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異世界恋愛短編集

野良猫令嬢はひたすら小説を書き溜めるが本音を言えば筋肉騎士様に抱かれたいと思っている

作者: 百鬼清風

 「家の恥を晒すだけの役立たずが、よくも戻ってこられたものだな」


 帰宅早々、父に吐き捨てられた言葉に、私は「ただいま」も言えずに黙って頭を下げた。


(あぁ、今日も安定の塩対応……)


 改めて自己紹介をしておこう。

 私は、リディア・クラウン。

 下級貴族クラウン家の長女。十八歳。


 本来なら、女の子らしく可愛がられながら嫁ぎ先を探している年頃なのだけど──

 現実は、完全なる家の厄介者扱い。


 理由は簡単。

 私は、クラウン家の期待をことごとく裏切った「出来損ない」だからだ。


(はいはい、すみませんねぇ~)


 心の中で舌を出しながら、私は部屋へと向かう。

 今日も、早く布団にもぐりたい。……いや、正確には、原稿に向かいたい。


 


 そもそも、クラウン家に生まれたことが間違いだった。

 父は無能なのにプライドだけは高く、母は世間体ばかりを気にする。

 そんな中、私だけは「自由に生きたい」と小さな反抗心を持って育った。


 そして十四歳のとき、人生を変えるものと出会ったのだ。


──『小説』に。


 


 貴族の娘が小説を書くなんて、とんでもないことだった。

 貴族社会では、物書きは「下賤な仕事」と見なされている。


 だからこそ、私は隠れて書いた。


 昼は淑女のフリをして、夜は机にかじりついて。

 空想の世界に没頭し、誰にも知られず、物語を紡ぎ続けた。


(これだけが、私の自由)


 だが、そんなささやかな幸せも、長くは続かなかった。


 小説を書くことが父にバレたのだ。


「恥さらしめ! クラウン家の名に泥を塗るとは!」


 怒り狂った父は、私を遠縁の中級貴族に嫁がせると言い出した。

 相手は五十路を超えた偏屈な男。しかも妾扱い。


(──無理)


 私は家を飛び出した。


 そして、いま。


 貴族の娘でありながら、屋敷の最奥、ボロ小屋のような部屋に押し込まれ、

 まるで「飼い猫以下」の扱いを受けているというわけだ。


 


 それでも、私は諦めなかった。


(いいよ、どうせ家族もいないも同然なんだもの)


 布団にくるまり、隠していたノートとペンを取り出す。


 今日も、物語を書こう。


 誰にも知られず、

 誰にも邪魔されず、

 自分だけの世界を。


 


 ──数時間後。


 窓の外がうっすら明るくなり始めた頃、私はペンを置いた。


(よし、今日も一万文字突破!)


 ニヤニヤと笑いながら、自分を褒めたたえる。


 ちなみにこの世界には「小説投稿サイト」なんてハイテクなものはない。

 だから、私の書いたものはすべて手書きのノート。


 だけど、私は知っている。


 いつかきっと、この物語たちが私を救う日が来ると。


(……まぁ、それまで生き延びられたらの話だけど)


 


 朝食の時間になっても、私の部屋に食事は運ばれてこなかった。

 もう慣れっこだ。


(今日は……どこで時間潰そうかなぁ)


 部屋を出て、ひとまず街へ向かうことにした。


 目指すは──王都の西にある、騎士団演習場。


 


 騎士団演習場は、一般開放されている。

 貴族も平民も見学自由。

 大人の男性たちが剣を交える姿は、見ていて飽きない。


 ──そして、最高の資料になる。


(筋肉! 筋肉最高!!)


 私は隅っこのベンチに腰掛け、小説ノートを広げた。


 テーマはもちろん──


『筋肉騎士様とちびっ子令嬢の、禁断の恋物語』


 誰がなんと言おうと、私はこの体格差ロマンに命を懸ける所存である。


 


 視線を上げると、演習場の中央に、ひときわ目立つ男が立っていた。


 ──大柄な騎士。

 ──精悍な顔立ち。

 ──鋼のように鍛えられた身体。


(あの人、かっこよすぎない!?)


 思わずペンを持つ手が震える。


 その騎士が、指揮を執っている。

 周囲の騎士たちも、一糸乱れず動いている。


(団長さん……?)


 演習場の案内板に目をやると、こう書かれていた。


『騎士団長 レオン・ヴァルト大尉』


 レオン様──!!


(新作、小説のヒーローはこの人に決まりだわ!!)


