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4─2刻まれし時

 リムジン運転席の背中合わせに設置されているシートに、夕陽は車体後方に向かって由布院楓の左隣に座っていた。

 スライドドアは、夕陽から見て由布院楓の身体を間に挟んだ反対側、つまり進行方向に対しては、車体左側に位置する。




「お館さま、失礼致します」




 スライドドアを開けた久沓くぐつに相対する為、由布院楓はシート上に腰を降ろしたまま半身をひねり、夕陽に背中を見せた。 夕陽は咄嗟とっさに目をつむり、帯の形を崩さぬよう、彼女の背中に自身の身体をそっと預けて、左肩甲骨のあたりに顔を埋める。




「夕陽さん。まだ竹林を抜ける前ですから、そんなに神経質にならなくても大丈夫ですよ」




 由布院楓はそんな夕陽に、肩越しにくすりと含み笑いをこぼす。

 確かに直射日光はさえぎられ、辺り一帯はやや薄暗さを残していた。




「あっ、は、はい」




 夕陽は頬を紅葉色に染め、由布院楓の背中の影から、そっとドアの外をうかがう。

 運転手の久沓は年の頃は二十代前半、長身痩躯の引き締まった身体の青年で、男性にしては肌の色は白く口唇は紅く濡れ、無表情ではあるが、まだ恋愛の対象が女性であるはずの夕陽ですら、つい見惚れてしまう程の美しい容姿をしている。

 そんな彼の腕の中、横抱きにされているまだ思春期前の少女は、顔色はやや蒼白く血の気を失い、頬がけてやつれている。




「く……っ」




 少女はわずかにうめくと、閉じられていた薄い瞼をゆっくりと開き、彷徨さまようように辺りを見渡していた瞳で由布院楓を捉え、次いで夕陽に視線が移ると、ぴたりとそれを止めた。




「……なんて綺麗な稀人まれびと。ここはやはり現世うつしよではなく、常世とこよなのか?」


「当たらずとも遠からずですねえ。それ以上はお答えしかねますが」




 熱にでも浮かされているかのように、何処か朦朧もうろうとした口調の少女に、由布院楓が答えを返す。

 喉を苦しげにぜえぜえと鳴らし、囁くような少女の喋り方はとても聞き取りにくく、由布院楓もまた少女に合わせて声の調子を落としていたので、夕陽はこれ以降もふたりの会話の内容のほとんど全てを把握する事ができずに終わってしまう。




「では彼岸か? それとも琉球の民が言う、ニライカナイなのか?」


身形みなりのわりに学があるようですねえ。それに年齢とは不釣り合いな大人びたその物言い。名のある家柄の方とお見受けしますが、心配なさらずとも、あなた・・・・死人しびとではなく、ただの迷い人です。傷の手当てをした上で、きちんとあるべき場所・・に、送り帰して差し上げましょう」


「それは困ったな」


「何がでしょう?」




 苦しげに眉をひそめる少女の言葉に、由布院楓は小首を傾げる。




「ただ送り帰すだけでは困る。稀人に逢える僥倖ぎょうこうは今後もう二度とないだろうからな。できれば手を貸してもらいたい。我らの藩は長年の内乱続きで、土地も民も疲弊していてな。統一に向けての道標みちしるべをつける為、主君に加担し、神にも通じるという力を是が非でも見せてもらいたい」


「何処でそのような知識を得られたかは存じませんが、それは買い被りです。わたくし共には、そんな大それた力などありませんが」


「こんな大きな鉄の駕籠かごを馬も使わずに動かしておいて、よく言う。では、力ずくにでも見せてもらおうか。大切に守っているものを傷付けられては、さすがに黙ってはいられまい――あかつき!」




 それまでの口調をがらりと変え、凛とした響きで少女が誰かの名を呼ぶと、一拍の間も置かずに応える声があった。




「待ってたぜ、おぼろ!」




 声変わり前の少年の少し高めの声が響くと、久沓の胸の中央部付近から水平になった薄い刃の切っ先が突き出た。

 少女の姿はその時既に久沓の腕の中から消え失せ、由布院楓に向かって懐に忍ばせていた小太刀を逆手に持って振りかざし、斬り掛かっている処だった。

 久沓が反応を見せる機先を制して、これも朧と同様に、ぼろぼろの旅装束姿の暁が背後から威嚇いかくする。




「おっと、動くなよ。内臓と骨は避けてある。余計な真似をしなければ傷はすぐにふさがる。何、ちょっとの間だ、おとなしくしてやがれ。今のうちだぜ、朧。後は女しかいない」




 由布院楓は背中に夕陽をかばいながら、顔色ひとつ変える事なく、朧が繰り出す刃を素手でさばき続けている。

 リムジンの車内がいくら広いといっても、当然ながら戦闘に向いた空間ではない。

 真っ直ぐに立つ事もままならず、由布院楓は中腰で、加賀友禅の裾が乱れるのも構わず、身長の面で圧倒的な有利に立つ朧をあしらっている。

 基本は上半身での体捌きで、避けきれない攻撃は刀身を横から掌で払う。

 朧は繰り出す小太刀のスピードをさらに上げるが、由布院楓はそれでも余裕を失う事はなかった。




「見事です。ですが、そろそろ終わりにしましょうか」




 息を全く乱す事なく、由布院楓は言うが早いか両の掌で小太刀を白刃取りに捉える。

 刀身をねじるようにして小太刀を奪うと、柄の部分から小さな火花が散り、次の瞬間にはまばゆいばかりの閃光を放った。




「かかった! どけえっ!」




 朧は掌に仕込んでおいた薄く加工された火打石を投げ捨て、一瞬の間視界を奪われた由布院楓の脇をすり抜け、それまで何も出来ずにただ言葉を失い、立っているだけでも必死な状態の夕陽に迫る。

