― 第7節:日記の文字 ―
祖母の家に戻ったとき、空はすでに薄い紺色に染まりかけていた。
外灯が、まだ完全に闇になりきっていない道を照らしている。
それでも、空気の重さは昼間のものとまるで違っていた。
私はまっすぐ自室に向かった。
夕飯の声もかけられなかったし、祖母の姿も見えなかった。
それが逆にありがたかった。
今は、誰かの目を感じたくなかった。
部屋に入ってすぐ、私は棚の奥から日記帳を取り出した。
中学生のころから使っている、ごく普通のノート。
鍵もついていない。シンプルな黒い表紙の、一冊。
私はページを開いた。
何も考えずに、ただ自分が最後に書いた記憶のある日付を探した。
──おかしい。
私が最後に書いたはずのページが、違っていた。
記憶では、坂のことに触れた文章を残したのが最後だった。
けれど、開いたそのページには、見覚えのない文章が並んでいた。
《七月三十日 午前一時》
「戻ってきた。たしかに戻ってきた。けど、どこかが違う気がする。でもそれは、きっと気のせいだ。何もかも、私が望んだ通りのはずだから」
読んだ瞬間、背中がぞくりとした。
この文字は、私の字だった。
書き方も、改行の癖も、筆圧も──すべてが“私のもの”に見えた。
でも、私はこんな文章を書いた覚えがない。
ノートに触れてすらいなかった。
その日、私は坂を登ったあと、“まだ”戻っていない。
──それなのに、この記録は何?
私はページをめくった。
《七月三十一日》
「学校に行った。友達は、みんな私のことを普通に迎えてくれた。“まどか”として。うれしかった。やっと居場所を取り戻せた気がした」
ぞっとするほど冷静な文体だった。
感情を抑え、淡々と綴られた文面。
それは、私が“自分を納得させるとき”によく使う文章のパターンだった。
まるで、私自身が、自分の不安をごまかすために書いたように見える。
でも私は、書いていない。
ペンも持っていない。
第一、その日は私は──
……図書館にいた。
違和感を確かめに行って、記録の捏造を見て、そして……
私は、手を止めた。
ノートの最終ページには、ひとつだけ大きく文字が記されていた。
《おかえりなさい、まどか》
その一文には、日付もなかった。
名前も、署名もない。
ただ、それだけが、大きく丁寧な字で書かれていた。
書体は──やはり、私のものだった。
私は、その場にへたり込んだ。
手が震えて止まらない。
鼓動がひどく速くなって、胸の奥が痛くなるほどだった。
誰が書いた?
いつ、こんなことを?
それとも、私が“記憶していない自分”として書いたというのか?
日記帳は、まぎれもなく私の手にあった。
鍵も何もない。誰かが開けた痕跡もない。
なのに、その中身は“私が知らない私”の記録にすり替えられていた。
──もしかして。
私がいなかったあいだ、別の“まどか”がこの身体を使っていたの?
私は、自分の指を見つめた。
爪の形、関節の感覚、皮膚の乾燥具合。
すべてが、私の知っている私の手だった。
でもその“中身”が、一度でもすり替わっていたとしたら。
私は、本当にずっと“私”だったの?
風鈴の音が、小さく鳴った。
それは、どこからか吹いた風のせいじゃない。
音だけが、世界の隙間から漏れてきた。
その音に、私の記憶がわずかに揺らいだ。
“あの日、鳥居をくぐったあとに何があったのか”
その記憶だけが、霧のように薄く、曖昧なまま残っている。
日記の文字は、たしかに私のもので。
でもその言葉は、“私が発したもの”ではなかった。
だったらいったい──
この身体は、今、誰のもの?