16 神様の涙
どんなに願っても明日は必ず来る。皮肉なもので、かんかんに晴れた次の日は、太陽がざまあみろとでも言うように輝いていた。
ため息をつくと、外の様子を見ながら大学に電話をかける。日曜日だけれど、教授に呼ばれている事を思い出して断りの電話を入れた。
そんな事は、後でいくらでも聞ける。
それよりも、今は優先すべき事があるのだ。
雨宮さんと少しでも一緒に居たい。
だから少しの時間も無駄には出来ない。
時間はどんどんと迫っていった。
今頃、皆は友達と遊んだりバイトに勤しんだりしているであろう時間に、僕は神社に向かう。外は暑くて、梅雨明けを知らせていた。
もう、大好きな夏なのだ。
これから夏祭りに行って、花火を見て、楽しく友樹と幸弘と合宿が出来る、楽しい夏なのだ。
なのにその事実に素直に喜べない僕が居て、それが悲しかった。
それが、辛くて仕方なかったんだ。
神社にたどり着くと、やっぱり雨宮さんは先に居て、僕を見るなり驚いた様子で、手を振ってくれた。僕も手を振り返すと、雨宮さんは笑って返してくれる。でも、その笑顔の裏が見えてしまうようで、心苦しかった。
「今日は、随分と早いですね」
「……はい。少しでも、貴女と居たくて」
「私もです」
雨宮さんは短くそう答えると、顔をうっすら赤くしていた。それが果たして暑いからか、それとももっと別の原因か、分からなかった。
雨宮さんは、やがて立ち上がって僕の所へ歩み寄る。
照りつける太陽は憎らしいほどに暑さを醸し出していて、汗が一筋流れる。なのに、雨宮さんは涼しげな顔をして立っている。その事実が僕と雨宮さんの越えられない壁を表しているようで悲しかった。
太陽の下で見る雨宮さんは新鮮で、綺麗な黒髪が光に照らされて輝いて見える。以前倒れた時以来の光景だが、やはり太陽のせいか雨宮さんは弱々しく見えた。
つくづく、雨が異常なほど似合う女性だと思う。
「……行きましょうか」
「はい。行きましょう」
その言葉を合図に僕たちはゆっくりとした足取りで歩きだした。
電車は使わず、わざと徒歩でいろんな所をあてもなく回った。神社の周辺を、雨宮さんが消えない範囲で。その方が、時間が遅くなるような気がしたから。
最初に海を見た。もうすぐ海開きをするとはいえ、少しだけ肌寒かった。
でも、雨宮さんは心の底から楽しそうにはしゃぎ回った。その様子はいつかの買い物に出た時と似ていて、僕はそれを微笑ましく思って眺めていた。
砂の城を作って見せたり、海の水を触ったり、貝殻を拾ったり。
それは、普通の恋人がするように、僕たちは過ごした。
砂の城では、風が吹いて崩れてしまい、雨宮さんは拗ねていた。それが子供のようで可愛いと思ったのは、いつもの事で。
海水は冷たくて、雨とは違いますね、なんて言葉を交わす。
貝殻から虫が出てきたりして、雨宮さんは実に可愛らしい悲鳴をあげたりもした。
雨宮さんは、本当に楽しそうだった。
「手を、繋ぎませんか」
「……ええ。いいですよ」
そう言うと、僕らはお互いの手をぎゅっと握りしめた。雨宮さんの手はひんやりとしている。
彼女が僕の傍を離れないように。二度と僕の前から姿を消さないように。
僕はしっかりと握ると、雨宮さんもそれに返してくれる。それが嬉しくてたまらなかった。
その後は、ファミレスに寄って昼飯を食べる。当然、今日は僕のおごりだ。
「これがハンバーグ……?凄く美味しい……!」
「本当ですか?それは良かった。僕のドリアも美味しいですよ。食べてみます?」
「是非!じゃあ、私もハンバーグをお裾分けです」
