙ってそこにいるだけ。思考停止?自動操縦?忠実?忠誠?それでいい?——いいも悪いもそれ以外の選択肢が見えてこない。こうなったら、こうするしかないし、そうなったからには、そうするしかない。ここではみんなが、そう考えることになっているのだ。

 黙って従う——


 マスオさんごっこ——だれでも知っているこの遊びは、お父さんたちの憧れだ。

 現実を知る前、・・・・・・ここに来るには楽しみもあった。浮かれた楽しみだ。電車通勤が始まるのだ。そうすると、このマスオさんごっこができるのだ。勤め帰りに、「おお、久しぶり。それでは、ちょっと一杯、どうですか」「いいですねえ。じゃあ、ちょっとだけ」——友達が県庁にいる、——去年県教委に入った友達がいる。どうやらこいつも腐っているらしい。山頭先輩から聞いた。先輩によると、そいつはだいぶ参っているので、「あっちゃん、行って楽しくやったって」——そのことばを、何の疑いもなく受け止めた自分が、今では恥ずかしい——しかし、そいつは悩んでいた。すごく、悩んでいたのだ。絶対、今年は現場に帰ると言っていた。県庁行ってしばらくして、昔のように二人で飲める日があって、それこそマスオさんごっこでちょい飲みした。そのときボクが、「ボクは絶対一年で帰る!」と言ったら、「オレが先だ!」と本気になって激怒した。仕方がないので、「一緒でどう?」と言ったら、「それなら構わんけど。」と言った。それでも、そう返事するのに、二、三秒考えていた。

 悲惨だ、この世界は。この作業が好きな人も中にはきっといるだろう。その人にやってもらうことにして、ボクらは解放してもらおう。ボクにとっては悲惨なのだ。ボクにとっては、こんな仕事を(ほんとうに申し訳ないが、こうしか表現できない)二年はできない。教員は、勘が命。現場では、全力を傾けた直感で子供たちの空気の意味を読み取らねばならない。直感で、遊びといじめを判断できなければいけない。直感で、突っ込むか間を置くか、笑わせるか泣かせるか、判断できないといけない、そこまで理屈が感覚にしみこんでいなければできない仕事なのだ。その上で、前置き効果を使い、質問を重ねて、そのことを子どもたちに自覚させなければならない。ドッグイヤーなこの時代に、二年も現場にいなくてどうやって現場力を取り戻すのか。三年生が卒業して、新入生を迎えるだけで隔世の感があるこの時代、こんなところに何年もいて、それこそ麻雀の「ロン!」みたいに上がり気分で管理職になって、ここで払った犠牲のゆえに職にしがみつくような人間になる——もし着任した学校の実情もわからずに命令口調で対応しようものなら、その瞬間からその学校の厄介者だ。

 校長や教頭には、職員を掌で転がすような才覚が必要だ。しかし、組織の命令権に頼って仕事をしてきた人には、トップに立つ本当の力がついていない。学校現場は、みんなの主体的な協力とモチベーションなしにやっていけない。校長には、器が必要だ。実績も必要だ。自分自身というものも必要だ。けれど、自分がかわいい人にはそれが見えない。そんな人はいっぱい見てきたし、軽蔑してきた。しかしボクは今、あろうことかその道を歩いている。ありえない、ありえない。そんな人になるためにここにやってきたのではない。悪夢だ。これこそ本当の悪夢だが、今ボクはそこに生きている。


 うちへ帰る電車の中で、ひとり「走る風」を聞きながら、この春卒業した子らを思い出す、何度も何度も思い出す、毎日毎日思い出す。タブレットは素晴らしい。大きな画面で曲も画像も一気に満ちて、ボクを慰めてくれる。卒業式の日に歌ってくれた「走る風」、合唱コンクールで優勝した「名づけられた葉」、みんなで歌った「大地讃頌」、体育祭で優勝したときの集合写真、演劇部の文化祭の満天笑顔の写真、部のお別れ会で努めて笑顔で写った写真、合唱コンクールの必死の練習風景、市の音楽会に代表で出たときの満足そうな集合写真——。でも、昼間は何も思っているヒマがない。ただひたすら、一心不乱に事務作業をこなしている。それでないと終わらないのだ。慣れない事務仕事、でも、取り組む姿勢は超一流でなければならない。子どもたちに教えてきた「学ぶ方法」「成果を上げる方法」を自分でやって確かめてみる。新しい環境で一からがんばる方法を、自分自身で実践しなければならない。

