第1章 セントリア 3
夜、食卓にはたくさんの料理が並んだ。
世界を渡り異世界に来たためか、所持していたスマートフォンを含む電子機器はなくなっていた。それをハルは寂しく感じた。同時に、よけいな技術が異世界からもたらされないためのルールなのだろうかとも。
このカッラの里は、山岳地帯にあり外界と隔絶し自給自足のような生活を送っている。そのことは、里を案内されてハルは確認している。そのことを考えれば、出された料理がいかに豪華であるか、日本の都会暮らしをしていたハルでもよく分かった。
貴重だろう肉を惜しげもなく使っている。保存のため燻製にした肉ではなく、生肉である。ハルのためにわざわざ家畜を捌いてくれたのだ。
肉汁がたっぷりしたたり、食欲をそそってくる厚切りの肉。湯気を立てる美味しそうな肉団子と野菜を使ったスープ。チーズをかけた何か麺類のようなもの。山の幸をふんだんに用いた具を、クレープのような薄いパンケーキで包んだもの。様々な品が並んでいた。
ハルは、自分がこの里では歓迎されていることを、理解した。
「ここが、本当に異世界だなんて、参ったな」
誰にとはない呟きを、ハルは落とした。
「今更だな、ハル」
近くに座るセラスが、ハルの言葉に軽く笑った。
セラスは、黒い布と金属を組み合わせた先ほどの変わった衣装ではなく、里の娘が着ているような服に着替えていた。女性らしい格好なので、セラスの魅力がますます引き立っていた。
「里のみんなが着ているものは、中世っていうよりまるきりファンタジーそのものだ」
セラスの格好を眺めながら、ハルは溜息まじりに言った。
「ハルの目からは、この格好が奇異に映るのか。わたしには、ハルの格好の方が変わっているように見える。仕立ては上等なようだが、そのような服を見たことがない」
学校のブレザーを着ているハルを、セラスは興味深げに見遣った。
「ここが日本じゃないなら、異世界じゃなければ説明がつかない。僕は、下校途中だった。それが、いきなりこんな場所にいるんだから」
現実感が未だに湧かないが、それでも認めないわけにはいかなかった。
ハルをこのセントリアに召喚したセラスの思惑は、面白くなかったが。
「ふむ」
セラスは、ほっそり締まった頤に指をあてがい思案顔をした。
「世界を渡るとは、そのようなものなのか。もっとこう劇的なことかと思っていた。自分の居場所が変わるだけとは」
少し、セラスは残念そうだった。
「全くの突然ってわけじゃない。元の世界から隔絶されて、青と赤のトンネルのような場所を移動して、ここに来た」
あのときのことを思いだして、ハルはぞくりとした。世界との接続を絶たれていく感覚は、今思いだしても背筋に悪寒が走る。友だちといっていい志帆が、全く交われない存在となっていくのはとても怖かった。
世界と完全に切り離されたとき、ハルは視覚以外何も感じることができなかった。それは、この上なくハルを空虚にし恐怖させた。五感に感じることで、人間は初めて己という存在を認識できるのだとハルは実感した。
「ほう」
紫水晶の瞳が、興味深げに輝いた。
それを見て、ハルは用心した。少し、気を許しすぎたと思う。目の前にいる涼やかな整った美貌の持ち主は、自分を戦争の道具としてこのセントリアに召喚したのだ。
「ハル様、セラス皇女、お待たせしました」
オリンドがやって来た。
その後ろには、カッラの里の主立った者たちと思しき男女が続いた。
皆、食卓についた。
さらに奥から、民族衣装のような丈の短い前合わせの服を帯で締めた若い娘たち四人が、出てきた。
「さ、ハル様」
と、その中の一人の少女が、飲み物の入ったピッチャーを差し出してくる。
「あ、ありがとう」
ハルは、銀器と思われるカップを手に取った。
少々、ハルは照れた。少女にかしずかれるなど、これまでハルの人生ではなかった。女の子と付き合ったことのないハルは、顔を赤らめてしまう。
赤い液体が、ハルのカップに注がれていく。
注ぎ終えてもその少女は立ち去らず、ハルの傍らに立ち続けた。どうやら、その娘はハル一人の世話をするらしかった。
少女は、娘たちの中では最も若く、ハルと歳はそう変わらなさそうに見えた。可憐な容姿をしていて表情は少々硬いが美しい。緑色の瞳が印象的だった。仕草に隙がなく、少し怖い感じがしないでもなかった。すらりとした太股が目に入り、慌ててハルは目を逸らす。
「ど、どうも」
どもりつつ、ハルはお礼を口にする。
「どうした、ハル? もっと堂々としたらどうなのだ。ハルは、このカッラの里では、神聖視される存在だ。漂夢幻族カッラの里では王のような立場なのだから」