 私は鼻息荒くノートに書き始めた。


 あの精悍な顔立ち、豪腕、優しい眼差し──。

 細かい観察ポイントを書き溜めながら、心の中で妄想を膨らませる。


(その逞しい腕で……ぎゅっと抱きしめられて──

 いや、持ち上げられて──

 あわわわ!!)


 顔が熱い。

 きっと今、私の顔は真っ赤になっているに違いない。


(落ち着けリディア……!)


 必死に自分に言い聞かせながら、私は小説の続きを書き続けた。


 


 そして、まさかその数日後──

 あの団長様本人から声をかけられることになるとは、

 このときの私はまだ、夢にも思っていなかった。


 演習場の見学席は今日も穏やかだった。


 私はいつもの隅っこに座り、ノートを膝に広げ、せっせと物語を書き溜めている。

 耳に届くのは、剣戟の音と、号令と、掛け声。


 それが心地いい。


(あぁ、尊い……)


 特に──あの人。


 演習場中央で剣を振るう、大きな背中。


 ──騎士団長、レオン・ヴァルト。


 身長はゆうに190センチを超え、筋肉は無駄なく絞られ、それでいて分厚い胸板を持っている。

 短く刈り込まれた黒髪、深い灰色の瞳。

 粗野さをまったく感じさせず、誰よりも礼儀正しい。


(た、体格差萌えが捗る……!)


 私は手元のノートに、彼をモデルにした騎士キャラクターをせっせと書き足していた。


 


 その日、演習は特に盛り上がっていた。


 来月、王城で行われる「春季騎士大会」に向けての調整らしい。


 団長であるレオン様は、自ら剣を取り、若手騎士たちの稽古をつけていた。


「この一撃にすべてを込めろ!」


 鋭い声が響く。


 大剣を片手で振るうレオン様の姿は、まさに王国最強の騎士だった。


(ああもう、かっこいい!!)


 ページが足りない。

 妄想が暴走して追いつかない。


 ペンを走らせながら、私はうっかり──


 ──レオン様を、じぃっと見つめすぎてしまった。


 


 運命は、その一瞬で動いた。


 レオン様が、ふとこちらを見たのだ。


 灰色の瞳が、私を捉えた。


(え? うそ……)


 にこりと微笑んだ、その瞬間──

 レオン様が、まっすぐにこちらへ歩いてきた。


(ええええええ!?)


 心臓が爆発するかと思った。


 周囲の見学者たちがざわめき、私を好奇の目で見ている。


 でも、それどころじゃない。


 レオン様が、真正面に立ったのだ。


「君、いつもここにいるね」


 低く落ち着いた声。


 私は慌てて立ち上がり、深く頭を下げた。


「ひゃ、はいっ! すみませんっ!」


 語彙力が迷子だった。


 レオン様は少し困ったように笑った。


「謝ることはないよ。君が見学してくれると、団員たちも張り切るからね」


(うそ、そんな、そんなことある?)


 耳まで真っ赤になりながら、私は何とか声を絞り出した。


「えっと、わたし、騎士団の皆さんがかっこよくて……それで……」


 言ってる自分が恥ずかしい。


 でも、レオン様は嬉しそうに頷いた。


「光栄だ。ところで──」


 彼はちらりと、私の膝上のノートに視線を落とした。


「それは……何を書いているんだい?」


(……あっ)


 しまった。


 今、絶賛、レオン様モデルの筋肉騎士小説を書いている真っ最中だった!!


 


「え、えっと、あのっ……! ただの、落書きというか……!」


 全力でノートを閉じる。


 だがレオン様は、にこにこしながら言った。


「見せてもらってもいいかな?」


(やめてーーー!!)


 心の中で叫んだが、拒否できるはずもなかった。


「し、失礼します……」


 震える手でノートを差し出す。


 レオン様は、丁寧にページをめくった。


 そこには、私が書いた筋肉騎士と小柄な令嬢の──

 いや、どう見てもレオン様と私っぽい──ラブストーリーが綴られていた。



 

 静寂。


 見学席全体が、しんと静まり返った気がした。


 レオン様は、しばらく読み耽ったあと、ふっと微笑んだ。


「……素敵だね」


「ひえっ」


 変な声が出た。


「とても、温かい物語だ。

 君の言葉には、人の心を動かす力がある」


 淡々と言いながらも、レオン様の瞳は本気だった。


 私は、泣きそうになった。


(だって、家族からは……ずっと否定され続けてきたから)


「ありがとう。君がこの国にいてくれて、よかった」


 そんな、優しい言葉をかけられるなんて、思ってもみなかった。


 


