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5─2始まりし時

 煌々(こうこう)とした蒼白い月明かりが夕陽のいる部屋に射し込み、辺りを明るく照らしている。

 夕陽の位置からは逆光になるが、それでも皆の表情はよく見えた。




「リハビリ? それどんな風にするのかな、さっきのと関係ある? あれは一体何が起きたの?」




 夕陽が不安な気持ちを態度ににじませ、小首を傾げる。それは彼女にしてみれば当然の疑問で、簡単に看過できる問題ではない。




「はい。その点につきましては、由布院の成り立ちと併せ、お館さまが直接夕陽さまにお話されるそうですので、ただ今よりご案内致します。お館さまは湯殿にて既にお待ちになっていらっしゃいます」


「姉さんが“ゆどの”で? うん、分かった」




 迷子のような表情を浮かべていた夕陽だったが、みさおの言葉を聞くとその曇った表情が一気に晴れる。

 そんな夕陽の様子を目の当たりにして、四季と操のふたりが戸惑いの声をあげた。




「夕陽さま、その呼び方はお館さまからお許しを頂いていらっしゃるのですか?」


「え? そう……だけど、何か?」




 操が切り出した思いがけない問いかけに、夕陽は瞳を揺らしながら答える。




「失礼ですが、わちきにはとても信じられませんねえ」


「な、何が?」




 四季が軽く首を横に振りながら溜息まじりにそう洩らすと、夕陽の不安の色がさらに濃くなる。




「お館さまは、始祖の十人以外のお方たちの他には姉妹の情を交わした事はほとんどないのです、お館さまのご寵愛ちょうあいを得ようとなさる方は数多あまたいらっしゃいますが、思いを遂げた方はわちきの知る限り、おひと方もいらっしゃいませんねえ。常に他人とは距離を置かれるお方で、馴れ馴れしい態度を非常に嫌われるのです」


「そんなあ、姉さんは最初から優しかったよ。確かに厳しいところもあったけど」




 何処か遠くを眺めながら言葉を紡ぐ四季に、消え入りそうな声になりながら必死に反論する夕陽に、それまで黙ってなりゆきを見ていた手毬と小毬のふたりが思わず助け船を出す。

 彼女たちふたりは操と並んで廊下に正座し、床の間下座側から入ってすぐの畳に正座する四季の背後に位置している。




「夕陽さまのおっしゃるとおりです、かしら。お館さまは、それはもう大層夕陽さまをお可愛がりになられていらっしゃるんです」


「そうです、そうですぅ。たいへんに微笑ましいご様子で、とても仲睦まじいご姉妹でいらっしゃる――」




 四季がふたりの言葉を遮るように咳き込むと、手毬と小毬のふたりは一瞬はっとした表情を浮かべて慌てて口をつぐんで、四季の背中越しに様子を窺う。




「ふうん、そうかい。お前たちが言うなら、まあそうなんだろうさ。お館さまもよほど夕陽さまの事お気に召したんですねえ。さしでがましいかもしれませんが、それはかなり幸運な事であるとのご自覚だけは失くさないようにしてくださいまし」




