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猿猴さん

「河童」は日本各地に伝説が残ってます。広島市には現在6本の川が流れていますが、広島では河童の事を「猿猴」と呼ばれています。いつの頃か猿猴を見たという事でその川は「猿猴川」と名付けられました。

そんな猿猴さんの物語を創作してみました。

 人間には「猿猴」と呼ばれているものだから、毛利の殿様が吉田という処から此処に引っ越して来てお城を築いて賑やかになってしまって、うっかり見つかってしまったのが川の名前の由来になったらしい。皿を載せたような頭に甲羅を背負っているので猿では無いのだけれども人間でも無い。人間では無いので見かけられる度に吃驚されるのだけれども不思議と捕まえようとかといった事も無いのは、こっちも人間に乱暴をする事もないのだからだろう。吃驚されるのも嫌なのでなるべく人間の目につかないよう干潮の時には、ずっと川上に行ったり海に行ったりしていて、ここらあたりには潮が満ちてきてから川の中に潜んで姿を見せないようにしているのだけれど、川辺は子供たちには恰好の遊び場になっているのでどうしても子供たちには見つかってしまう。でも大人たちと違っているのは吃驚するのは最初だけで、声を掛けながらだんだん近寄って来て、そのうちに怖くなくなると一緒に遊ぶようになった。何日も何日も子供たちと遊んでいるうちこちらも言葉を覚えてしまった。遊んでいる事が大人たちに知られなかったのは、大人たちは子供たちに、猿猴が襲ってくるから川辺に近付いてはいけないと言い聞かせているからだそうで、だから遊んでいる事は大人たちには内緒なのだ。遊ぶといってもただ水をかけあうだけなのだけれども、ほらこっちの手は水かきがあるから負けなのだ。それでもって子供たちは負けず嫌いで一人では敵わないからいつも遊び仲間を二人、三人と呼んできては水をかけてくる。あの頃は楽しかったのだけれども。


「おーい、おーい居るんだろう、出て来てくれよ、忘れたのかい? 僕だよ久夫だよ」

 ある日川面に響く何かにすがりつくような声音を耳にした。大人の声であったが、その声音には子供のころの面影が残っていたので「久夫」の事はすぐに思い出したのだが、しかしまだ夜明け前である。

「ここだよ、こんなに早くいったいどうしたんだい?」

 川面に頭を出して近づくと、「あ! やっと会えた、もう何日もここで呼び続けて探していたんだよ」と、言ったとたんに兵隊さんの恰好をした久夫は泣き出した。近くに不動院というお寺がある川辺で、久夫が子供の頃よく遊んだものである。久夫は不動院のお仁王さまの事を「それは怖いお仁王さまだよ、ぼく一人では怖いから一緒に来てよ」と、川から離れられない事を知っていて、からかう様に誘っていたのだけれども、とても優しい子供だった。

しんに? 沢山の兵隊さんが新しく出来た御幸橋とか云う橋の上を行進してその周りを勝った、勝った、バンザーイと興奮した人たちが叫んでいるのを見たけど、あの兵隊さんの中に居たのかい」

 久夫の隣に座って泣き止むのを待って、その訳を聞いてみると、久夫は宇品という港から海を渡って清という国との戦争に行って命からがら何とか戻っては来たのだけれど、目の前で人が殺しあう悲惨な戦場に半年、自分もいつ死ぬかも知れないという恐怖にずっと苛まれ、戻ってからもそれは続いていて夢にうなされ眠れない夜が続いていると話し終えた途端「怖いんだ」と、濡れてしまうのも気にかけずに抱きついて来た。

「おうちの人にその気持ち話したの?」

 すると体を離して「猿猴さんだから話せるんだよ」と目を見つめ、そして「皇軍にこんな弱虫が居るなんて事を家族に話せる訳ないじゃないか」と言ってから、堰が壊れたようにまた同じ話をし続ける。