 気がつけば、周りから拍手が起こっていた。


 見学者たちも、騎士たちも、みんな笑顔だった。


 私は、ぐしゃぐしゃになりながら、頭を下げた。


「も、もったいないお言葉です……!」


 レオン様は、にっこりと微笑み、


「また、見学に来てくれ」


 そう言って、再び演習場へ戻っていった。


 


 私は、ノートをぎゅっと抱きしめた。


(絶対に、もっといい物語を書こう)


 憧れの人に認められたこの瞬間を、絶対に、無駄にしない。


 だから、私はまたペンを握る。


 まだ誰にも知られていない小さな誓いを、胸に秘めて。


 それから、日々は静かに、でも確実に変わり始めた。


 私は変わらず騎士団演習場に通い、隅っこの席で物語を書き続けた。

 ペンを走らせる手には、以前よりも確かな力が宿っている。


(だって、レオン様が……認めてくれたんだから)


 自分の物語が、誰かの心に届く──

 それが、こんなにも嬉しいことだなんて。


 


 そんなある日。

 演習場にいつものように行くと、見慣れぬ人物が私を待っていた。


 ──中年の男性。

 ──上質な服に身を包み、眼鏡をかけた温厚そうな顔立ち。


 隣に立つ騎士に促され、その人は私に丁寧に頭を下げた。


「初めまして、リディア様。

 私は王都出版商会の編集長、クレメンスと申します」


「しゅ、出版商会……?」


 私の脳が、理解を拒否した。


 出版商会。

 貴族社会では蔑まれる存在だが、平民たちの間では絶大な人気を誇る文化拠点。


 そこから、編集長が……なぜ、私に……?


 


 クレメンス氏は、恭しく話し始めた。


「実は……先日、騎士団長レオン・ヴァルト様より、リディア様の作品を拝見する機会を賜りまして」


(レオン様ァァァァァ!!)


 内心で雄叫びを上げながら、必死に平静を装う。


「大変感銘を受けました。

 もしよろしければ、王都出版商会から、正式に書籍化のお話を──」


「しょ、書籍化あああぁぁ!?」


 叫んでいた。

 気づいたら、叫んでいた。


 


「も、もちろん! ぜひ! お願いします!」


 速攻で頭を下げた。

 下げすぎて額をベンチに打ちつけたが、痛みなど知ったことか。


「ありがとうございます! それでは、近日中に契約書を……」


「はいっ、何でも書きますっ!」


 もはや何も怖くなかった。


 編集長の後ろでは、護衛の騎士たちが微笑ましそうに見守っていた。


(……あれ、騎士団の人たちって、意外とみんな優しい?)


 ちょっと涙が出そうになる。


 


 こうして私は、王都出版商会から

 ──デビューすることになった。


 しかも、ペンネーム付き。

 名付けて、


『野良猫』


 由来は、レオン様がぽそっと呟いた言葉だった。


『君は、放っておけない野良猫みたいだ』


 それを聞いた編集長が「これは使うしかない」と乗り気になり、即決となったのだ。


 


 数日後。

 騎士団演習場で、レオン様に頭を下げた。


「ほんとうに……ありがとうございます……!」


 するとレオン様は、微笑んで言った。


「感謝されるようなことじゃないよ。

 君の力が、ただ正しく認められただけだ」


(ううっ……惚れてまうやろ……!)


 危うく泣き崩れそうになるのを堪えながら、私は思った。


(絶対に、絶対に成功してやる!!)


 この人に、胸を張って「私は小説家だ」と言えるように。


 


 ──ところが。


 幸せな流れに水を差す者たちが、現れ始めたのだ。


「下級貴族の娘が、作家だと?」


「クラウン家の恥さらしめ……!」


 家族たちだ。


 私の書籍化の噂が、クラウン家に届いたのだろう。


 平民相手に名を売るなど、家の恥だと罵られた。


(……知るか!)


 もはや、家族の言葉に縛られるつもりはなかった。


 だけど──。


 


「出版など、許さぬ!!」


 ある夜、父と母が王都出版商会に押しかけたらしい。


 出版を妨害しようと、ありとあらゆる手を使って。


 ──リディアを引き取れ。

 ──婚約者として五十路男と結婚させろ。

 ──出版を中止しろ。


 無茶苦茶な要求だった。


 編集長クレメンス氏は、にこやかに対応しながら──

 裏では、きっちりと記録を取っていた。


「すべて、不法行為で訴えられる案件ですね」


 冷静すぎた。


(さすが、大手出版社……)


 


 そして、私は決意した。


(家と、縁を切ろう)


 もう、後戻りはしない。


 私は、私自身の力で、生きていくんだ。


 それが、私に自由をくれたレオン様への、

 そして、支えてくれるすべての人への、恩返しだと思ったから。


 


「クラウン家リディア・クラウンは、

 本日をもって家族の籍より除籍され、独立を宣言します」


 王城の記録室にて、私は、静かに、そして堂々とそう述べた。


 国の法律上、貴族の家を出るには一定の条件が必要だ。

 だが、家族から明確な虐待や妨害があれば、正当な理由と認められる。


 編集長が手伝ってくれた資料と証拠のおかげで、申請はあっさり通った。


(これで、自由だ……!)


