第2章 覚醒 3
ガイアスのところへ行くと、歩いてきた廊下から続く片方手摺が切れた出っ張りへと出た。
白い流麗な騎装兵ガイアスは、他のブラックエンプレスやシュリンガとともにひっそり立っていた。
「ハル様、この把柄を引くと操縦席のハッチが開きます」
少し身を屈め、胸部装甲の下にある握りを、ティナは引いた。
そのとき、短めのスカート状の下衣と脚を覆ったブーツの間のすらりとした太股がしっかりと見え、ハルは視線を泳がした。
バシュッと音がして、胸を覆っていた装甲がぱかりと開いた。
「中へ。座席に座ってください」
ティナが促してきた。
ティナが身を引いてくれたので、ハルは操縦席の中へと入り座席に腰を下ろす。すると、ティナも軽やかに身を滑らし入り込んでくる。ハルの隣で膝立ちとなった。
「このベルトをしめてください。空を飛ぶとき、座席から身体が離れてしまいますから」
言いつつ、ティナはハルの両肩からベルトを回し固定した。身体を近づけられ、ティナの香りがハルの鼻腔をくすぐった。爽やかな香りだった。
「ティナは?」
同乗し、指導をしてくれるらしいティナはどうするのかと、ハルは尋ねた。
「わたしは、座席と壁に手をついて身体を固定しますから、お気になさらないでください」
ティナは、実際にやってみせた。しっかりと身体を支えている。
「ならいいけど」
「先ずは、ガイアス――騎装兵の起動ですが、肘掛けの先にある赤くて丸い魔吸石を握ればいいだけです。先ほど、セラス皇女が言っておられたように、魔力は人から供給されます」
ハルは、おそるおそる赤い球体を握る。
低く唸るような音が、それまで無音だったガイアスから発せられた。同時に、ハルは浮遊感に襲われた。自分の意識が拡大したようにも。
「な、何だ?」
おかしな感覚に、ハルは思わず声を上げた。
それとともに、ガイアスがぐらりと揺れた。
「ハル様は、ガイアスと一体化しているのです」
「僕とガイアスが」
不思議そうな顔をハルはした。
だが、拡大したように感じる意識が捉えているのは、恐らくガイアスのバランスに違いなかった。
「はい。今のガイアスはハル様の手足です」
「どうなってるんだ?」
ハルは、一体何が起きているのかよく理解できていない。
「騎装兵や従装兵の操縦には、一種の幻術が用いられています。魔術神経が操縦席やフレームに組み込まれているので、操者はあたかも騎装兵や従装兵となっているように錯覚させられるのです。身体を動かす感覚で操ることができます」
てきぱきと、何も分からぬハルにティナが教えていく。少し得意げだ。
「す、凄い」
ハルは、感嘆の声を上げた。
「それだけで、ロボットが動くなんて」
「ロボット?」
ティナは、小首を傾げた。
「僕の世界で騎装兵のようなものを、そう呼ぶんだ」
ハルは、少し興奮していた。
「そうですか」
一つ頷くと、ティナは話し始めた。
「ハル様が魔吸石をとおして供給する魔力で、魔術機や浮遊機等の魔術機械が働き、騎装兵は動きます」
「魔力で」
そのことは何度か聞いていたが、改めて不思議に感じた。ハルは、魔力とはセントリアにおいて元の世界の電気のようなものだろうかと思った。
「魔力は、強さの差こそあれ誰にでも備わった力です。ハッチを閉じてください。右側にある魔吸石の近くにある把柄を前に倒してください」
ティナが身を寄せ、指し示した。
言われたとおりにすると、開いていた胸部装甲が閉じた。そして、一八〇度ハルの前面と左右斜めを三面の硝子が覆った。そこに、外部が映し出される。
「モニター?」
驚きの声を、ハルは上げた。
セントリアという中世やファンタジーを連想させる世界にはそぐわない物のように、感じたからだ。
「投影硝子です。騎装兵の目に当たる部分には、視覚硝子と呼ばれる硝子が填め込まれています。特殊な魔術処理を施されていて、硝子の片面に映ったものを捉え微弱な魔力信号に変換するのです。それを映し出しているのです」
「あまり機械っぽくないのに。ロボットそのものだ」
ハルは、軽い感動を覚えた。
元の世界なら相当複雑にしなければ、騎装兵のような物は作れないだろう。それが、とてもシンプルにできているのだ。投影硝子一つとっても、映像を映しているが機械的な部分はなくただの硝子に見える。操縦席の中は、どことなくレトロな感じがした。