 

 四月、県庁事始め。仕事は降ってきた。わけもわからず、やり方もわからず、なかなか教えてももらえない、しかし少しも休みなく、仕事は「降ってくる」のだ。右のものを左へ回し、縦に積んであるものを横に仕分けする。全部、紙文書だ。しかし、こんなにパソコンを使いながら、何でこんなに紙文書だらけなんだ。いつまでたっても終わらない。ずっと回し続けて、終わらなくて、ずっと終わらなくて——いや一つ一つは終わっているのに、どんどんどんどん降ってきて、溜まり続けていく。——たまには冗談でも?この職場で冗談を聞いたことがない。「小林先生」が指導した内容によると、明るい場づくりはだれにでもできるはずではなかったか。いやいや、ここはそうではない。しかし、やらなければ。そうだ、やらなければ。

 息が詰まって、昼休みに「なんか、おもぴろいこと、ないですかねえ」と言ってみるが、会釈をされてしまう。「わからないことがあったら教えてください、よろぴく」ーー反応は薄い。毎日ちょっとずつ繰り返す。最近ちょっとだけ反応が出てきた。目だけが動く。にこっとだけする。返事だけする。「反応」程度で積極性はないが、みんな、様子をうかがっているのかもしれない。場の盛り上がりに欠ける。これは、場の盛り上がりを阻止している空気があるということだ。みんな寝ているのか寝たふりか、仕事をしないのか、してはいけないのか、椅子に腰かけて押し黙り、目を閉じている。昼休憩時間にそもそも目を開けている人は少ない。もちろん、ほとんど話し声もない。これがここにいて休憩時間であることをアピールする方法なのか。


 男、四十八歳。このまま手をこまねいて、こんなところで壊死するわけにはいかない。前任校で、その前の前の田山校長が言っていた、「男五十二歳までですね、新しいことに挑戦する気持ちがあるのは」——そう、その五十二歳はもう目の前だ。こんなところでぐずぐず二年も潰すわけにはいかない。現場であの子たちがボクを待っていることはない。でも現場に帰れば、今度は新しい出会いが待っているのだ。ボクは知っている、嫌がられてもきらわれても、その多くは一時のこと、やるべきことを積み重ねれば、子どもたちは変わる、成長する、素晴らしい存在だ。その姿を幾度と見てきたボクにはわかる。卒業式のその日、やってきてよかったと思えること、それを楽しみに三年間をがんばるのだ。

 走る風を聞きながら、夜道を歩く。決してとぼとぼと歩かない。しぼむ自分を大きく見せる。県庁に行くようになってから手の振り方も気をつけている。真っ直ぐに、腕を大きく前に振り出すように。腕を横に振り出して歩く人を見たことがある。なよったく感じた。自分を振り返ると、なんと、あろうことか、自分も両手を左右に振っていた。力なく、小さく。今は前を向くとき。一年で、早々に県庁を退散するためには、相当のエネルギーがいるのだ!なよっているヒマはない。エネルギーいっぱいに、戦わなければいけない。そう、子どもたちに教えてきたこと、そのものだ。子どもたちに教え、成果を上げてきたことそのものだ。

 ボクはやらねばならない。そうして、きっとできるのだ。県庁、一年脱出計画。ボクがつけた計画名は、オペレーション「ヒトリダチ」。


 オペレーション・ワン。まずは、仕事ができる男になることだ。学校現場で仕事ができる男だったことを証明するには、ここでもできる男でなければならない。「学び方を知っている人はどこでもできる人になれる」と言いながら学び方を教えてきたボクが、教えてきた同じ方法を使って成果を出さなければまやかしになる。自分の仕事を確かめる絶好の機会だ。

