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9─6再会


 音楽室のドアが二度、ノックされた。

 それは遠慮がちな響きだったが、今の生徒会執行部のメンバーには、やけに大きな音に聞こえた。

 姉小路瞳子を始め、残された生徒会執行部のメンバーは互いに無言でアイコンタクトで意思の疎通を図る。




「静香をお願い」




 無言による意思統一はすぐに為され、瞳子は静香をファンと由佳里に預けて、ひとりでドアに向かう。

 再度ドアがノックされ、瞳子はその響きに急かされるようにして、ドアノブを内側へと引いた。

 ドアの外、誰の人影もない廊下にひっそりと、やけに印象の薄いひとりの女子生徒が佇んでいた。

 瞳子は音楽室内部の惨状を見られる事を避ける為、ほんの僅かな隙間に身体を滑り込ませて、後ろ手にドアを閉める。




「瞳子会長、お取り込み中の処申し訳ありません。お邪魔かとは思いましたが、至急お耳に入れたい事があって参りました」




 その女子生徒は瞳子、と呼んだ。

 姉小路瞳子が下の名前で呼ぶのを許す相手は公私を問わず、非常に数が限られている。

 従って瞳子の目の前に立つこの女子生徒は、彼女にとってかなり近しい間柄のはずで、実際に顔にも何処となく覚えがある。

 だが、それでもどうしても相手の名前が思い出せない。

 もどかしさに小さな苛立ちを覚え、何とか思い出そうとするがやはり叶わず、どうしても彼女の名前が出てきそうもなかった。

 それどころか、彼女が同級生であるのか、下級生であるのかもあやふやで、判然としない。

 罪悪感に苛まれながらも、思いあぐねた瞳子は、率直な態度で眼前の少女に詫びる。




「え……と、ごめんなさい。名前が出てこないわ。あなた、誰だったかしら」




 相手の受け取り方次第ではかなり失礼にも思えるような言い草だったが、その言葉に相手を不快にさせる響きは全くなかった。

 女子生徒の態度自体にも変わりなく、さして気にしている様子もない。




「ねえ、何て呼べばいい?」




 もう一度、念押しするかのように瞳子が問う。




「では、名無し……と」


「名無し……?」




 女子生徒が返した答えに、瞳子は思わず眉をひそめる。

 少女は訝しげな瞳子の態度には委細構わず、手にしていたタブレットPCをおもむろに指し示す。




「それで、瞳子会長にはこれを見て頂きたいのですが」



 

 それは各専門委員に昨年から一台ずつ学園から支給されているタブレットPCで、彼女は実にさりげなく話題を逸らして瞳子の視線を誘導する。




「これは……?」


「陸運局のデータベースをダウンロードして、ローカルに保存したものです。どうしても、早急に確認したいナンバーがありましたので」


「あなた、それって!?」


「もちろん不法に侵入しました。部外者にはアクセスできませんから。一般にはハッキングと呼ばれている違法行為ですが、足跡は一切残していませんので、ご心配には及びません」


「…………」




 名無しの女子生徒は事もなげにそう言うが、瞳子は思わず言葉を失った。

 陸運局に対するナンバープレート番号からの照会については、「登録事項等証明書」の交付請求が必要で、個人情報保護を強化する観点から、平成十九年十一月十九日より以下のものが必要となっている。

 基本的には、『自動車登録番号(ナンバープレート番号)』と『車台番号(下七桁)』のそれぞれを揃え、正規の手続きを踏まえなければ、自動車の所有権を公証する登録事項等証明書は、交付される事はない。

 言うまでもなく、一般人にとって任意の車両の所有権が誰にあるのか特定する方法は、これ以外には無いと断言してしまっても過言ではなかった。




「ですが、問題なのはそんな事ではありません」




 彼女は液晶画面上に滑らかに指を走らせると、開かれていたウィンドウを全て閉じて、端末を省電力モードで待機させる。

 そして、さも問題など何もなかったかのように取り澄ました態度で、話の先を続けるのだ。




「今朝の生活指導で騒ぎの中心になった転入生なんですが」


「あ……ああ、何かあったらしいわね。わたしは詳しくは知らないんだけれど」




 瞳子も相手のペースにすっかり乗せられてしまっているのを自覚しながらも、それ以上深く追及する事はあきらめて話の先を促す事にする。

 彼女が話す内容に興味を持ったせいでもあった。

 