「ハル様、ガイアスを歩かせて、右側の開いているハッチに向かってください」
物珍しげにしているハルにおかしそうな視線を注ぎながら、ティナはそう指示してきた。
「ど、どうやって」
「今、ガイアスはハル様の身体の一部となっていますので、そのように想像してください」
ティナが、身体を固定するために座席と壁に手をついた。
「わ、分かった。やってみる」
今もハルは、ガイアスのバランスを感じている。確かにティナの言うとおり、ガイアスはハルと繋がっているのだ。ならば、手足を動かす感覚で動いてくれるはずだ。
ハルは、歩くイメージをした。
「うおわっとッ!」
思い切りガイアスが傾き、ハルは叫び声を上げた。
「力まれる必要はありません。ただ、自分が歩いているように想像するだけです」
ティナが、アドバイスをしてくる。
ハルは、ティナの言葉に従った。今度は、自然にガイアスが動いた。
「ホントだ。身体を動かすみたいに思い通り動く。感覚を掴むまで少し時間がかかりそうだけど」
自然と、ハルの声は興奮したものとなった。戦争の道具としてこのセントリアに召喚され面白くなかったハルだが、このときばかりはそのようなことを一切忘れた。ガイアスに夢中になる。特別な操作もなく動く騎装兵は、魅力的だった。
ハルが操るガイアスは、格納庫の右側に向かった。そちら側のハッチが開いていて、外へ通じている。
「騎装兵や従装兵の操縦は、慣れるしかありません。そのまま、外へ出てください」
「え? でも、そんなことをしたら下に落ちるんじゃ」
「騎装兵や従装兵は、本来空での戦闘が主です。クレオは、地上近くに滞空しています。この高さであれば、たとえ落ちても平気です。空中を移動するような想像をしてください」
ティナは、何でもないことのように言った。
少し怖いが、やってみようとハルは思った。ガイアスは、手足を動かすような感覚で動いてくれる。ならば、飛行能力をこの世界のロボットが持つなら、飛べるはずだ。思い描く通り空を飛ぶなど、正直心躍る。落下しても、この高さならティナが平気だと言っていたことも手伝って、ハルは外へ出て飛ぶイメージをした。
すると、ガイアスが軽く浮かび上がり背中から何やら青白い粒子がぱっと散った。ガイアスは、クレオの外へと出た。そのまま、飛んでいく。
「本当に飛んでる」
無邪気に、ハルははしゃいだ。
「浮遊機で浮かび飛翔機から発せられる推進粒の推進力によって動き、可変翼によって制御されます。推進粒は、操者から得た魔力にステッドという鉱石の粉末を加えることで生み出されます。加えるステッド鉱石の粉末を添加剤と呼んでいます。調合機により、魔力と添加剤を混ぜ噴出しているのです」
「それで飛ぶんだ」
先ほどセラスにも言われたことだが、大きなクレオではなく騎装兵ガイアスによって実際に飛んでみると、シンプルなその技術の凄さを実感させられる。ガイアスのようなおよそ航空力学と無縁な物が、自在に飛んでいる。
暫く、ハルは飛ぶことを楽しんだ。小型航空艦クレオから離れすぎないようにしながら、可変翼を動かし様々に飛んだ。
「ブラックエンプレス!」
ティナが、鋭く叫んだ。クレオから、漆黒の細身で優美な騎装兵が飛び出てきた。まっすぐガイアスへと向かってくる。
「抜け、ハル」
絹のように滑らかな声が操縦席に響いた。
無線なのかと、ハルは疑問に思う。が、ハルが知る限り電気はセントリアにはないはずだ。もしあれば、騎装兵や従装兵や航空艦などに、エレクトリックな物が見られるはずだ。
「声が聞こえた」
「魔術通軸です。魔力を変調させて空中に伝播させているのです。届く距離は限られますが、他の騎装兵や従装兵に航空艦などとの意思伝達に用いられます。魔力に固有波形を作り出すことで、伝播帯の暗号化が可能です。左側にある魔術通軸操作機の六桁ある〇から九の目盛を動かすことで、設定できます。集音器で音を拾い、発音器で音を発生させる魔術機械です」
そうティナが言う間に、ブラックエンプレスはガイアスをパスしていった。
「どうした、ハル? 剣を抜かないか」
言いつつ、セラス操るブラックエンプレスは、ガイアスの前で滞空し長剣を向けてきた。
「いきなり何なのさッ!?」
文句をハルは口にする。
「ガイアスを動かすだけでは、不十分だ。稽古をつけてやる」
ぐいっと、ブラックエンプレスは長剣を前に突き出した。