第1章 セントリア 4
「う、うん」
まどろみの中にあったハルは、聞こえてくる音から逃れるように寝返りを打った。
コンコンと、寝室のドアがしきりに叩かれている。
その音は、朝の爽やかな空気を震わせてくる。
「煩いな……」
深い眠りの中にあったハルは、眠りを妨げる音に文句を言った。
「ハル様、お起きください」
澄んだ少女の声が、ドア越しに聞こえてきた。
鈴のような声だった。
「どうして、女の子の声が……」
ハルの目が、薄らと開かれていく。
石造りの見慣れぬ天井だった。ハルの私室の白い天井ではない。
「ここどこ……」
間抜けな声を、ハルは発した。
「僕の部屋じゃない……って、そうだ!」
ぱっとハルの目が見開かれる。がばりと上体を起こす。
「ここは、僕の家じゃないんだった。漂夢幻族のオリンドって里長の家だ」
自分の置かれている状況を、ハルは一気に思い起こした。
呑気に朝寝を楽しんでいる場合ではなかった。ハルがいた世界とは別の世界。ハルにとって未知の場所なのだ。何が起きるか、全く分からない。
「ハル様――」
「ごめん。今起きた」
ハルは、少女の呼びかけに慌てて答えた。
「失礼します」
寝室のドアが開かれる。
そこに立っていたのは、昨夜ハルの世話をしてくれた、凜とした佇まいを持ち可憐な容姿をした少女だった。昨夜の民族衣装のような格好ではなく、布と革を組み合わせた衣装を身に纏っていた。その格好は、とても勇ましい。別人と見間違えてしまいそうだった。
昨夜は下ろしていた亜麻色の髪を、今は後ろで編んで垂らしている。整った顔が、より引き締まって見える。昨夜は、ハルの斜め後ろにいたためよく見えていなかった緑色の瞳は気の強そうな光を湛え、桜色の唇はキュッと引き結ばれていた。腰には剣を提げている。
「起こしてしまい申し訳ありません」
昨夜と同様硬い表情のまま、少女は頭を下げた。
ずっと自分の世話をさせられて、不愉快なのだろうかとハルは思った。どことなく、その少女を少し怖くハルは感じた。同い年くらいに見えるが、可憐な容姿をしながらも身に纏う雰囲気は鋭かった。
「異空騎士のハル様。これに着替えてください」
少女は、腰とは別に手に持った剣を壁に立てかけると、服を差し出してくる。
ハルは、それを受け取った。ベッドに置き、ワイシャツのボタンに手をかける。それを、少女はじっと見ている。
「あ、あの、着替えるんだけど」
その場から動こうとしない少女に、ハルは声をかけた。
「着方が分からないと思います。手伝わせていただきます」
表情を変えず、少女は当たり前のように言った。
「え、そ、それは……」
少女の言葉に、ハルはまごつく。
だが、渡された布や革でできた服を、どう着たらいいのか分からない。
固まっているハルに、少女は少しだけ咎める視線を送ってきた。
少女に見られていることで羞恥心をチクチク刺激されながら、ハルは服を脱ぎ下着だけの格好になった。ハルは、まるで視姦される少女のような心境だった。
それを見ても、少女は表情一つ変えない。
すっと、ハルに歩みよってくる。
恥ずかしさで顔を赤らめつつ、少女に手伝ってもらってハルは服を着た。
「これって、君と似た格好だ」
ハルは、自分と少女を見比べた。
「はい。カッラの里の戦闘服です」
ズボンを穿いているハルとは違い少女のものは腰の下がスカート状になっているが、色違いの戦闘服だ。ハルのものは水色っぽい布と茶色い革で、少女のものは布も革もリーフグリーン色をしている。
「カッラの里が召喚した異空騎士が、代々使ってきた剣です」
少女は、凝った装飾が施された剣をハルに差し出してきた。
嫌だったがハルはそれを受け取ろうとしたが、少女が屈み込んだ。ハルの腰に素早く手を回す。剣のベルトを締め、ハルの腰に提げさせた。
真剣の重みに、ハルは軽く身震いする。それは、人を殺すための道具だ。
「皆がお待ちです。下へ行きましょう」
すっと立ち上がると、少女はハルに背を向けた。
ハルは、丈夫な布と革鎧を組み合わせた戦闘服に剣を腰に提げ、これではまるで戦士ではないかと憂鬱に思いながら、少女について行った。
一階の居間には、黒い布と金属を組み合わせた衣装を着たセラスと、緑色のローブのようなものを着た里長のオリンドが待っていた。
「来たか、ん?」
顔を輝かせハルを見たセラスだったが、すぐに綺麗な柳の眉をしかめた。
「ハルは異空騎士なのだぞ。騎装服は用意できないか。戦闘服では格好がつかん。兵士ではないのだ」
すっと立ち上がると、セラスはハルの前で立ち止まり紫水晶の瞳で観察した。
「騎装服?」
ハルは、首を傾げた。
「騎装服というのは、わたしが着ているもののことだ。騎装服は騎士が着用し、ハルが着ているような戦闘服は兵士が着用するものなのだ」
自分の衣装を示しながら、セラスが教えた。
「別に、僕はこれでも構わないけど」
どんな格好をしようとも、やることは同じだとハルは思う。
目の前のセラス皇女は、ハルを戦いのためにここセントリアに召喚させたのだから。
「今は、これで仕方がないか」
一つ溜息を、セラスは珊瑚色の唇に乗せた。
「剣は、いい幅広の剣だ」
セラスは、取り敢えず納得したようだった。