「沢山の仲間が死んで行く、腕や足、顔が吹き飛んで異国の土に残されたままでぼくだけ生き残って帰って来てしまった。考えてもごらんよ、ぼくが向けた銃の先の敵にも僕と同じように仲間が居て、友達が居て、家族がいるはずなんだよ。そんな人をどうして殺さなきゃならないの?」

 あの勇ましい行進はいったい何だったのだろうか? バンザイ、バンザイと興奮した人間たちはいったい何だったのだろうか? 久夫にかける言葉など知る由もなくただただ久夫の語る戦場を聞く事しか出来なかった。

「お仁王さんの所に連れて行ってくれる?」

 出来ることと云えば久夫が子供の頃にねだったお仁王さんを一緒に見に行くこと位しか思いつかなかった。

「え? でも猿猴さんって、頭のお皿が干上がったら死んでしまうって……」

「なに、すぐ戻ってくれば大丈夫さ」

 しばらく見つめてから、上着を脱いでそれを川水に浸して「いざとなったら、これをお皿に乗っければ大丈夫だよね」と、久夫は返事をした。少しは元気を取り戻したのかもしれない。

 道々歩きながら「実はあれ以来、お仁王さんの所には行っていないんだ。久しぶりだなあ」などと久夫の話を聞きながら不動院の門前に着いた頃には空が白み始めていて、でも人影は無かった。

「ほら、あの仁王門の中に怖い顔をしたお仁王さんがこっちを見ているんだ、怖いよ」

 久夫が、少年の頃に戻って悪戯を楽しむような仕草に促されてお仁王さんを見上げた。阿と吽と云う二体のお仁王さんが左右に並んでそれは恐ろしい顔をして見下ろしている。

「本当だ、なんであんなに怖い顔をしているのだろう」と話しかけたのだけれども返事が無いので久夫の様子を見ると、お仁王さんを見上げたまま、手を合わせ涙が頬を伝わっていたので「怖いの?」と聞いた。

「不思議だ、怖くなんか無い。子供の頃見たお仁王さんと違う……、こんなに優しい顔をしていたんだ」

 そのまま久夫とお仁王さんを見上げていたのだけれど、急に頭が割れるように痛くなってしまってその場に倒れこんでしまった。

「久夫、み、水」と頭の皿を指さすと、

「あ! お皿が干上がったんだね」と、吃驚した久夫が慌てて上着を絞って頭に雫を垂らしてくれたので、頭の痛みは和らいだ。

「ふうー、助かった。もう大丈夫だよ」

「猿猴さん、川に戻ろう」と、と久夫が言ってくれたので、立ち上がると、久夫が濡れた上着を頭に乗っけてくれた。

「ごめんよ、もっとお仁王さんを見ていたかったのでは無いのかい」と、川の中に入ってから久夫に詫びて「あ、そうそうこれ、おかげで助かったよ、ありがとう」と、上着を返した。

「猿猴さん、付き合ってくれてありがとうね」そしてまた「ありがとうね」と久夫はお辞儀をしてから「もう一度お仁王さんの所に行って来るから……、もう大丈夫だよ」と、少しの笑顔を返してくれた。そして元気よく土手の上に駆け上がって振り返り「猿猴さん、またね」と、手を振ってから姿を消した。


 年に一度、川が賑やかになる。いつもであれば川上なり海に行って過ごすのだが「僕もそこに居るから、手を振ってほしい」と、雄二に約束させられたので気が進まなかったけれども「おともん船」を見物するのも久しぶりでもあったのでこうして潮が満ちた京橋川にやって来た。大正とかいう年号に変わっても、相変わらず沢山の兵隊さん達がまた宇品の港から海を渡って行ったけど、そこには昔遊んだ子供たちも混じっているのだろうか? この賑やかさの中にはそういった兵隊さんの無事を願う人もきっと混じっているのだろうと思いながら、川に浮かぶ二艘のおともん船を取り囲んで京橋や川岸に沢山の人が見物に来ている。雄二と約束したのは京橋から見ているから、とも飾りのところで顔を出して手を振ってほしいという事だった。

