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9─4再会


「さあ、先にお入りなさい。遠慮しなくていいのよ」




 保健室入口のドアが開けられると、その声が確かに妹尾静香で間違いない事が千恵里には分かったが、それ以外に聞こえてくる女子生徒の声は彼女の知らないものだった。




「ご好意には感謝します。我が君も後で必ず同じ思いを抱かれるでしょう。ですが、見たところあなたも顔色をかなり悪くされているようだが、休んでいかれなくてよいのか?」


「ご心配なく。わたしのこれはね、薬を飲もうが、ベッドに横になろうが、どうにもならないの。だから、そう気を遣ってもらわなくてもいいわ」




 ふたりが交わすこの会話で、妹尾静香の声に何時もの張りがない事に、千恵里はようやく気付く。




『静香さん、誰と話しているんだろう? それに体調悪いみたい。また何か、“読んで”しまったのかな』




 簡易ベッドのシーツに猫のようにくるまり、千恵里はじっと息を潜めて、聞き耳を立てている。




「それよりも、何時までも抱きかかえてないで、由布院のお姫さまを早く休ませてあげなさい。彼女、相当な男嫌いみたいね。病的と言ってもいいくらいに。ウチの会長と気が合うかもしれないわね。でもきっと、だからこそ安曇野さんの側近にあなたが選ばれたのでしょうね、真宮寺くん」


「てめえ……何処まで気付いてやがる」




 場の空気が一気に冷えたのが、千恵里にも伝わってきた。

 押し殺した男の低い声、殺気を隠そうともしていない。

 これで妹尾静香を除いて、男子生徒がひとり、女子生徒がひとりいる事は確定した。

 後は我が君と呼ばれている生徒がひとり。

 名前は安曇野で、おそらくは真宮寺と呼ばれた男子生徒に抱きかかえられている。

 足音の数から、さらにあとひとりいるのは間違いない。

 これで四人、うちひとりは戦力外。

 千恵里は過去の経験則から導いたある予感から、冷静に状況の把握に努めていた。

 聴覚しか頼れない今の状況で、その正確な現状認識はかなり優秀だと言える。

 だが千恵里のそんな冷静さも、次の妹尾静香の言葉ひとつで容易く崩れ去ってしまう。

 

 


「何処までって、そうねえ。心臓の音がね、聴こえないのよ、あなた」


「────!!」




 その冷えた言葉の応酬がもたらした衝撃に、千恵里は思わず叫び声をあげそうになる。

 口許を慌てて両掌で押さえ、じっと息を殺す。




「惜しかったわね、もう一歩だったかしら。そんな細かい処までは、気が廻らなかったようね」


「てめえ……理由もなく、ただ助けた訳じゃねえとは思っていたが」


「そうね、別にあなた達を助けた訳じゃないわ。誰もいない場所に隔離したかっただけ。養護教諭もこの時間、朝の職員会議中は保健室にはいないしね」


「まるで、“さとり”みたいじゃねえか」


「さあ、どうかしらね。でも、ひとでもない存在のあなたに、“さとり”に喩えられるなんて思ってもみなかったわ」




 自嘲気味にひっそりと笑う妹尾静香の儚げな気配に、男子生徒はそれ以上追及すべき言葉を持たなかったらしい。

 言葉を詰まらせた彼の代わりに、ふたり目の女子生徒がたまりかねた様子で声をあげた。




「どうなの、朧。何か感じる?」


「今、探っている。だが、“あやかし”の気配は感じないな」




 朧と呼ばれたひとり目の女子生徒がそう答えると、妹尾静香の声に混じる自嘲の響きが、ますますその色濃さを増していく。




「今度は“あやかし”なの? あなた達の方が、いろいろな意味で興味深いのだけれど。何が目的で紛れ込んできたのか知らないけれど、篝の手に余る存在なのは間違いないでしょうね。でもね、安曇野という名がありながら、姫の系譜である由布院の姓を詐称しているのは悪質だわ、これは赦す訳にはいかない。先生方を前にしてもその名を名乗れる?」


「由布院の姓なら名乗って当然だ。我が君夕陽お嬢さまは、由布院家当主であらせられる楓さまの妹君でいらっしゃるのだから」


「だったら何故、安曇野と名乗っているの? 安曇野真陽って誰なのかしら。儀同との関係は? どう? 答えられないの? そんな筋の通らない事を許す程、甘いお方ではないでしょう、由布院家のご当主さまは? それにね、誰かと情を交わすようなお方でないのもかなり有名な話よ。残念だけど、そんな下手な作り話じゃあ、とてもじゃないけど信じてあげられないわね」


「信じる、信じないの問題ではない。事実か、事実でないかの問題だろう」


「だから、いちいち説明する必要はないと言う訳かしら? 合理的ね、そういう考え方わたし好きよ、嫌いじゃないわ。あなたとは、もしかしたらいいお友達になれたかもね、朧さん。ああ……でもごめんなさい、そろそろ限界みたいね。悪いのだけれど、これで失礼しなくては。ちょうど、さっきの騒ぎも治まりかけているみたいだしね」




