アウタ・ザ・ブルー
砂埃に腐臭が混じる。のたのたと近寄ってきたアンデッドの頭を撃ち抜いた弾が最後だった。
「クソ野郎が」
もはや脆い鈍器に成り下がった愛銃を肩にかけ、再び歩き出す。
護送中の囚人も馬も、ラトルスネイク・リッジで襲撃を受けて奪われちまった。保安官はやつらの後を追っているだろうが、俺は丸腰で荒野に取り残された。
最悪の夜だ。我らが砂塵の町に帰りつけるかも分からない。
枯れ草の転がる音にさえビビりながら歩いていると、半分砂に埋もれたような駅馬車の残骸が見えた。
かつてこいつを襲ったのは人間か怪物か、屋根は落ち、車輪は無残に砕けている。
まあ風除け程度にはなるだろう。
その棺桶に足を踏み入れた瞬間、闇の中に一条の光が煌めいた。
鋭い風切り音と同時にナイフが眼前に迫る。反射的に身を捻り、襲撃者の手首を掴んで捻じ上げた。予想外の細腕だ。
「おいおい、御挨拶だな。俺はアンデッドじゃない、人間だぜ」
「分かってるわよ。アンデッドだったら足音を潜めたりしないわ」
朗々とした女の声だった。顔は見えないが、おそらくいい女に違いない。
彼女は俺の脛を蹴り上げて距離をとると、月明かりに表情を隠してナイフを構え直した。
いっそ軽やかなほどの殺意が俺に向けられる。だが、その警戒は俺の優位を証すものでもあった。向こうも銃は持っていないようだ。
「自己紹介をしよう。俺はコール・パーカー。そちらは、プリンセス?」
彼女は警戒を解かず、しかしナイフの切っ先をわずかに下げた。
「ここを塒にしたいのなら場所代を払いなさいな、補佐官」
俺の名を知っているんだな。ダストフォールの者か。悪くすれば囚人の仲間か。
「生憎と持ち合わせがない。町まで案内してくれれば金は払うぜ」
「冗談じゃないわ。そのまま保安官事務所にぶち込まれるのがオチよ」
「俺は美女には甘いんだ。無事に帰り着いたら、保安官に執り成してやるさ」
彼女は長く逡巡していた。しかしやがて面倒になったかのようにナイフをベルトに刺して吐き捨てる。
「……分かった。案内してあげる。町の手前までならね」
***
コヨーテの遠吠えに混じり、潰れた喉を無理やり鳴らすような呻き声が響いてきた。死してなお歩き続ける者たちの群れだ。
俺の前を行く彼女は月明かりに似た淡い金髪を一つに括った、想像通りの美女だった。
「で、名前は?」
「こだわるわね。どうでもいいじゃない」
「このご縁を逃すわけにはいかんだろう」
「リズよ。ただのリズ」
馬車の残骸を離れる時に垣間見た青い瞳が存外に高貴な輝きを宿していたのを思い出す。
「……昔、東のゴールドポイントで金持ちの一家が怪物どもに惨殺されたっけな。死体が見つからなかった一人娘の名前はエリザベス・レイ・シャーリー」
「ふぅん」
「金髪青目のかわいらしいお嬢さんは、生きてりゃ君くらいの年頃だ」
「そう」
言葉少なに足を動かしながら、彼女は暗がりから襲いかかるアンデッドを無造作に往なし続ける。
この荒野で徒歩の旅は自殺行為に等しい。だが、リズの足取りには恐怖の一欠けらもなかった。
「慣れてるな」
一瞬、足を止めた彼女が振り返る。
「星の読み方も人の殺し方も、親父に習ったのよ」
「親父ねえ。血肉の親父か?」
「うちの家族に血が繋がっているものはいなかったわ」
些かの湿った感情も籠めることなく言ってのけると、リズは再び歩き出した。
可哀想な生き残りのお嬢様は、どこぞの無法者一家に拾われて生きる術を学び、荒野を独り歩きできるまでに美しく成長したようだ。
一時間ほど歩いた先、荒野を区切るように銀色の線が敷かれていた。線路だ。おまけにタイミング良く夜闇を切り裂くような汽笛が近づいてくる。
「お、ツイてる! 夜行列車だ」
地響きを鳴らして巨大な黒鉄の塊が霧の中から姿を現し、ゆっくりと俺たちの前に停車した。
早速タラップに足をかけた俺の手をリズが掴む。
「ちょっと待ってよ。ここに列車なんて走ってないはず……」
「現にきてるじゃないか。ちょうどいい、こいつで町まで行こうぜ」
彼女の手をそのまま引っ張り上げると、リズも慌ててデッキに飛び乗った。
再び荒野を滑るように走り出した列車が速度を上げる。
