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第7話 英雄の凱旋 前編




「ちょ、ちょっと! 僕まだ旅に出るなんて一言も言ってないんだけど!?」


 半ば引きずるような形で彼を家から連れ出す彼女の口元には自然と笑みがこぼれていた。


「うーん、そよ風が気持ちいいな」


 彼女の頬を撫でるのは、何よりも大好きなこの世界の風だった。一歩づつ踏みしめる土の感触は、二人の門出を祝福するかのように弾んでいる。


 ただ強引に連れ出された彼の声は当然のように抗議に満ちあふれていたのだが。


「聞いてる!? ええと……」

「美咲よ……一回で覚えてよね、本当」


 彼は先程彼女が教えてくれた名前を思い出そうとするが、結局先に答えを言われてしまった。


「じゃあ僕の名前は覚えてる!?」


 どうせ覚えてないのだろう。

 彼のそんな目論見は簡単に崩れ去る。


「ローランドでしょ。知ってるわよそれぐらい」


 それから彼女は鼻歌交じりで歩き始める。


「さあて、行きましょうローランド」


 空は青く、地平線はどこまでも続いている。


「旅って凄く楽しいのよ」


 彼女の愛した景色が、いま目の前に広がっている。


 彼女の愛した人が、いまその隣で笑っていた。




 §



 

「あなたねぇ、自分が何したのかわかっているのかしら?」

「まあね」


 呆れてため息をつくクローディアを尻目に、レッドは晩の残りのスープを飲みながら呑気に答える。日が沈んだ山の中、月光と焚き火が二人を照らす。その視線の先には、寝袋につつまり寝息を立てるミサキがいた。


「まあねって……これからどこかで身を隠すつもり?」

「その予定かな」

「無理よ」


 レッド自身、何一つ問題がないなどと都合の良い事は考えていない。

 当然だ、クローディアに渡された新しい手配書はそんな呑気な考えを吹き飛ばすには十分だった。




 ――通称レッド、本名不明。


 職業、賞金稼ぎ。

 罪状、英雄の名を騙る不届き者。

 生死、問わず。

 懸賞主、モルリウム国王。


 賞金、五十億バール。




 これまた随分な評価だと、レッドは一人呆れてみた。この間は宿代程度だったが、今度は突然何代も遊んで暮らせる額と来ている。ただそれは、レッドに付けられた値段ではなかった。彼の持つ不老不死の特性についた、べらぼうな値段。


「一人だったら何とかなると思うわよ。けれど、この子はどうするのよ」

「僕が守るよ」


 当然のようにレッドは言う。それは決意などではなく、決定事項だった。


「……人の話、聞いてたかしら?」

「まあ、前より少し忙しくなるだけさ」

「何年ぐらい逃げるつもり?」

「十年ぐらいかな」

「その間ミサキは山奥で暮らすわけね。楽しくなさそうな人生」


 珍しく、少しだけレッドが不機嫌になる。過ぎたことを責め立てられるのは、いつになっても慣れはしない。


「また来るわ……じゃあね賞金首さん。せいぜい寝首をかかれないように気をつけなさい」


 クローディアは立ち上がり背を向けると、ひらひらと手を振ってみせる。


「珍しいね、君が僕の心配をしてくれるなんて」

「冗談。心配なのはあの子だけよ」


 まあ当然だと納得して、レッドは残りのスープを飲み干した。






 朝、顔を洗い身支度を済ませたミサキは昨日クローディアが持ってきた手配書を眺めていた。


「うわ、パパ凄いねこれ」


 ミサキは指折り桁を数えていく。冗談みたいに並んでいる0の数を見るのは、レッドも初めての経験だった。


「うん、僕も始めて見たかなこの金額は」


 恐らく一生遊んだところで釣りが出るほどの金額。個人としてかけられたのは、レッドの知る限りでも恐らく最高額。窮屈そうに並ぶその数字は、もはや失笑さえ浮かべてしまう。