 廊下の様子を窺う気配を微塵(みじん

)も見せずに、妹尾静香は確信を持った口調でそう断じると、何故だか不意に、今までとは口調をがらりと変える。




「後は“何時もどおり”任せたわよ。由布院の名を騙るお姫さまに丁寧なおもてなしをしてあげてちょうだい。ただし、時間がないから手早くね。先生方のお手を煩わせないように」


「あっ、待て。まだ聞きたいことがいくつかある──っ」




 金属音がひとつ小さく響くと、妹尾静香の後を追おうとした女子生徒が黙り込んだ。




「どうしたんだ、朧? 何故、後を追わねえ」


「閉じ込められた。どうやら、外から鍵がかけられたようだ」




 妹尾静香の最後の言葉と、残された生徒たちが室内に閉じ込められたという事実から、その意味を正確に理解した千恵里は口にこそ出さないが、心の奥で盛大に愚痴っていた。




『やっぱり来たよ、無茶ぶりが。待ってよ、静香さん。話が全然見えないんだけど。心臓の音がしないって、何? 相手は人外って事なの? また勝手にわたしを咬ませ犬に使う。確かに由佳里ちゃんに頼むと、見境なくやりすぎちゃうかもだけど、やるからにはわたしだって本気出すんだから』




 若干支離滅裂気味に思考が飛んでいるが、与えられている情報量が少ない現状ではそれも仕方のない事。

 妹尾静香の手によって知らぬ間に舞台に上げられ、無理矢理に幕を開けられてしまった以上、深く考えるだけ無駄だった。




「別にいいじゃねえか。だったら、そこの血の匂いをさせている女から詳しい話を聞き出せばいい。遠慮はしねえぜ。どんなつらしてるか、拝ませてもらう」


「待って。暁……わたしなら、大丈夫。それより夕陽さまを早く横に。ベッドはひとつあればそれで足りるから」


「そういう訳にはいかねえな、操。どういう奴か確かめねえと、姫さんを隣に寝かせられねえだろ。さっきの女の態度も煮え切らなかったしな。悪意を以て、ここへ誘導したとも考えられる」


「朧、あんたからも何か言ってやりなさいよ。こんな朝から保健室で血の匂いをさせている女子生徒なんて、限られてるでしょう?」




 どうやら常識的な生徒がひとりはいるらしい。

 いっその事、全員が常識の通じない相手の方がずっとやりやすいのにと、千恵里はひとりごちる。

 しかし、逆にこれを使わない手はないと、思い直した彼女はひと芝居打つ事にした。




「あの女の関係者なら一応の警戒は必要だろう。ましてや、それが血の匂いをさせている相手ならなおさらだ」


「あんたなら気配で探れるでしょうに、朧。相手に敵意があるかどうかくらい、分からないの」


「気配などいくらでもあざむく事ができる。気を感じ、耳で聴き、目で確かめるのは、あたりまえだろう? 暁は何も間違ってはいない」




 足音が近付いてきたかと思えば、何の誰何すいかもなく、簡易ベッドを取り囲む間仕切りのカーテンが開け放たれる。

 だが、その時には既にベッドはもぬけの殻の状態だった。




「へっ、匂うぜ。ガキのかくれんぼじゃあるまいに、それで隠れたつもりかよ。最初からここに誰もいなかった事にしたかったんだろうが、俺の嗅覚は猟犬並みに利く。残念だったな」


「い、いやああああっ」




 暁は夕陽を抱きかかえたまま跪くと、ベッドの下に右腕を突っ込むや否や、千恵里の足首を掴んで力任せに引きずり出して、そのまま片手で持ち上げる。

 フリルのあしらわれた淡いレモンイエローのキャミソール姿が愛らしい。

 そして……それとは少々不釣り合いなサニタリーショーツに目を留め、操が声なき悲鳴を上げる。



 

「バッ、バカァ! 早く、降ろしてあげなさいよぉ! その子見て、分からないの? 血の匂いさせていて、当然でしょうが! やっぱり、あたしが言ったとおりじゃないの。朧っ、あんた最初っから分かっててやらせたでしょう!?」




 千恵里の下着姿、その意味に気付いた操が顔を真っ赤にして、ヒステリックな声を上げると、暁と朧に猛然と抗議を開始する。

「お願い……助けて」と、か細く声を震わせながら、何かを訴えるかのように自分に真っ直ぐ向けてくる彼女の潤んだ瞳が、操から迷いを消し去り、さらに勢いづかせる要因となっていた。




「やれやれ、この程度のくだらん三文芝居が通用するとは、大根役者にしては上出来だ。それよりも操、大声を出さないでくれないか、我が君が目を覚まされてしまう」


「こっ……この!」




 操がむきになって、さらに朧へと噛み付かんとする姿を横目に、当の千恵里は足首を掴まれ逆さまに吊された状態で、軽く腕を組み、物憂げな態度で深い溜息をついていた。




「ちぇーっ、傷付くなあ、もう。やっぱ最初の読みどおり、ひとりにしか通じないかあ。ねえねえ、ちょっとイケてる猟犬さん。静香さんにお掃除頼まれちゃったしさー、あたしが相手でよければ、少しくらいなら遊んであげようか?」




