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1─6目覚めし時

「わたくし、もう待ちくたびれてしまいましたわ」




 その声を聞いて、女性看護師たち三人が医療用カートを従えてベッドサイドから退くと、空いたスペースに音もなくひっそりと、しかし確かな存在感を持って、ひとりの女性が現れた。




「お姉さま方は、いい加減その辺になさいませ。普段は他人にもご自分にもとても厳しい方たちですのに、相も変わらず妹姫には甘いのですね。カードと通帳はわたくしがお預かりいたしましょう。夕陽さんが困っていらっしゃいますわ、ねえ?」




 いきなり同意を求められて、夕陽は何と答えればいいか分からず、戸惑いながらも曖昧に頷いてしまう。 その女性は夕陽に向けて、思わず惹き込まれてしまいそうな程に人懐こく、それでいて華のある笑顔を浮かべる。




「はじめまして。わたくし、十の姫、由布院楓ゆふいんかえでと申します」




 折り目正しく一礼する彼女に、夕陽も思わず背筋を伸ばしてベッドの上から礼を返す。




「あの、十の姫って?」


「十番目に化身メタモルフォーゼしたという程度の意味合いですの。あまり深く考えなくてもよろしいですわ」




 由布院楓はおっとりした口調でそう答えると、目許を緩めて、ころころと鈴を転がすかのように笑う。

 彼女を始め、始祖の十人は、皆がいずれも旧華族か旧財閥の出自を持つ。

 世が世なら実際に姫と呼ばれ、大勢の人々にかしずかれていてもおかしくはない高貴な血筋を受け継ぐ存在だった。

 もっとも、現在においても彼女たちの血統の価値は不変であり、彼女たち自身の規格外とも呼ぶべき才覚によって、それぞれの一族は華族制度廃止・財閥解体以前をも超える隆盛を誇っている。

 夕陽を妹姫と呼ぶのも、彼女たちにしてみれば決してひと時の戯れではなかった。


 春らしく枝垂れ桜を染め抜いた、加賀友禅の明るい色調の色留袖姿はすらりと背筋が伸びて美しく、結い上げられた髪は艶やかなからすの濡れ羽色。

 品のよい瑪瑙めのうのかんざしは控え目で、その存在を主張しすぎる事はない。

 白くほっそりとしたうなじは艶かしく、少女の姿でありながら、匂い立つような大人の女性の色香を放っている。

 始祖の十人の中で唯一和装姿の由布院楓は、静々と夕陽に近寄ると、花でも活けるかのようなたおやかな仕草で、シーツの上に散乱しているカードと通帳を手際よく取りまとめていく。




「由布院楓、わたしと安曇野夕陽の話がまだ終わってないのだけれど」




 夕陽との間に割り込まれる形になった、アッシュグレーの髪の女性が何処かあきらめ顔でする抗議を、由布院楓は柳にそよぐ風のように受け流して無視をする。




「ねえ、夕陽さん。あなたが今お住まいのマンションは、賃貸契約でいらっしゃいますわよね」


「――――っ」




 夕陽はその言葉に思わず顔を曇らせた。

 双子の姉である真陽に次いで、他人には触れられたくない部分だったからだ。




「やはりお悩みのようですわね。月々のお家賃は結構な額のようですけれど、もっと安上がりにすむお部屋を探すおつもりは? 今回の入院費用も含め、いろいろとご入り用でございましょう」


「待て、由布院。入院費用の心配ならしなくてもいい。夕陽くんに負担をかけるつもりはない」




 芙蓉葵が少し慌てたように口を差し挟む。

 夕陽は自分の身体を柔らかく包むようにして抱き締めている彼女の細い腕に、わずかに力が込められるのを感じた。

 思わず夕陽が身動みじろぎすると、芙蓉葵はハッとした表情を浮かべて、腕の力を即座に緩める。




「芙蓉のお姉さまはそれでよろしくても、夕陽さんの気持ちはそうはいかないのでございますよ、ねえ?」




 由布院楓にここでもまた同意を求められ、夕陽はほとんど反射的に頷き返す。 楚々(そそ)として控えめで、押し付けがましくなく、夕陽の意志を尊重してくれる大人の女性。

 夕陽は由布院楓に対してそんな風に好感を抱いたのだが、相手の手練手管に既にまってしまっている事にはまるで気付いていない。

 いわゆる初対面の掴みに成功した由布院楓の本領が真に発揮されるのは、ここからだった。




「部屋は一年前から、もうずっと探してるんです。でも、なかなか決まらなくて」




 ひと言、ひと言を噛みしめるようにして夕陽が言葉を吐き出すと、由布院楓はいちいち頷きを返しながら、夕陽が不快に感じない程度に同情を示す。

 その姿はやはり、誰の目から見ても控えめで、好ましい態度だった。




「未成年の方では無理もございません、苦労なさいましたでしょう。ですが、保証人などいなくとも即入居できるお部屋を、わたくしは夕陽さんにすぐにでも紹介して差し上げられますけど。もちろんお家賃は格安ですし、敷金と礼金も一切頂きません。ただ、湯殿とかわやは共同になりますが、そういうのは気になさったりしますか?」


「あ、それは全然平気です」


「それは、ようございました。ただ、契約を迷っておられる方が他にも何人かいらっしゃって、今は一刻を争う状況なのです。夕陽さんの返事をすぐに頂けるなら、この場から携帯で部屋を押さえる事ができますが、いかがされますか?」


「あの格安って、家賃はどれくらいなんですか?」




 おずおずと夕陽がそう尋ねると、由布院楓は目を弓形ゆみなりに細めてさらりと答える。




「片手程で、いかがでございましょう」


「片手って、五万?」


「いやですわ夕陽さん、桁がひと桁ちがいます」




 由布院楓は一層目を細めると、右の袖口でそっと口許を隠す。




「嘘っ、五千円!? 何で、そんなに安いんですか?」


「築後数百年はっている、広いだけが取り柄の古いやしきだからでございます。空き部屋が多いままですと劣化が早くなりますので、家主にとってはどなたかに入って頂けるだけで助かるからなのですわ。夕陽さんと同じ年頃の者も男女数名程暮らしておりますし、あなたにとって有益な経験を得る場に、必ずやなるはずでございましょう」




 夕陽の気持ちがかなり傾いて話がまとまりそうな雰囲気に、朱里花織と恵那菜摘のふたりが焦りもあらわに口を差し挟む。




「ゆっ、夕陽ちゃん! そんな急いで決めなくてもいいんじゃないかな?」


「そっ、そうだよ! 何なら恵那とあたしのマンションに来ればいいよ!」




 夕陽の足許側からベッドに両手をついて身を乗り出し、必死に言い募るふたりを横目に見ながら、由布院楓は溜息をひとつ洩らすと、ぽつりと呟く。




「こんな話をしている間にも、契約される方が現れてしまうかもしれませんねえ。最後のひと部屋ですのに……」




 その言葉が決め手になった。




「待って、決めます。貸してください、その部屋!」




 夕陽の言葉を聞いた由布院楓は満足気に頷くと、左手にたずさえていた凝った意匠の刺繍ししゅうが施された巾着から携帯を取り出し、慣れた手つきでダイアル操作した。

 今回、由布院楓ひとりしか名乗らせる事ができませんでした。ごめんなさい。

 もう、次回の予告めいた事は書かないようにします。

 でも、そろそろキャラが勝手に動き始めてきました。

 作者も彼女たちがこれからどう動いていくか、先が楽しみです。



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