第10話 幸福
「驚いた、あなた不老不死になったの?」
「なったんじゃない、させられたの」
不満そうな顔で、ローランドは場末の酒場でグラスを傾けながら、頭を掻いてそう答えた。彼が冒険の途中で立ち寄った洞窟で、彼は呪いをかけられてしまった。
それは当然のように、クローディアが仕込んだ物だった。適当に彼の冒険心を煽らせ、その奥に適当な敵をでっち上げ、彼女謹製の呪いをかけた。
彼女にそれは必要な工程だった。あとはこの長く退屈な時間をやり過ごし、彼女を連れて彼に預ける。自分の歩んだ人生をなぞるだけで良い。実に簡単な話だ。
「じゃあ、乾杯しましょうか」
クローディアはウェイターの運んでくれたグラスを受け取り、彼にグラスを差し出す。
「それ、嫌味?」
「そう聞こえたかしら?」
そして二人はグラスを合わせ、彼女はその酒を少しだけ飲む。
初めて飲んだ酒の味は、驚くほど不味かった。
「それで、まだあなた一人でいるの?」
気取った場所で彼と会うことはなかった。いつも薄暗い酒場は、かつての少女趣味からは随分とかけ離れていたが、それでも悪くないと彼女は心のなかで自嘲する。今の自分には、随分と似合いの場所だったから。
「まあね。不老不死に付き合う物好きなんて、この世界にはいないのさ」
彼は嘘をついていた。そんな事ぐらい、娘の彼女にはわかっている。それでも彼女はその嘘に、少しだけ賭けてみたかった。
「あら、ここにいるわよ?」
そう答えると、ローランドは目を丸くする。だけどそれはほんの一瞬で、すぐに微笑む。
「確かに。僕と酒に付き合ってくれるのは君ぐらいだね」
違う、そうじゃない。そんな事を聞きたい訳じゃないのに。
彼の笑顔は、彼女が望んだものなんてこの世界のどこにもないことを教えてくれた。
「ありがとうクローディア。君は大切な友達だ」
そう言い残し、彼は席を立ちどこかへと去った。
残された彼女は、一気にグラスを飲み干す。
「……フラれちゃった」
空になったローランドのグラスと乾杯し、透き通る音がそこに響いた。
それからずっと、彼女は彼を見続けた。始めは頻繁に顔を出したが、一週間、一ヶ月、数ヶ月と間が開き、最終的には年に一、二度という形で落ち着いた。彼に会いたかったが、彼は彼女を見てなどいなかった。そのずっと遠く、あの女を見ていたから。
それと彼に会いに行く時は、いつでも土産を用意した。食べ物でも酒でもなければ、どこかの面倒事だった。彼がこの世界に飽きないよう、ちょっとした玩具のようなものだ。
楽しかった。
たまに飲んで話しをして、時には肩を並べて戦って。その時だけ、彼女はミサキに戻れた気がした。それでも過ぎ去った自分の気持ちに近づくには、美味くもない酒の力が必要だった。
たまに会って、大人みたいに酒を飲んで、たまに少しだけ食事をする。それが彼が友人に望む全部だった。だから彼の望むもの全てを与えていた彼女は、当然のようにそう振る舞った。
苦しかった。
自分が彼女だと言っても、顰蹙を買うだけだとわかっていた。だから必死に良い友人でありつづけた。彼に会う度に心がすり減る。それでも会うのをやめなかったのは、そうしなければ自分が何のために生きているかを忘れそうになるから。
それでも彼女は耐え続けた。一年、十年、百年。代わり映えしないこの世界を、ただ待ち続けた。
それが、千年。
彼女の待ち望んだ時が、ついに来た。
§
彼女が最期に見た景色は、少なくともこんな何もない場所ではなかった。迫り来る電車だけが、最期に見たものの筈だった。悲鳴と警笛が聞こえたことだけを、彼女はよく覚えていた。それでも彼女は膝を抱えて、確かにそこにいた。
「……どこなんですか、ここ」
だから至極真っ当な質問を、工藤美咲はクローディアに尋ねた。
「ここは私の世界よ。はじめまして工藤美咲さん、あなた死んじゃったわ」
少女を見下ろし女神は笑う。この瞬間を待っていた。ようやく自分の番が来る、やっと身代わりがやって来た。
――だが、あの女は一つだけ嘘をついていたなとクローディアは思う。
工藤美咲をクローディアは殺さなかった。何一つ手を下さずに、彼女はさっさと自分の人生の幕を引いた。この光景に彼女は見覚えがあった。ちょうど千年以上前に、逆の立場でここにいた。