 まずは、前向きな気持ち。しかし、これもつらいな。はるか年下の子に、こき使われなければならない。——ここは保体課、教諭出身者よりも、養護教諭のほうが立場は上。課長の隣に座るのは、年端もいかない養護教諭なのだ。「お上」はそっちの側にあり、ボクは下々の立場になる。これは、権力ごっこか?しかし、彼女もまた、この社会の仕組みの中で、与えられた役割を果たしているだけなのだ。——「結核検診って、わかりますか?」、「県立学校で結核が出たら、それはもう大変なことになるんですよぉ」、「学校保健委員会って何をしているか、知っていますか?」、「DMF指数って・・・・・・」——そんなこと、ボクは知らない!保健の先生にとっては当たり前のことも、教諭はそんなことは何も知らない。全然わからない。ここでは、教諭はただの事務取扱、しかもその面では県職の事務畑のほうが、よほど仕事ができるのだ。事務処理という、その組織独特の内部手続きの進め方に精通した人々に、外部から入ってきた下っ端は、従うよりほか道はないのだ。ならば、入れなければいいのだ。教諭はここでは即戦力ではない。基本的には、厄介者ではないか。なぜ、入れるんだ、頼みもしないのに。ボクは、下心はあったけれども、呼ばれなかったら来ることはなかったのだ。

 仕事の内容面では養護教諭に従い、作業面では県職の事務係に従う。尊敬する福岡伸一さんの著書によれば、アメリカでは実験助手を「ポスドク」と呼び、「実験奴隷」と訳すそうだ。本当は奴隷ではない。名誉ある仕事だが、忙しさや待遇の悪さを評してそういうことがあると聞いた。比して、日本の県教委の事務助手はアテシ(これは「充て指導主事」のことで、教員籍ながら県教委で事務仕事をする者をいう)と言い、事務奴隷と訳せるだろう。同じ事務職であっても、教員籍には残業手当がつかないので、どれだけ働かせても県の腹は痛まない。なんと、素晴らしい思いつき!完璧な費用対効果!人件費の節約!しかし、性能効果はマイナスだ。のちの管理職を餌に、そこを狙っての人事にちがいないことを、ここにいる人はだれでも知っている。みんなうつむいて、その時を待っているのだ。長期にわたる希望のない職場から、輝くものが生み出されると期待するのはまちがいだ。そういうところなのだ。このシステムは、実際のところ県民利益の観点からは、まちがいなく損失だろう。他で使える人材の、いわば「飼い殺し」。ボク個人にとっても、何の教職二十三年の実績か。よくこんな人事をするなあ・・・・・・。しかしながら、そうはいうものの、ボクとしては、万障忍び抜いて、できる男にならなければならない。ここを踏ん張ってできる男にならなければ。まずできるだけ早く、自分一人分の仕事をできるようにする。なのに、最初から、どこに手をつけていいのかわからない。隣の席の親切な平田さんが教えてくれる、けれど平田さんはいつもせわしなく、教えてもらう時間を見つけるのが、まずもって至難の業だ。

「ボサツ見て、ボサツ。去年のボサツを見たら、全部わかるはずやで」

「ボサツ、ですか?」——何それ?ボサツ・・・、ボサツ・・・、菩薩?——

 ボサツ・・・、ボサツ・・・「ボサツって、何ですか?」「そこの左から二つ目のロッカーの中にある綴じたやつ。背表紙にボサツの名前が書いてあるから、それを持ってきて、自分で読んでやってみて。わからなかったら聞いて」

 そう言われて、全部メモをする。そして、メモしたことを心でつぶやきながら探す。

(ロッカーの中にはボサツがたくさん詰まっている。その中から、ボクに必要なボサツを探し出す。そして、仕事をする)