そうして僕らはお互いの昼飯を少しだけお裾分けした。ドリアを食べた瞬間の雨宮さんときたら、目が輝いて、もうそれは愛らしい。
はしゃぐと子供っぽくなる雨宮さんの一面はここでもはっきりと表れていて、僕は笑った。雨宮さんも雨空から顔を出す太陽のように笑ってくれる。
聞けば供物に持って来られる食べ物以外は食べた事がないらしい。しかもかなり昔の事だから、味も全然違うと言うのだ。
昔のお供え物と言ったらお饅頭とか野菜とか、そういうものだろう。なら、ここに連れて来て良かったと心底思う。
さすがに食べてる時は手を繋げない。だけど、食べ終わると、お互い自然と手を繋いでいた。それは、雨宮さんも離れたくないと言ってくれているようで、嬉しかった。
午後は無難に水族館に行ってみる。
水族館なんていつ以来だろう。昔、美代子さんに春さんとともに連れて行ってもらった以来だろうか。 それも小学生の時の話だから本当に久しぶりだ。
そんな事を思って中に入ってみると、雨宮さんは海よりも、ファミレスよりもきらきらと目を輝かせていた。
魚を見るのは初めてなのか、水槽に食いつくように見入っている。
その様子は、小学生の頃の僕と被って、懐かしいな、とか思ってしまう。僕もあんな風に水槽にべったり張り付いて、春さんに何度引き剥がされただろう。
「凄い……綺麗!」
「あっちも綺麗ですよ。魚の群れです」
「わああ!」
子供のような雨宮さんは、ここでもはしゃぎ回ってその姿に癒される。いつもの落ち着いた雰囲気とギャップがあってそこがまたいい。そう思うと、やっぱり好きなんだと実感してしまう。
とびきりの笑顔と、離れない手にドキドキして、すぐに抱きしめてしまいという衝動に駆られてしまう。ああ、幸せな光景だ。
「こんなに綺麗な物を見たのは初めてです。本当に、ありがとうございます」
僕は、このありがとうが、どういう意味か分からなかった。ここに連れて来てくれて?それとも今まで?
分からない。僕はこの一日を楽しみながらも恐怖して過ごした。いずれやってくるであろうその時間に恐れて。
三時くらいになると、最後はゆっくり神社で話そうという事になって、三十分くらいかけて帰った。
繋いでいる手が段々と透けているような気がしたけれど、僕はそれに気付かない振りをして、更にぎゅっと握りしめる。
彼女の力は、もうほとんど残っていなかった。
神社に着くと様々な話をする。
それはいつものようだけど、何処か違っていた。
今日の事。今までの事。それから……これからの事。
魚って本当に綺麗なんですね。ああでも怖い魚もいますよ。そうなんですか?こないだのショッピングモールより楽しかったです。新鮮でしたか?はい。
そんな、他愛もない話を続けて、続けて、いつまでもこんな時が続けばいいのに。僕はそう願って、でもそれは叶わなかった。
僕はふと、あの童話の続きが気になって聞いてみる。僕らがモデルの、最後が気になる。どうなってしまうのだろう。
「あの話の続き、聞かせてもらえます?」
「……はい」
雨宮さんは一瞬驚いた顔をしたけど、少し切ない顔でうなずいてくれる。僕が、もうあの話の意味に気付いていると分かったのだろう。
雨宮さんは軽く微笑むと口を開いた。
――神様は、男性に恋をして、その男性と過ごすうちに、毎日が楽しくてたまらなくなりました。
雨の日にしか会えない彼に会うため、自ら雨を降らしもしました。
ああ、こんな時間が永遠に続けばいいのに。
だけれど、その願いは虚しく散ろうとしていました。
神様の蓄えてきた力がもう残りわずかなってしまったのです。
それもそうでしょう。
