― 第6節:別のまどか ―
放課後の空気は、少しだけ秋めいていた。
夕焼けにしては色が淡い。
どこかくすんだ橙色が、校舎の壁に滲むように落ちていた。
それなのに、私の足元だけが妙に冷たい。
いつも歩いていた下校路。
友達と笑いながら歩いた記憶のある場所。
でも今日のそれは、風景こそ同じだったけれど、“なにかが違っていた”。
下駄箱の前で靴を履き替え、出口に向かおうとしたときだった。
視線の端に、妙な違和感が走った。
それは、“見たことのある背中”だった。
白いシャツ。スカートの丈。くすんだブロンドの髪。
それはまるで──私だった。
私は一瞬、呼吸を止めた。
その子は、下校する生徒たちにまぎれて、まるで自然にそこにいた。
でも、おかしい。
私は、ここにいるのに。
じゃあ、あれは……?
廊下の人波を縫うように、その子はゆっくりと歩いていた。
顔は見えない。
でも、歩き方、肩の揺れ方、姿勢──どこを切り取っても“私”にそっくりだった。
私は無意識にその子のあとを追っていた。
校門を出て、ゆるやかな坂道を下りる。
夕暮れの街並み。すれ違う人々。
でも、誰も彼女に気づいていないように見えた。
やがて、その子はひとつの公園に入った。
小さな広場。ベンチと、滑り台と、砂場しかない空間。
彼女はそのまま、ブランコに腰を下ろした。
私は、公園の入り口に立ったまま、足を止めた。
声をかけるべきか、迷っていた。
でも、そのときふと気づく。
彼女がこちらを向いて、最初から私を見ていたことに。
そして、微笑んだ。
──私と、同じ笑い方だった。
「……だれ?」
喉の奥からやっと絞り出した言葉。
でも、その声に彼女は反応しなかった。
ただ、静かに立ち上がり、こちらに向かって歩いてくる。
一歩ずつ。
音も立てずに。
やがて目の前で立ち止まると、彼女は私をまっすぐに見た。
「あなたは、どっち?」
その声は、私とよく似ていた。
けれど、ほんの少しだけ違っていた。
抑揚や発音ではなく、“感情の含まれ方”が違う。
彼女の目は、どこか空っぽだった。
「どっち……って?」
「あなたが、入ってきた人なのか、出ていく人なのか。どっちの“まどか”なの?」
私の背筋が凍った。
この世界に、“もうひとりの私”がいたのか?
いや、私が“そっち側”に入ってしまったのか?
まるで入れ替わり。
あるいは、“上書きされた記憶の残滓”が、今の私に会いに来たのか。
「わたし……は……」
何も言えなかった。
名前を名乗ることすら、怖くてできなかった。
そのとき、彼女がふと、顔をそらした。
夕焼け空を見上げながら、ぽつりと呟く。
「“まどか”っていう名前、いいよね。響きが、残りやすいから」
まるで、“役割”としてその名前を選んだかのような言い方だった。
私は、ぞっとした。
「まって、あなたは──」
言いかけたその瞬間、彼女は歩き出していた。
公園を出て、夕闇に溶けていく。
呼び止めようとしたけれど、声が出なかった。
足が、動かなかった。
残された私は、その場に立ち尽くしていた。
ブランコの鎖が、音もなく揺れていた。
──もうひとりの“まどか”。
あれは誰だったのか。
世界のバグか、記憶の亡霊か、それとも……。
私はそっと呟いてみた。
「……私は、私だよね?」
でも、返ってくる声はなかった。