「これですか?」——探して、いちおう聞いてみる。

「いや、これじゃないんだな、これ『平成二十三年度薬物乱用防止教室』って書いてあるやろ?これじゃなくて『平成二十三年度薬物乱用防止教育』ってやつ、ほら、これ」

 さすがだ、ボクの感覚ではふつう『薬物乱用』くらいで判断してしまうけれども、きちんと最後まで読めている平田さんはすごい。当てずっぽうはだめ。ことばは最後まできちんと読まなければならないということを学んだ。世間では、そんなまちがえやすい名前をあえてつけないと思うが、事情があるのだろう、最後の一文字だけちがうボサツは、現にたくさんあるのだ。

「『教室』と『教育』はちがうことをやるんさ。」——それはそうだ。だから、こうなるのだ。

「追々、説明するけど」——そういえば、年度末、引き継ぎ会に来たときも、「追々」教えてくれると言っていた。親切な平田さんは忙しすぎるが、よく教えてくれる。ただ、「追々」が多くて、「後手後手」になることもあり、そこらの計算がちょっとじれったいことがあるのだ。けれど、いい人、いい人。そこが他の人とちょっとちがう。中学校現場で、いい先生だった匂いがする。

 そうこうしながら、「ボサツ」の意味がわかった、「ボサツ」、それは「簿冊」だったのだ。帳「簿」+「冊」子=簿冊、事務用語だ。多分。それにしても、あまりにもみんながボサツ、ボサツというものだから、念仏のようで、今でもボクは「簿冊」ではなく、「ボサツ」と思い浮かべる。

「ボサツを読んだら、次はキアンして」

 キアン?——「起案」。これは聞いたことがあった、けっこうすぐに思い浮かんだ——上司に伺いを出すことだ、起案しなければ鉛筆一本、消しゴム一つ買うことができないと、経験者から聞いたことがある。しかしどうすれば起案できるのか、さすがに聞かなければわからない。でも、平田さんは忙しい。平田さんの手が空く様子を探りながら、分厚いボサツを読み進めていく。とはいえ、ポイントがわからない、自分では、何となく読み流している感じがしている。

「パソコン開いてる?じゃあ、『総合文書システム』を開けて」

「はい、あ、ちょっと待ってください、総合文書・・・・・・はい、開けました」

 クリックして、メモして、待つこと数秒。平田さんの電話対応の声。これでまた何分か、待たねばならない。画面をチェックしてみる。パスワード入力欄。パスワード?パスワードを知らない。パソコンの起動時パスワードと同じか?入れてみる。ブー。では、空白でエンターしてみる。ブー。職員番号を入れてみる。ブー。あまりまちがえるとセキュリティチェックがかかるかもしれない。待つしかないと思い直して、もう一度ボサツに目をとおす。起案のところを確認する。

「わかりました。少しお時間いただけますか。確認して、電話します」——平田さんの電話が終わりそうだ。体を平田さんのほうに向けて、PHS(これは県庁内で使う、一人一台の通信機器だ)を置くのを確かめて、次の指示を待つ。だが、こちらを向くことはなく、「副課長、」と声をかけて副課長のところへ。——マニュアルはないのか、マニュアルは。読めばわかるものはないのか。

 結局、数時間あとに手続きを教えてもらった。といっても、平田さんにもすぐにはわからなかったので、電話してもらうこと数件、やっとわかった。パスワードは、二十四に職員番号。そうか、平成二十四年だから二十四をつけるのか。それだけのこととも言えるし、そうは言っても聞かなければわからないことでもある。

 しかし、起案というのはルーティンワークだ。繰り返しの作業。だから、慣れれば速くなる。そうなればボクのものだ。件数をこなしていく。いろんな起案が回ってくる。薬物乱用防止関係、禁煙関係、学校保健安全管理費(要は健康診断のこと)、食育(栄養教諭の関係のこと。最近では食べることの指導は公立学校の重要案件なのだ。そこには、食の安全、イコール放射能検査のことも入ってくるのだ)・・・・・・。どんどん速くなる、速くなる。起案のスピードは結構なものになっただろう。起案して回す。返ってきたらまちがいを直して、交合(指摘されたまちがいの部分が直っているかのチェック)をしてもらい、起案内容を実行する。実行する直前に再度チェックをしてもらう。そして、ここから一つのことが始まる。しかし、その一つ一つの間に、長い待ち時間が入るのだ。それがたまらない。

