13 これが、本当の気持ち
神社に着いて、彼女を階段の所に横にさせると、ようやく一息ついた。神社に向かう途中で気を失ってしまったらしく、雨宮さんは目を覚まさない。
やっぱり、病院に連れて行った方が……。
そう思いつつも、雨宮さんがわざわざこの神社を指定した事に何か意味があるかもしれないと思って、雨宮さんが起き上がるのを待っていた。
ずっと病院を呼ぼうか迷いながら、うだうだと考えて、それでも雨宮さんから視線を逸らさない。そうすることで、少しでも自分に襲い掛かる不安を払いたかった。
そうして、消えそうなほど衰弱していた雨宮さんを見つめる事三十分。
ようやく彼女は重たい瞼を開けて、僕をその視界に映してくれた。
「雨宮さん……っ!」
良かった。
心の底からそう思った。だって、ちょっと泣きそうだったのだ。
事実、僕は涙目だったのだろう。雨宮さんは僕を見るなり苦笑していた。
起き上がって、少し身体をだるそうにして座っているが、命に危険があるとかそういうのは見受けられない。それを見て酷く安心した。
「本当に良かった……。病院に今からでも行きますか!?ちょうど晴れてるので、移動も楽に出来ますよ」
僕がそう言うと、雨宮さんは立ったままの僕をちら、と見上げてきた。
そういえば、太陽の下で雨宮さんを見るのは初めてだ。日光に当たった雨宮さんに、初めて肌の異常な白さに気付かされた。それはもう、太陽の光で溶けてしまいそうなくらいに青白い。
僕は返事を待っていると、雨宮さんはまだ調子を取り戻していない様子で、か細い声を出した。でも、その言葉は衝撃的だった。
「今日は……もう、帰っていただけますか。そして出来れば……。
もうここには来ないでください」
「……え?」
僕は今、何を言われたのか分からなかった。
何を、言われた?帰れって?それってどういう意味だっけ?
ここには来れない?それって、それって……。
「これを持って帰って下さい」
そう言って雨宮さんは、脇に置いておいた先ほどの僕へのオルゴールを渡してくる。僕はそれを受け取れずに、先ほどの言葉の意味を探していた。だって、だって……。
僕は、分かっているのに分かっていない言葉の意味を探して、恐怖と不安に押しつぶされそうになった。雨宮さんをじっと見つめる。
すると彼女は、僕に紙袋を押しつけて弱々しく首を振る。
「病院は大丈夫ですから。身体の事は心配しないでください。原因も分かっています」
「じゃあ……じゃあ……何で!」
「早く、ここを離れて下さい」
「……僕は、僕は」
「離れて下さい」
「待って下さい。なんで、そんないきなり、」
「早く!!」
初めて聞く雨宮さんの怒鳴り声にハッとなる。雨宮さんは、怒っているような、切羽詰まっているような顔で、僕を睨んでいた。僕はそれに怖気ついて、ひるんでしまう。
いつも穏やかな雨宮さんがここまで怒っている。その事実が信じられなくて。どうして、怒っているのか分からなくて。
「もう。さよならです」
「あ……」
それを言われた瞬間、何かが砕ける音がした。それが何なのか、分からない。僕の心か、それとも、雨宮さんの怒りか。
僕は無意識のうちに紙袋と傘を放り出して逃げるように神社を抜けた。
走って走って、ずっと走った。
元より体力なんて全然ない僕は、五分もしないうちに息を切らして、走る事を止めてしまう。
それでもとぼとぼと、歩く。
無意識に家の前に着いて、僕はそこで初めて立ち止まった。
まだ息が荒い。辛い。心が辛い。何もかもが、分からない。どうして。どうして?
「くっ……う、うう……」
僕は、無意識のうちに泣いていた。
何で雨宮さんが倒れたのか。何で雨宮さんは離れてほしいと言ったのか。何で雨宮さんは怒っていたのか。何で雨宮さんは、雨宮さんは……。
そんな事ばかりを考えて、それが涙を止まらなくさせる。涙はやがて頬を伝って地面へと落ちる。ポタ、ポタ、とまるで雨のように。僕の流す雨は止まらない。止まれない。
会えないのだ。だって来るなって。来るな。もう来ないで。
子供のようにその言葉を呟くと、さらに涙は止まらない。
僕は、何か嫌われる事をしたのだろうか。
僕は、何をしたのだろうか。つまらなかった?気に障る事をしてしまった?