 夕陽は自らに迫り来る脅威に対して全くの無力で、自分の意思のまま自由にならない身体を車体に手を付きながら、足を引きずるようにして車内後部へと逃れる事しかできない。




傀儡くぐつっ、夕陽さんを頼みます!!」


「御意」




 久沓くぐつが静かに返事をすると、両手の指が奇妙に蠢き、目に見えないいとが振るえ、大気を鳴らしているかのような音が辺りに響く。




“キュイィィィィ――ッ”




 夕陽の背後を捉えた朧は、もうひと振り隠し持っていた小太刀の刃を、無防備に晒されている、白くて細いうなじに向けて一閃する。




った!!」




 絶対に逃れ得ないタイミングに、確信を持って容赦なく振り抜いた朧の斬撃だったが、手応えなく空を切る。

 間一髪、糸の切れたマリオネットの如く、夕陽の身体が一瞬のうちにフロアに崩れ落ちたのだ。




“キュインッ”




 それも一瞬。再び見えないいとが鳴くと、夕陽が反撃の動作に転じ、信じられない事にここから朧は防戦一方になってしまう。

 まるで蜘蛛を連想させるその姿は異様で、地に這いつくばった不自由な体勢からは想像もつかない程の、人に在らざる体捌たいさばきを見せる。

 夕陽はフロアに着いた手首を支点に、浮かせた身体を遠心力にって回転させ、途切れる事なく連続的に足技を繰り出していく。

 何かに例えるなら、ブレイクダンスのトーマスフレアに動きが最も近い。

 身体がよほど柔らかいのか、関節の可動範囲が常人のそれを遥かに凌駕りょうがしている為、動きに一層の切れを呼んでいる。

 予測不能であらゆる角度から繰り出される夕陽の足技は、ほんの僅か掠っただけでも、鎌鼬かまいたちにやられた時のように、皮膚がぱっくりと裂け、容赦なく朧の体力を削り取っていく。

 相手との身長差による優位性を失うどころか、朧は自分が一気に劣勢に陥ってしまった事実に気付く。

 これには、さしもの朧も後退せざるを得なかった。




「て、てめえっ。動くなと言ったろ、そんなに死にたいなら、望みどおりにしてやる。くたばれ!!」




 朧がいきなり守勢に回った事に焦った暁は、裂帛れっぱくの気合いを込め、薄刃の刀を凪ぎ払おうとしたが、その表情を驚愕に歪ませた。

 目の前に立つ男の背中に突き刺した刀の柄が、押そうが引こうが微動だにしなかったからだ。

 久沓の引き締まった肉体をり上げている、幾条もの束となった鋼の筋肉が、暁の刀をがんじがらめに絡め取っていたのだ。

 暁が久沓の身体を刺し貫いた最初の一瞬で、このふたりの形勢は既に明暗分かれていた。




「くそっ、まだ終わりじゃねえ!」


「いいえ、これで終わりです。あなたの脇差し、お借りしますね」




 暁が腰に差した脇差しを抜こうとするより速く、耳許でおっとりとした女の声が淡々と響き、喉許には冷たい刃が当てられていた。




「いかがですか? ご自分の得物で、敵と定めた相手に命を握られるご気分は」


「おまえ……何時の間におれの背中をった? ついさっきまで、駕籠かごの中にいたじゃねえか」




 まるで悪夢だと、肩を落とした暁の力ない言葉に、由布院楓は楽しげに含み笑いを洩らすばかりだった。




“ギュンッ! キュイッ! キュリイィィン!”




 一方、見えない弦の響きはますます冴え渡り、今や大気を切り裂かんばかりに勢いを増していた。

 久沓の両手指先の動きも、さらに複雑さと緻密さを極めていく。

 朧は車内の一角に追いやられ、絶体絶命の窮地を迎えていた。

 左右の退路を絶たれた彼女は、苦し紛れに天井面ぎりぎりに低空ジャンプを試みる。

 夕陽の体勢が上からの攻撃に弱いと見て、最後の賭けに出たのだ。

 だがその瞬間、夕陽は回転の勢いもそのままに、両肩と後頭部をフロアに着け、次のフォームに移行する。

 ワンピースの裾が風に舞うのも構わず、天井面に向かって開脚旋回する、ブレイクダンスのウィンドミルと呼ばれるフォームだ。

 お互いが向き合う体勢になった夕陽と朧は、同時にそれぞれの攻撃を繰り出すが、遠心力を伴う夕陽の足技の方がスピードで勝っている。

 夕陽のミュールの爪先が朧の鳩尾みぞおちを貫き、リムジンの天井面に彼女の身体を縫い付けると、朧はようやく意識を手放して、戦闘不能の状態に陥った――。


 それが、初陣を勝利で飾ったにも関わらず、夕陽の記憶には一切残る事がなかった戦いの詳細だった。

 夕陽は戦闘の最中に意識を失ったままでいて、何ひとつ覚えてはいなかったのだ。




「それにしても、夕陽さんがこれ程までに“音叉”の才能に恵まれた器だったとは。今日の久沓は見違えるばかりでした」


「おそれいります、全ては夕陽さまのお力です」


女郎花おみなえしの言葉の通り、まさに由布院の宝。困りましたねえ、本当にひとり占めしたくなってしまいました。どうしたら、わたくしだけの妹になって頂けるでしょうか。ああでも、真陽さんがいらっしゃるんでしたね。それに、学校に通うのを反対する訳にもいきませんし。悩ましいですねえ」




 ふたりの少女の戦いの結末を見届けた、由布院楓と久沓によるこの会話もまた、夕陽がいずれ選択すべき未来を示唆する、重要な内容をいくつか孕んでいたのだった。

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