 何だか難しい注文に答える事になったのは、ある日京橋近くにある雁木という船着き場で雄二が一人寂しそうに川面を眺めているのを見たので、少し励ましてやろうと思って近づいてからいきなり川面から顔を出したら、それはそれは吃驚して気を失ってしまった。気が付くまで見守っていたのだけれども、どうやら雄二は家でもどこでもお化けをよく目にするそうで、こんなに近くで大きなお化けを見たのは初めてだったので気を失ったらしい。「ごめんよ、ごめんよ」と、謝っているとお化けでは無い事に安心したのか逆に興味を持って色々話しかけてきてすっかり友達になってしまった。家はすぐ近くで、雄二の話ではお父さんが商いをやっている大きなお店のようだ。でも最近、そのお父さんも重い病を患って今は大阪という処で養生していて留守にしているそうで、それでいつも独りぼっちで川面を眺めていたそうなのだ。子供は群れて遊ぶものだと思っていたけど、そういうのが大の苦手で、でもどうやら近頃励ましてくれる友達が一人出来たらしく、「猿猴さんと友達なのだと、吃驚させて自慢したい」と、少し興奮した様子で話しながら、丁度一緒におともん船を見に行く約束をしていたのでその時に、という事になった。まあ驚かせてしまって悪かったし、そんな事で友達が喜ぶのならと「いいよ」と、つい答えてしまった。

 夕闇の中、かがり火が水面に映え京橋の袂からおともん船を見ると、とも飾りには緋色の布地に薙刀を持った弁慶が金色に輝いている。側面は水色の垂れ幕がそのまま水面に浮かび、船の中心部にはやぐらが立って周囲を提灯が取り囲んでいる。浅野の殿様が見物した頃から子供たちにとっても楽しみなお祭りだったので、終わってからはみんなでおともん船の知っている事を熱心に話してくれるものだからすっかり覚えてしまった風景でもある。何でも宮島という処に厳島神社があって、毎年八月十七日の管弦祭の御座船のお供をする船なので、おともん船と呼ぶらしい。

 とも飾りの処で頭を出して京橋を見ていると、かがり火に照らされた雄二がしきりに手を振っていて、隣には友達らしき男の子も居たので、こちらも手を振ったのだが、やはり心配していた通りである、大人の誰かが気づいた様子で「おい、あれば何だ!」と、こちらを指さして叫ぶ声が聞こえたので慌てて頭を隠して潜ったまま、雄二もその友達もほっておいて逃げ去った。

 おともん船が宮島に向った翌日、潮が満ちたので人通りも無くなった京橋近くに行って見ると雁木に雄二が居て、横にはあの友達が居た。

「あ、猿猴さん、こっちこっち」と、雄二が手招きする。

「ええ! あれが猿猴さんなの。昨日はよく分からなかったけど、雄二くん本当にお友達だったのだね」

「ね、言った通り嘘で無かったでしょ」と、雄二が自慢をする。でも「すぐ隠れちゃって、もっと手を振ってほしかったのに」と、猿猴に向って恨めしそうに言う。

「あんなに沢山の人が見ていては目立って駄目に決まっているじゃないか」

「そりゃそうだけどさ。でも、こうして会いに来てくれてありがとうね。紹介するよ、僕のお友達の清田吾市くん」

 吾市くんは少し顔を赤らめてペコリと頭を下げた。沢山の子供たちを知っているから何となく分かるのであるが、この子は優しい子に違いない。だっていつも独りぼっちだった雄二のお友達になっているのだから。

 バシャッといきなり二人に水をかけてやったら、負けじと二人して反撃してきた。「キャッキャッ」と暫く遊んでいたら、ドボンと雄二が勢い余って川に落ちてしまったのだが、泳げないらしく手足をバタつかしているだけで「助けて!」と叫ぶと、吾市がすぐさま飛び込んだは良かったけれども雄二に抱き着かれたまま沈んでしまいそうになったので、二人とも抱きかかえて雁木に引き上げてやった。これくらいの事は猿猴にとっては何でも無いし、力持ちでもある。

