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呼び出された男

 この酷くふざけた世界では、全ての事が永遠ではない。

 我々の苦悩でさえも。

     ――――チャールズ・チャップリン




 ドアが激しくノックされる音で目が覚めた。頭を振りながら半身を起こす。

 傍らでは愛人である魔女モルガン・ル・フェが豊かな胸を包むようにシーツにくるまり、安らかな寝顔で眠っている。

 遠慮会釈もなしに木製のドアを叩きまくる荒々しい音にも目が覚めないところをみると、自分の周りにだけ沈黙の呪文を唱えてあるのだろう、たいした用心深さだ。

 寝起きの悪い彼女を起こさない様にゆっくりとシーツを剥ぎ、ガウンを羽織ると素足のまま敷き詰めた明るめの色の絨毯の上を静かに歩き、ドアへと向かう。全身を気だるさが包み込んでおり、何をするにも、シャワーを浴び、髭をあたってからにしたい気分だが、そうもいくまい。

 数歩と歩かないうちに、こめかみがズキズキと痛みだす。

 昨夜の酒や、彼女との激しい営みばかりが理由ではないだろう。

 嫌な予感がすると、いつも頭が痛くなる。そして大抵の場合、その予感は的中する。

 俺はゆっくりと親指と中指の先でこめかみをほぐし、大きく息を吐き出す。


「旦那、旦那、起きておくんなさい」

 聞き覚えのある声――間違いなく、鈴木さんのとこの若い衆だ。

「すまんが静かにしてくれないか。もう、起きたから」

 怒鳴りつけたいのはやまやまだし、この無粋な若い衆相手に怒鳴りつけても何ら問題はないだろうが、大声をあげたら頭に響きそうなので、あくまでも静かに話す。

「兄貴……いや、オーナーが呼んでいますぜ。旦那に至急、頼みたいことがあるそうで」

 やっぱりそうだ。嫌な予感は的中すると相場が決まっている。

「仕事かい?」

 藁をも掴む気分で念の為に問い掛ける。

 もしかしたら、店に新しい女の子が入ったから紹介するって話かもしれない。

 俺はこれでも慎重な方だ。

「へい。報酬はタップリはずむって話ですぜ」

 俺の掴んだ藁は、この街と同様に腐っていたらしい。



 スナックすずき――鈴木さんが経営するスナックだ。

 場所は第一階層大回廊の最深部、通称『北地区』――つまりは第二階層へと繋がる階段の近く。

 迷宮のメインストリート沿い、この辺りは人通りが多い。冒険者もいれば、化け物もいる。

 俺のような化け物としては、冒険者の皆さんを襲うのが仕事とは言え、ちょいとキスしただけでくたばるような初心者を相手にしても、死体の始末が面倒なだけなので出来るだけ通りの隅の方を歩いて冒険者とやりあわない様に気を遣っている。

 勿論、相手がその気なら避ける理由など無いが……。


 店の外観は通り沿いにいくつもある部屋と大差は無い。

 強いて言うならば「スナックすずき」と石造りの外壁に大きな文字が血で描かれ、入り口ドアの両サイドには石化した冒険者の彫像がオブジェのように並べられている事ぐらいか。

 店内は趣味の悪い絵画と、無粋な石壁を隠すタペストリー、そして下品なピンク色の照明に彩られている。

 時代錯誤甚だしい巨大ミラーボールが幾つも吊るされた天井に、なんの毛だかよく分らないが、とにかく毛足の長い絨毯に覆われた床。

 噂では、鈴木さんは銀座の高級バーの雰囲気を目指したらしいが、多分、行ったことはないのだろう。

 イメージだけが先行し、あり合わせの手に入る装飾品で飾り立てた結果、御世辞にも趣味が良いとは言えない代物に仕上がっている。

 店の奥はちょっとしたステージになっており、そこにはピアノが置かれている。今日の出し物はピアノソロらしく、黒いドレス姿の女性がラフマニノフの二番を奏でていた。

 少し厚めの唇に塗られたオレンジ・レッドの口紅が良く似合う、その彼女は、くっきりとした目と通った鼻筋を持っていた。

 アップにされた栗毛色の髪が、少しおくれ毛となって僅かに白いうなじにかかっており、陶器の様な肌と微妙なコントラストを描いている。

 是非一度、こういう女性と親しく会話をしてみたいものだと男どもに奮起を促す空気を醸し出す彼女だったが、良く見ればその衣装は黒いドレスではなく、ワンピースの喪服であると気が付くだろう。

