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『とこしえ坂』  作者: 血反吐P
第1章:夏休みと田舎
9/22

― 第8節:裏返った現実 ―


私は──たしかに、鳥居をくぐった。




 その瞬間、音が変わった。


 坂の上でずっと聞こえていた風の音が、ぴたりと止まる。


 代わりに、遠くで水の流れるような音が耳に届いた。


 どこかに川があるのかもしれない。でも、ここには川なんて──




 ──いや、待って。




 足元の感触が変わっている。




 草が乾いていたはずの道が、しっとりと濡れている。


 靴の裏に、水を含んだ土の柔らかさが伝わってきた。


 湿度が増した空気が肌にまとわりつく。


 急に、夏の夜とは思えないほど空気が重くなっていた。




 




 鳥居の向こうには、坂の続きがあるだけだった。


 ただ、坂の傾斜は緩やかになり、左右の木々が不自然なまでに等間隔に並んでいる。




 まるで、人の手で“並べられた”みたいに。




 そこにあるのは、自然じゃなかった。


 でも、それをおかしいと思う感覚が、少し鈍くなっている自分に気づいた。




 




 私は歩き出す。


 もう、引き返すタイミングは過ぎてしまっていた。


 戻る気持ちより、確かめたいという欲の方が強くなっていた。




 この世界が何なのか。


 そして、私はいま“どこにいるのか”。




 




 坂を下りきった場所に、木製の小さな標識が立っていた。


 手書きの文字で、こう書かれている。




《この先 たましいの村》




 ──たましい?




 一瞬だけ読めなかった。


 たまし……いたま……?


 なんだか、ふりがなでも振ってほしくなるような読みにくさだった。




 それでも、私はそのまま進んだ。




 




 その先には、村があった。




 




 灯りが点いた家。


 軒先に吊るされた風鈴。


 遠くで誰かが笑っているような声。




 夜なのに、まるで昼のように明るい。


 でも、空は真っ黒で、星ひとつなかった。


 雲もないのに、星も月も見えない。


 なのに、家々の窓からは、オレンジの光が漏れている。




 




 私は道を歩く。


 静かすぎる村だった。


 音はしているのに、足音も人の気配もどこにもない。


 家の中に誰かがいるのかもしれない。でも、カーテンが閉じられていて見えない。




 ──おかしい。




 そう思って振り返ると、さっきまで歩いてきた道が消えていた。




 坂がない。鳥居もない。


 後ろは、ただの暗い道に変わっていた。


 私はまっすぐ歩いてきたはずなのに。




 




 「……こんにちは」




 不意に、子どもの声がした。




 見ると、前に、小さな男の子が立っていた。


 浴衣を着て、足元には裸足。


 髪は濡れているようで、額に張りついていた。




 目が、笑っていない。


 笑っていないけれど、口元だけがにやりと歪んでいる。




「……こんばんは、じゃないの?」




 私がそう返すと、男の子は首をかしげた。




「このへんでは、ずっと“こんにちは”って言うんだよ。夜でも朝でも、おんなじ」




 その言い方が、なぜかひどく気味悪く感じた。




 




「君、名前は?」




 私が尋ねると、男の子は答えずにこう言った。




「きみ、しってる?」




「なにを?」




「きみの なまえ」




 




 喉がひゅっと鳴った。


 意味が分からない。


 いや、分かりたくないだけだったのかもしれない。




「私は……早瀬まどか、だよ」




 自分の名前を口にしたとき、不思議なことに、胸のあたりに“違和感”が走った。


 まるで、口にした名前が“自分に合っていない”ようなズレ。




 男の子は、じっと私を見つめていた。


 その目の奥に、“誰か”がいた気がした。




「そっか。じゃあ、いいや。ここまでこれたなら、きっとだいじょうぶだね」




「……なにが?」




「もうすぐ、むかえがくるから」




 




 むかえ?




 その言葉に続きはなかった。


 男の子は、まるで空気に溶けるように姿を消していた。




 




 私は、その場に立ち尽くした。




 風が吹かないのに、草が揺れていた。


 虫が鳴かないのに、耳の奥で羽音がした。


 風鈴が見えないのに、音だけがどこからか聞こえてくる。




 




 ──この世界は、私を“受け入れた”のだろうか。




 それとも、“まだ試している最中”なのか。




 




 私は、後ろを振り返ることができなかった。


 なぜなら、もう“戻れる場所”がそこにはない気がしていたから。



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