「エーン、エーン」と泣く雄二を、自分もずぶ濡れになったまま「もう大丈夫だよ、猿猴さんもついているし」と吾市が慰めている。そうしているうち、「どうしたの、大丈夫なの?」と近くを通りかかったのだろうどこかのお母さんらしい声がして階段を下りて来たので、猿猴はドボンと音を立てて飛び込んで身を隠した。

 遠くから頭を出して様子を見ると、どこかのお母さんが、他に誰か落ちたのでは無いかと心配して川を見ていた様子であったが、やがて吾市と一緒に雄二を抱えるようにして雁木を上がって行った。その後ろ姿を見ながら「やはり、思った通りの優しい子だ」と猿猴は呟いた。


 独りぼっちになって思い出すと涙が溢れてくる。悔しくて、情けなくて、でもお母さんにはとても言えなくて……、どうして「ててなしご」とからかわれなくてはならないのか?

学校での帰り道、男の子たちが明子に向って「やーい、やーい、ててなしご」と、囃し立てた。どうしてそんな事を言うのか。腹が立って、男の子たちを追いかけたけど逃げられた。

 勤め人のお父さんが二度目の兵隊さんに取られて町内の人に見送られて行ったのは、うちが国民学校初等科一年の年が明けた二月の末であった。赤紙が届いた時、お父さんの大の仲良しの雄二と呼んでいたおじさんが訪ねて来た。東京に住んでいたのだけれども、アメリカ軍が空から爆弾を落として危なくなったので広島に疎開して来ていた。お父さんとは同級生で、もともと住んでいたお家に引っ越してきたのである。お父さんが兵隊に行ってしまうので、一人っ子のうちが淋しそうにしていたら、二人して顔を見合わせて「面白い話を聞かせてやろう」と、まるで悪戯でもしたようにその話を聞かせてくれて、お母さんも「そんな事は初めて聞きました、本当なの?」と、久々に笑い声を立てていた。それは二人がうちと同じ歳のころに出会った猿猴さんの話で、雄二おじさんの話では、ある日京橋川で独り川を眺めていたら突然現れたそうで、それから仲良しになって、お父さんは二人しておともん船を見に行く約束をした時に雄二おじさんの約束通りに猿猴さんが現れてその時初めて会った。それから猿猴さんと遊んでいたら川に落っこちたことなどを楽しそうに話してくれた。うちが寝てからも二人はお酒を飲んで遅くまで話していたそうである。そんな話が頭に残っていたせいか、こうして太田川にやってきて川を眺めている。

 ひと月前、お父さんが戦死したと知らせがあった。お父さんの名前の書かれた白木の箱には石ころが一つ入っていただけで、沖縄という島に船で向かっている途中に攻撃を受けて沈没したそうである。親戚中や町内のみんなが集まって葬式を出したけど、今でも「ただいま」と言って玄関に現れるような気がしている。

 土手から見ていると、潮が引いているせいで広い川の中ほどには盛り上がって島のようになっている処が遠くに見えた。確か雄二おじさんの話では、満潮の頃でないと、猿猴さんは泳いで来れないのだと話していたのを思い出して、今日は会えないな、会えるわけ無いよなと諦めていたのだけれども、その島の上で、もそっと人が動いたのが見えた。何だろうと目を凝らしてしばらく見ると、それは人では無くて背中に甲羅を背負って頭に皿が乗っかった猿猴さんだ。思わず「お父さーん」と叫んだのは、うちにもよく分からない。すると、声が届いたらしく猿猴さんがこちらに近づいて来てくれた。