 涙がにじみそうになるのを堪えながら、私は目を閉じた。


 


 ──そして。


 春。

 桜の花びらが舞う中、私は、最初の書籍を出版した。


『猫耳令嬢と鋼の騎士様』


 拙い、けれど精一杯詰め込んだ、私の物語。


 本屋に並んだ自分の本を見たとき、

 あまりの嬉しさに、私はその場で泣き崩れそうになった。


 


「おめでとう、リディア」


 背後から聞こえた、あの優しい声。


 振り向くと、そこには、レオン様がいた。


「……ありがとうございます!」


 私は、心からの笑顔で答えた。


(この瞬間を、絶対に忘れない)


 ペンを持つ手が震えた。


 これから先も、私は書き続けるだろう。

 何度つまずいても、何度傷ついても。


 だって──

 この世界に、たった一人でも私の物語を愛してくれる人がいる限り。


 初めての書籍『猫耳令嬢と鋼の騎士様』は、想像以上に売れた。


「すごいわよ、リディア様! 初版三千部が即完売です!」


 王都出版商会の編集長クレメンス氏が、顔を紅潮させて報告してくれた。


 三千部。

 それは、平民向け娯楽本としては異例の大ヒットだった。


(うそ……本当に……?)


 信じられない思いで、私は小さく拳を握った。


(やった……!)


 こんな世界の片隅で、小さな私の物語が、

 誰かの心を掴んだのだ。


 これ以上の喜びはなかった。


 ──だが。


 順調な成功は、当然、反感を生む。


 ある日、演習場に向かう途中。

 私は、見知らぬ貴族に呼び止められた。


「君が、クラウン家の野良娘か」


 刺々しい声。


 見るからに高慢な態度の男。

 背後には取り巻きらしき青年たちがずらりと並んでいる。


(……面倒な相手だな)


 内心ため息をつきながら、私はぺこりと礼を取った。


「はい、リディア・クラウンです」


「ふん、家を捨てた恥知らずめ。

 下賎な書き物で王都に名を売るとは、恥を知れ」


 取り巻きたちは、くすくすと笑う。


 だが、私は微笑みを崩さなかった。


「ご忠告ありがとうございます。

 ですが、私は誰にも迷惑をかけていないつもりです」


 笑顔を貼りつけたまま、背筋を伸ばす。


 


 男は、鼻で笑った。


「貴族社会に背いた罪、必ず償わせてやる」


 そして、吐き捨てるように去っていった。


(はぁ……)


 心の中で大きくため息をついた。


 まあ、予想はしていた。


 貴族社会にとって、私は異端だ。

 しかも、ただ異端なだけではない。


 成功してしまった異端なのだ。


 憎まれるのは当然だった。


 


 その後、嫌がらせは加速した。


 出版商会には、匿名の中傷文が大量に届いた。

 私の自宅には、無言の脅迫状が投げ込まれた。


 演習場では、陰口を叩かれるようになった。


「下品な小説で金を稼ぐなんて」

「品性がない」

「下賤な商売だ」


 そんな声が、耳に入るたびに、胸が痛んだ。


(──それでも)


 私は、筆を止めなかった。


 あの日、レオン様に認めてもらった自分を、裏切りたくなかった。


(私は、書く。誰に何を言われても)



 

 そんなある晩。

 私のもとに、一本の手紙が届いた。


 ──差出人は、レオン・ヴァルト。


(レオン様……!?)


 震える手で封を切る。


 


【リディアへ】


 ──明日、王城近くの庭園で待つ。


 少し話がある。


                レオン・ヴァルト


 


(な、何!?)


 心臓がバクバクと音を立てる。


 話って、なに?

 もしかして、迷惑かけたから怒られる?

 それとも、励まし?


 いやいや、まさか、そんな、まさか……!


