路地裏の血闘
本当ならば、赤ヒゲ男を拉致し、尋問すべきなのだろうが不文律がある以上、それも適わない。
俺に今、出来るのは冒険者の精神を冒し、赤ヒゲ男達を襲撃させることまでだ。
『スナックすずき』から出た俺を尾行していたのは髑髏団のメンバーだ。
そのトーテンコップフフと依頼主である四十九士の不仲は以前から聞いている。
トーテンコップフフは最近、一気に勢力を拡大している新興組織。
対する四十九士は迷宮きっての老舗にして、最強を謳われる組織。
この迷宮において各組織が全面抗争に移行せずに微妙な小競り合いに終始しているのは、厳正中立を旗印とした最強集団・四十九士の意向が「調整された共存」にあるからだ。
一見すると、何かとうるさい小言を各組織に言いたがる老舗の頑固爺さんを目障りな存在と感じた新興勢力が水面下、何かしら仕掛けているようにも思え、納得のいく展開だったが、それでも一介のフリーランスである俺をわざわざ4人ものメンバーを使って、後をつけさせるとはどういう事だろうか? 第一、俺の住まいは奴らだって知っているはずじゃないか。
何か引っかかるものを感じた俺は、家へ向かうのをやめ、知り合いの情報屋に先に会いに行こうと考え、踵を返そうとした瞬間、微かな金属音に気が付いた。
鎖と鎖がこすれあう、小さな、小さな音。
「……ちっ!」
俺を思わず舌打ちをする。
どうやら、赤ヒゲ男達は冒険者との戦いを早々に終わらせたらしい。
思ったよりも早く、本来の任務である俺の尾行に復帰している。
このまま情報屋に会いに行くのは危険すぎるし、付き合いの長い情報屋にも迷惑がかかる。
俺は唐突に向きを変え、一本の路地に入りこむ。
幅が狭く、人一人がようやく通れる程度、すれ違う為には互いに半身にならなければならないほどの幅……スライムが食べ残した骨やゴミ、朽ちかけた宝箱の残骸や衣服の切れ端などが散乱する薄暗い路地の足元に気を配りながらゆっくりと進む。
この辺りの地図は全て頭に入っていたし、仕事柄、万が一への備えに怠りはない。
路地は行き止まりだ。
前方も、右も左も高い壁に行く手を阻まれており、途中に抜け道や脇道は無い。俺は路地の一番奥まで来ると手にしていた荷物を足元に置き、脇に挟んでいた新聞を広げ、記事に目を通す。赤ヒゲ男達が路地に消えた俺に気が付かず、通り過ぎれば重畳、通り過ぎずに路地に入ってくるのであれば少々、意見してやらねばなるまい。
赤ヒゲ男達にとって俺が路地に入っていった事は予想外の行動だったらしい。
彼らが、この辺りの地理に俺以上に詳しければ、路地の入口付近で待ち伏せしただろうが、彼らは地理不案内だったらしく、何も考えずに俺の後を尾行してきていた。
行き止まりの路地、幅は狭い。
道脇に積み上げられた木箱や宝箱の残骸を避けながら彼らは俺の目の前までやってきた。
先頭を歩く赤ヒゲ男は俺と視線を合わせたまま、固まったように動けなくなっている。
俺に「待ち伏せされた――」と考えたらしい。
赤ヒゲ男は、御自慢のヒゲも髪も返り血に濡らしているものの、怪我らしい怪我はしていない。
さすが手練れだ。
「何か用かい?」
などと無粋な質問はしない。
用があるから後をつけているのだし、例えプリーズと言っても口を割る様な相手だとも思えない。
立ち止まった赤ヒゲ男と視線を合わせたまま、俺は、新聞を細くクルクルと丸めながら元来た道へとゆっくりと進む。
「いい朝だね」
「……」
彫像のように固まったまま身動き一つ出来ず、赤ヒゲ男は表情を強張らせたままだ。
明らかにどう反応してよいのか判断に迷っている。
せっかくの挨拶を無視されたのは残念だが、お寒いジョークで返されでもしたら、その方が迷惑だ。
俺は身体を斜めにしてすれ違おうとする。
しかし、赤ヒゲ男は道を開けようとしない。
狭い路地の真ん中、突っ立っている。
「すまないが、どいてくれんかね? あんたも立ち小便だろう?」
小用を足しに路地に入った……俺はあくまでも、そんな風を装う。