なにせ、神様はろくに供物を貰えず、雨だけで長年力を蓄えていたのですから、力の回復は遅いのです。しかも、自ら雨を降らしてしまっているため、力は早くなくなってしまいます。
やがて、神様は最後の力を振り絞り、彼に会います。
それから……。
「それから……」
「それから……?」
「……っ、この話の続きは……、言えません……」
「……そう、ですか」
雨宮さんは僕の視線から逃れるようにして俯く。その姿は痛ましくて、僕も辛くて。そうだ。この物語の続きは、今の僕達。これから起こる事が続きになるのだ。
話をしているうちに雨宮さんは段々と透けていった。それはもう、気のせいとかで済ませられないほどに。
僕が握っている手も、もう何もなくて空中を握っているだけだった。でも、僕は握り続けた。そこに雨宮さんの手があると信じて、ずっと、力強く。
「……雨宮さん」
僕は無意識に彼女の名前を呼ぶ。すると、雨宮さんは透けた笑顔ではい、と答えてくれる。
ああ、これほどまでに綺麗で、優しくて、可愛い女性を僕は他に知らない。これほどまでに魅力的な人を、僕は知らない。
でも、彼女は透けているのだ。消えかけているのだ。
力を使い果たして、僕に何がしたかったのだろう。
僕に、どうしてそこまでしてくれたのだろう。
雨宮さんの透けた笑顔は終わりを悟らせていた。
彼女はそれを否定するように立ちあがって太陽の下に出る。握っていたはずの手は、やっぱり握っていなくて、僕の右手は空しく離れていた。
せめて、姿だけは見逃さないように。そう思って僕も立ち上がった。
雨宮さんは、太陽に照らされて、ますます透けて見えた。
艶やかな黒い顔も、すっと通る顔立ちも、清楚なワンピースさえも。
透けて、僕に見せたくないかのように、見えなくなっていく。
「赤瀬さん。……私」
嫌な予感がして、その言葉を聞きたくないと言うように首を振った。
もうこれ以上悲しい思いなんてさせないでくださいよ。ねえ、雨宮さん。お願いです。
「お願いですから。その先は……言わないでください」
僕は思わず消えていない方の手を引きよせて雨宮さんを抱きしめた。でも、抱きしめてる感覚が薄くて、僕は不安に駆られながら必死につかもうとする。
でも、掴めなくて。何も、無いように思えて。
そこにあるはずなのに、雨宮さんの身体はない。僕の目の前にあるのに。腕の中で、収まっているはずなのに。
全然、居ないじゃないか。
「消えないで……下さい。消えないで下さいよ……!」
「……っ」
最後の最後で、隠していた僕の情けない所をさらけ出す。その姿は酷く痛くて、無様だっただろう。
だが、ここで本音を言わずにいつ言うというのだ。消えないで欲しいのだ。もっと彼女とずっと話していたい。ずっと、ずっと……。
雨宮さんは、何も言わずにただただ悲しそうに笑う。何も言っていないのに言いたい事が分かるような気がした。
それはダメなんです、と。
「お願いです!僕、まだ雨宮さんに伝えたい事いっぱいあるんです!だから……!」
必死に、懇願するように言うと、僕の口元にないはずの人差し指が当てられる。透けている中、その人差し指は確かにその感覚があった。僕の口元を押さえている綺麗な指は、続きを言うのを躊躇わせた。
「私も伝えたい事がいっぱいあります」
「なら……!」
僕の腕の中で、雨宮さんはどんどん透けていく。どんどんと、どんどんと。
僕は更に掴もうとして雨宮さんを手繰り寄せる。でも、どうしてもそれが出来なくて、なかなか掴めない。
それを何度も何度も繰り返す。
まるで、子供のようにその行為を繰り返す。それが無意味だと知っていても、止められない。
そこに居るのに。
居るのに!