 しかし、日々精進。そして、ついに、ボクがボクの仕事を追い越す日がやってきた。こうして起案を上げながら、ボクの仕事が底をついたのだ。トイレへ行って、一息。いつも、作業の切れ目ではトイレへ行ってリズムをつくる。ちょっとした充実感。切れ目なく「降って」いた作業が切れて、先の作業の蓄えをする時間ができた。出ていった起案が、やがてまとめて戻ってくるだろう。それまでに、次の作業を進めよう。——名誉にかけて。「先生の言っていたことは、まちがいなかったぞ。」——子どもたちに、そう言えなければいけない。

 ボクは今、作業員。事務作業員。でも、職場づくりに協力する。こっちがボクの本分だ。いつも子供らに言っていた、「教室にゴミがあったら拾う。だれのゴミでも、あったら拾う。ほっとく自分になったらあかん。自分たちの環境は自分たちで守るべし!まあ、注意力を養うことにもなるしな。」——ここにあまりゴミはない。けれどあっても拾う人はいない。それは掃除の係がいるからということかもしれないが、これが学校なら荒れる原因の一つだ。係任せの教室に、荒れはすぐに取り憑く。ああ、いやだいやだ、ちょっとした怠慢が、あんなひどい結果につながるなんて。そうなのだから、ボクはゴミを拾う。そうすると、ゴミはなくなる。何度も見てきたことだ。

 ここの人たちは、あまりあいさつをしないし、しても、かなり暗い。ここの人のあいさつは、日本の朝の気持ちよさを伝えていない。学校でもこうだったのだろうか?学校では優秀でも(ここにいる人は何かと優秀で、そのうえ、働きを見込まれてここに来ているはずなのだ)、人間的にはどうかということなのか。しかし、この空気に飲み込まれることはボクには耐えられない。吹き飛ばしてしまいたい、イライラする空気だ。

 ただ、みんながみんな、そういうわけでもない。ボクはいつも課ではいちばん早く出勤するが、守衛さんたちは、毎日あいさつが元気だ。掃除のおばさんも元気だ。どこかの業者の人かもしれない。朝、八時頃にはトイレの掃除をしてくれている。——「おはようございま〜す」「おはようございますぅ」「すいません、使っていいですか?」「どうぞどうぞ、今こっちのほう、やってますから」——ちょうどその時分にトイレに行きたくなるので、顔見知りにもなる。「いつもありがとうございます!」と言えるようになるのに三日もかからなかった。でも、事務作業場は暗い。ボクは、声のトーンを少し高めにしてあいさつしている。なんだかここには、我慢できない暗さがある。心の底にある気分的な暗さだ。不幸を呼び込むような暗さだ。もっとも、施設はいつも薄暗い。南隣のビルが高いからだが、それだけが理由ではない。もしそうなら、極端な言い方をすれば、環境の奴隷ということだ。それなら、まだ子どもだということになる。子どもというのは環境にとらわれる面がある。天気一つで気分が変わる。大人とは、環境を理解し、対応できるものをいうのだ。

 ボク一人の力ではない。しかし、そうしているうちに、ボクの身の回りでは、だんだんと明るいあいさつが流行ってきた。現場でも似たことはあった。いつも腕組みをする教員集団の第三学年に飛び入りしたことがある。その学年は、やはり、教員との信頼の薄い面があった。その学年は先生が強くて、反抗はしないが力で抑えた形跡がある。目線の冷たい子どもがあちこちにいるのだ。ボクの気がづきによると、それはこの腕組みのせいだ。先生も無理して抑えているのだ。この腕組みをやめよう。親しく話しかけることばと態度を先生が持たねばならない。教育の現場では、結局、信頼しかものをいうものはないのだ。——そうして、進路指導担当としてできるだけ多く、生徒の前に立ち、どこにいても腕組みのない姿勢を意識して見せるようにした。新しい生徒との関係を見せる中で、先生たちの腕組みは減っていった。意識されたかどうかもわからない。けれど、ミラーリング効果というのは、現に証明されてあるのだ。よく見る態度は、生き写しになる。ボクは、それを知っている。知って、使っている。効果があったと思うことは、本当にしばしばなのだ。心理学者の何倍も、その現場を体験しているボクは、もし大学教授なら、実例を限りなくしゃべり続けることができるかもしれない。

