第2章 覚醒 1
「先ずは、グスタム城へ向かう」
ブリッジの窓から外を眺めていたハルに、セラスが声をかけてきた。
「グスタム城?」
昨日、このセントリアという世界に召喚され、何も分からないハルは聞き返した。
今、ハルたちは、カッラの里が提供した小型航空艦の中にいた。ハルは、それなりの大きさのあるこの艦が翼などで揚力を得るわけでもなく、空をゆっくり飛ぶのが珍しく外やブリッジの中をきょろきょろ見回していたのだ。
クレオという名前の小型航空艦は、カナリア色をした丸みを帯びた船体を有していた。カッラの里は、クレオの他に運用する人員も提供している。
「ああ」
セラスは一つ頷くと、
「グスタム城は、騎装兵や従装兵が駐留する軍事拠点としては、ここから最も近い。テイルジア帝国領内の南方に位置し、ミスティール公国に対する防衛の要衝だ。尤も、フォルギス王国が南下政策で迫るようになってからは、相互不可侵の条約を結び互いに不干渉となっている。それ故、城に駐留する兵力は多くない。まぁ、直接向かわず取り敢えず近くのリールシェ市の様子を見てだが」
何も知らぬハルに分かるように話した。
「ふーん」
セラスの話を、ハルは心ここにあらずといった体で聞き流した。
小型航空艦クレオに心奪われているハルは、興味の対象にちらちら視線を送ってしまう。ハルの傍らに立つティナは、咎めるものを緑色の瞳に浮かべていた。
「全く」
珊瑚色の唇に、セラスは一つ溜息を乗せた。
「大切な話をしているのだがな。まぁ、ハルがこの世界のものに興味を示してくれるのは、悪いことではないが」
苦笑を、セラスは涼やかな整った美貌に浮かべた。
「ハルがいた世界には航空艦はないのか?」
「僕の世界にも空を飛ぶ物はあるけれど、大きな翼とかで揚力を得たりしなければ飛べないから。こんな物が、ゆっくり空を飛ぶなんてあり得ない」
ハルは、クレオを示した。
「なるほど。この世界の物は、ハルには珍しいか。このような航空艦も、騎装兵や従装兵同様に、人から魔力を得ている。そこの二人が丸い玉を握っているだろう。赤い球体は魔吸石という。それで、人から魔力を得る。航空艦の仕組みは、その得た魔力で浮力を作り出す浮遊機という魔術機械を動かし、艦を浮かせる。あとは推進粒を推力にして動くという仕組みだ。これは、騎装兵や従装兵も同様だ」
かいつまんで、セラスは機嫌良くハルに教えた。
小型航空艦クレオは、国境緩衝地帯にあるカッラの里から離れテイルジア帝国領内へと近づいている。セラスは、クレオが発進するとき微速航行を命じていた。これから戦地へと赴き本格的な運用をする前に、クレオの乗組員を慣らすためだ。それにはハルも含まれていた。
「ふむ。この辺りならよさそうだな。クレオは前進を止め、ぎりぎりまで降下」
セラスの命令で、クレオは広い盆地となった地上近くで滞空した。
周囲は、山岳地帯でこちらの見通しがきかないが、他からも見つかりづらい。
「これから帝国領に足を踏み入れるというのに、全く何も分からぬというのは困る。ハルがいかに異空騎士だったとしてもな」
からかうような口調を、セラスは作った。
紫水晶の瞳にも、悪戯っぽいものが浮かんでいる。
「一方的に僕をこの世界に呼んでおいて、よくそんなことが言える」
セラスの様子に、ハルは反発した。
騎装兵や従装兵や航空艦に惹かれはしたが、ハルがこのセントリアに召喚されたのは戦争の道具としてであることに変わりはない。その立場を納得したわけではないのだ。セラスは自分に戦いをさせたがっていると、ハルは用心した。
「これは、ハルのためだ。騎装兵――ガイアスを動かすことくらいできねば、生き残ることは覚束ないぞ」
少し、セラスは表情や口調を冷ややかにした。
ハルは、子供のように宥め賺されているように感じ、むっとなる。
「勝手なッ!」
「勝手だが事実だ」
傲岸さを感じさせる威圧感をもって、セラスは断言した。
「ティナ、ガイアスに同乗して騎装兵の使い方をハルに教えてやれ」
セラスは、ハルを無視しティナに命じた。
「はい」
澄んだ声で、ティナは短く答えた。
「ハル様」
凜とした表情で、緑色の瞳をティナはハルに向けてきた。
少しだけ、ハルは怯む。
初めて会ったときにも感じたことだが、仕草に隙がなく愛想のないティナはハルにとって少し怖い存在だった。表情が硬いのが気になる。可憐な美しい少女だ。警戒されているのかも知れない。ティナにとっては、自分に仕えるなど災難だろうとハルは思う。
そんな相手にごねるのは憚られた。だから、それ以上逆らうのを止めた。
「分かった」
ハルは、諦めて頷いた。
嬉しそうな顔をしているセラスのことは、無視する。
「こちらへ」
先に、ティナが歩き出した。ハルは、そのあとを追った。