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第8話 英雄の凱旋 後編



 ――結局、彼は失敗した。そうなることなんて、初めから決まっていた。




 場末の賞金稼ぎも選りすぐりの軍人も彼一人には敵わなかった。

 風を、水を、炎を、雷鳴を。自在に操る彼に叶う人間など、この世界には存在しなかった。


 それが間違いだった。彼が誰かを退ける度、賞金は上がった。一人、また一人。彼にしてみればただの無謀な若造であっても、それが国一番の勇者ともなればその度に桁が追加された。だから賞金が閾値を超えた時、彼はついに人間ではなく。


 人類の敵になった。


 


 


「待っててね、ミサキ」


 彼は細くなった彼女の手を、優しく握り返す。肩で息をしても、ぼやけた視界は戻らない。

 単純な疲労だった。限界のない魔力があっても、どうにもならないことだった。


「もうすぐ、終わるから」




 最後の食事は何だっただろう。よく思い出せない。


 何日寝ていないだろう。一週間を過ぎて数えなくなった。


 何人殺しただろう。そんな事はどうでもいい。




 目の前にいるのは、人類だった。軍隊からならず者まで、武器を携えて底にいる。同胞の屍の上に立ち、ただ彼に剣を向ける。


「……なあ、そろそろ終わりにしないか? 娘が疲れているし、君たちだってこれ以上犠牲は増やしたくないんだろう?」


 こういう説得も、もう何回も行われていた。ただ全てが遅かった。


 彼が殺すのは一人でよかった。賞金をかけた国王の城に乗り込み、すぐにでも取り下げさせるべきだった。それでも彼が逃げることを選んだのは、千年間の経験があったから。どうせすぐ忘れるなんて、心の何処かで思っていた。


 だから選択肢を間違えた。


 ただ取り返しの付かない光景だけが目の前に広がっていた。


「黙れ悪魔!」


 悪魔。それが人類に付けられた、彼の新しい称号だった。たった一人で何万人を殺し、半月を過ぎてなお戦い続けるその姿はもうそう呼ぶしか無かった。人類に勝ち目は無かった。最初の一週間で死んだ人間は、世界屈指の猛者だった。それが使い古された雑巾のように捨てたれた瞬間から、そんなものは消えてなく鳴った。


 だから選択肢を間違えた。


 逃げるべきだった。目の前の悪魔と交渉して、二度と干渉しないと誓うべきだった。それでも彼らが戦うことを選んだのは、ただ後に引けなくなってしまったから。彼らの足元に転がる屍の山を無かったことになど出来なかった。


「……悪魔、か」


 レッドは笑う。それで良かった。初めから英雄なんて称号は彼の柄じゃなかった。突然現れてあの村から釣れだしてくれた彼女こそが、英雄であるべきだった。だからもし、彼が英雄であることを望むのならばただ一人のだめだった。


「じゃあ、交渉決裂だ」


 そして彼は右手を伸ばす。ただ強く思い描く。目の前の人間を焼きつくす炎を念じる。

 それだけで良かった。


 


 大地が赤く燃える。人は悲鳴を上げて、ただその場で灰になる。一人が燃えれば、また次の一人に燃え移る。


 ただ、赤く燃えていた。彼が愛した、彼女が守った世界が。


 どこまでも、いつまでも。





 それがミサキの瞳に映った、最後の気色だった。






 §



「……これで、終わり?」

「そう、この世界はここでおしまい」


 少しだけ見覚えのある世界で膝を抱えて、どこかに腰をかけるクローディアを見上げていた。ここに来たのはいつだっただろう。そんな事を思い出そうにも、ただ赤く染まった世界だけが瞼の裏に焼き付いて離れなかった。


「……なんで?」


 震える声でミサキが尋ねる。だからクローディアは、鼻で笑って答えた。


「知らないからよ。この後の事なんて」


 その言葉の意味が、ミサキには良くわからなかった。


「……かみさま、なんだよね? どうして何もしなかったの?」

「したじゃない、色々」


 そして満面の笑みで指折り数えて、その一つ一つを教えてくれた。


「ローランドとお酒を飲んだでしょ、ご飯も食べた。それから何回も話をしたし……数えきれないわね」


 ローランド。随分と馴れ馴れしいその言い方に、ミサキは違和感を隠せなかった。


「あーあ、やっぱりこうなっちゃうんだよなあ。でも……まあいいや。今度は私が始める番」


 あっけらかんとした声で、彼女はそんな事を言う。そんな言葉の意味を理解できるわけもなく。


 震える声で、彼女の名を呼ぶ。


「……クローディア、さん?」


 だから彼女は笑う。だけどそこには、もうミサキの知るクローディアなんて神様はいなかった。


 腰まで伸びた長い髪。大きすぎない胸に、見覚えのある学生服。


「クローディア? 私が? 馬鹿ね何言ってるのかしら」




 そして工藤美咲は、満面の笑みを浮かべる。




「それ、あなたの名前じゃない」


 


 ミサキと呼ばれていた少女は、自らの手を伸ばす。それは少女の腕ではなく、立派な成人女性の物で。髪を掴み広げれば、黄金のそれがそこにある。


「……なん、で」


 言葉を失うクローディアに向けて、少し呆れた顔で美咲が答える。


「あのね、順番なの。ミサキ、クローディア、美咲。私のクローディアの番は終わって、次は私があの人と結ばれる番」


 わかる? なんて一言を添えてクローディアの額を人差し指で小突く。

 わからない。そんな顔を浮かべる彼女に、美咲は手を降って。


「じゃあねクローディア。千年経ったら、馬鹿な女子高生を手違いで殺してみたら?」


 そんな突拍子のない別れの言葉を告げて、その場を立ち去った。



 

 それでようやく、クローディアはここがどこかを思い出した。


 馬鹿な女子高生が女神と出会った、何もない世界の果てだった。



 §



 彼女は息を切らして、その丘を駆け上る。




 ――それはこれから世界を救う、英雄の凱旋だった。




 彼に会いたかった。

 声が聞きたかった。

 ただ自分だけを見て欲しかった。




 歩くだけで笑顔が零れた。これからの全部が、楽しみで仕方がなかった。


 旅をしよう。大きな家に憧れて、あの人に手を握って貰って。それから買い物に行って、それから、それから。


 夢のような気分だった。目に見える全てが輝いていて、ただ幸せだけがそこにある。



 

 千年待った。この扉を開けるのに、この場所にくるために。

 それだけの事をした。訳の分からない女神に騙され、気がつけば自分がそうなって。あの人の心を狂わせるあの女の影を憎みながら、身代わりまで用意して。


 だけどそれはもう、過去の事だった。


 ミサキでもクローディアでもなくなった彼女は、その扉を力強く開けて。


「はじめまして、ローランド!」


 自分の名前を突然呼ばれて、怯える彼が彼女にはただ愛おしくて。


「君は……?」


 彼女は笑う。ずっと前に、子供だった時みたいに。


「私は美咲。それでいいわ」


 少しだけ涙を流して、彼に優しく手を伸ばす。


「ねえ、これから一緒に」


 そして彼女は、千年ぶりに彼の手を強く握る。




「世界を救いに行きましょう?」

 

 


 そんな突拍子もない問に、彼は不思議そうな顔で頷いた。

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