 暗かった小浜さんも最近、少し明るくなった。小浜さんの顔は最初の頃からよく知っていたが、名前を知ったのは最近だ。小浜さんは別の課だが、毎朝よく似た時間に出勤する新聞仲間だ。——各課で、朝いちばんに来た者は、地下一階のそれぞれの課の棚から、新聞各紙を持ってくることになっている。早く出勤した者は、なぜか仕事がひとつ、他の者よりも多いのだ。そして、各課の長机に、並べて置いておき、自分の担当紙の関係記事を点検するというしきたりなのである。月曜日は更に大変で、土日の分も持ってこなくてはならない。しかも、土日分はどういうわけか仕分けがしてなくて、いちいち一社ずつめくってこなければならない。これがゴールデンウイークなどの連休となると更に大変で、地ベタに大量に置かれた新聞から、一社ずつめくってくることになる。それでも、もっと悲惨なのは、そこまでして持っていったところ、すでに休日分が課の長机に置いてあったときだ。だれかが休日出勤して読んでいたのだろう。それは素直にありがたいことだが、ボクはもう一度地下まで行って、元どおりに新聞を返す羽目になるのだ。こうなると、早く出勤していることが何の意味もなくなる。そんなことがあってからは、休日明けは、いちど七階に上がり、休日分がどうなのかを確かめてから新聞を取りに行くようにしている。——そんな新聞仲間が小浜さんだ。名前も知らないうちに、話をするようになった。と言っても、新聞の話題を少しするくらいだが。記事を見て、ちょっと怒っている。でも、よく知っている、文化財のこと、熊野古道のこと、遺跡のこと・・・・・・。真面目な人だ。きっと、専門性の高いとても魅力的な先生なのだろう。しかし、髪の毛に手を加えず、無精ひげを伸ばして、黒いカバンをたすき掛けにして歩いてくるところは江戸時代の浪人さながらで、ひどく精彩を欠いている。

 県庁に来て、しばらくした頃、その小浜さんが、ふっと聞いた。

「四月から、なんかええことあった?」

「え?・・・・・・」——不意を突かれて、朝だというのに思わず悲しくなった。

「何もないですねえ。ほんとに、何もないですね」

 言いながら、思い出せてしまう、毎日の思い。あほらしくて、笑えてくる。

 すると、小浜さんが言う、

「・・・・・・ここに来て三年になるけど、」——一息入れて、

「・・・・・・三年間、なんかええことあったかなあ・・・・・・」

 小浜さんは、真面目な人だ。真面目な人が、真面目にそう言った。

 ボクは、声を上げて笑った。「ほんとですね、ほんとですね」。腹を抱えた。涙が出てくる。ここに来て初めての、ほんとうの大笑いだった。小浜さんは、小浜さんらしく、自分の席に行ってしまった。ボクが小浜さんの名前を知ったのは、この後だった。平田さんに聞いたのだが、小浜さんは遺跡・古墳の大家らしい。が、今は主査として、ここで事務をやっている。

 ボクは、少し声のトーンを上げてみて、いつもみんなにあいさつを入れる。これは、学校だけではなく、どこでも通用するあいさつ革命だ。だれでも、気持ちいいことは好きだ。できないのは、気づかないからなんだ。気づかないのは、そんな空気があるからだ。そんな空気なのは、みんなここにいたいと思っていないからだ。ここにいる人がここにいたいと思わない組織が、いいものを生み出すことがあるのだろうか?——ボクのオペレーションは、きっと正しいと思う。