 俺は、顔見知りのそのピアニストに軽く薄茶色のフェルトハットをあげて挨拶をしてから、店の奥にあるカウンター席に向かいながら、店の外から咥えていた吸いかけの煙草を足元に捨てる。

 絨毯の毛足が熱い火口を避ける為に「自ら」動いたのは気にしない。

「よう、オーナー」

 アクアスキュータムの本店から取り寄せたトレンチとフェルトハットをウェイターに預けてから、俺はカウンター前に並べられた鉄製のスツールに腰を下ろし、声をかける。

 きれいに櫛を入れたオールバックの黒い頭髪に、やや長めのもみあげ、細く高い鼻の下には毎朝の手入れが欠かせない短めの口髭という渋い中年を絵に描いた様な鈴木さんは、珍しく、白いシャツの上には黒のベストと揃いのクロスタイをつけて店に出ている。

 オーナーらしくダブルスーツにサングラス姿で奥のボックス席において一人、客席を睥睨しながら飲んでいる姿を見慣れている俺としては、その制服姿には若干の違和感を覚えざるを得ない。

 その鈴木さんは、カウンター内でグラス磨きをしながら客と話し込んでいた。

 挨拶した俺の方に一瞬、視線を動かし、片方の眉をあげながら目で挨拶し、もう一つの目でバーテンダーに酒を出すように合図をする。別々に目玉が動く姿は、まるでカメレオンのようで、薄気味が悪い。

 鈴木さんと話し込んでいるのは、ツルツルに頭を剃りあげ、凄みのあるヒスパニック系の髭面肥満男であり、そのデブ男の後ろに控えている首筋にトライバル系のタトゥーを入れた見た目ギャングそのものの様な連中が相当に手練な一団であることは瞬間的に分った。

 鈍く銀色に光る西洋甲冑の上に揃いの白いマント、背に負った赤いダブルの十字架……多分、最近、売り出し中のメキシカン・ギャング「征服者コンキスタドール」のメンバーだろう。


 せっかくのラフマニノフの美しい旋律が台無しになるほどに喧しい店内を見回せば、冒険者のパーティーに化け物、それにパーティーを組んでいないフリーランスの冒険者など様々な人物が思い思いの姿勢で酒や放談を愉しんでいる。

 通りで会ったら、血の雨を降らさずにはいられない者同士だが、この店の中で騒動を起こすことは許されていない。

 これから階層を降りる冒険者一行にとって、この店は最後の快楽の場であり、同時に未知の階層に関する最新情報を入手できる貴重な場所でもある。

 腕に自信のある者であれば、情報料を支払って化け物の配置やアイテムのありかを尋ねるだけだろうが、そこまで自信が無い者も大勢いる。

 そんな連中は、高い金を払って案内人を兼ねたボディーガードとして鈴木さんの率いる「四十九士フォーティーナイナーズ」のメンバーを借り受ける。

 何しろ元ヤクザという素性を持つ47名のサムライで構成された迷宮きっての老舗武闘派集団、メンバーにはジョギングがわりに毎朝、最下層まで行って帰ってくる様な頭のおかしい連中が揃っている。

 

 何故、彼らが「四十七士」ではなく「四十九士」を名乗るか、理由は知らない。

 一度、酔ったふりをして尋ねたことがあるが、鈴木さんはガラにもなく少し寂しげに笑っただけで答えることはなかったし、俺もそれ以上は強いて尋ねなかった。

 尋ねては悪いような気がしたからだ。



 店に出入りする化け物たちの多くは、鈴木さんや冒険者に情報を売りにきている連中だ。

 ここは、それが許される場所であり、情報の対価として迷宮内では手に入らない街の物資を得られる貴重な場所でもあるのだ。

 この店は言わば、この虚像世界におけるルールが通用しない治外法権の部屋……噂では鈴木さんが現実世界時代に属していた組織が、運営会社に手をまわして確保した場所らしい。

 そして、それは多分、事実だろう。


「オーナーからです」

鈴木さんに指示された若いバーテンダーが、そう小声で囁きながら、音もなくそっと差し出すグラスには、なみなみと琥珀色の液体が注がれていた。どことなくおどおどした仕草をしているところを見ると、まだ正式のメンバーに入れてもらえない三下のチンピラなのだろう。