しかし、何かしら重大な決断を下したらしい赤ヒゲ男は蒼い瞳に酷薄な微笑みを少しばかり浮かべると、そのまま鹿の腿のように逞しい両腕を胸の前に組み、道を譲る気が無いことを無言でアピールし始める。
「……なあ、頼むよ。面倒は嫌いなんだ」
細く丸めた新聞紙を二つに折りながら、俺がそう言った時、赤ヒゲ男の背後から三人の男女が現れた。
例のアベックと中年男。赤ヒゲ男よりも遥かに大量の血を浴びており、その何割かは、恐らく自分の血だろう。
苦痛に顔を歪めている若い男の方は左腕のひじから先がブランコのように揺れている状態だったし、中年男は右手で己の右目を抑えている。
指の間から絶え間なく血が吹き出ている様子を見れば、さほど楽観出来る傷ではない筈だ。
「どいてくれる気はないか……それは残念だ」
シガレットケースから煙草を取り出し、口に咥え、マッチをする。
これから先、何を話しかけようと、恐らくこの赤ヒゲ男達は口を開かないだろう。
赤ヒゲ男は相当な使い手だが、後ろの三人は半ば怪我人、今の時点ならば斃すにしても手こずることはないだろうが、問題は、今はまだ、朝だということ。
化けモノ同士の戦闘が解禁される「収穫祭」までは、まだ、ほぼ丸一日の時間がある。丸一日あれば、時間の経過と共に中年男の傷も回復し、若い男の左腕も元に戻ってしまう。
身動きの取れない路地の奥に追い詰められた格好となり、互いに相手と1対1で戦えるのは好条件と言えば好条件だが、仮に先頭に立つ赤ヒゲ男が自分の身を捨て、俺の身体にしがみついて動きを封じにかかれば、残った後ろの奴らに俺はメッタ刺しにされるだろう。
そして、目の前の赤ヒゲ男は何のためらいもなく、そういった自己犠牲に酔いしれて行動にうつるタイプだ。
目が狂っている。
「明日の朝まで、そのまま腕組みしている気かい? ……暇つぶしにトランプでも持ってくればよかったな」
一般論として、時間は俺を有利にしない。
赤ヒゲ男達の目的は分らないが、時間稼ぎにはうってつけの場所だ。化けモノ同士、この時間帯では互いを軽く小突くことも、押し合うことさえ出来ない――――いや、正確には攻撃は出来る。
しかし、相手のHPが「減らない」のだ。
上級魔術を用いて火炎で焼こうが、至高のレアイテムとされ、各階層のラスボスを倒した者のみが手に入れられる十振りの宝剣「童子切」「三日月」「鬼丸」「数珠丸」「大典太」「小烏丸」「髭切」「膝丸」「抜丸」「千代金丸」の封呪を解こうが、ゲーム・プログラムが瞬時にその動きを「意図的な攻撃」と判断した時点で無効と判定され、結果、生命力を表すHPはまったく減少しない。
剣は相手の身体を抵抗なくすり抜け、拳は空を切り、火炎も電撃も吹雪も爆炎も何ら有効打とはならない。
それがこの世界のルールであり、同時に「俺」がこの世界において圧倒的存在として各組織に重宝がられる理由でもある。
それにしても、受けてもいない仕事絡みのトラブルに巻き込まれるとは、どうやら今日の乙女座は最悪の運勢だったらしい。
俺はおもむろに右手に持った新聞紙で赤ヒゲ男のみぞおちを下から打ち抜く。
先ほどの戦闘から並外れた戦闘力を持つと推定される赤ヒゲ男は円熟であるだけに俺の一撃に反応する事は無い。
ダメージは受けない――そう確信している故に防御する必要を認めていないようだ。
次の瞬間、赤ヒゲ男の背後に立つ三人組は信じられない光景を目にし、明らかに目を見開いていた。
赤ヒゲ男が腹を抑えながら、俺の足元に膝を折り、胃の内容物を大量に吐瀉し始めたのだ。
俺は新聞紙の持ち手を変えると赤ヒゲ男の首筋に打ち込む。
いや、打ち込むというより突き刺す、という感じが近いだろうか。固く棒状に丸めた新聞紙を二つ折りにすれば先端は鋭角となり、新聞紙数百枚分の固さは特殊警棒並の強度と、それ以上の軽さで素早く操れる。
「ミルウォール・ブリック――――」
俺が新聞紙を用いて急造していた武器の名前だ。
材料は新聞紙でも週刊誌でもよい。
新聞紙で作るのであれば、タブロイド判よりも大判をお勧めする。
何故なら、折り返した数が多ければ多い程、効果的な「逸品」が出来るからだ。