「かの生徒達の送迎に使われていたリムジンのナンバーを先程のデータベースで照会した処、見過ごす事のできない事実が判明しましたので、ご報告に参りました」


「どういう事なの?」


「車体の所有者の名前が問題なのです」


「じれったいわね、所有者が何なの?」


「ところで瞳子会長は、この学園の創始者であらせられる始祖の十人の方々については、どう思われていらっしゃいますか?」




 話が核心に触れようとすると、彼女はまたも巧みに話題を逸らしてしまう。

 まるで、瞳子をもてあそんでいるかのようだ。

 じれったさと、もどかしさを覚えながらも、瞳子は投げかけられた問いに対して、真摯しんしに答える。




「もちろん、心の底より尊敬申し上げているわ。あの方々は今では実質この国の中枢を司る存在。政界は言うに及ばず、財界、法曹界、果ては裏社会まで、姫の影響力は何処までも計り知れない──」


「その代償として、一個人としては皆様方は、常に危険に晒され、下手をすれば死と隣合わせでいらっしゃる訳ですが」




 思い入れたっぷりに答える瞳子に、名無しの女子生徒は、淡々とした口調で事実を述べる。




「当然だわ。たった千人足らずでこの国に留まらず、その気になれば世界をも掌中にできる程の才能タレント揃いなのよ、誰だってその力には無意識の裡にでも惹かれるでしょう。ひとりでいいから、姫を拉致して人質に奪る事ができるなら、この世の頂点に立つ事も不可能ではないのだから」




 姫の血統は一般には情に厚いと知られている。

 その姉妹愛はまさに溺愛と言ってもよく、第三者が割り込む余地など全く存在しないのだ。

 誰かひとりでも姫がトラブルに巻き込まれてしまったなら、始祖の十人を筆頭に姉妹たちが全力で問題に相対して解決にあたる。

 社会の表面には出て来ないだけで、そんな事例が過去には何度もあった。




「でも、今ではそんな事はほとんどありえないけれどね。姫にはひとりひとり、project.Kが優秀なSPを付けているのだから」


「ですが、学園生活だけはそう簡単にはいきません。大人のSPを生徒に常時張り付けるのは、ほぼ不可能です」


「そうね。同じ年頃の不特定多数が閉鎖的空間の中で共同生活をする、この学校という場所だけはどうしても警備が手薄になってしまうわね。かつてはこの華月宮学園も、姫の拉致誘拐が目的の、国籍不明、所属不明の各出先機関の工作員達で溢れかえっていたそうだけど」


「この十年間、姫はひとりも誕生される事はありませんでしたから」


「ねえ? さっきからやけに持って回った言い方をするわね。言いたい事があるなら、はっきり言いなさい」




 名無しの女子生徒はここでようやく、端末の液晶画面を再び瞳子に向けた。

 あらかじめすぐに呼び出せるように設定されていたであろう特定のデータが、そこには表示されている。




「これを見てください。あのこれ見よがしで、やけに人目につくリムジンのナンバーと、その所有者の名前です。申し訳ありません、もっと早く気付くべきでした」




 何処か皮肉めいていて、そして自嘲気味でもある少女の口調を不審に思いながらも、瞳子はタブレットの液晶画面に視線を落とす。

 液晶画面上には、ナンバープレートの番号に対応して、ある個人名が表示されている。

 それを見た瞳子は、思わず自分の目を疑った。




「由布院……楓。由布院ですって!? 始祖の十人のおひとりだなんて、どういう事なのこれは……その生徒は一体何者なの?」


「一ヶ月前、高校入学前のひとりの男子が、夜の繁華街でちょっとしたトラブルに巻き込まれました。その少年はケガでもしたのか、すぐに救急車が呼ばれたようですが、何故か夜間の救急当番である病院ではなく、華月宮大学付属病院に直接搬送されたそうです。その少年の名前は──安曇野夕陽」