 上からきつく言われているらしく、俺に接する態度は度が過ぎて丁重だ。

 底が厚く、重みのあるバカラのオールドファッショングラスを手にする。丸みを帯びたグラスは掌へのおさまり心地が格別によい。

 注がれていた液体はスコッチだった。ハイランド西部オーバン産らしく、特有のさわやかなピートの香りが鼻孔をくすぐる。

 この街では滅多にお目にかかれない上物だ。グラスを小さく揺らしてから、マッチの炎を近付ける。

 フワッと青白く均一な炎がグラスの内側に上がり、まじりっけのない本物であることを証明した。

 焼き杉で作られた丸いコースターをグラスの上に置き、蓋をすると空気が遮断され、炎は一瞬で消え失せる。

 熱せられたスコッチから立ち昇る香りがバーカウンターに広がり、店の淫猥な空気を周囲から吹き払う。

 俺は、羽織ったチョークストライプのシングルスーツの内ポケットからシガレットケースを取り出すと、中からトレジャラー・シルバーを一本抜きとり、口に軽く咥えた。

 途端に空中に火球が現れ、煙草に火を付けてくれる。

 気のきく、いい店だ。

 紫煙を肺いっぱいに吸い込み、吐き出す。

 やはり、ホット・スコッチと英国製煙草の相性は抜群だ。

 二種類の辛味は舌の上で、まるで恋人同士のように濃厚に絡み合って、俺を楽しませてくれる。


宝物保管係トレジャラーか……相変わらず、いい煙草を吸ってやがる」

 ようやく取引相手らしいコンキスタドールとの話が終わったらしく、鈴木さんが目の前にやってくるなり、カウンター上に置かれたシガレットケースに手をのばし、中身を眺めて呟く。

「重要な商談は終わりましたか?」

 俺は、嫌味を込めて尋ねる。

 人を呼びつけておいて、待たせるなんて非礼を見逃すほど、人間が丸くは出来ていない。

 もっとも、人間ですらないが……。

「ああ」

 しかし、俺の魂を込めた嫌味の砲弾は、鈴木さんの装甲板のような面の皮を貫通出来なかったらしく、彼は全く悪びれずに俺のシガレットケースから勝手に煙草を抜きとり、咥える。

 途端に先程同様、空中に火球が出現する。

「いいんですかい? 連中、コンキスタドールでしょう? メキシカン・ギャングとヤクザが仲良くお話しですか……コフン・シップスやトーテンコップフが知ったら、焼きもちを妬くんじゃありませんか?」

 『棺桶船団コフン・シップス』はアイリッシュ系の、『髑髏団トーテンコップフ』は白人至上主義者系の組織だ。この迷宮内ではいずれも新参だが、コフン・シップスはその短慮と粗暴さにおいて群を抜いた集団であり、ナチ野郎であるトーテンコップフは現実世界同様に、他者と組むことはない。

「知らねえのかい? トーテンコップフは今、西地区でセインツとじゃれ合っている。双方、かなりの人数を動員しているらしいぜ」

 鈴木さんの口にした『聖者団セインツ』とは迷宮の出入り口に近い地域、通称「南地区」に勢力を張る西海岸系の黒人組織であり、質の良いラッパーを揃えていることで知られている。

 確か、この店でも何度かライブをしている筈だ。

 そのセインツは、出入り口から見て左手にある「西地区」に勢力を張るコフン・シップスやトーテンコップフとは以前より、不仲だ。

「へえ……鈴木さんのところも、ナチ野郎とは険悪でしょ? コンキスタドールと組んでセインツに加勢したらどうです?」

「おいおい、うちは完全中立を旗印にしているんだぜ? 看板にも、そう書いてあるだろう?」

 鈴木さんは、そこまで言うとニヤリと笑い、小声になる。

「確かにメキシコ野郎の話もそれだったんだよ。やつらタコス臭え息、吐き出しながらセインツに手を貸そうじゃねえかって、誘ってきやがった」

「で、断った?」

 先程、ガチャガチャとやけに派手な音を立てながら、荒々しく席を立ったコンキスタドールの様子からして、鈴木さんは、その誘いを断ったのだろう。

「まあ、白が勝とうが、黒が勝とうが、黄色には関係ねえ。どっちかが弱ったところで、他の組織が美味しいところを頂くだけさ」

 世渡り下手で、本音の隠せない人だな……鈴木さんと話すたびに、俺はそう思う。



 ――このゲームが海外におけるサービス提供を開始した時、プログラムをオープン化したのは運営会社的には大成功だった。

 大小さまざまな企業や個人が、このゲームに参入し、基本ルールの範囲内で独自のキャラクターやアイテムを投入、売り出した結果、ゲームはより深みを増し、複雑化し、海外においても多くのプレイヤーを獲得することとなった。