 それだけではない。ボクが子供らに言ってきたことはこんなものではなかった。もっと求めたし、もっとできていた。自分づくり、そして、自分たちづくりを指導してきたボクとしては、こんなことで満足していいわけがない。もっと自分たちづくりの本領を発揮しなければ。学校では担任として、県庁では悲しいことだが末端として、自分にできることをして成果を上げる。「成果の上がるようにやれば成果は上がる」と教えてきたはずだ。自分ができなくてどうする。——しかし、そのために与えられた時間は一年だ。自分で切った期限だ。達成よりほかはない。あと、まだできることはある。


 オペレーション・ツー。自分を売り込むこと。公務員からのヒトリダチ。密かにやらなければならない。悟られてはならない。

 公務員からのヒトリダチ。ボクにとってはいわば宿命のようなもの。そう言えば、ボクが先生になるとき、高校からの親友に言われたことがある、

「おまえが先生ってのはわかる。けど、おまえが公務員かぁ・・・・・・」

 そう、そのとおり、公務員は似合わなかったのだ。公務員だったばっかりに、今こんな憂き目に遭っている。こんな自分をどうにかできるのは、今となっては自分しかいない。オペレーション・ツー。自分を売り込むときが来た。


 学校教育とは、国家による国民の自立支援システム。自分づくりと自分たちづくり。世界をつくる力。守ってもらうだけでは、自立にならない。

 教育の方法は、ただ一つ、経験である。子どもたちに経験させること、経験を通して、導くこと。だから、できるようにさせてからやらせる。そして、自信を深めさせて、自分から主体的に行うことのできる子にして卒業させる。

 そのためには、子どもたちが何を経験しているかを見ていなければならない。それも、受け身で見ていると後手を踏むことになるので、積極的に打って出なくてはならない。それはカリキュラムをこなすということではない。カリキュラムとは事前につくられてもので、今も変化を続ける社会にあって、ちょうど今成長しつつある子どもたちがまるっとそれに乗っかってくるとは限らない。当然だ。隠れたカリキュラムをつまり「こうするつもりだったが、実はこうなるように仕組んでしまっていたのだ。」と言う観点を持ちながら、自分たちを絶対視するのではなく、子どもたちから考えて整合性のある説明を試みること、これが先生の、先生としての、子どもたちのための目線である。子どもたちを見ながら、カリキュラムとそれを補う別のカリキュラムを設定しながら、成長を支援していく。別のカリキュラム?そう、一般的に今のカリキュラムは、子ども個人に焦点が当たっているため、自分づくりに役立つものが多い。しかし、人間性は、自分たちづくりのなかで磨かれる。自分たちのオープンな、公的な社会を自分たちでつくることを学ぶようにさせる。これこそが子どもたちがいちばん輝く瞬間であり、民主主義の世の中のいちばん中核となる力をつけるところだ。先生にとって、これがいちばん難しく、これがいちばん面白い。子どもが変わる。それを目の当たりにすることができる。世の中は情熱で変えられる。そんな不思議な体験を子どもたちはすることができるのだ。そこに、初めて人間の信頼が生まれる。人が変わっていくのは、体験をとおしてである。よき体験は、よき人間をつくる。ちょっとのことだから、そこに落ちているゴミをゴミ箱へ捨てるか、ちょっとのことだから見て見ぬふりをするか、そこを決めるのは個人の気持ちである。気持ちを引き出すための取り組み一つとっても、情熱が必要なのだ。たかがゴミ一つ拾うために、情熱は必要なのだ。

 ひっつき虫みたいな指導をすることもある。

 そのうちに生徒は試してくる。

 試されても、真剣に対処する。

 ボロを見つけたら、そこで新しいルールを作る。ルールを宣言して、新しい対応をする。ひっついていないとできないのが最初の指導なのだ。これは、子どもたちの納得を高める。納得の指導は、納得の場をつくり出す。自分たちで行うことを系統立てることで、子どもたちはどんどん自立する力をつけていく。


 そうしていったところ、二年生のとき、なんと三組の担任が逮捕されるという事態に直面しても、学年が荒れることはなかった。ぼくたちの間では「白鷺の奇跡」と呼ぶできごと、このときは三年生も一年生も荒れていて、いちばん窮地に立った二年生だけがまともに学校生活を送った。その成果は、語り継がねばならないものだ。保護者や子どもたちの間では、様々な意見があったことだろう。しかし、教員も団結して、子どもたちの近いところ、近いところを信頼しつつ歩き続けた。