「どうしたんだい? お父さんって」

「あ、間違ってごめんなさい。猿猴さんでしょ、お父さんから聞いた事があるの」

 そう答えて猿猴さんの顔を見ると、何故だかお父さんに会ったような気がして涙が溢れてしまった。

「そうか、お父さんがねえ。京橋川で……、ああ、おともん船で、そうそう川に落っこちた子か」と、お父さんと雄二おじさんがうちに話してくれた事を伝えると思い出したように猿猴さんは言った。そして「どっちのお父さんなの?」と聞いた。

「お父さんは、吾市、清田吾一といいます。雄二おじさんに猿猴さんを紹介してもらったと」

「ああ、覚えているとも、お父さんはね、とっても優しい子だったよ。今度一緒においでよ」

「お父さんね、お父さんね、死んじゃったの」と、また泣いた。

 猿猴さんは、その様子をじっと見守っていてくれた。「でも、悔しいの。だってだって、どうして、ててなしごってからかわれるの?」と、また泣いた。猿猴さんのそばに居ると、お母さんにも言えない事が素直に言えた。

「名前は?」と、猿猴さんが聞いてくれた。

「明子」

「明子、あの木のところまで一緒に行こうか」

 少し川下の処に、それは大きなポプラの木が立っていた。「うん」と言ってから土手を一緒に猿猴さんと歩いた。そして、木の下に座って夕日を眺めた。猿猴さんもただ隣で同じように夕日を眺めていた。そうしていると何だか落ち着いて来た。ふと見上げると、ポプラの枝が空いっぱいに広がり、緑の葉っぱが夕日に照らされていた。

「悲しかったり、淋しかったりしたら、いつでもおいで」

 耳元に声が届いたように聞こえたので、猿猴さんを見たけども、声の主は猿猴さんでは無いようであったので、またポプラの木を見上げた。でっかい幹に沿うように数えきれない枝が精いっぱい空に向かって伸びている。こうしてポプラの木の下に居ると、まるでお父さんの腕の中にいるような心地になって、ポプラの木がまるでお父さんの代わりにうちを守ってくれているように感じる。男の子に「ててなしご」と、からかわれた悔しさも何だか薄らいできて、波打っていた心が穏やかになって行った。元気を取り戻したので「うち、もう泣かない」と、立ち上がって叫んだ途端、

「イタタタタ! 頭が割れるように痛い」と、猿猴さんが頭を抱えて倒れた。

「どうしたの!」と、吃驚したうちに構わず、真っ逆さまになって土手を滑り落ちて少し潮が満ちて来た川の中に頭から突っ込んだ。

水かきの目立つ足だけが川面に立っているように見えた。その姿が滑稽で、笑ってはいけないと思いつつ「あはは」と、笑ってしまった。

「はあ、助かった」と、水の中から体を起こして「ここが干上がると死んでしまうんだ」と、頭を指して、猿猴さんは説明してくれた。

 猿猴さんはうちが笑った事に気づいていない様子だったし、なぜ急に頭が痛くなったのかも分かって安心したので「猿猴さん、大丈夫?」と、心配した声で聞いた。

「大丈夫だよ、明子もそろそろ家に帰らないと」と、甲羅を向けた。

「あ、待って。猿猴さん、また会えるよね」と、甲羅に向って聞いた。

「おともん船、近頃は見なくなったけど、また見れるようになったらとも飾りのところで手を振ってあげるよ、そして今度は水かけでもしよう」と、猿猴さんは振り返って言い残し、満ち潮に乗るようにして川上に向って泳ぎ出した。

 猿猴さんが遠く見えなくなるまで、明子はポプラの木の下で飽くことなく眺めていた。


それぞれのエピソードは実際に聞いた事をモチーフにしております。今でも宮島管絃祭は伝わっていますが、実は広島市内では江戸期から「おともん船」と呼ばれる例えば京都の祇園祭の山車のような賑やかに飾った船を川に浮かべて前夜祭として市内でのお祭りとして楽しんだ文化がありました。が、原爆とともにおともん船は無くなりました。この経緯はある歴史講座で知ったのですが、「文化も破壊する」というお言葉が印象に残ってます。

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