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1─3目覚めし時

 処女雪を思わせる色素の抜けた白が眩しかった。

 白無垢を身に纏った花嫁のように髪の色も、肌の色も睫毛の色さえも全てが白い。

 身体を構成するあらゆる部分の線が細く、儚げではあるが病的な白さではない。

 透明感ある肌には毛細血管が透けて見え、頬と口唇をうっすらと桜色に染めている。

 その姿を見つめる双眸を彩るくれないだけが、唯一鮮やかな彩りで、ミステリアスな雰囲気を目許に漂わせている。

 あるいは精霊が受肉すれば、このような現実離れした美しさを体現できるのかもしれない。

 夕陽は鏡の中に映る、その白い少女に目を奪われたまま、視線を外す事ができなかった。




「ねえねえ夕陽ちゃん、大丈夫?」


「身体辛くない? 気分はどう?」




 白い少女の両側、頬と頬をくっつけるようにして、ふたりのレイが鏡を一緒に覗き込んだ。




「今度は大丈夫です。最初から“そう”って分かってれば、ちゃんと耐えられる」




 夕陽は溜息を吐きたくなる気持ちをどうにか抑えると、微かに震える手に気付かれないよう、そっと鏡をシーツに伏せた。




「でもさー、どうして夕陽ちゃんだけ真っアルビノなんだろうね。わたしたち姉妹よりも、さらに先祖返りしてるって事?」


「それってもしかして、もうひとりのイブ(・・・・・・・・)そのものだったりして? わたしたちよりもずっと綺麗だから妬けるよねー」




 ふたりの会話には夕陽にとって、決して聞き逃す事のできない言葉がいくつか含まれていたが、今は気持ちが現状に付いていくだけで精一杯で、いちいち問い質す気力も湧かなかった。

 顔の他にも確認したい処はいろいろとあったけれど、さすがにこの場でそれをするのはためらわれる。

 あきらめの感情を押し隠して、全身の彩りと、まだ男だった時のまま短い髪以外は、自分と全く同じ容姿を持つふたりの姉に向けて微笑むと、彼女たちは何故か目許を朱に染めて、お互い真反対の方向に顔を反らして俯いた。




「朱理と恵那はつまらない憶測はやめて、いい加減ベッドから降りるんだ。悪戯に混乱させてしまうだけだろう? さあ、早く退きたまえ。夕陽くんの体温と脈をる邪魔だ」




 相変わらず彫刻のように無表情な芙蓉葵が、声音に混じる不機嫌さを隠そうともせずに、ふたりのレイを夕陽の身体から引きがしにかかる。




「や、ちょっとー。葵姉横暴ぉ。分かったって、痛ぁい。ベッドから降りるから、そんなに強く腕を掴んだりしないで。離してよ、もうー」


「あんたもこりないわよねー、花織。芙蓉姉の事、下の名前で呼ぶのそろそろあきらめたら? ほんとに嫌われちゃっても知らないよー?」




 朱理花織と恵那菜摘は追い立てられるようにしてベッドから這い降りると、恨めしげな視線で芙蓉葵を見つめた。

 夕陽から見て、左側のベッドサイドに立った朱理花織の瞳は涙で潤み、“夕陽ちゃんだけずるい”とか“葵姉の意地悪”とかぶつぶつ呟いているのを、その対面に立つ恵那菜摘が苦笑しながら眺めている。




