軍人は何を見る
昔から図体は良い方とは言えなかったかも知れない。生家はかなり貧しかった。典型的な地方農民の家。大家族の割りに収入は少ないからか、5人居る子供のうち三男から下は養子に行かされた。私は四男で、叔父の家に養子に行った。叔父は比較的裕福だったが、子供が二人いた。雑用もやらされたが、家より環境は良かったし、飯も食えて勉強もできた。
けど、昭和の恐慌で話は違ってきた。東北にある叔父の家は大打撃を受けた。裕福な生活は苦しくなった。そんな中で、丁度16だった俺が口減らしのために海軍を志したのも仕方が無かったのかもしれない。
俺はその中で、舞鶴にある機関学校を選んだ。試験には無事に合格し、四年間の教育を受けて機関士官になった。
それからの人生、海軍が自分の居場所のような物だった。海軍には大切な仲間がいた。海軍は俺にとって家そのものだった。数年経つと、大型艦に転属になった。その頃就役したばかりの最上級で、駆逐艦と比べて居住性が良かった。何しろハンモックでなく三段ベッドを採用していたからか、これまでよりもよく眠れた。しかし時代は戦争へ進みつつあった。丁度盧溝橋で戦闘があって、支那事変が勃発した一年後で、国家総動員法という無茶苦茶な法案が可決された直後だった。
兵員からの評価は、もしかしたら悪かったかもしれない。何しろ規律に厳しかったからか、鬱陶しそうな目で見られたことがあった。けど、そんな事思ってられる頃はまだ良かった。開戦の大体2ヶ月くらい前に少佐になった上に練習巡洋艦の「鹿島」に異動になった。当時の4Fの旗艦で、元々練習巡洋艦だったからか、司令部を置いても居住性は良かった。武装と機関はと言うと、練習巡洋艦だからか、微妙だったが。
真珠湾で日本がアメリカに奇襲した時、俺は4Fの司令部にいた。丁度ウェークの攻略作戦の為に打ち合わせをやっていた。通信士官が長官の井上少将に真珠湾攻撃の戦果を書いた電文を渡して喜ぶ。すると少将が「何がめでたいだ、バカヤロー」と吐き捨てるかのように言ったのを、今でも覚えている。
快進撃はミッドウェーで止まった。元々国力が違いすぎるのだ、勝てると思ったら大間違いだと自分も思っていた。その時、井上少将のあの言葉を思い出した。
どちらかというと機関科では有能な部類に入っていたらしい俺は、43年の6月にまた異動になった。日本は段々と追い詰められているのが時々戻ってくる娑婆の配給の様子からもよく分かった。段々減っていく米や砂糖。丁度婚約者ができた頃に配給を見ると、自分達の食料と配給との落差にびっくりした。
乗艦になったのは「大和」だった。俺はトラックで見たそれに圧倒された。世界最強の戦艦。そしてそんな戦艦の機関を動かすと言う事に興奮した。規律が厳しく、兵卒がケツバットをさせられているのを何度も見たが。
けれども日本は追い詰められていき、マリアナ、レイテで帝国海軍は文字通り壊滅した。同型艦の武蔵も沈没した。世界最強を一時期誇った空母部隊は見る影もなかった。
翌年、大和は沖縄に出撃した。輸送のために使う燃料まで割いて、そんな意味のないことをやらかした。敵討ちと言うのが馬鹿らしくなった。自殺攻撃にどんな意味があるのだろうとさえも。
でも、そんな馬鹿な海軍でも、自分にとっては大事な海軍だった。一番の居場所だった。
運命の日。魚雷が命中し、艦が傾く。爆音が鳴り、機関は損傷し速度は低下する。浮沈戦艦は、段々と傾斜していく。注水区画は満タンになり、それでも被弾と傾斜は止まらない。復旧作業をしながら、反対側の機関室には海水が注ぎ込まれる音が聞こえた。それを聞いて、もう終わりだろうと思った。
「お前ら、すぐにここから出ろ!この船は沈む、もうすぐ沈む!」
だめだなと一瞬思った。そして、それが口を付いて出てしまった。でも本当は、同じ場所でいつも仕事をする彼らが大切で、失いたくなかったのかもしれない。けれどもあいつらはそれを笑顔で断った。俺の意図を全て見透かしたかのように。
「嫌ですよ。私達の居場所は海軍です、この大和です。少佐こそ、何一人で死のうとしているんですか!」
まだ若いのにだ。未来があるのに。あいつらは戦っている。涙が出そうになった。艦の傾斜はそんな間にも進んでいく。魚雷がまた命中する。今度は艦がぶるぶると震え始め、傾斜はあっという間に深くなっていく。総員退去が発令されたのはすぐの事だった。
「行かないでいいのか?」
伝声管から総員上甲板と声が聞こえる。だが、すでに重大な損傷を負って、上甲板まで遠い俺達は到底間に合うはずが無い。それを察したのか彼らは頷く。
「少佐、エンゲが居るって本当ですか?しかも若いの。」
昔から居る中尉が聞く。何処から嗅ぎ付けて来たのだろうか。彼女は東北じゃなくて福井のほうの出身だっただが、ちょくちょく呉まで来ていたのを思い出す。
「残念ですね。未亡人が一人増えちまった。ここにいるのは大半がチョンガーですね。もしかしてKIもまだなんですか?」
俺はそれに頷く。学生兵が結構多かった。婚約者がいる者はそれほど多くなかったし、いても空襲でやられた奴もいたと思う。まだ幼さが残る機関科の兵が今度は聞いてくる。それを見ると、まだ年頃だったのかもしれないと思う。
「お前はどうなんだよ。そんな事言ってまだ未経験なんじゃねえのか?」
猥談。彼と同じくらいの兵が笑って彼に聞く。機関室で笑いが漏れる。まるで、これから死ぬのが嘘みたいに。逃げているのかもしれない。
「少佐に報告いたします!上島上等水兵、いまだ全て未経験であります!」
猥談。馬鹿らしく見えるかもしれない。でも多分死ぬという事が怖くて、俺はそれを強引に誤魔化していた。他の奴らがそうじゃなくても、自分はそう思っていた。
「またか……」
それから先のことは、よく覚えていないのだ。多分大和が転覆して、俺達は死んだ。それだけの話だ。でもそんな夢を、この頃よく見る。そんな事を、児童養護施設の布団で思う。まだ起床前なのに起きてしまった。
あれから65年。何故だろうか。「私」がこの日本に生きているなんて。
それも男性なら良かっただろう。現実的に男女が生まれる時、実際には男性のほうが若干女性より生まれやすいという。その差は男性が幼少期に女性より多く死亡するという事でバランスが取れているらしいが、それを単純に1対1の確立としても、男性として生まれるのは50%程度。
つまり、簡単な話だ。私は、女性として生まれ変わってしまった。生まれ変わってから12年。それだけの事実に、未だ混乱している私がいた。
タイトルは数秒で考えた適当な物。
Q.TSとか誰得?しかも転生って。馬鹿なの死ぬの?
A.俺得です。何やってるんだか。この話は、大和の乗組員を訪ねたり、前世の婚約者と出会ったりして主人公は無力感に苛まれながらも前世の自分が生きていた証を探すという話。もしかしたら続きを書くのかなあ。
大和企画、これにすれば良かった。