面白そうに、セラスはハルを見た。
その涼やかな整った美貌には、好ましそうな表情が浮かんでいる。
「王って、そんな……僕は、ただの学生なのに……」
どうにも、ハルは落ち着かなかった。
気恥ずかしさを感じてしまう。
「これから異空騎士として生きていくのだから、特別に遇されることに慣れておくのだな」
絹のように滑らかなセラスの声音には、からかうものがあった。
銀器に注がれた赤い液体からは、葡萄の香りとともにアルコールの匂いがした。どうやら、赤い液体はワインのようなものらしい。
「僕は、まだ未成年だからお酒はちょっと」
せっかく注いでもらったが、ハルは困った顔をした。
「ハルは、一五歳なのだろう。もう成人している」
「僕がいた世界では、二十歳で成人なんだ。お酒なんて飲んだことないし」
「ふむ。わたしも、葡萄酒は遠慮している。ハルにわたしと同じ物を」
セラスが命じるとハルの傍らに立っていた少女は奥へ引っ込み、銀のカップとピッチャーを手に戻ってきた。
再び、ハルに手渡した銀のカップに飲み物が注がれる。今度のものは、透明に近かった。
「では、異空騎士ハル様の召喚を祝って、乾杯いたしましょうぞ」
オリンドが、カップを掲げた。
ハルもそれに倣う。
銀のカップの中身を、一口飲む。
「うん。美味しい。果物みたいだけど、何だろう?」
それは、不思議な味がした。甘味と酸味があり、すっと喉を通り過ぎる。これまでハルが食べたことがある果物のどれにも味が似ていなかった。
「里で作った、ヌークの実を搾ったものです。お口に合って何よりですじゃ」
オリンドが、満足そうに笑った。
ハルのために開かれた宴席は、長い時間続いた。オリンドを始め里の主立った者たちと、ハルは会話を交わした。里の者たちは、ハルが元いた世界がどのようなところであったのか、仕切りと聞きたがった。
宴席は、夜遅くまで続いた。
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「こちらの部屋で、お休みください」
ハルの傍らで飲み物を注いでくれたり食事を取り分けたりしてくれたずっと硬い表情をしている少女に、二階にある寝室へ案内された。
部屋の作りは簡素だが、清潔そうだった。
「ありがとう」
礼を述べると、ハルは寝室へと入った。
「ゆっくりお休みください」
少女は、一つ頭を下げるとドアを閉め下がった。
ドサリと、ハルはベッドに寝転がった。色々なことがありすぎて、ハルは疲れ切っていた。
窓の外を眺める。
月明かりに照らされ見える景色は、山岳地帯のものだった。
正面には、黒々とした山脈が見える。
「月……それも二つ」
空には、二つ連なった月が昇っていた。
「本当に、異世界なんだな」
再びハルは、それを実感した。
「これから、僕はどうなるんだろう」
不安にハルは心細さを覚えた。
全く知らない世界にやって来た。唯一救いは、自分を召喚した漂夢幻族カッラの里やセラスなど、ハルには頼るべき者たちがいることだ。そうでなければ、きっとハルはのたれ死ぬことになっていただろう。
「あのセラスっていう皇女様は、僕を戦いの道具としてこの世界に呼んだんだ」
そのことを、ハルは納得することができなかった。
これから先、この世界で戦いをやらされるのかと思うと、不安この上なかった。生まれてこの方、戦争のない国で育った。戦争など遠い国の出来事だと思っていた。それなのに、ハルはセントリアという世界の国同士の戦いに巻き込まれることとなる。
「僕にどうにかなるのか?」
不安で仕方がない。
だが、セラスやオリンドの話によればハルは異空騎士なる存在であるらしく、戦う存在であるらしかった。ハルは、戦ったこともない自分がと思う。
そして、この世界が中世或いはファンタジー世界のような時代であることが、よりハルを不安にさせた。それは、剣による戦いを連想させる。
ハルは、小学生の頃は近所の道場に通い中学時代は剣道部に入っていた。都大会などで上位に入るほどだった。だから、竹刀ではない真剣の恐ろしさをまるきり知らないわけではない。銃や戦闘機などの兵器による戦闘よりも、一層過酷な戦い。人と人とが、刀剣で戦うとはそういうことだと、ハルは想像ではあったが理解することができた。
「冗談じゃない」
ハルは、ベッドに突っ伏した。
これが夢であったらと、思う。
救いだったのは、それ以上悩むことなくハルは眠りへと落ちることができたことだった。