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『とこしえ坂』  作者: 血反吐P
第2章:坂の向こう側
19/22

― 第8節:重なりゆく世界 ―


夜が深まるにつれて、家の中の“境界”が揺らぎはじめた。


 私の部屋、廊下、縁側。


 昼間と同じ形を保っているはずのものが、どこか“質感”だけ違っている。




 畳が軋む音も、風鈴の揺れるリズムも、少しずつズレていた。


 いつもと同じであって、“まったく同じではない”。




 まるで、よく似た別の空間を、誰かが上書きしているかのように。




 




 布団に入り、天井を見つめる。


 木目のパターンを追いながら、私は目を凝らした。




 そして気づいた。




 ──模様が、“昨日と違う”。




 そんなはずはない。


 この家は古く、天井板の木目は何十年も変わっていないはず。


 でも、昨夜までずっと天井の中央にあった“節の黒点”が、今日は見当たらなかった。




 




 私はそっと身を起こし、障子を開けた。


 廊下に出ると、闇の中に、縁側の影がじっとりと濃く張りついていた。




 床板に映るはずの月明かりが、ぼやけている。




 足音を立てずに歩く。


 あたりは静まり返っていたが、耳の奥ではずっと風の音が鳴っていた。


 この家の中にいるはずなのに、“外”の音が聞こえてくる。




 それはつまり、この家の“中”と“外”が混じりはじめているということ──。




 




 玄関に向かおうとしたとき、廊下の角に立つ鏡が視界に入った。




 私はふと立ち止まり、その鏡に視線を向けた。


 そこには私が映っていた。


 肩まで伸びたくすんだ金髪、制服のままの姿。




 でも──




 




 鏡の中の私は、瞬きしなかった。




 




 心臓が跳ねた。




 私の身体は、たしかに小さく呼吸している。


 でも、鏡の中の“それ”は、ぴたりと動きを止めていた。




 凍りついたような無表情。


 まぶたひとつ動かさず、ただこちらを見返してくる私。




 




 「……誰?」




 思わず声が漏れた。


 それは、私自身への問いだった。


 でも、答えは返ってこなかった。




 




 視線をそらして、私は玄関を開けた。


 夜の空気が、ひやりと胸元に入り込んできた。




 




 外に出ると、世界が“重なって”いた。




 まるで二重写しのように、現実の町ともうひとつの町が、透けて重なっている。


 電柱が二本見える。


 家の屋根が微妙にずれている。


 地面の舗装が、一部だけ違う素材で見える。




 私は目を凝らして、一歩、足を踏み出した。




 




 足元の感触が、左右で違っていた。




 右足はアスファルト。左足は土。


 世界が“ふたつ”存在していて、私の身体がその境界に乗っている。




 私は今、どちらの世界に立っている?




 この場所は、現実? 記憶?


 それとも、すでに混ざりきってしまった“なにか”?




 




 風が吹く。


 その風は、片方の世界でしか感じられなかった。


 髪の一部だけが揺れて、残りは静止したままだった。




 




 私は確信した。




 この世界は、もうひとつの世界と**“ずれて重なっている”**。


 そして、その境界に私は囚われている。




 




 そのとき、ふと視界の端に赤いものが映った。




 ──鳥居。




 坂の上にあったはずのあの鳥居が、


 なぜか町のすぐ裏手に、浮かぶように立っていた。




 私の目にだけ、それが見えている。




 




 私は思わず、数歩だけそちらへ足を向けた。


 でも、そのとき──空気がぴたりと止まった。




 そして、もうひとつの世界の“音”だけが残った。




 草の擦れる音。


 誰かの足音。


 そして──風鈴の、からんと鳴る音。




 




 この音は、もう片方の世界のもの。


 私がいない間に、そこに存在していたもの。




 




 “誰か”が、まだあの世界にいる。


 私の代わりに。


 あるいは、私として。




 




 まどかという名前を背負って、この世界に適応した“何か”が。




 




 私は静かに立ち尽くした。


 頭の中で、現実と記憶がせめぎ合う。


 自分の立ち位置が、わからなくなっていく。




 




 そして私は理解した。




 この世界には、**“ふたりのまどか”**が存在してしまっている。




 ひとりは記憶を持つ私。


 もうひとりは、この世界に馴染んだまま、私の居場所を塗り替えている存在。




 




 “戻る”とは何か。


 “本当の世界”とはどちらなのか。




 その問いが、ゆっくりと喉の奥に絡まりはじめていた。



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