「それって……」


「そうです。くだんの転入生本人です。その生徒は華月宮大学付属病院に搬送された一ヶ月後の今朝、始祖の十人のおひとりであらせられる、由布院楓さまご所有のリムジンでご登校なさったのです」




 一体どのようにして、その情報を掴んだのか、またその情報は本当に事実なのかという疑問を、瞳子はいったん横に置いた。

 彼女にとって決して看過する事のできない結論が、ここで導き出されてしまったからだ。

 同時に、名無しの女子生徒は初めからこの終着点へと、瞳子をいざなおうとしていた事実を知る。




「つまり、安曇野夕陽は十年ぶり、千人目の姫であると?」


「その確率はかなり高いかと」




 穏やかな時が流れるここ華月宮の杜の静けさも、これでもう終わりになってしまうのかもしれないと、瞳子はそんな微かな予感を抱く。

 気付けば、やけに酷く口の中が渇いていた。




「この事は他には?」


「瞳子会長以外には、誰にも」




 瞳子が相手の返事に満足して頷き返した時、彼女の背後からよく聞き知った声で、名前を呼ばれた。

 いつの間にか彼女が背にしていたドアは、控え目ながらも開けられていたようだ。




「瞳子……」


「静香? もう大丈夫なの?」




 思わず咎めるようになってしまった瞳子の声の響きに、由佳里が静香を庇う。




「ごめんなさい、わたしたちが悪いの。もう平気だからって言われてしまうと、どうしても止められなくて」




 由佳里に続いて、静香の身体を今はひとりで支えているファンが、心底不思議そうに瞳子に問いかける。




「それはそうと、今まで誰と話していたんだ? 瞳子」


「誰って……え? いない?」




 瞳子は答えようとしたが、振り返った時には、特別教室が並ぶ管理棟二階の通路には、誰の人影もなかった。

 ついさっきまで自分の目の前にいた少女について、瞳子は説明しようとするのだが、結局彼女について何ひとつ知る事なく別れてしまった事に気付く。

 それどころか、その少女の印象さえもまるで記憶から欠落でもしてしまったかのように、ほんの些細なイメージさえも残っていないのだ。

 まさに、自ら名無しと呼ぶに相応しい存在だった。




「そう……そうね。あえて言うなら、名無しの幽霊さんかしら」




 由佳里とファンのふたりはその予想外の答えに呆れてしまったのか、思わず顔を見合わせる。

 だが、そんな話の流れには全く関心を示す事なく、静香はひとりれていた。




「それより瞳子、さっきしていた話は本当なの。安曇野夕陽が姫だなんて、そんな!? だったら、わたしは何て事を。でもそれなら、あの車が今ではめずらしくあんな濃いフィルムでフルスモークにされていたのも分かる。あれは姫の為の紫外線対策だったという訳ね?」


「静香……?」


「フィルムなんか貼られてさえいなかったら……リムジンの車内がはっきりと見えてさえいれば……こんな間違いは犯さなかった……いえ、それ以前に安曇野夕陽の周囲があんなにノイズにまみれてさえいなければ……確かにその気になってさえ見れば、姫の面影はあったというのに……っ」




 常に冷静沈着な彼女にはめずらしく、抑制の効かない感情を持て余していた静香は、ついにはファンを振り切って、駆け出そうとする。




「待ちなさい、静香っ。何処へ行くつもりなの?」




 追いすがる生徒会執行部のメンバーから何とか逃れようとしながら、静香は悲痛な叫び声を上げる。




「離して……っ、保健室に行かなくてはならないの。今すぐにっ」




 ここまでご愛読頂きまして、ありがとうございました。

 今回でようやく、MTFが基本どういうお話なのかという世界観を提示できたのではないかと思います。


 今後もどうか、MTFをよろしくお願い致します。

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