『現実世界』において武器の携行を規制される面の割れたフーリガンがサッカー場への武器持ち込みを可能とする為に考え出した暗器――。
どんなに優秀な警備員や警官であろうとも、人込みで新聞紙を持ち歩くのを規制する事などできはしない。
そして現実世界で武器として認められないミルウォール・ブリックは、この『虚像世界』の真のジャッジマンであるゲーム・プログラムにも武器とは認識されていない。
武器として認識されなければ「HPは減る」のだ。要は「転んで頭をぶつける」のと一緒の扱いだ。
三人組が茫然としているのを良い事に、俺は赤ヒゲ男に繰り返し打撃を加える。
皮膚が破れ、鮮血が流れ、首筋に白い肉以外の物が見え始める。
後をつけ回すような奴らを生かしておくほど、俺はお人好しではない。
「おのれ!」
アベックの女が耳障りな金切り声をあげながら俺に飛びかかってくる。
ただでさえ狭い路地、更に脇には積まれた木箱の山――。
逆上した女の動きを視線の端で確認した俺は、既に息が絶えかかっている赤ヒゲ男の傍らからステップバックして飛び退く。
彼女は更に二歩、三歩と俺を追ってくる。
もし、彼らが軍隊経験者であれば――――。
もし、彼らがゲリラ掃討戦の経験者であれば――――。
もし、彼らに自分たちが路地に誘い込まれたとのだ、という意識が少しでもあれば――――。
残念ながら彼らに軍隊経験は無く、その平均以上の戦闘力も所詮は町のゴロツキレベルに過ぎなかったようだ。
足首の高さに張られたピアノ線に女の足が引っ掛かった瞬間、三人の死は確定した。
一瞬で不自然な高さに積まれていた木箱の山が一気に崩壊し始める。
下にあったのは確かに朽ちかけた木箱、中身が明らかに空っぽな宝箱……。
だが、積まれた木箱の全てが空っぽであるとは限らない。
彼らに少しでもその事に関して想像する力があれば結果は違っていただろう。二階に匹敵する高さから木箱が彼らの頭上に落下し、ある者は頭を打ち、ある者は木箱の中に詰められていたガラス瓶が割れる音をその耳で聞いただろう。
「スライム!!」
若い男は全身に緑色の粘液に覆われた状態で絶叫を上げる。
強烈な酸に肉を解かされる痛みにたまらず声を上げる。
しかし、それこそがスライム達の狙いでもある。
粘液が奔流の如く口から喉へ、喉から食道へと流れ込み、瞬く間にスライム達の好物である「生きた内臓の踊り食い」が始まる。
若い男に続き、頭からスライムを浴びた中年男も、のたうち回る。
「汚いぞ! 下衆が!」
金髪の彼女が下半身を食われながら、俺に罵声を浴びせる。
大腿部で粟立つように久々の食事に熱中しているスライムが、彼女の内臓に手を付けるのも間もなくだろう。
「俺の後をつけるのであれば、これぐらいの予備知識は頭に入れておくべきじゃないかね? 俺が何故、この世界で重宝されているのか――少し考えれば分かるだろう?」
怒りと苦悶、そして痛覚の切断により、微かに恍惚とした表情を浮かべながら這いずり、両腕だけで俺に掴みかかろうとする彼女のガッツに敬意を表し、俺は吸っていた煙草をスライムの上に投げつけると、途端にスライムが爆発的に燃え始める。
無論、今更スライムが焼死したところで、彼女が助かる事は無い。
第一、俺が助けない。
「戦場に来るには、少し早すぎたようだね、嬢ちゃん」
俺は一切、手を出していない。
俺は、ただ単にブービートラップを仕掛けておいただけ。
誰が掛かるかなど預かり知らぬことだ。
ゲーム・プログラムの認識では彼女たちは木箱が崩れ、その木箱の中に巣くっていたスライムに食われるという不幸な偶然が重なった「事故死」に過ぎない。
スライムに食われながら息絶える――化けモノの死に様としては最低の部類だが、この「事故死」を企画制作演出できる化けモノは、俺を含めて虚像世界でもほんの数人だろう。
スライムに加え、可燃物の多い路地の炎が燃え尽きるのに小一時間はかかるだろう。
それまでは路地からは出られそうにない。
俺は彼女達の断末魔を聞きながら、血まみれの新聞を広げると胸ポケットから鉛筆を取り出し、クロスワードを始めることにした。