 深追いをする事なく、標的を瞬時に切り替えた千恵里は、それでもいかにも仕方なくといった調子で、暁を下から見上げて気だるげに言う。




「あ? ガキが何言ってやがる」




 冷ややかに見下してくる暁に対して、千恵里はにっこりと邪気のない笑顔を見せる。




「可哀想に、人を見かけで判断するなって、誰にも教わらなかった?」




 そう言うや否や、千恵里が口唇をすぼめ、息を吸った次の瞬間。

 白刃のきらめきが一条の光となって、千恵里の口唇から暁の身体に向かってはしった。

 どう見ても、千恵里の口唇の奥に仕込まれていたとは思えない程の短刀が、暁を襲う。

 ゼロ距離からの不意を突いたその攻撃は、千恵里にとって絶対防御不可能の、一撃必殺の技であるはずだった。

 だが、暁はまるで時を遡ったとしか思えない程の初動の速さで、ぎりぎりそれを躱してしまう。

 それでも千恵里は気落ちする事なく、暁が見せたその一瞬の隙を逃さず、身体を捻り一回転させ、足首を掴む暁の拘束を切る。

 猫が四つ足で着地するかのように、音もなく、重力さえ感じさせない軽さで、彼女は床にその四肢を着けた。




「今度は暗器使いか──っ、どうなってやがるんだ、この学園は!」


「バカねー。自分の事しか考えたらダメだって、誰にも教わらなかった!?」




 毒づく暁に向かって、千恵里は普段と変わらぬ軽口を叩く。

 だがその内容が示す言葉の意味は凶悪で、暁が避けた短刀の射線上には朧の姿があった。




「無論、教えたさっ、このわたしが暁に骨の髄にまで分からせてやった!」




 だが、それを躱す朧の初動もまた暁同様、神速の域に迫っていた。

 千恵里が知る処ではない過去の事象において、由布院楓や四季が、朧自身に見せた動きを、彼女は暁と共にほぼ忠実に再現している。




「見たか、操っ。だから言っただろう、暁の嗅覚は猟犬並みだと! 奴はその女の身体に元から染み付いた血の匂いに反応していたんだ!」




 朧の言葉を肯定するかのように、千恵里が次に繰り出そうとしている技は、凶悪さではさらにさっきの技よりも勝っている。




「狂い咲け、血に染まりし徒花あだばなよ。新城流暗器術──抜刀ばっとうあざみ!」




 千恵里の身体の、キャミソールで肌が隠れているほとんど全ての部分から、切尖きっさき鋭い無数の刃が、全方位に向かって一瞬で突き出す。

 これもやはりどう見ても、これだけの数の刀身をあらかじめ仕込んでおけるスペースなど全く見当たらない。

 身体の内部から皮膚を突き破り、外に向かって出てきているようにしか見えないのだ。

 間合いを詰めようとしていた暁は、これもまた驚異的な反射速度で、後方へと飛び退いていた。




「こいつ──っ、針鼠はりねずみかよ、おもしれえ! 来いっ、小狐丸こぎつねまる! 相手は数だけが頼りの無銘むめいの格下ばかりだぜ、蹴散らせ!」




 暁の声に、突如出現した白の妖狐が白刃となって応える。

 まばゆいばかりの白い閃光が一条から数条に別れ、壁と言わず天井と言わず、室内全ての空間を縦横無尽に駆け巡っていく。

 各自のその動きは、とても肉眼で捉えきれるものではない。




「なっ、小狐丸? って、本物なの? 何処で手に入れたのよ、そんな名刀!」




 名の知れた幻想クラスの名刀のいきなりの出現に、驚きを隠せない千恵里の心に、さらに追い討ちがかけられる。




小鴉丸こがらすまるも来いっ。おまえは姫さんを守るんだ! 敵の刃はひと振りたりとも通すんじゃないぜ!」




 磁力に操られているかのような、黒の砂鉄じみた澱が何処からともなく現れ、特異点ミニブラックホールさながらに、暁がその胸に抱いている夕陽の眼前の空間に一気に凝縮されていく。

 触れなば何もかもが、瞬時に分解されてしまうその禍々しさは筆舌に尽くしがたく、他には一切の例を見ない。




「小鴉丸までっ? あたしの薊が“怯え”ている!?」




 千恵里の身体の内部から剣山のように突き出ている無数の刀身同士が、震え、おののき、共振を起こし始めている。

 或いはそれは、彼女自身の怯えがもたらしている現象なのかもしれない。




「力の差に気付くのが遅すぎるんじゃねえのか!?」


「まだよっ、式神! まだ、終わってない! だったら、猟犬おまえの飼い主をるまで!」




 千恵里はそう吼えるようにして叫び声を上げると、萎えそうになる気力を自ら奮い立たせ、標的を朧に変えて身体ごと突っ込んでいった。


 学園編もそろそろキャラが勝手に動き始めてきたようです。

 執筆はたいへんだけど、楽しくもあります。

 読者の方と一緒にこの作品を育てていけたらと思っています。


 頑張りますので、今後もずっと応援してください。

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