(……うん、寝よう)


 わたしは枕に顔を埋めた。


 


 翌日。


 私は、震える膝を必死に押さえながら、王城近くの美しい庭園に向かった。


 そこには、すでにレオン様が立っていた。


 陽光の中に立つ彼は、まるで絵画の中から抜け出してきたように美しかった。


「来てくれて、ありがとう」


 レオン様が、優しく微笑む。


「わ、わたし、なにか、怒られるのでしょうか……!」


 思わず口走った私に、彼はふっと笑った。


「違うよ。

 君に……頼みたいことがある」


「た、頼み……?」


 


 レオン様は、真剣な顔で言った。


「君に、王立騎士団の公式記録係になってもらいたい」


「き、きき、記録係!?」


 意味が分からず、私は口をぱくぱくさせた。


「君の文章は、人の心を動かす。

 王立騎士団にも、そんな力が必要だと思う」


「でも、わたし、そんな、大役……!」


「リディア。君ならできる」


 まっすぐな灰色の瞳。


 私は、ぐっと唇を噛みしめた。


(やるしかない……!)


 


「──わかりました。全力で務めさせていただきます!」


 私は、深々と頭を下げた。


 レオン様は、にっこりと微笑んだ。


「ありがとう、リディア」


 その瞬間。


 私は、ようやく、本当に一歩を踏み出した気がした。


 もう、誰にも邪魔させない。


 これは、私自身の力で切り拓いた道なのだから。


 王立騎士団の「公式記録係」──。

 その役職に任命された日から、私の生活は大きく変わった。


(すごい、すごい……!)


 これまでただ隅でスケッチしていた演習場で、

 今では堂々と、専用のデスクと椅子が与えられている。


 しかも、執筆用の上質な道具一式──

 万年筆、羊皮紙、インク、保存用の箱──まで支給された。


(もう……本当に、幸せ……!)


 周囲の騎士たちも、最初こそ珍しがっていたものの、

 すぐに私を仲間として受け入れてくれた。


 演習後には「今日はこんな動きができたんだ」と自慢する騎士もいれば、

 「今度は俺たちの訓練も記録してくれ」と笑いかける者もいる。


(あったかい……)


 前の家では一度も感じられなかった、人の温もり。


 私はようやく、本当に自分の居場所を見つけたのだと、心から思った。


 そして──。


 一番大きな変化は、やはり。


 団長、レオン・ヴァルト様との距離が、ぐっと縮まったことだった。


 記録係としての私は、

 日々、レオン様の指導風景や、訓練内容を細かく記録している。


 その過程で、当然ながら、彼と二人きりで話す機会も増えた。


「リディア、ここの表現、少し補足できるかな?」


「あっ、はい! すぐに!」


 レオン様は驚くほど細やかで、厳しいが決して怒鳴らない。

 教え方が上手で、何より──すごく、すごく優しい。


(はぁぁぁ、かっこいい……)


 仕事中なのに、何度心の中でため息をついたかわからない。


 しかも最近では、レオン様が時折、冗談を言って笑わせてくれるのだ。


「君が見学に来る前は、騎士たちのやる気も今ひとつだったんだ」


「えっ、わ、わたしのせいで……?」


「いや、君のおかげで、皆、張り切るようになった。特にカイゼルなんて、君の前では二割増しで頑張るらしい」


「えぇぇぇぇ」


 そう、カイゼルさん──あの大剣使いの騎士──は、

 実は「癒しの野良猫令嬢のために頑張っている」と公言して憚らない。


 まさか、自分がそんな存在になっているとは……!


(なんか、申し訳ない気もするけど、嬉しい)


 そんなある日。


 私は、ひょんなことからレオン様と「ふたりで」お茶をすることになった。


「リディア、今日のまとめはこれで終わりだ。

 もし時間があるなら、隣のサロンで一杯どうかな?」


「え、え、え、えっ」


 思わず変な声が出た。

 隣のサロン──つまり、デートではないが、ほぼデートである。


「よ、よろこんで!」


 秒で答えた自分を、あとで全力で褒めたい。


 

 サロンは、騎士団専用の控え室を改装した小さなカフェのような場所だった。


 レオン様と向かい合って座り、

 運ばれてきたハーブティーをぎこちなく飲む。


(ああああ、緊張する……)


「リディア」


「は、はいっ!」


 レオン様は、いつもの落ち着いた声で言った。


「君は、なぜあんなにも、物語を書くんだ?」


(……)


 私は、少しだけ考えてから、答えた。


「現実が……つらい時、物語の中だけは、自由になれるから、です」


 それは、本音だった。


 家族に虐げられても、誰にも必要とされなくても、

 物語だけは、私を肯定してくれた。


 レオン様は、優しく微笑んだ。


「……いい答えだね」


 その瞳が、温かくて、

 私は思わず、涙をこぼしそうになった。


 それから、ふたりの間に、ゆるやかな沈黙が流れた。


 気まずいわけではない。

 むしろ、心地いい沈黙だった。


(……こんな時間が、ずっと続けばいいのに)