 奇跡は連鎖するものだ。三年生になって、伸びない学力にも変化が出てきた。だれもが難しいと思っていた上位校への進学者数が、例年と変わりないレベルに達したのである。

 学年はよくなる、生徒は変わる——この経験を私は前の学校でもしてきた。その前の学校でも、その前の学校でも。この学校に転任して、若い先生たちに、次にこうすればこうなると言ってから取り組みを始めたこともある。ボクには確信があった。理由も分かっていたのだ。

 ボクは、この経験を他の学校、他の学年、若い先生らに伝えるために、学校を離れる決心をした。だって、そう言ってたじゃないか、前の神谷校長も、山頭先輩も!でも、今は末端なのだ。事務奴隷、アテシのまったん・・・・・・。ああ・・・・・・。


 専門性の裏付けとなる何か。それは、文芸賞だ。何かの文芸賞。何かないか、何かないか。公募インフォメーションはどこだ?新しいのか?たくさん載っているか?入賞の可能性が高いのはどれだ?題名は「白鷺の奇跡」——涙が出るほど優しく、温かい話だ。そのはずだ。ちゃんと読めば、そうなるはずだ。でも、選者はどう思う?だれだ、選者は?知っている人はいないか。大学の先生を通じてたどれないか。聞くところによれば、入選する人は、選者に縁者がいるとかいないとか。

 とにかく出す、出して待つしかない。今のところ売り込めるネタを買いて、売り込むよりほかはない。人事を尽くして、天命を待つしかない。他力本願も、やれるだけやってどうしようもないところをすがるのだと聞く。やれるだけやる、それが大事だ。


 オペレーション・スリー。自分を売り込むネタをまとめること。ボクは何をやってきたのだ?何ができるのだ?どんな実績があるのだ?経歴書は書ける。が、たくさん経歴を書けるほどに、年は行っている。相手に土産がなければ、行き先はない。


 オペレーション・フォー。いよいよ仕上げ。ほんとうに辞めること。まずは、手続きの確認からだ。

 何が何でも、辞める。


 走る風を聞きながら、ボクは電車に乗っている。毎日毎日職場を出るのが楽しみでたまらない。こんな解放感を味わったことがあっただろうか。「走る風」を聞きながら、あの子たちを思い出している。もしも、ボクの心の中にあの子たちがいなかったら、発狂していたかもしれない。

 「走る風」を聞きながら、今度はボクが卒業だ。このシステムからの卒業。うまくいくかどうか?きっとやっていける、オペレーション「ヒトリダチ」。実行する力が、ボクにある。きっとできる、やっていける。


 ボクは、やっぱり先生だな。


あの「答辞」の一節、

「千葉、愛知、京都、大阪、兵庫・・・・・・、みさ、しんたろう、あやえ、はるよ、りつ、ゆうな、私、県外へ行く七名。知らない世界で、今ここにいる仲間から遠く離れて、一人で新たなスタートを切ることになります。不安も多く、どうしていいかわからなくなることもあると思いますが、決して一人ではありません。遠く離れていても、ここにいる仲間は、この先も仲間です。そのことを忘れず、自信をもち、未来を向いて歩みつづけましょう。」


 この子たちは、親の転居でやむなく引っ越しをしたのではない。自分の考えで、親と話し、家族の支援の中で選択した進路だ。夢を持ち、夢があるから挑戦しようする子どもたちがたくさんいる。そして、子どもたちにそう言ってきたのはボク自身だ。ボクがそういう進路指導をしてきた。そこに偽りはない。今、ボクはそのことを、自分の行動で示さなければならない。ボクは子どもたちに、自分が信じたことを伝えてきたはずだ。そして、それは社会に通用することであるはずだ。


♪ きらめく夢とみらいへ 走る風に乗って どこまでも


 話は続きます。ご期待いただけたら幸いです。

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