 四季はさほど気にした様子もなく軽く場を流すと、夕陽の気持ちを計るような言葉をやんわりとだが口にする。




「あ、うん。それはもちろん。姉さんはおれの扱いがすごく上手いんだ。一緒にいるとすごく気持ちが素直になれて落ち着くし、安心するんだ」




 だが、夕陽のこの答えに対して即座に反応したのは操の方だった。




「これは申し訳ありません、夕陽さま。初めての場所でお目覚めになられたばかりで、不安なお心持ちでいらっしゃるのはあたりまえ。早速、お館さまの処へご案内いたします」


「では夕陽さま、お手を」




 再び夕陽に向かって三つ指をついた操の言葉尻に乗って、四季が腰を浮かそうとするが、間髪いれずに操がそれを制す。




「その必要はございません、頭。この久沓操くぐつみさおが夕陽さまのお側に控えている限り、要らぬ気遣いは必要ないのです」


「え――? おれ、何時の間に」




 見れば、夕陽が四季の手を借りるまでもなく、背筋のすんなりと伸びた綺麗な姿勢で立ち上がっている。

 夕陽にすればいろいろ尋ねてみたい状況ではあったが、姉である由布院楓が疑問点を説明してくれるのであればと、この場では自重する。

 何より、少しでも早く姉の顔を見たかったのだ。

 離れてみると、何もかも見透しているかのような彼女がかもし出す独特の雰囲気と、全てをゆだねてしまいたくなるような包容力がもたらす安心感は、他では得難えがたいものである事がよく分かる。

 操の指摘は的を射ていて、由布院楓から離れている今の状況は、夕陽を何処か不安で、落ち着きの悪い心持ちにさせていた。




「さ、夕陽さま、こちらに」


「うん。でも、四季さんは……」




 操は退室を促されながらも、若干のためらいを見せる夕陽に、冴え冴えとした曇りのない瞳を向ける。




「どうか、お心遣いなく。かしらはただ今、夕陽さまのお部屋を整える仕度の途中で抜けて来ているだけなので」


「おれの部屋? じゃあ、ここは違うんだ」


「はい。夕陽さまのお部屋は正殿の西側となります、西の対にご用意させて頂いています。ここは本来客室として使われている部屋なのです」


「そうなの? 四季さん」


「さようでございます、わちきには他にまだ残した仕事がありますので、お気になさらず」




 四季は柔らかなその微笑みで、夕陽の背中を後押しする。

 それでようやく納得したのか、夕陽は衣装盆を手にした操たちの後を追うようにして部屋を出ていく。




「では夕陽さま、また後ほど」




 夕陽の華奢な背中を芯の通った正座姿で肩越しに見送る四季と、あるじを気遣い振り向いた操の視線が、ほんの一瞬ではあるが意味ありげに絡み合ったのを夕陽は知らない。

 障子が閉められると、四季はほっと小さな吐息を洩らす。

 そんな呼吸による胸の上下でさえ、彼女が僅かにでも身動みじろぎすると、ぎしぎしと微かに何かが軋んだ音がする。




「全く、顔の割りに容赦のない子だねえ、可愛げがない。首を動かすのがやっとじゃないか。それでもまあ、今日の処は褒めといてやらないとねえ」




 そう言い終えるや否や、四季の身体が虚空にかき消えて、五芒星の描かれた小さな正方形の和紙札が一枚、ひらりと宙に舞う。

 その和紙札が畳に落ちる前に、五芒星の中心に向かって幾重にも折り込まれていくと、白い蝶へと擬態する。

 白い蝶はひらひらと不規則な軌道を描くと、障子をすり抜け、蒼白い月明かりに溶け込むようにして、かすみの如くその姿を消した。




  ◇ ◇ ◇




「いかがでございますか、操は。夕陽さまの護衛として、お眼鏡に叶いましたでしょうか? 式神相手とはいえ、わちきの化身から一本取れる者などそうはいません」


「ふむ……隙があればいつでも霊糸を使ってもよいと、あらかじめ申し渡してあった訳か。一本取れたら夕陽付きの望みを叶えてやる条件で」




 闇に閉ざされた矩形くけいはこの中、一条の光も射し込む事のない暗闇の閉鎖空間に、ふたつの声が交差する。

 窓も扉も一切の開口部がなく、部屋の様子は疎か、互いの姿さえ見えない完全な密室。

 声の主たちはそんな状況に置かれているにも関わらず、日頃とさして変わらぬ声音で会話を重ねていく。




「夕陽さまのお身体を支えた霊糸を囮に、さらに極細を究めた霊糸でわちきの身体を絡め取ったようでございますなあ。もっとも相手が式神である事までは分かりはしなかったでしょうが」