 現在では国内外に数千万人のプレイヤーが存在し、その一割が課金を行い、月間売上は日本円に換算して数百億円にのぼると言われている。

 そして電子データとしてしか存在しない数百億円のウェブマネーを見過ごす程、世の中の犯罪組織は甘くはない。

 ヤクザに黒社会、ギャング、コーサ・ノストラ、ネオナチ、テロリスト、麻薬組織から時には各国インテリジェンスに至るまで、多くの合法、非合法な組織がこのウエッブマネーに目をつけた。

 麻薬や武器密輸、偽札、賭博、売春、強盗、人身売買、不法就労など非合法な手段で入手した金を法的に整備され、監視の目が行き届いた銀行ネットワークを用いるのではなく、ゲーム世界で動かすことによって資金洗浄マネーロンダリングと送金行為を行い始めたのだ。

 洗浄の方法はさまざまだ。

 現金をウェブマネー化した後、それを使ってゲーム内で用いられる金貨を購入、そのまま金貨として取引相手に受け渡しされることもあれば、宝石などの宝飾品や絵画などの美術品や工芸品、或いはレアアイテムの交換という形態で行われることもある。

 いずれも所詮は画像データに過ぎないものだが、数千万人ものプレイヤーがそれに価値を見出しているのだ。

 馬鹿げた話かもしれないが、イギリスやフランス、イタリアなどの先進大国の人口に匹敵する人間が、それに価値があると思いこんでいる以上、財政が破綻しかけている国家の中央銀行が発券する紙幣よりも価値があるのだと信じられるのは、ある意味、当然の話なのかもしれない。

 マネーロンダリングが盛んに行われ、大金が動く様になると、自然と組織は画面越しにその資金を確認することだけでは不安を覚える。

 実際、組織が貯め込んだ大金を専門的に狙う強盗団のような存在が現れたし、事情を知らず、単に宝の山だと思いこんで襲撃する間抜けな冒険者も大勢いる。結果、各組織はゲーム内に電気信号化した構成員の人格を送り込み、資金の警備を行うようになった。

 そして、最終的にこのゲーム世界では、何も知らずに冒険を楽しむ大多数の善なる市民の影に、現実世界と同様、犯罪組織同士が熾烈な抗争劇を繰り広げる場へと深化することとなったのだ――。



「仕事ってなんです?」

 いい加減、世間話に飽きた俺は単刀直入に尋ねる。そろそろ愛するモルガン・ル・フェが目を覚ます時間、帰って朝食を作らねばならない。

 それに、鈴木さんの仕事はでかいが、その分、危険も伴う。

 既に小部屋いっぱいの金貨を貯め込んで食うには困らない俺にしてみれば、敢えて金目当てに請け負わなくてはならないような仕事は、そうそうない筈だ。

 気に入らなければ、さっさと店を後にするつもりで、要件をせかす。

「そう、せくなよ。報酬ははずむぜ?」

「……」

 俺は答えず、空になったグラスをターンさせ、ソーサーの上におく。

 「話は終わりだ」の意だ。

 一瞬、スコッチを注ごうと近付いてきたバーテンダーが、逆さまになったグラスを見て、さり気無く去っていく。

「せくなって言ってんだろう?」

 俺の態度に、少しだけ肩をすくめた鈴木さんは、苦笑しつつ、手にしていた俺のチタン製のシガレットケースを両手で捩じる。

 至近距離で放たれたトカレフの銃弾でさえ弾き返す特注シガレットケースは、まるで安煙草の空き箱のようにクシャクシャにされてしまった。

 どうやら、少しばかり御機嫌を損ねてしまったらしい。

 愛想のない、ぶっきら棒な口調で鈴木さんは話し始める。


「スケルトン・キング。知っているな?」

 『骨王バグ』の二つ名で知られ、第一階層の東半分を支配する銀の軍団の最高指導者――。

 どうやら、俺の嫌な予感は今回もドンピシャリだったようだ。


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