殺心-サツジン-
大粒の霰が辺りを白く覆っていく。冬も頭の頃、古びた小屋には一人と一匹。一人は袖を捲り上げ、横たわった一匹の口元にパンを「少しでも、食べて元気になってくれ」という思いで必死に食べさせようとする。
———っはしゅ、っはぐ———
一匹がそれに答えるかのように、息を切らしながらも必至で食らいつく。必死で生きようとしているのだろうか?それとも、一人に心配をかけまいと無理して食べているのだろうか。
「苦しいよな・・・。あー・・・クソ・・・もっと、ちゃんと世話してやれば良かったよ・・・。何て、馬鹿なんだ、俺は・・・」
一匹は、何かに押さえつけてくるものに反発するように、必死に体を地面から突き離す。今はもう、寒さのせいなのか、力が入らないせいで震えているのかわからないが、おぼつかない足で4畳あるかないかの小屋を歩き回る。
「まだ、歩ける元気はあるんだな。でも、きっともう・・・長くないよな」
恐らく汚物や泥まみれであろう体を撫でる。汚くないといえば、嘘になる。しかし、後で手を洗えば済む話でもある。寒い中袖を捲っているのは、手は簡単に洗えるが服はそんな簡単に洗えないからであろう。
「殺してやる・・・」
一人が何やら、このしんみりムードをぶち壊す一言を呟いた。殺してやるなど、一人でつぶやいている時は本気と書いてガチで殺る気に聞こえる。つまり、冗談に聞こえないということだ。言葉だけなら・・・・・・。
「そうすれば・・・もう苦しまなくてすむよな・・・」
一人は、自分に言い聞かせるように、黒く粘ついた感情を言葉にして吐き出す。
そして、沈黙。その沈黙の中に二つの呼吸。どちらも息が乱れている。一人が呼吸を整えるように深呼吸。
そして「何て、俺は自分勝手なんだ!」と、自分の弱い心を殺すかのように力一杯叫んだ。
沈黙が爆発したような気がした。普通なら誰しも爆発した中心に目がいくだろう。しかし、一匹は相変わらず何かを求めて小屋をうろついている。耳が聞こえないのだろう。そして、恐らく目も見えていない。
「死にたい・・・。何て俺は最低な人間なんだ。苦しみから救ってやるみたいな感じで、こいつを救った気になって。苦しみから逃げようなんて・・・。逃げるな・・・俺」
一人が、冷えた頬を両手ではたく。
「そうだ、明日何か暖かいマットでも探してみるか。長く使えねかもしんないけど、お前のためなら無駄金じゃねーしな」
その言葉は全て、一匹に対してではなく自分に対しての言葉であろう。逃げたいという感情を殺すように、嫌な想像を殺すように自分にいい聞かせているのだろう。
見た限り、一匹はもう長くない。呼吸が乱れ、視力も弱まり、聴力もなく、鼻はカサカサで少し血の混じった鼻水を垂れている。鳴き声も、久しく聞いていない。
これだけ、弱った一匹も一人が帰ってくるのだけはわかるみたいで、いつも出迎えてくれた。
長く苦しませたくない。そんな感情は、殺しても殺しても湧き上がってくる。しかし、一人はその感情を殺し続けることを選んだ。時間はもう戻らない。きっと、一人は今までの自分の後悔を消すことは不可能だろう。だからと言って、楽な道に逃げるのは許されない。きっと、それもまた自己満足なのだろう。
「さて、気を取り直してやらなきゃいかんことをやってしまうかね」
一人は、何時の間にか霰から雪に変わった天気のなか、降り積もった雪に足跡をつけながら少し離れた自分の部屋に戻る。
その夜、一匹は鳴き声を上げ一人を何度も呼んだ。久しく鳴き声なんか聞いてないかったから、一人は少し元気になったのかなと心の中で少し安心した。今思えば、体力もない一匹は魂を絞り出すように一人を呼んでいたのかもしれない。
もう、朝方。一人は一匹はまだ大丈夫だと勘違いをし、眠りについた。朝日が暖かくなる頃、一匹のもとにいく一人。虫の息とは、このことだろうか。呼吸の間隔が長すぎる。その後、一匹は数回呼吸を繰り返し止まった。間隔から永遠に停止へと変わった。
「ごめん・・・」何度も何度も。
一人は、また後悔した。鳴き声を聞いただけで、元気になったと勘違いした自分に。しかし、それは一匹の優しさだったのかもしれない。心配しなくてもいいと。
一人の後悔は一生消えないだろうし、消すつもりもないだろう。一匹はそれを望んでないかもしれない。
しかし、その後悔には辛さと同時に、一匹が教えてくれたこと、一緒にいた時間も詰まっている。後悔できるってことは、それだけ一匹のことが大事な存在になってたってことでもある。
一人は、一匹によって人生をここまで創ることができたと思っているはずだ。一人は、一匹の人生を・・・犬生の一部になれだだろうか?その答えは、神でも知らないだろう。
自分の心を殺しても、生かしても大切なものを失うと後悔はするのかもしれない。後悔をただしまっておくのか、何度も何度も引っ張り出すのかはその人の自由だ。
一人は、何度も後悔して何かの役に立てるつもにりなのだろう。まずは、この短編小説にまとめることにした。