雨宮さんは、何を思って、あんな事を言ったのだろう。
僕に、何が足らなかったのだろう。
全てが分からなくて、曖昧になって。
ようやく僕は雨宮さんと過ごす日々がかけがえのないものだった事に気づかされる。たったの半月が、僕をこうまでさせた。雨宮さんが、僕を、こうさせた。
雨宮さんに嫌われたくない。でも、多分嫌われてしまった。
その現実が、僕に、僕の心に深く突き刺さる。
その内、涙は枯れ果ててしまっていた。
次の日がやって来ても、僕は昨日の事があって心も体も憂鬱に包まれていた。何もしたくない。何も出来ない。でも、間違いなく必ず朝はやってくるし、それが僕を叱咤する。
さっさと起きろ、と。
大好きな太陽を見ても、何も思えない。
雨が降っていないと、気分は上がらない。でも、雨が降ってももう会えない。
僕は下らない考えに取り憑かれたように大学に行った。もう本格的に暑さはやって来ていて、それが僕の心を更に干からびさせた。
おはよう。今日も暑いな。でもまだまだこれから暑くなるぜ。誰かーパンくれー。どうしよ今日あいつの講義だ。わははは。
皆が皆、楽しそうに今日を生きる。その中を僕は、僕だけはぽつんと過ごして生きていないような感覚が出てくる。
でも、生きている。僕は、雨宮さんに嫌われても、生きて、ここに来ている。
誰もが僕の事を気にせず、いつも通りに過ごす。だから、僕も表面上はいつも通り。心には、嵐が吹きすさんでいると言うのに。
「……い。おいっ!」
ずっとぼうっとしていると僕に呼びかける声がしてハッとなる。そうして横を見ると、幸弘と友樹が立っていた。どうやら、だいぶ前から呼んでいてくれてたらしい。
二人は、僕が顔を向けた途端、少し怒ったような、呆れたような顔をした。ちょっと申し訳ないけど今はそれどころじゃない。
「さっきからずっと呼んでんのに、一体どうし……た、んだ、よ……?」
「……幸弘?」
途中から語尾がどんどんと小さくなっていく幸弘に僕は首を傾げた。いつもはきはきしている幸弘が珍しい。
「お前、その顔どうしたんだよ!?」
「……え?顔?」
「酷い顔してるなー。まるで絶望してこの世から去りたいとでも言うように」
友樹の言葉を聞いて僕は自分の顔を触る。僕は、そんなに酷い顔をしていたのか?まさか。そんな。
「……お前、ちょっとこっち来い」
「……え?」
無理やり腕を引っ張られて、幸弘に連れて行かれる。どうやら僕に選ぶ選択はないらしい。
幸弘の強い力では、到底僕は抵抗出来るわけがなくて、ただされるがままに着いて行く。まあ、力があったとしても、この状況では逆らう事さえも、考えることが出来なかっただろう。
後ろに静かに着いてくる友樹は、珍しく茶化す事はなかった。
僕は、そんなに酷い顔をしていたのか?朝、鏡を見たときはそこまでじゃなかったような気がしていたし、平気な顔をしていつも通りだと思っていた。
やがて連れてこられた場所は、屋上だった。朝は使う人が居なくて、ほとんど無人の状態だった。わずか数人だけのこの空間を幸弘が選んだのには理由があるのだろう。彼は彼なりに察してくれているらしい。
「ん」
幸弘に無理やりベンチに座らされると、二人もようやく座った。僕らはしばらく何も話さず、ただぼうっとしていた。しかし、やがてやはりと言うか、幸弘が痺れを切らして口を開く。
「何かあったんだよな」
「……」
「お前、あの時と同じ顔してる。だから分かる、俺にも、友樹にも。無理に話せとは言わない。俺だってそこまでして聞きたいわけじゃない。でもさ。友達があんな酷い顔して、悲しそうに見てきたら気になるに決まってるだろ?」
「……ああ」
あの時、というのは僕が高校入学間近で美代子さんの元を離れた時の事だ。僕はその時も春さんに会えない寂しさと、これから一人で生きていかなければならないという事実に押しつぶされて、二人に何度も助けられた。
「だから、話せるなら話して。俺達に。そしたら、少しは軽くなるかもよ」
「……ああ」
「無理はすんなよ、時也」
「……ありがとう」
幸弘と友樹に交互に言われて、僕は俯く。地面を見つめる。僕は、こんなに、心配されていたのか。こんなに、優しい友達を持てたのか。
なのに、僕は二人を心配させてしまった。いつも茶化しあって楽しく生きてただけの関係じゃなかった。僕らには、しっかりと友達としての絆があった。
優しさが嬉しくて、また枯れ果てたはずの涙が出そうになる。嬉しい。でも、辛い。
嬉しいのに、悲しい。昨日の事と、二人の優しさが混ざり合ってぐちゃぐちゃになる。ぐちゃぐちゃの感情は、僕をただ絶望に追いやる。
ああ、雨宮さん。僕は、こんなに悲しくなるほど、雨宮さんとの日々が大切だったんです。こんなに。こんなにも。だけど、これじゃダメなんだ。