あの時のクローディアの顔を、彼女は覚えていた。優しい笑顔で励ましてくれた。それは大変だった、あなたは頑張った、これからは楽しくなる。
そんな甘い言葉をかけてくれた。
「そう、ですか」
興味のなさそうな顔で、美咲は答えた。自分が死んだことぐらい、自覚していた。だからここは天国でも地獄でも良かった。ただ自分がすんなりと消えることだけを望んでいた。未練などというものがあるなら、そもそも自殺など選ばなかった。
「それで、私はどうなるんですか?」
その態度に、クローディアは虫唾が走った。世界中で自分が誰よりも不幸だって顔をして、ただ口をあけて餌を待っている。だけど、怒鳴りつけたい衝動を彼女はこらえる。優しく彼女の背中をさすり、甘い言葉をかければいい。
それであの人とまた歩けるなら、それぐらいは簡単だった。
――簡単だった、筈なのに。
「ふざけるんじゃないわよ」
クローディアは美咲の胸ぐらを掴んでいた。目の前の自分自身が許せなかった。
「何様のつもりよ。悲劇のヒロインぶって、一生泣いているのかしら?」
美咲は今にも泣き出しそうな顔で言葉を詰まらせていた。
「あら、泣くのかしら? 好きにすればいいわ、一人で一生泣いてなさい。私のママがアバズレのせいで、飲んだくれの父親のせいで私の人生メチャメチャになりましたってそこで叫んでれば良いじゃない」
「……そんなこと」
ない。などと美咲は答えられる筈はなかった。否定できるはずも無かった。それは随分と遠くなった昔に、彼女が抱えた想いだった。
こんな女を、あの人の側に置きたくなんて無かった。
「来なさい美咲」
うずくまる彼女の腕を強引に掴み、クローディアは歩いて行く。
「あんたの根性、一から叩きなおしてあげるわ」
ただ、突然の事で何一つ対応できなかった美咲は不思議そうな顔で彼女を覗きこむ。
「あの、私……どう、なるんですか? というか、あなたはどなたなんですか……?」
その問に、クローディアは微笑む。
「そうね、私の事は」
どなたなんてふざけた質問に、まともに答える気なんて無かったから。
「ママとでも呼びなさい」
捨てきれなかった少女趣味が、彼女の代わりに答えてくれた。
§
「三点」
小指で耳をほじりながら、クローディアは美咲の拙い魔法に文句を垂れる。だから当然のように美咲は、彼女に頬を膨らませて抗議する。
「あのねぇママ、手本見せてくれないとわかんないんだけど!?」
「うっさいわね、そんなもんドーンってやってバーンってやればいいのよ」
正直な所、彼女は教えるのが得意ではなかった。それもそのはず、神様にとって魔法どころか世界は好き勝手に出来る物だったから。
「て、ほ、ん!」
腹を立てる美咲に促され、クローディアは指を鳴らす。
手本と呼ぶには、それはあまりに盛大だった。
暴風が吹き荒れ、木々が空を舞う。根こそぎという言葉通り、巨木の根が剥がれていく。
彼が手を下ろせば、風が止んで木は落ちた。
かつて父が見せてくれた魔法は、もう簡単に再現出来た。
「はい手本」
吹き飛ばされた木々は、中々気分の良い物だった。誰かが騒ぎを駆けつけるかもしれないが、その時は記憶をいじればいいなどという考えでいたからだ。
「……いつも思うけど、ママって大雑把だよね」
「長く生きてるとそうなるものよ。あんたもいずれそうなるわ」
「いやだなあ、それ」
思い切り嫌そうな顔をする美咲と、少しだけ笑うクローディア。
「それで、いつまでママと修行すればいいの?」
「そうね、16ぐらいかしら?」
「あと6年かあ……」
一つだけ決めていたことがあった。
彼女がその歳になったら、あの人に会わせようと。それからまだ十六歳の彼と一緒に、世界を救ってもらおうなんて考えていた。
わかっている。それが自己満足でしか無いことぐらい、彼女はわかっていた。
父と娘が結ばれるなんて、あり得ないことだって。
父に恋する少女の時間はとっくの昔に終わっていた。
――だけどせめて、一つだけ叶うのなら。
「あのねえ、ママさっきから何やってるの! 置いてくよ!?」
彼女は歩く。自分の足で、真っ直ぐと。
娘の幸福を、ただ素直に願っていた。