 ふと、そんなことを思った。


「リディア」


 レオン様が、静かに私の名前を呼んだ。


「君は、これから、どこに向かうつもりだ?」


 どこに──。


 私は、そっと手元のカップに視線を落とした。


「……もっと、たくさんの物語を書きたいです。

 たくさんの人に、読んでもらいたい。

 できれば、誰かの力になれるような、そんな物語を……」


 小さな声で、それでもはっきりと答えた。


 レオン様は、そんな私を、まるで宝物を見るような目で見つめた。


「素晴らしい。

 君なら、きっとできる」


 その言葉が、心の奥深くまで、しみこんでいった。


(……この人が、私の初恋の人でよかった)


 お茶が冷めるのも忘れて、私は、ずっとレオン様と話をしていた。


 家族のこと。

 騎士団のこと。

 物語のこと。

 未来のこと。


 たくさん、たくさん、話した。


 気がつけば、外はすっかり夕暮れだった。


 柔らかな陽の光が、窓から差し込んでいる。


「そろそろ、帰ろうか」


 立ち上がったレオン様が、そっと手を差し伸べた。


 その大きな手に、私は迷わず、自分の手を重ねた。


(あったかい──)


 ほんの短い時間だったけれど、

 私にとっては、何よりも大切な一日だった。


 ──そして、この日を境に。


 私とレオン様の距離は、さらに、縮まっていくことになるのだった。


  春の陽気が満ちる王都で、私はまた一歩、人生を進めていた。


 王立騎士団の公式記録係として働きながら、

 小説家『野良猫』としても二作目、三作目と刊行を重ねていた。


『野良猫の恋は鋼を超えて』

『野良猫と騎士団長の夜明け前』──。


 どちらも初版が即日完売し、平民層を中心に絶大な人気を誇っていた。


(……夢みたいだなぁ)


 けれど、夢はそう長く続かない。

 当然のように、黒い影は忍び寄ってきた。



 

 ある日、出版商会から呼び出された私は、

 応接室で衝撃の話を聞かされた。


「リディア様、実は……」


 編集長クレメンス氏が、苦い顔で切り出した。


「クラウン家が、あなたを不法に拘束し、無理やり結婚させようと画策しています」


「──はい?」


 耳を疑った。


(今さら……?)


 私はとっくにクラウン家の籍を抜け、

 独立した身だ。

 もう、家とは何の関係もないはず。


「詳しく教えてください」


 私が表情を引き締めると、クレメンス氏は静かに頷いた。


「王都に新任した判事からの情報ですが、

 あなたの両親が、ある中級貴族と裏で取り引きをしていたらしいのです。

 内容は、リディア様を強制的にその貴族の妾として押し込む代わりに、

 借金の帳消しと引き換えにする、というものです」


「……最低」

 

 呆れを通り越して、もう笑うしかなかった。


(本当に、最後の最後まで、私を利用するんだなぁ)


 悲しみは、なかった。

 ただ、呆れと、静かな怒りだけ。


(なら──こっちも容赦しない)


 私は、しっかりと拳を握った。

 

「やれるだけ、やってください」


 私は、クレメンス氏にそう告げた。


 彼は満面の笑みを浮かべた。


「承知しました。すでに証拠も集めてありますので、

 あとは王城の裁定を仰ぐだけです」


「……抜かりないですね」


「我々、プロですから」


 


 数日後、裁判が開かれた。


 内容はシンプルだった。


 ──クラウン家、及び共謀した中級貴族に対する詐欺未遂。

 ──リディア・クラウンに対する不当拘束未遂。


 王城の判事は淡々と判決を下した。


「クラウン家当主、並びにその妻に対し、爵位剥奪及び追放刑を言い渡す。

 共謀した中級貴族についても同様とする」


 あまりにもあっさりとした、

 けれど確実な破滅宣告だった。


 父と母は、信じられないという顔をしていた。


 地面に崩れ落ち、泣き叫ぶ姿を、

 私はただ、静かに見下ろしていた。


(これで──終わった)


 やっと、すべての呪縛から解き放たれたのだ。


 