「嫌だ。待ってくれ。お願いだから……!!待って、くれ……!!」
心の声がただ漏れる。その言葉を聞いても雨宮さんは笑顔を崩さずに、ただ笑って立っていた。でも、それもつかの間だった。
「あま、みや……さん?」
消えていた。
瞬きさえしていないのに、目の前から何も残さずに雨宮さんは、居なくなっていた。
辺りを必死に見回したって、どうやったって、もう。
雨宮さんは居ない。
「あ、ああ……」
次第に目元から何かが溢れてくる。
それは、僕にとってとても情けないほどの感情だった。
ねえ、どうしていきなり消えてしまうんですか。
どうして、僕をこんな気持ちにさせてしまうんですか。
無意識に膝から崩れ落ちて、空を仰ぐ。
眩しいくらいの太陽が僕をあざ笑う。
ああ、どうしてこんなに。
「空は明るいんだよ……」
頬から流れる雫をぬぐえずにそんな事を呟くと、ふと、何か身体が温かさに包まれている気がした。
ハッとなって目を凝らすと、太陽の光に反射して見えにくいけれど、雨宮さんはまだ僕の目の前に居て。
僕を抱きしめていた。
「雨宮さん……!」
僕はどうにもならない感情を抑え込んで雨宮さんを見る。
雨宮さんは、文字通り透き通った身体で僕を優しく、目をつむって抱きしめてくれていた。
その姿はまるで聖母のようだった。
「びっくりしましたか?」
「そんなっ、当たり前じゃないですか……!本当に消えたかと……!」
「では、ドッキリ大成功ですね」
「洒落にならないですよ……。やめて、ください」
「最後に赤瀬さんに悪戯がしたいなって思って、やってしまいました。ごめんなさい」
「…………もう」
僕は雨宮さんから視線を逸らしてワンピースの辺りを見つめる。
そんな可愛い冗談も、これで最後。
そんな現実が、僕らを襲う。
「ほら、赤瀬さん。泣かないで」
「……そんなの、」
無理です。
そう言う前に雨宮さんの手が僕の目元をぬぐう。
薄い感触の中、僕の涙は雨宮さんの手にぬぐわれて、視界がクリアになる。
「ねえ、一つだけお願いを聞いてください」
「っ……僕に出来るなら何だって……。全部叶えます……!」
「ふふ……。ありがとうございます。じゃあ、忘れないでください」
「……え?」
「私は消えちゃうけど、記憶は消えません。だから、私と過した時を忘れないで。それが、私からの赤瀬さんに贈る最後の意地悪です」
雨宮さんはこの期に及んではにかむ。
まるで鈴のように、ヒマワリのように、天使のように。
真っ白で、清楚なその笑みを僕はまた泣きそうな顔をして受け止めた。
「忘れるわけ……ないっ……」
「私も、忘れません」
「当たり前です……。だから、お願いです。僕を、置いて行かないで……」
「私、赤瀬さんに出会えてとても幸せでした。本当に……」
「雨宮さん……?」
「ありがとう……!」
その言葉を聞いた瞬間の事だった。
彼女は最高の笑顔を僕に向けて儚く散っていく。跡形もなく、光となって、僕の腕から消えていった。その様子はまるで蛍が四方に飛び去るように、光の粒となって空気と同化していく。
幻想的な光景が、更に僕をみじめにさせる。
太陽の下、雨宮さんの光の粒は更に輝きを増して次第に姿を消していった。
そこに居た事すら、分からないぐらいに雨宮さんは何も残さなかった。
僕は掴めなかった手を彷徨わせて、結局は地面に手をついてしまう。
心の中で虚しさと悔しさと、何もかもが混ざった感情がもやもやと漂っていた。その感情にどうこう出来るほど僕は強くない。だから、やっぱり情けなく感情をさらけ出してしまう。
今度こそ、雨宮さんは。
消えた。
「何で……何で、だよ……!」
頻繁に会えなくたっていい。たまにでいい。遅くてもいい。だから、だから……、
「消えないでくれ……!!」
僕は地面に拳を付けてそう叫ぶ。
まだまだ伝えたい事がたくさんある。
ありがとう、大好き、可愛いよ、綺麗だね……。
僕は結局自分が思っている事を伝えられなかった。
何も、僕の言葉は届けられなかった。
それに、僕はまだ。……まだ。
「まだあなたの口から答えを聞いてません……。……僕の好きに、答えて下さいよ……ねえ……」
例え物語で答えが出ていようが、僕は雨宮さんの口から聞きたかった。ちゃんと、向き合ってほしかった。
僕の事をどう思っているんですか?
僕と一緒に居て楽しかったですか?
僕の好きに、答えてくれますか?
でも、それは叶わなかった。
誰の心にも残れない存在なんて嘘じゃないか。だって、僕の心にはこんなに雨宮さんで埋め尽くされている。彼女がいなくて僕は心にぽっかりと穴が空いてしまっているのに。
ずっと地面に拳を突き付けていると、黒い感情が少しずつやって来る。
ちくしょう、チクショウ、畜生!!
