表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『とこしえ坂』  作者: 血反吐P
第1章:夏休みと田舎
3/22

― 第2節:坂の話 ―

 


「裏の坂……まだあるの?」




 そう聞いた瞬間、祖母の動きがぴたりと止まった。


 何気ないやり取りの途中だったからこそ、その静止がやけに目立つ。




 縁側に吹き込む風の音さえ、止んでしまったように感じた。


 たまたま風がやんだだけかもしれない。でも、私は直感的に悟っていた。


 いま、自分は“触れてはいけない何か”をつついたんだ、と。




「……坂?」




 祖母の口調がほんの少しだけ掠れている。


 さっきまでの朗らかな雰囲気とは違って、どこか慎重だった。




「子どものころに言われたんだよ。登っちゃダメって。裏山の、細い道……ほら、赤い鳥居があるとこ」




 口にしてから、しまったと思った。


 軽い気持ちで話題に出すべきじゃなかったのかもしれない。


 それでも、好奇心の方が勝ってしまったのだから仕方ない。




「ああ、あるよ。今もそのまんま。消えるようなものじゃないからね」




 そう言った祖母の目は、笑っていなかった。


 遠くを見ているようでいて、しっかりと“坂”を見据えている。


 風も吹いていないのに、風鈴がからんと揺れた。ちいさく、不気味な音色だった。




「ねえ、なんでダメなの? 神社でもあるの? それとも、祠?」




「さあね」


 祖母は腕を組み、縁側に視線を落とした。


 「理由なんて、誰もはっきりとは知らないのさ。昔から“行ってはいけない”と言われてきた。それだけで十分なんだよ」




 曖昧な答え。それでも、そこに嘘はなさそうだった。


 知っていて隠しているというより、本当に“誰も知らない”。


 けれど、その曖昧さこそが逆に怖い。


 だって、理由が不明なルールほど、人は従ってしまうものだから。




「でもさ、本当に誰かが登っちゃったって話、あるの?」




 私が問いかけると、祖母は少しだけ口元を引き結んだ。


 何かを迷うように、でもやがて、ぽつりと語り出した。




「昔ね、いたんだよ。小学校に上がったばかりの子。男の子だったかな」




 話は淡々としていた。でも、その淡々さが逆に恐ろしかった。




「その子、夜中にひとりで坂を登っちゃったんだって。


 気づいたときにはもういなくて、家族が気づいたのは翌朝」




「……でも、戻ってきたんだよね?」




「うん。戻ってきた。自分の足で家に帰ってきたよ」




 それなら、何も起きなかったってことじゃ──


 そう思いかけたところで、祖母は言葉を継いだ。




「でもね、その子はもう“その子”じゃなかったのさ」




 鳥肌が、腕に浮かんだのがわかる。


 声も、顔も、仕草もほとんど変わっていなかったという。


 けれど、細かいところが違っていたらしい。




「右利きだったのに、箸を左手で持ってた。昔嫌いだったピーマンを、ぱくぱく食べてね。


 何より、家族との思い出を微妙に間違える。日付が一日ずれていたり、話に出てこないはずの人物を知っていたり」




 祖母は、膝の上にそっと手を置いた。


 その手が小刻みに震えているように見えたのは、気のせいじゃない。




「本人は“自分が本人だ”って思い込んでたよ。自分の名前も、家族のこともちゃんと話せた。でも、誰も“あの子”をあの子として見られなかった。……家の中が、だんだん静かになっていった」




「それで、その子……どうなったの?」




 問いながら、自分の声がほんの少しだけ震えているのを感じた。




「消えたよ」




 短い言葉だった。でも、重たかった。




「朝になったら、いなくなってた。部屋には誰もいなくて、布団だけがきれいに畳んであったんだってさ。まるで、最初から存在してなかったみたいに」




 空気がひやりと冷たくなる。


 私の手のひらからも、すうっと熱が抜けていった。




「作り話、だよね?」




 無理やり笑おうとした。でも、口元がうまく動かなかった。




 祖母は何も言わず、ゆっくりと立ち上がる。




「まどか、あの坂には行っちゃいけない。……もう、戻ってこれなくなるから」




 静かに告げられたその言葉が、縁側に残る風の匂いと混じりあって、じわりと私の肌に染み込んできた。




 




 夜になっても、その話が頭から離れなかった。


 布団に入って、天井を見上げる。


 遠くで風鈴が鳴っていた。昼間よりもずっと、澄んだ音色で。




 ──登ったら、帰ってこれなくなる。




 そう言われたら、普通は避けるはずなのに。


 なのに私は、なぜか“もう一度あの坂を見てみたい”と思ってしまった。




 まるで、その場所だけが現実から外れているような気がして──


 私は布団の中で、目を閉じた。




 でも、眠りはすぐにはやってこなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