 判決後、レオン様がそっと私に声をかけてくれた。


「……怖かったか?」


「いえ。全然、怖くなかったです」


 私は、にっこり笑った。


「だって、もうひとりじゃないですから」


 レオン様の瞳が、優しく細められた。




 それから。

 騎士団でも、変化が起きた。


 レオン様を快く思わない一部の上級騎士たち──

 腐敗していた彼らも、次々に粛清されたのだ。


 裏で賄賂を受け取っていた証拠が見つかり、

 不正な昇進が取り消され、騎士団の空気が一気に澄んだ。


「リディア、君のおかげだ」


 レオン様は、真顔でそう言ってくれた。


「君が記録を残し、

 君がここにいてくれたから、

 我々は、自分たちを恥じることができた」


 私は、首を横に振った。


「違います。

 みなさんが、もともと正しい心を持っていたんです」


 レオン様は、ふっと微笑んだ。


「──君は、強いな」


「そんなこと、ないです。

 わたし、ずっと……弱虫でしたから」


 でも。


 だからこそ。


 ここまで、来られたのだ。


 ──その夜。


 騎士団の食堂で、ささやかな祝賀会が開かれた。


 みんなが笑い、飲み、祝福してくれた。


「リディアちゃん、これからもよろしくな!」


「新刊、楽しみにしてるからな!」


「次は俺もモデルにしてくれ!」


 冗談交じりの声に、私はただただ、笑った。


 こんなにも暖かい世界があるなんて──

 かつての私は、知らなかった。


 宴もたけなわの頃、

 レオン様が、私をそっと呼び寄せた。


「リディア」


「は、はいっ」


 彼は、真剣な顔で言った。


「近いうちに、君に伝えたいことがある」


 その声は、いつもより低く、

 けれど、確かな温度を帯びていた。


(──え?)


 心臓が、跳ね上がった。


 「──近いうちに、君に伝えたいことがある」


 レオン様の言葉を聞いてから、私は、落ち着かない日々を過ごしていた。


(な、なに? なに!? これって、もしかして告白!?)


 いやいや、そんな都合のいいことあるわけない。

 私はまだ、彼に見合うほど立派な人間じゃない。

 ただの野良猫令嬢、元・貧乏下級貴族の娘だ。


(……でも、もし、もし、だったら)


 期待と不安がぐるぐると渦を巻き、

 食事ものどを通らず、夜もろくに眠れなかった。


 


 そんなとき、

 ある人たちが、私に「家族になろう」と申し出てくれた。


 ──ヴァルト家の親族筋、上級貴族の分家にあたる、フォルト家。


 フォルト家は、すでに成人した子どもたちが皆巣立ち、

 家主夫妻だけが広い屋敷で静かに暮らしていた。


「リディアさん、もしよければ、我々の養女になってもらえませんか?」


 突然の申し出に、私は呆然とした。


(よ、養女……?)


 


 フォルト家当主、グスタフ・フォルト侯爵は、

 厳格そうに見えて、穏やかな物腰の人だった。


 その妻、マリアンヌ夫人も、優しく微笑みながら言った。


「あなたのことは、レオン様からたくさん伺っています。

 勇敢で、賢く、優しい娘さんだと」


「……レオン様が?」


 耳が熱くなる。


「ええ。あなたを心から大切に思っている、と」


(……え)


 また心臓が跳ねた。


 私は、その場で即答できなかった。


(家族……)


 その言葉が、怖かった。


 クラウン家で受けた仕打ちが、まだ心の傷になっている。


 また、裏切られるかもしれない。

 また、期待して、絶望するかもしれない。


 でも──


 目の前の、グスタフ侯爵とマリアンヌ夫人は、

 そんな私の迷いを、すべて包み込んでくれるような、温かさを持っていた。


「リディアさん。急がなくてもいいんです。

 あなたが、心から『家族になりたい』と思えたとき、また返事をください」


 マリアンヌ夫人が、そっと私の手を握ってくれた。


(あったかい……)


 涙が滲んだ。


(……こんな温かい手、初めてだ)


 数日悩んだ末、

 私は、決心して、フォルト家の門を叩いた。


「わたし、お願いします。

 フォルト家の娘に、なりたいです」


 頭を深く下げた私に、

 グスタフ侯爵もマリアンヌ夫人も、優しく笑ってくれた。


「ようこそ、リディア」


「これからは、私たちの大切な娘ですよ」


 あぁ──。


 ようやく、私にも、家族ができたんだ。


 新しい戸籍が作られた。


 名前も変わった。


リディア・フォルト。


 私は、フォルト家の正式な娘となった。


 貴族の格式を失わず、

 それでいて、愛情に満ちた、あたたかな家族。


 今まで夢にまで見た世界が、ここにあった。


 ある晩、養父母と一緒にディナーを楽しんでいるとき、

 ふいにグスタフ侯爵が言った。


「リディア。そろそろ、レオン様に想いを伝えてはどうかね?」


「ええっ!?」


 スプーンを盛大に落とした。


 マリアンヌ夫人は、微笑ましそうに頷いた。


「あなたが彼に想いを寄せているのは、顔を見ればすぐに分かるわ」


「そ、そんなぁ……」


 恥ずかしさで顔が真っ赤になった。


「大丈夫だよ、リディア」


 グスタフ侯爵が、穏やかに続ける。


「レオン様も、君に特別な感情を抱いている。

 私たちは、心から二人を応援しているよ」


 心が、じんわりと温かくなった。


 こんなにも、

 こんなにも、誰かに背中を押してもらったのは、初めてだった。


(よし……がんばろう)


