『ほら吹きの息子とプレスマンの生き針』
昔、日本一のほら吹き、という看板を掲げた男があった。ある日、唐の国から、唐第一のほらふきという男が、ほら吹き比べにやってきた。ところが日本一のほら吹きは、留守にしていて、十歳ばかりの息子が、応対した。
唐第一のほら吹きが、おとっさんは御在宅かと尋ねると、息子は、おやじは富士山が倒れそうになったので、つっかえをしに、おがら三本持って走っていった、と答えた。おっかさんは御在宅かと尋ねると、海の底が抜けるというので、わら一束持って走っていった。と答えた。
唐第一のほら吹きが、きょう来たのはほかでもない、唐の国に大風が吹いて、唐で一番大きな寺の、唐で一番大きな鐘が吹き飛ばされてしまったので、このあたりに落ちていないか見に来たのだ、と言うと、息子は、厩と厨の間のクモの巣に、どこから飛んできた釣り鐘か、引っかかっていたが、今でもあるかどうか、と答えた。
唐第一のほら吹きは、息子でさえこうなのだから、父親はさぞかしほら吹きであろうと驚き恐れて、会わずに帰っていった。夕方、父親が帰ってきて、変わったことがなかったか尋ねたので、息子が、これこれしかじかと答えたところ、父親は、日本一のほら吹きの息子が、ほらを含まない話をしたことに腹を立て、しかも、お客を引き留めておかずに帰らせたことにさらに腹を立て、息子を勘当することにした。
息子は、ただで勘当されるのもしゃくだったので、父親が大切にしているプレスマンを盗み出して、家を出た。実はこのプレスマンには、生き針という針が仕込んであり、死にたての生き物を生き返らせることができるのだった。もちろん、父親から、そのことを聞いていたから、プレスマンを盗み出したのだが、父親はほら吹きなので、息子は、このことを必ずしも信じていなかった。しかし、試してもみないで疑うのもよくない。息子がぶらぶら歩いていると、道ばたにミミズが干からびていた。息子は、プレスマンで、というか生き針で、ミミズを刺すと、干からびていたミミズに、少し潤いが戻ってきたように見えた。もう一度刺すと、眠っていたのを急に起こされたようにびくっとして、地面の中に急いで戻っていった。
息子は、これは本物のようだと思って、ほかに試せそうなものはいないか探しながら歩いていると、猫の子供が倒れていた。息子が生き針を刺すと、何事もなかったかのように、にゃーにゃー泣きながら、どこへともなく歩いていった。
これは間違いないと思って、また歩いていると、大きなお屋敷があって、家中の者たちが慌てふためいている。息子が、どうしたのか尋ねてみると、このお屋敷の一人娘が、突然倒れて、息をしなくなったので、使用人たちが、医者を呼びに行くところだという。息子が、自分も医者だ、とほらを吹くと、あっさり信じてもらえ、娘が寝かされている座敷に通された。息子が生き針を刺すと、顔に血の気が戻ってきて、もう一度刺すと、息をし始めて、もう一度刺すと、目を開けて、にっこりと笑った。もう一度刺そうと思ったが、娘は首を横に振った。
屋敷の主は、大層喜んで、息子を婿に迎え、この屋敷は長く栄えたという。
教訓:事情を知らない娘が、プレスマンをプレスマンとして使おうと思って、芯を入れたところ、芯が詰まって生き針も出なくなったという。詰まった芯を抜いたら直ったという。