飛び去っていく景色の中で月だけが俺たちを追いかけてくる。
早速客車に入ってみたが、そこには奇妙な光景があった。
誰もいない。乗客どころか、車掌の姿もない。蒸気の気配も感じない冷え切った空気と、埃っぽい天鵞絨の座席が並んでいるだけだ。
「……席が空いててよかったな?」
「馬鹿なの?」
辛辣な女だな。
不吉なほどの静けさに満ちた通路を歩いて先頭車両に向かう。どこにも、誰もいなかった。釜に石炭をくべる者もいないのに圧力計だけが動いている。
リズはもはや降り立つこともできない速度で外を流れてゆく地面を睨みつけながら、苛立たしげにため息をついた。
「ああ、最悪」
「何だよ?」
「幽霊列車だわ。こいつに乗り損ねた死者が、荒野に取り残されてアンデッドになるんだって。つまり乗ってしまった者は……」
生きたままあの世送り、ってわけか。そりゃ確かに最悪だ。
「リズ、曲芸は得意か」
「この速度で飛び降りたら死ぬわよ」
「じゃあ機関室をぶっ壊して無理やり止めるか」
「急に速度が変われば脱線する」
お手上げだ。むさくるしい野郎に弾をぶち込まれて死ぬことを思えば、美女を侍らせてあの世へ優雅な列車旅行と洒落込むのはマシなほうかもしれない。
「しかしまだ地獄に落ちるほど満足いく悪事を働いた覚えはないんだがな」
「私は充分悪事を積んできたけれど」
冗談ともつかないことを言いながらリズは後部車両へと踵を返した。
デッキに立ち、彼女は連結器の上にあるハンドルを指差してみせる。
「後部車両を切り離しましょう。牽引車を外せばすぐに止まるわ」
「なるほど。俺がやるのか?」
「プリンセスにそんな力仕事をさせないわよね?」
「……」
俺は汽車に詳しいわけじゃないが、こういう作業は走行中にやるもんじゃないということだけは分かる。足を踏み外せば車両の下敷き、不意に速度が落ちたら押し潰されて一巻の終わり、晴れて幽霊列車の正式な乗客になっちまうだろう。
轟音と暴風が吹き荒れる中、ピンを固定する錆を愛銃の底で叩き割り、重たいハンドルを回す。激流のように足元を流れる地面は見ないふりをした。
「ああっ、クソ! まったく補佐官ってのは面白え商売だな!!」
「よかったわね」
ガキンッ、と重い金属音が響き、片側の連結器が外れた。呼吸を整えて反対側に伸ばそうとした手をリズが掴み、俺を後部車両に引き寄せた。
外すまでもない、車両の重みによって予備の連結器が悲鳴をあげながらその形を歪ませ、すぐに弾け飛ぶ。
先頭を行く機関車が徐々に遠ざかり、赤い火の粉を撒き散らしながら闇の彼方へと消えていく。まるで本来あるべき場所へ帰るかのように。
俺たちが乗った車両は慣性でしばらく走り続けたが、やがて緩やかな坂に差しかかると、徐々に速度を落とし始めた。
「なんとか地獄行きは免れたみたいね」
「お見事。あんたの家族は列車強盗もお手の物かな?」
「ええ。家を襲うより実入りがいいのよ」
「そこは否定してほしかったんだが」
もうじき夜が明ける。白み始めた東の空の下、遠くにダストフォールの灯りが見えてきた。そろそろ事務所で爺さんが一向に帰らない保安官と補佐官にぼやいている頃か。
***
線路脇に降り立ったリズとの間に奇妙な沈黙が落ちた。彼女はおそらく町に入るつもりがない。
「なあ。一緒にこないか?」
俺の問いに、リズは肩を竦める。
「約束は『町の手前まで』でしょう」
「こんな根無し草の生活をいつまで続けるんだ。その細腕にナイフ一本でさ」
「町は性に合わないの。屋根のある家、温かい食事、退屈な平和……どれも私向きの空気とは言えないわ」
「……何だったら、俺と結婚でもするか。うちの屋根は穴が開いてるし、スープは冷めてるし、金は無くて危ないばかりの暮らしだぜ」
冗談めかして、しかし半分だけ本気を含ませて言ってみる。答えは聞くまでもなく分かっていた。
朝陽がリズの背中を照らす。
「柄じゃないわ」
軽く手を振って、彼女は俺に一瞥もくれずに去って行った。手錠も報酬も受け取ることなく。
孤高の薔薇を町に植えようとするのも野暮ってものか。
やけに重たく感じる息を一つ吐いて銃を背負い直し、俺は俺の帰るべき町の灯りへと歩き出した。