 私は、決意を新たにした。


 次にレオン様と会ったときこそ、

 私の想いを、まっすぐに伝えよう。


 そう、胸に誓った。


 それは、春の終わり、初夏の匂いが漂い始めた頃だった。


 私は、騎士団本部の演習場にいた。

 陽光の下、若い騎士たちが剣を振るい、叫び、笑い声を上げている。


 その中心にいるのは──もちろん、レオン様。


 鋼のような肉体を持つ、私の憧れの人だ。


(……今日こそ、伝える)


 私は両手で胸を押さえ、何度も深呼吸を繰り返していた。


(今日こそ、ちゃんと、言うんだ)


 そう決意した矢先──。


「リディア」


 低く、静かな声が背後からかけられた。


 振り向くと、レオン様が立っていた。


 灰色の瞳が、まっすぐに私を捉えている。


「少し、時間をくれるか?」


「も、もちろんです!」


 心臓がドクンと跳ねた。


 レオン様は、私をそっと演習場の外れへと誘った。

 

 人目のない、小さな花壇の前。


 花々の香りに包まれて、

 私たちは向かい合った。


「リディア」


 レオン様は、静かに口を開いた。


「ずっと、君を見ていた」


「──」


「最初は、ただの興味だった。

 小さな身体で、必死に何かを書き続ける姿が、どうしても気になって」


 私は、ただ黙って聞いていた。


「だけど──君が、家族からも虐げられ、

 それでも笑って、前を向こうとしているのを知ったとき」


 レオン様の瞳が、微かに震えた。


「……守りたい、と思った」


(……っ)


 胸が、ぎゅっと締めつけられた。


「君が頑張る理由を知って、

 君が笑う理由を知って、

 君が泣かない強さを知って──」


 レオン様は、一歩、私に近づいた。


「もう、放っておけなくなった」


(──)


 息が、できなかった。


「リディア。

 君が望むなら、君の隣にいたい」


 騎士の誓いのように、真剣な声だった。


「君を、幸せにしたい」


 私は、震える唇を押さえながら、

 ようやく絞り出した。


「わたしも──」


 声が震えた。


「わたしも……レオン様の隣に、いたいです」


 レオン様の顔に、優しい微笑みが浮かんだ。


 次の瞬間。


 大きな手が、私の頬に触れた。


 そして、そっと──


 唇が重なった。


(……っ)


 柔らかくて、温かくて、

 優しいキスだった。


 周りの花が、風に揺れる。

 太陽が、ふたりを包み込む。


 私は、ただ、目を閉じた。


(あぁ、これが──)


 ずっと、ずっと、望んでいた、

 本当の幸福だ。


 それから数週間後。


 私とレオン様の婚約が正式に発表された。


『ヴァルト家長男・レオン=フォルト騎士団長、

 リディア=フォルト嬢と婚約!』


 王都は大騒ぎだった。


 野良猫令嬢と呼ばれた私が、

 誰もが憧れる騎士団長と結ばれたのだ。


 平民層からは祝福の声があふれ、

 貴族層からは驚きと戸惑いの声が上がった。


(でも、もう何も怖くない)


 私は、私の意志で、幸せを掴んだのだから。


 新しい家族、フォルト家も、心から祝福してくれた。


「リディア、幸せになるのよ」


「お前はもう、どこへ出しても恥ずかしくない娘だ」


 グスタフ侯爵とマリアンヌ夫人は、

 私の手を取って、温かく微笑んでくれた。


 ──結婚式の日。


 私は、純白のドレスに身を包み、

 鏡の中の自分を見つめた。


 そこには、もう、

 かつての「野良猫」ではない、私がいた。


 たくさんの涙と、たくさんの痛みを乗り越えて、

 今、私は──


 誰よりも、幸せな令嬢になった。


 教会の扉が開く。


 レオン様が、笑顔で私を待っている。


 私は、まっすぐに歩き出した。


 もう、二度と俯かない。

 もう、二度と、孤独に震えない。


 この人と、一緒に歩いていく。

 どんな未来も、どんな困難も、乗り越えていく。


 それが、私の、選んだ道だから。


 

 おしまい

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