「なかなか機転が利くようではあるの。何よりしたたかなのが気に入った。リハビリの事を考えても悪くない人選じゃ。兄の方が夕陽とは相性がよさそうではあるが、異性では付いては入れぬ場所も多いからな、操の方が夕陽もいろいろ気易かろう。楓が連れてきたふたりも使い物になりそうではあるし、まあ、よいであろ。しかしな四季、ひとつ聞かせてくれぬか」


「はあ。改まって、いったい何でございましょうか」


「何ゆえ、お前の式神はああも性格に何処か難があるのじゃ。まさか本当に夕陽に懸想けそうしたのではあるまいな。目が血走っていたではないか」


「あまりに完璧な式は、その完璧さゆえ、時に魔性に魅入られ、時に魔性に宿られてしまうからです。魔性とは、美しいもの、完璧なものに引き寄せられるのです」


「画竜点睛を地で行く訳か」




 幼女とも老女ともつかぬ一種独特の不可思議な声が、得心とくしんがいったのか僅かに唸る。




「はい、わちきの流派独特の考え方ですが。魔性に対抗するには、術式の何処かにほんの僅かな瑕疵かしの部分を残して置くのが最良であると。もちろん、それで魔性の者に遅れを取る事など万が一にもありえませんが」


「そのような式神相手に出し抜いた操を褒めるべきと言う事じゃな?」


「さようにございます」


「だが、あの式神のふたりが余計な口を差し挟んできた時にはやはり苛ついたぞ。楓の、せっかくの夕陽への配慮をだいなしにしそうになりおって」


「正確に言えばあのふたりは九十九神つくもがみの眷属なんですが。まあ、見逃してやってくださいまし。帰りの車の中では人化の術が解けるのも厭わず、身を挺して夕陽さまをお守りしたのですから。それに、“現代っ子”の夕陽さまのお側仕えにはあれくらい明るい子たちがちょうどいいんですよ。夕陽さまがこの一年間置かれていたお辛い境遇をかえりみればなおさら。それに、女郎花おみなえしさまのお灸がかなり利いたみたいですから、二度と羽目を外し過ぎる事もないでしょう」


「楓もそう言っていたな。そんなものか」


「このような場所にこもりきりでいらっしゃるから、新しい価値観や人の機微に疎くなってしまわれるのでございましょうなあ」




 飄々(ひょうひょう)とした四季の言葉に、闇がざわりと蠢いた。




「――口がすぎるぞ、四季。わらわには、わらわの考えがある」


「申し訳ございません。ですが、わちきはお待ちしております。女郎花さまが東の対に戻られるのを。お館さまのように、夕陽さまの事をより深くご理解なさりたければ、奥の院を早々にお捨てになった方がよろしいでしょう」


「もうよい、これ以上話す事はない。下がるがよい」




 有無をも言わせぬ、冷たい響きの言葉で会話が打ち切られると、闇が一瞬にして霧散むさんする。

 気付けば四季は草履も履かずに足袋のまま、蒼白い月明かりの下、由布院の敷地内にある和風庭園にひとり佇んでいた。

 そんな彼女の周りをまとわりつくようにして、白い蝶がひらひらと舞っている。




「少々、口が過ぎちまったかい。でもまあ、それに対する仕打ちがこの程度とは、あのお方もまるくなったもんだ。これも夕陽さまのおかげかねえ。なるほど、確かに“音叉おんさ”の姫君だ。たがいを響き、響かせる共鳴螺旋シンクロスパイラルという訳かい。本人さえ知らぬ間に周囲に影響を与え、いい方向に導いちまうなんて、これから先が楽しみじゃないか」




 四季が頭上を見上げると、そこには満月を数日後に控えた、半分程欠けた月が夜空に浮かんでいた。

 まだ未定なんですが、もしかしたら来週は一週お休みさせて頂くかもしれません。

 その際はどうかご容赦くださいませ。


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