そうしている内に突然雨がポツリポツリと降って来た。
それは、梅雨を終わらせたはずなのに異常な光景だった。
ぽつぽつ、ざあざあ。
次第に段々雨は酷くなって来て、僕を濡らしていく。
「あ……あああぁああああああぁ!」
僕は雨の中大声をあげて泣いた。頬に張り付くものが雨なのか涙なのか分からない。雨もまた泣くように降り続ける。
ずっと、ずっと、枯れるまで泣き続ける。枯れるなんて事を知らずに。
神社には、僕の声と嗚咽と、ただそれ以外には何も残っていなかった。
ただ、それを隠してくれるように雨が僕を濡らしていく。
ああ、雨よ。
どうか、
どうか。
「このまま僕を消し去って……」
雨は当然答えなかった。僕は溢れる涙をぬぐう事なく、叫び続けた。
神様が流した涙も、止まなかった。神様の涙はただただ、僕を濡らしていくだけだった。ずっと、ずっと。
僕がその場を離れるまで。
あれから僕は雨が降る度に神社に行った。それは、彼女が居るような気がしたから。
だから、結局雨宮さんが居ないだけで何も変わっていない。
いや、変わっていないなんて嘘だ。
僕の心にはまだ雨宮さんと過した半月が未だ鮮明に思い出せる。まだ、雨宮さんを描いている。僕はまだ、雨宮さんと過す日々を取り戻そうとしてる。
でもやっぱり居なくて毎回泣きそうになりながら、買ってきたお饅頭を供物として供える。
丁寧に置くと、その饅頭は色鮮やかに供えられて嬉しそうだった。最近は近くの高い店の饅頭を買ってきている。
だからきっと、美味しいはずだ。
そうして次に賽銭箱にお金を入れて祈る。
――どうか、雨の神様が力を取り戻して姿を現わしますように、と。
最近の日課は専らこんな感じだ。
供物と雨で力を蓄えるという事で、供物をかかさず供え、賽銭箱に願い事をする。
もしかしたら、この行動で雨宮さんは姿を現してくれるかもしれない。
力を完全に使い果たしてしまうと死んでしまうのか、それともただ姿が現わせられなくなってしまっただけなのか。
僕に判断がつくはずがなく、微かな推測に希望を乗せて毎回雨の日にここを訪れていた。
叶うはずがないと分かっていても僕はそれを止めなかった。ここに雨宮さんがいると信じている。
きっと、また僕に姿を現してくれると信じている。
祈りを終えると祠の横に隠してある雨宮さんのオルゴールを流す。ちなみに、傘も僕が貰うはずだったオルゴールもそこに置いてある。その三つは、元々人の出入りが少ないこの神社では何事もなく安全に隠す事が出来た。
ゆっくりとオルゴールのネジを巻く。
すると、ゆったりとしたあの音楽が流れ出す。
そして僕は、オルゴールを流しながら今日あった事を話す。
ある日は、友人と遊んできただとか、美代子さん達に会っただとか、大学は難しいだとか。そんな他愛もない話を、あの時のように変わりなく話す。
ただ、一人で雨宮さんが退屈しないように。
こうすれば雨宮さんは聞いてくれると信じているから。
必ず聞いてくれているはず。
これが今の僕の日常。
雨宮さんが消えてからの、慰めのような日常。
僕はそれを続ける。幾度も、幾度も。ただ淡々と。
それは、僕が大学三年生になった二年後の話だった。
再びあの季節がやって来て、僕は傘を手にまた神社に向かう。この日課はもはや変わることなく、梅雨がやってきてからはほぼ毎日だった。
雨宿りをするためではない。
思いを届けるために今日もすっかり見慣れた鳥居をくぐり、雨の中をばしゃばしゃと歩く。あの頃とすっかり変わってしまった僕は、それでも変わる事なく少しの期待といつも通りの虚しさを引きつれて天神社にやって来る。
すると、前に誰かが居るのに気がついた。その人は、賽銭箱の下の階段に座っていた。
その光景に僕は既視感を感じて急いでそこに向かう。
もしかしたら。
そんな淡い希望が芽生えて、それが僕の動く原動力になった。
すると、向こうは僕に気付いて、顔を上げる。
そして、2年前と変わらない清楚なワンピースに艶やかな黒髪をなびかせて、笑うのだ。
変わらない綺麗な笑顔を向けられて、僕は泣きそうになる。
思わず傘を放り出して彼女に駆け寄った。全力で、息が切れる事を覚悟して。
でも止まらない。
止まれない。
だって、思いはようやく伝わるのだ。
一気に加速した足を動かして、飛びつくようにその人物に近づく。
ああ、
僕は雨が大好きだ!