「騒々しくして、すまないな。わたしと年はそう変わらないんだが、何時までも子供っぽくて困っているんだ」




 ぎしり、と。小さな音を鳴らし、夕陽の左脇のベッドのスプリングを沈めて、芙蓉葵がシーツに皺を寄せないように気を付けながら腰を下ろした。

 朱理花織と恵那菜摘の香りとは違う、ボディソープとシャンプー、そして仄かに漂うメンソールの匂いが、夕陽の鼻腔をくすぐる。




「手を出してくれるかい?」


「あ、はい」




 芙蓉葵は何か大切なものを取り扱うかのように、差し出した夕陽の腕をそっと受け取る。

 その仕草はまるで、病に倒れた深窓の姫君を見舞う王子のようだと夕陽は思った。

 あるいは、それがもし騎士であるなら、きっと床に膝を付いて頭を垂れるのだろう。

 以前の夕陽ならまず思い浮かべたりしないような、甘美な想像にその身を浸す。

 脈拍を診る芙蓉葵の丁寧な扱いに、夕陽の心はとろとろに溶けそうになっていく。

 悪い気はしなかった。

 もし今、腕を引かれたなら、ためらう事なく芙蓉葵の胸に飛び込んでいってしまいそうなくらいに酔っている自分に気が付いて、夕陽はふと怖さを覚える。

 目の前にいる芙蓉葵は、中性的ユニセックスな雰囲気をその身にまとっている。

 夕陽は彼女に対して、男の性を意識しているのか、あるいは女の性を意識しているのか、自分で自分が分からなくなってしまう。




『ところで夕陽くん。返事はしなくていいからそのまま聞いてくれ。きみはもう、そろそろ限界なんじゃないのかい?』


『――――ぇ』




 考え事にふけっているうちに、いつの間にか芙蓉葵の顔がすぐ間近に迫っていて、耳許で小さく囁かれた。

 思わず声を上げそうになってしまった夕陽は、必死にそれを押し留める。




『まだ感覚が鈍いかもしれないが、カテーテルを挿入してちゃんと処置がしてある。この部屋の誰にも気付かれる事は絶対にない、保証するから安心したまえ』


『――――っ!』


『目が覚めてから口にしたのはアイソトニック飲料だけだったが、あれは吸収が早いからな。無理しなくていい。何、今までずっと点滴だったんだ。単なる体液の排出にしかすぎないと考えればいいんだ、恥ずかしがる事はないさ』




 芙蓉葵の言葉は、夕陽の体調を的確にいていた。

 もうかなり前から、夕陽は生理的欲求を覚えていたのだが、このうえない羞恥心にさいなまれて、誰にも言い出せずにずっと耐えていたのだ。

 自分でもそれと気付かない内に、膝と膝をこすり合わせるように、もじもじとさせてしまったのかもしれない。

 さすが医者だとその観察力に驚きながらも、夕陽は全身の血が逆流しそうになるくらいに取り乱していた。

 室内にいる残り九人の視線を、嫌でも気にせずにはいられない。

 特に、今はベッドサイドからほんの少しだけ離れて立っている、芙蓉葵を除けば最も距離の近い朱理花織と恵那菜摘には、絶対に知られたくはなかった。

 夕陽は人知れず、焦りと恥ずかしさで思わず身悶えてしまいそうになる。




「ねえー、夕陽ちゃん。顔赤いよ、どうかした?」


「葵姉、夕陽ちゃんに何て言ったのー? 何か変」




 芙蓉葵は、朱理花織と恵那菜摘の言葉を彼女たちに背中を向けたまま無視をして、寒さに凍える“白兎”のように小刻みに震えている夕陽の耳許に、紅く濡れた口唇をさらに近付けていく。




『がまんは身体によくないな』




 彼女はひと言そう呟くと、夕陽の耳の孔に『ふっ』と小さく吐息を吹きかけた。




「ひゃん――っ!」




 不意をつかれた夕陽は思いがけないその感覚に、弾かれたように背筋を反らす。




「あっ」




 同時に味わう何とも言えない解放感に、夕陽は自分でもそれと気が付かないまま、小さな溜息を漏らしていた。




「…………芙蓉せんせぇ」


「葵だ。楽になったろう?」




 はっと我に返った夕陽は目尻に涙を浮かべ、真っ赤に染まった顔で芙蓉葵を睨み付けるが、それ以上は何も言えなくなってしまう。

 口唇を微かに緩めただけの、芙蓉葵の“笑顔”があまりに綺麗だったからだ。

 その一瞬、その瞬間だけは、夕陽は間違いなく芙蓉葵のとりこになっていた。




「あー! なぁにー、夕陽ちゃん、その表情?」


「芙蓉姉、もういいでしょ? 夕陽ちゃんから離れて」




 芙蓉葵は詰め寄る二人のレイを軽くいなすと、メンソールの香りを残して、夕陽の許から離れていった。

 お待たせしました。目覚め編は、あともうちょっとだけ続きます。

 なるべく早く済ませて、本編に入りたいと思ってるんですが。


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