「ミサキが連れて行ったら、大金持ちになれるね」

「そうだね。どうせ捕まったって逃げられるし、そうしようか?」

「……冗談だよ?」

「僕も冗談」

「逃げられるのが?」

「それは本当」


 捕まって脱走してを繰り返せば、きっと国の宝物庫を空に出来るんじゃないかなどと下らないことをレッドは思いつく。


「ところでさあ、賞金首ってどんな感じなんだろうね?」

「そうだなあ、僕の予想だとこうゴロツキみたいな連中が現れて」




「おいおい、こんなところにいやがったぜ」




「……とか言う」


 都合よく現れた三人組の賞金稼ぎは、小汚い格好をして薄気味悪い笑顔を浮かべてそんな想像通りの言葉を並べ立てる。


「だいたいあってるね」


 レッドはため息をつく。だけど一瞬にして、もっと良さそうな考えが頭をよぎってくれた。だから彼は、それを実行する事にした。


「そうだ、この人達ミサキの練習に丁度いいんじゃないかな?」


 最近ミサキの修行がおろそかになっていたのを、彼は今になって思い出していた。あまり人相手に魔法を使わせていなかったので、いい機会だと彼は考えた。


「……確かに」


 ミサキは頷く。どうやら、やる事は決まったらしい。


「おいおい嬢ちゃん、ちょーっとお父さん借りるぜ?」

「えいっ」


 にたにたと薄ら笑いを浮かべる巨体の賞金稼ぎに、ミサキは人差し指を突きつける。


 突風が吹き荒れる。


 随分局地的なそれは、賞金稼ぎの前にだけ吹いていた。

 男の髪は逆立てられ、不格好にも頬の肉が震えだす。


 そのまま耐え切れなくなった男は、どこか遠くまで吹き飛んでいった。


「んー……三十点ぐらいかな」

「……手本」


 頬を掻きながらレッドが採点すると、ミサキは不満そうにそう言った。


「はいはい」


 だからレッドはため息を付いて、小さく指を鳴らしてみせる。


 吹いたのはそよ風だった。


 頬を撫でるようなそれは、せいぜい髪を乾かすのが関の山。だが、それで十分だった。暴風はもう吹いていた。残った二人の足元を救う風。最小限でいい。ただ二人の人間を転ばせるために、不必要な力は必要ない。


 転んだ男たちに向けて、レッドは手を下ろす。叩きつけるような風は、男たちの自由を奪う。


「お前ら、何なんだよ!」


 男の一人が叫んだので、レッドは笑って手配書を男たちに見せる。


「何って、書いてあるだろう?」


 罪状が間違いのそれ見せて、レッドは答える。


「ただの賞金首さ」


 それから答える。どうしようもない事実を、少しだけ笑い飛ばしながら。



 賞金稼ぎについて、レッドは一つ勘違いをしていた。それは連中が案外殊勝だったという点だ。


 ただ悲しいことに連中が謝罪と一緒に置いてくれた金銭を使うため街に繰り出すという選択肢を取ることなんて出来なかったのだが。


「あーあ、もっとしょっぱいもの食べたいな」


 昼食は適当に釣った魚と森の木の実。ほとんど文明と逆行しているその献立は、もう随分と前から二人が食い飽きていた物だった。


「まあ、一理あるね」


 レッドもその考えには同意した。ここまで有名になった以上、のこのこと街まで塩を買いに行くような真似は出来ない。別にレッド自身食事を取らなくても問題はないが、ミサキはそうもいかないのも事実。


「わたし、何か買ってきてもいい?」

「多分もう顔が割れてると思うけれど」


 ミサキの提案をレッドはそれとなく却下する。過保護な彼にしてみればそんな方法は選択肢の中にすら存在しない。


 都合よく買い出しに言ってくれるような人材がいればいいのにとレッドは考える。


 金を持ち逃げするような性格ではなく、信用ができ、ある程度顔見知りの人間。


 そんな都合のいい人間が、当然いるはずもなく。


「あなた達、また随分な昼食ね」


 クローディアは二人を見下ろし、随分な感想を述べる。


「ああ……いた」


 レッドは一人頷いて、魚を齧りながら頷く。 金を持ち逃げするような性格ではなく、信用ができ、ある程度顔見知りの神様。まあお使いぐらいいい社会経験になるだろうと考え、レッドは賞金稼ぎの置いていった金をクローディアに手渡した。


「……なにこれ」

「何か食べるもの買ってきてもらってもいいかな」

「……あなた、誰に物を頼んでいるかわかっているのよね?」

「ミサキがしょっぱいも食べたいって言うから仕方ないじゃないか。お釣りは好きに使ってくれていいよ」

「……どうかしてるわ」


 結局ミサキとその食事を見比べてため息をついたクローディアは、その場から姿を消した。


「あの人、神様なんだよねパパ」

「神様だから、人に施さないとね」

「なるほど」

「なるほどじゃないわよ全く」


 そしてほとんど一瞬で戻って来たクローディアが文句をいう。紙袋から香るサンドイッチに臭いはミサキの鼻を何度も鳴らし、少しだけ見えるワインの瓶はレッドの目を細めさせる。


「はい、あなたの分」

「あ、ありがとう……」

「それで僕のグラスは?」


 レッドがそう尋ねるとクローディアは女神のような慈愛に満ちた笑みを浮かべて見せて。


「あるわけないじゃない、そんなの」


 至極真っ当な事を言ってのけた。

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