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1─7目覚めし時

 夕陽のベッドの左側、床から天井までの一面を、スイスの有名紡績メーカーから直輸入された厚手のカーテンが覆っている。

 淡いアースカラーの中央部分、カーテンの隙間から、いつの間にか一条の光が室内に射し込んでいた。




「陽が射してきたか。もう、夜が明けるわね。残念だけれど、学園赴任組はそろそろ時間切れ。朝ミサの準備があるから、わたしたちはこれで失礼するわ」




 アッシュグレーの髪の女性が髪に右手を差し入れると、ゆっくりとかきあげながら、溜息混じりに言葉を洩らす。

 その声に応えるかのように、彼女の背後では高級ブランドによるオーダーメイドのスーツに身を固めた女性が五名、それぞれが腰を降ろしていた場所から立ち上がる。

 彼女たちもまた容姿がただ美しいだけではなく、始祖の十人の名に相応しい気高きオーラをその身にまとっている。

 余人には一生を懸けても決して到達する事のできない程の、高みのステージに立つ十人が揃う姿はやはり圧巻で、神話世界に登場する女神たちもかくやと誰もが納得せざるを得ない、図抜けた華やかさとあでやかさがあった。




「やられたね、一姉いちねえ。今回は、由布院に全部持っていかれちゃったみたい」


「あっはぁ。今さら、自己紹介しても印象薄い感じ?」


「慌てる必要はないよ、夕陽とはまたすぐに会えるんだからさ」


「右に同意する。名前はその時に名乗ればいい」


「学園で待ってるわ、安曇野くん。リハビリと女性教育早く終わらせて登校しておいで」




 何処かさばさばとした口調の彼女たちが、思い思いにこぼす言葉の欠片かけらのひとつに、夕陽は思わず反応した。




「学園? 学園って何処の?」


私立華月宮しりつかげつのみや学園。わたしたち始祖の十人が、後に続く妹姫の為に創った学校よ」




 一姉いちねえと呼ばれた、おそらくは長姉にあたるアッシュグレーの髪の女性が、夕陽の疑問に即答する。




「そんな。じゃ、今の学校は……」


「残念だけれど、メタモルフォーゼした姿で今の学校に復学するのは、あなたが想像している以上に困難な事よ。だから、これだけは絶対に譲れない。お願いだから、素直に転入なさい」




 退院後に、初対面いちから姫として他人に接する場合と、メタモルフォーゼ以前の環境に姫の姿で戻る場合とでは、人々の反応がまるでちがう。

 前者の場合はさして問題はないのだが、後者の場合は過去にいろいろとトラブルを誘発した事例が数多く残されている。

 始祖の十人によるたゆまぬ尽力によって、メタモルフォーゼ症候群罹患者に対する理解は社会常識の域にまで到達しているが、やはり発症以前の容姿や人となりを多少なりとも知る者にとって、事はそう簡単に割り切れるものではない。

 メタモルフォーゼ症候群罹患者の退院後、本人の希望を最優先にして以前の環境に戻された場合、元々からの距離が近ければ近い存在である程に周囲の戸惑いや混迷は深まる傾向にある。

 逆にその距離が遠ければ遠い存在である程、好奇の眼差まなざしを隠そうともせずに無遠慮な態度を表す傾向にあるという事が、過去から蓄積されたデータによってはっきりと示されているのだ。

 近親者はこの限りではないのがせめてもの救いだったが、そのような環境に置かれた姫は例外なくストレスによって精神を病んでしまい、再入院を余儀なくされ社会復帰が大幅に遅れてしまうのが常だった。

 ましてや夕陽の心が繊細で、精神的に脆弱ぜいじゃくである事は、つい先刻皆の前で晒した醜態によって明らかになってしまっている。

 メタモルフォーゼ症候群発症以前の学校に復学するという行為は、夕陽にとっては最悪の選択と言えた。

 長姉による理詰めの言葉と、時折芙蓉葵が口頭で上げるデータの裏付けには確かな説得力があり、夕陽は早々に反論する言葉を失くしてしまう。




「どうやら、わかってくれたようね。そんな顔しないで、安曇野夕陽。月々の授業料は“片手程”にまけておくから、ね?」




 ウィンクする長姉の意外に茶目っ気あるその態度に、夕陽のかたくなだった心も思わずやわらいだ。




「ふ……ふふっ」




 知らぬ間に口許を緩ませて、小さな含み笑いを洩らしてしまう。

 甘い砂糖菓子のような表情を浮かべる夕陽の様子に、室内に張り詰めていた緊張の糸も一瞬で解きほぐれる。




「お話は終わりましたでしょうか?」




 携帯をかける為に室内から席を外していた由布院楓が、いつの間にか戻ってきていた。




「ああ終わったよ、由布院楓。わたしたちはこれで失礼するが、後の事は芙蓉葵共々よろしく頼む」


「お任せください、雨月うづきのお姉さま。さ、芙蓉のお姉さまも」




 由布院楓に促される形で、芙蓉葵も長姉に答える。




「誰に言われるまでもなく、夕陽くんは責任を持って学園に送り出す。姉上たちは、ただ黙って見守ってくれれば、それでいい」


「わかった。しばらくの間、安曇野夕陽に関する全てを六の姫と十の姫のふたりに一任しよう。大切にしてやってくれ」




 長姉はその言葉を最後に残して、他の学園赴任組たちと共に、朱理花織と恵那菜摘のふたりを引き連れ、夕陽の病室を後にする。

 もっとも学園赴任組からは外れているふたりの姫は、もう少し夕陽と一緒にいたいと、かなり激しい抵抗を示して嫌がる素振りを見せた為に、ほとんど拉致にも等しい扱いを受けていた。

 病室のドアが静かに閉ざされると、夕陽は小さくひと息吐いて、白く長い睫毛を震わせる。




「どうした、夕陽くん? 疲れたかね」


「あ、いえ。大丈夫です」




 物憂げに沈んだように見える夕陽の表情に、芙蓉葵が気遣わしげに声をかけると、夕陽はゆっくりと首を振って微笑みを返す。

 そんな夕陽の様子に、芙蓉葵がほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、由布院楓が洩らした何処かのんびりとしたひと言が、落ち着きかけた場の空気を一変させてしまう。




「それはようございました。では夕陽さん、完全に夜が明けきる前に、わたくしたちもおいとまいたしましょうか」




 由布院楓の言葉を聞き終えるや否や、芙蓉葵はその身にまとう雰囲気を劇的に変化させる。

 夕陽と三人の女性看護師たちが、思わず息を呑む程の苛烈かれつな威圧感。

 それでも由布院楓だけは、ひとり涼しげな態度を装い、楚々としたたたずまいを崩そうとはしなかった。

 ご覧頂いたとおり、学園赴任組の名前はまたの機会に。


 現在までに、フルネームで表記されたキャラの名前の読み方を以下に記しておきます。



 安曇野夕陽あずみのゆうひ


 芙蓉葵ふようあおい


 朱理花織あかりかおり


 恵那菜摘えななつみ


 由布院楓ゆふいんかえで



 以上です。今後も本作をよろしくお願いします。



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