いじめ物
彼女はビルの屋上にいた。彼女の住んでいるマンションの屋上は、数年前に緑化と称して様々な植物が植えられていた。しかし、今は冬だ。それも日の沈みかけた夕方。首都圏でもひゅうひゅうと風が吹くと、厚着でも寒さが身に沁みる。でも、ここで全部終わるのだ。忌々しい日常も全部消えて無くなる。心残りがあるとすれば、唯一の親友。彼女が傷ついてしまわないか、酷く心配だった。けれども、彼女にはもう耐えられはしなかったのだ。
フェンスを飛び越える。学校では運動音痴と言われたが、それくらいの運動能力は流石にある。立って下を見ると、8.9階もの高さで身が竦む。
彼女は深呼吸をすると、そこからジャンプした。間も無く、グシャという音が遥か下から聞こえた。
「都立の高校の女子生徒が、今日夕方、住んでいたマンションの屋上から飛び降り自殺する事件が起きました。女子生徒はその場で死亡が確認され……」
「そうそう。あの女死んだってさ!ちょーウケるよね!」
私の隣の席にいる彼女がさぞ愉快そうに笑う。全国区のニュースになった自殺事件は当然校内にも瞬く間に知れ渡った。自殺した彼女がこの高校の生徒だったからだ。すぐさま彼女の所属するこのクラスには事情聴取が行われ、同時に全校でアンケート調査まで行われた。
いじめはあった。しかし、隠蔽されている。私の母が出席した説明会からは、いじめの事実は知らされていなかった。それもそのはずだ。隣の彼女は、この区にある土建屋の社長だからだ。区内の有力者へも顔が知れている。教師は、全く彼女達に物が言えない。と言うより、ただ給料を得るために働くのだ。そんな面倒臭い事をいちいちする訳が無い。私は、彼女の不細工な顔がさぞ愉しそうに歪む所を、何度も何度も見てきた。
「あの女。馬鹿なんじゃないの?私達はあいつの事、別に言ってなかったし。そんな事気にして、被害妄想もいい加減にしろって感じ。」
彼女の金魚の糞がそれに同調する。一瞬。耳を疑う。彼女にしてきた事は、そんな物じゃなかったはずだ。少なくとも被害妄想なんて言葉で済まされるものではないはずだ。
発端は彼女の変わった苗字だった。成績が良くて、スタイルも良い。もしかしたら、私以外にも憧れている人が居るかもしれない。そして、この高校を牛耳っている首謀者の彼女の思いどうりにならない存在。
始まりは、その苗字を元にしたような、他人の私から見てもさぞ不愉快になるような渾名の連呼。物を隠す、捨てるは当たり前。先ほども述べたような事情で反抗する人間はほぼ居ない。精々数人が中立になった程度だ。
不愉快になった私は、未だ低レベルなお喋りを繰り返す彼女達に気づかれないように教室を出た。
「今日深夜、都立高校の女子生徒が、橋から転落し溺死体となって発見されました。尚、同様の事件は今まで二件起きており、先月発生した女子生徒の自殺事件を含め、彼女達の通っていた高校は同一の……」
先月末に、高校二年生の女子生徒が自殺した事件。その事件が発端となって、三人が立て続けに死んだ。他殺か自殺か。恐らく前者だろうと考えられるが、マル被を立てるにもまず関係の場所を当たらないからには始まらない。
「人通りの少ない場所で、しかも夜中。そこを狙ってやるとは、計画は綿密に練られていると思いますよ。」
付き添っていた稲田巡査がそう言う。確かにそれは納得できる。三人とも、夜遊びで帰宅する最中、ひと通りの少ない道で殺されている。一人目は刺殺。二人目は首を絞められ。三人目は溺死。
「恐らく怨恨の線だろうな。三人目は土建屋の一人娘。他もその金魚の糞。親か子にトラブルでもあったんだろ?」
「ええ。しかし、親も学校のほうも見当たらなかったですよ?」
「馬鹿野郎。繰り返し情報を収拾して整理して分かってくる事があるんだよ。一度くらいで終わってたまるかよ。ほれ、マル害の通っていた高校にとっとと行くぞ。」
最近配属になったこの巡査、知識はそこそこあるのだが、やはり経験が無い。こればかりはどうしようもないが、自分はこの事件が早く終わると言う事を確信していた。しかし、それは早くに裏切られる事となる。
まだプロローグですが。