「昨日、だったんだ」
そうして無意識に僕は昨日の事を二人に話しだした。二人は、真剣に僕の話を聞いてくれた。それはもう自分の事のように。
僕はそれが嬉しくてまた泣きそうになる。こんな恵まれた友人に、僕はどうやって恩返しをすればいいのだろう。
「……そういう、事か」
「いきなりそんな事言われて平気でいられる訳ないじゃん。俺、その雨宮さんって人に文句言ってくる」
「落ち着け友樹」
怒りをあらわにした友樹がベンチを立ち上がろうとするのを、幸弘が必死に宥めて止めた。渋々と言った様子で座り直す彼は、それでも顔は怖かった。
二人はそれぞれ自分の事のように聞いて、頷いて、自分の事のように悲しんで怒ってくれている。
昨日の事を全て話して、僕の方は少しだけ心が落ち着いてきた。重さは変わっていないけれど、それでも二人が分け合ってくれたのだと思うと、楽になれる。
「……僕は、いつも雨宮さんを見ていて。だから何であんなに怒られたのか分からなかった。だって、雨宮さんはいつも笑っていてくれたから。僕は、どうしても信じられなくて」
「……うん」
「僕は、嫌われたんだと思う。原因は分からないけど。もう、僕は雨宮さんに会う価値はないのかな」
もう来ないで欲しい。つまり、会いたくない。それは、嫌われたという事で間違いないだろう。
僕は一体、何をしたのか、何をしていけなかったのか、分からない。
何で、何で……。
考えれば考えるほど僕の心は重くなって沈んでいく。ネガティブの僕は、簡単にこうやってすぐに落ち込む。ああ、情けない。
「何、言ってんだッ!」
幸弘は突如として大声をあげた。思わず凝視するが幸弘は立ち上がって顔を真っ赤にして激昂していた。
さすがのこれには先ほどまで怒っていた友樹も唖然としている。僕も訳が分からない。
幸弘を見つめていると、彼は更に口を開く。
「そんな前触れもなくそういう事言うわけないだろ!ましてやお前は彼女に嫌われる事をした覚えはないんだろう!だったら!何か他に原因があるはずだ!それを考えろよ!いいか、お前は嫌われたんじゃんねえ!絶対に、違う!お前がそんなうじうじしてるから前に進めないだけだ!」
彼女に会ったことのないはずの幸弘は、それでも断言した。何でそんなに言いきれるのだろう。どうして。それが分からなくて僕は、考える。
「何か原因があるならそれを突き止めろ!彼女に何があったのか、突き止めろよ!分かったか!」
「……で、も、」
「お前は雨宮さんの事が好きなんだろ!!」
僕はその言葉にハッとなる。僕は、雨宮さんを、好き?
……好き。
すき。
『僕は、雨宮さんが好き』
心の中で好きという言葉を何度も呟いてみる。すると、意外にもその言葉はカチッとパズルのピースのようにとあてはまった。
そうか、ようやく気付いた。雨宮さんを見ると、嬉しくなったり、ドキドキしたり、楽しかったり。あんな事言われて傷ついたり、悲しくなったり。それは、全て僕が雨宮さんを好きだから感じたことかもしれない。
そうか。そうか。そうか……。
「僕は、雨宮さんが好きだったんだな……」
「……気付いてなかったの?」
友樹の言葉にこくりと頷く。
春さんが言っていた、いずれ分かる、という事はこの事だったんだ。僕は、本当に今の今まで気づけなかった。僕は、雨宮さんに恋をしているんだ。
気付くと、少しだけ心が晴れた。同時に、幸弘に言われた言葉を思い返す。
原因があるなら、突き止めろ。
ああ、そうだ。突き止めなきゃ。だって、突然あんな事を言われておかしいはずだ。だって雨宮さんは僕にオルゴールをくれようとしていた。僕と買い物に行きたいと言った。そんな優しい雨宮さんが、理由もなしにあんな事言う訳ない。
僕に、恋を与えてくれた。女の人と話せなくて、雨が大嫌いで、そんな僕を、
唯一癒してくれた人なんだから。
嫌われていない。何か、他に原因があるのだ。
突き止める。
必ず。
突然言われたって納得できない。嫌われる理由がない。ないよ。だから、もう一度会って、雨宮さんと話し合いたい。いいや、そんな事じゃない。
「雨宮さんに、会いたい……」
ポツリと呟いた言葉は、妙にしっくり来て現実味を帯びていた。
会いたい。ただ会いたい。
「僕、やるよ」
無意識のうちに立ちあがって、そう言っていた。幸弘は、その言葉を聞いた途端、笑顔になる。友樹もうんうんと頷いている。
「頑張ってこい、時也」
その言葉で、僕は背中を押されて歩きだした。
もう、迷っていられない。雨宮さんに会おう。必ず。
二人は僕の後をホッとしたように着いてくる。
それが嬉しくて、振り返ってありがとう、とお礼を言うと二人は揃って、
「「おう」」
と僕の胸に拳を軽くぶつけてくる。
ああ、本当にありがとう、僕の大事な友達。




